風紋

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2003年08月10日(日) こんな日 / ピアノ / BGM:「イタリア奇想曲」

体調は良かったが、何もやる気が起こらずに、ひたすらパソコンの画面とにらめっこしていた。時々、食器を洗ったり、洗濯物を取り込んだり、『喪の途上にて』(野田正彰著)を読んだりしていた。やる気が起こらないのは困ったものだ…。

少しだけ写真も撮った(「そよ風」に掲載)。


ふと、応接室にあるピアノの蓋を開けてみた。別に目的があったわけではないし、弾こうと思ったわけでもないけれど。こんなにピアノに近付くのは久しぶりのことだった。鍵盤が整然と並んでいるのを見て、きれいだなぁ、ピアノの鍵盤って意外と縦に長いんだなぁと懐かしく眺めていた。

応接室にあるピアノは、3歳の誕生日プレゼントに買ってもらったものだ。もっとも、多分私がピアノを欲しいと言ったわけではなく、両親が私のためにと買ってくれたのだと思う。きちんとレッスンに通っていたのは4歳から15歳まで。最後は、「毎週のレッスンを高校受験が終わるまでお休みします」と言って休んで、そのまま戻る気がなくなって何となくやめたという感じになってしまった。高校生活が忙しかったということもある。今になって考えると、1週間に1度のレッスンという形でなく、2週間に1度とか、1ヶ月に1度とか、自分の無理のない形で続ける方法もあったのになぁとも思う。しかし、高校生になってからは、ピアノの蓋を開けること自体少なくなってしまった(大学受験の前に、気分転換に弾いていた程度…)。

決してピアノを弾くのが嫌いでやめたわけではないのに、むしろ大好きだったのに、今ではほとんどピアノに触ることがないのは少し不思議でもある。ただ、当時は弾くことを強制されているという面がなかったとは言えないなと思う。いや、それでも楽しかったのだけれど。毎週課題が出て、翌週までに仕上げていって、合格したら次の曲に進んで。それが自動的な流れになっていて、それ以上のことを考えることはしなかったなと思う。それでも、小学生の時に教えて頂いていた先生は、“楽しむ”ことを重視して、いろいろな曲(有名な曲からあまり知られていない曲まで)を弾かせて下さった。けれど、先生が代わってからは、実力を伸ばすことが重視されて、“楽しむ”ことが少なくなっていたように思う。もちろん先生のせいだとは思っていない。私の方にも問題はあっただろう。そして、2人目の先生からも大切なことをたくさん学んだのも本当のことだし、尊敬している(今は交流はないけれど…)。ただ、何かがどこかで食い違ったのだろうと思う。

久しぶりに間近で見たピアノの鍵盤は、とても美しく見えました。でも音を鳴らすのは何だか怖くて、ただただ鍵盤を眺めていました(家族に不審に思われた…)。


BGM:「イタリア奇想曲」(チャイコフスキー作曲)
私が好きな曲の1つ。どこが…と問われるとうまく説明できないのだけれど、明るさと激しさと上品さが同居しているところかなぁ。テンポが速いところが特に好きな部分。少し前にこの曲を演奏したことがある。あの時は元気で、演奏することを楽しんでいたのに。


私は、私以外のどんな人のことも,完全にわかることはできない。わかりたくても、完全にはわかりきれない。しかし、そこで立ち止まりたくないという思いがある。しかし、一気に進みたいとは思わない。ゆっくりと…。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)