風紋
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| 2003年12月27日(土) |
比較的元気で楽団の練習に行った / メモ:悲しい気持ち |
今日は、私は比較的元気に過ごすことができた。なぜだかわからないけれど、体調が良いのは素直に嬉しい。
あまりに元気だったので、夜に少し楽団の練習に参加した。午後5時頃までは今日も欠席するつもりでいたのに、午後5時頃になって何故か“今日は行こうかな”と思ったのだ。
年末で忙しい時期にも関わらず、割と出席者が多かったのは、合奏の予定が入っていたからだろうか。私は少し遅刻して合奏に入った。今度の演奏会のプログラムのメインとなる曲を合奏していた。この曲は私は以前から知っていて、ずっと演奏したいなぁ演奏したいなぁと思っていたので、今回この曲をすることになって嬉しい。この曲を次の演奏会で演奏することが決まったというただそれだけの理由で、もう少し楽団を続けてみようかなと思い直したほどだ。そんな曲の合奏だったので、楽しかった。わくわくした。
…が、難曲だった。難しい。この曲をきちんと仕上げるのはかなり難しい。…とは、事前にある程度予測はしていたのだけれど。普段からよく聴いている曲なのだが…。譜面を前にして、おたおた(おろおろ)していた。…きちんと吹けていた箇所の方が少なかったような気がする…。…いや、練習しても完璧に吹けるかどうか…?
今までにも“これは難曲だ”と思う曲には何曲か遭遇したことがあるけれど。←ささやかに駄洒落のつもり。
しかし、譜面を見て、実際に合奏に参加して、“絶対にこの曲を最高の形で仕上げたい”とも思った。たとえて言うなら、「ずっと欲しかったプレゼントを受け取って、まさにリボンに手をかけようとしている時のような気持ち」。リボンを解いて、包装を外して、何が得られるかは私たち次第。
差し当たり次の演奏会までは、頑張ろう。皆と。
帰りに空を見上げると、たくさんの星が輝いていた。冷えきった空気の中で見る星たちは、とても美しく見えた。あぁ、と思った。
○ 今日はあまりうまく言葉にすることができないので、メモ程度の曖昧なものになってしまうのだけれど。
悲しいという気持ちについて、考えていた。
「悲しい」という気持ちはどんな気持ちなのだろう? どういう時に「悲しく」なるのだろう? 「悲しい」と思う時は、「悲しい」という気持ちとは少し違う気持ちも同時に持っていることが多いような気がするのだけれど、それも含めて「悲しい」というのだろうか? 「悲しい」だけではないとしたら、どんな気持ちが一緒についてくるのだろうか? 私の「悲しい」気持ちと、あの人の「悲しい」気持ちと、その人の「悲しい」気持ちは、同じなんだろうか、違うのだろうか? 違うところがあるとすれば、どこまでお互いの「悲しい」という気持ちは重なり合うのだろうか? 絶対にぴったりとは合わない気がするのだけれど(根拠はないけれど)、それは「悲しい」ことなのだろうか、それとも「悲しい」とは少し違う気持ちもあると思ってよいのだろうか?
…別に「悲しい」に限って考えなくても、「嬉しい」で考えても「楽しい」で考えても良いようにも思うのだけれど、今日は「悲しい」という気持ちについて考えざるを得なかった。
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