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風紋 もくじ / この前 / この後
今朝は、起きた時に寒いと思った。そして1日中寒かった。今は8月なのに…。 ピアノの蓋をもう一度開けてみた。今日は、鍵盤の様子よりも、むしろ蓋を開ける時の感触や重みの方が印象に残った。懐かしく思った。子どもの頃は何気なく開けていたはずなのだけれど、今日は何だかとても重く感じた。その重さを、何故だかとても嬉しく感じた。 秋になったら、楽団に復帰しようと思っている。楽器は家に置いてあるのだけれど、6月に一度だけ練習に参加した時以来、楽器に触れていない。もう一度楽器に触れる勇気が出たときに、果たして私は懐かしいと思うだろうか。嬉しいと思うだろうか。そう思えればいいなと思いながら、何となくまだ楽器を手にするのが怖い。復帰するつもりがあるなら、ある程度は楽器のメンテナンスはしておかなければならないとは自覚しているけれど…。 私は私の足で歩き、私の眼でものを見、私の耳で何かを聞き、私の頭で考える。そして私の口で言う。あるいは私のこの手で言葉を紡ぎ出す。私の眼で、耳で、口で、手で、足で。私の身体をありったけ使って。 悲しいものは確かに悲しいし、苦しいものは確かに苦しいのだけれど、そればかりではない。普通に笑ったり、普通に喋ったりもする。けれども、無かったことにして生きているわけではなくて、どこかで悲しさや苦しさを抱えている。「もう元気になったのね」と言われると抵抗を感じたり、寂しく思ったりする。…という感じもあるのではないかと思う。 しばらく自動車を運転しなかったのだけれど、一昨日と今日に久しぶりに自動車を運転して、もともとあまり運転が上手でなかったのがさらに下手になったなぁと実感した。何がどのようにとは言い難いのだけれど。さらに、運転する時に必要以上に緊張して、肩に力が入り、肩が上がってしまっている。 今日は久しぶりに出身中学校の外周を通った。中学1年の時に、部活のトレーニングでここを走ったなぁと懐かしく思い出した。ちなみに、トレーニングがあったのは中学1年の夏休みまで。先輩と一緒に楽器を吹かせてもらえるまで。 BGM:「Teenage Walk」(作詞:神沢礼江/作曲:小室哲哉,歌:渡辺美里) ちょっとした思い出話とともに。こんな話をしてもよいのかどうかわからないけれど。 私は小学生の時に、なかなか友達ができなくて随分悩んでいた時期があった。クラス替えで、仲の良かった友達と違うクラスになってしまい、新しいクラスになかなか馴染めなかったのだ。仲間はずれにされていたとかいじめられていたというわけではないのだけれど、何気ない話をしたり、一緒に行動したりという友達がいなかった。何か行動する時はたいてい一人だった。一人でいること自体はそれほど苦でもなかったのだけれど、友達がいないことを親や先生に知られるのが嫌で、何とか隠しとおそうとする努力も随分したような気がする。 この曲は、そんな中で遠足に行った時に、たまたまバスの中でかかっていた曲。「お弁当を食べる時とか、その後の自由時間とか、やっぱり一人でいるしかないんだろうな。別にそれはいいんだけれど、先生に気付かれたら嫌だな」と憂鬱な気分でバスに乗っていた。そんな時に聴いた曲。その時は曲名も歌手の名前も知らなかったのだけれど、「鳥が空へ 遠く羽ばたくように いつか 飛び立てるさ」と繰り返される歌詞に励まされるような気がして、そのフレーズがずっと頭に残っていた。後で曲名がわかったときは本当に嬉しかった(と言ってもわかったのはその3〜4年後だったような気がする)。 結局、お弁当は一人で食べたのだけれど、その後に一人でいるのを先生に見つかってしまい、ゴム飛びで遊んでいる集団に入れさせられた。一人でいるのはやっぱり少し寂しくて居心地が悪かったので、それはそれで楽しかったし、救われた気もした。その後は少しずつ喋ることができるようになり(本当に少しずつだったけれど)、大切な友達も随分増えて楽しかった。でも今でも、私は人見知りがきついところがあるな、と思う。 今、改めて聴いてみると「君に話せば気持ちは安らぐけど 声にならずに涙が落ちそうで」という歌詞も心に響いたりもする。 すごく長い文章を書く日と、とても簡単に終わってしまう日の差が極端だ…。
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