風紋

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2003年07月06日(日) こんな日(論文や鉄板焼き) / 読んだ本(平松愛理『ゲキツー!!−子宮内膜症との闘いの日々』) / 明日は七夕

2時過ぎに寝て、5時前に一度目が覚め、8時過ぎにもう一度目が覚め、起き上がったのは10時頃。その後、あまりの頭痛にもう一度寝て、無理やり起き上がったのがお昼の12時。

思い切って気の済むまで休むつもりの休日だったが、午後に少し元気になったので、論文の続きを書こうと文書ファイルを開いた。1年前に進めて、半年前に一度まとめて、その後は手をつけていなかった研究。とても苦労しそうだと思ったけれど、その「苦労しそうな感じ」をとても愛しく思った。絶対書けないと思い込んでいたけれど、書けるかもしれないと思った。そう思っている限りは、今の場所に居たい。

思いっきり回り道をするのもいいかと思ったりもする。許されないかもしれないけれど。

お昼過ぎまで食欲がなかったものの、夕食は普通に食べることができた(と言っても、体調の良い時よりは少し少なめだったが)。今日は鉄板焼き。自分の家の裏の畑で取れたピーマン、ししとう、茄子、キャベツ。近所の人にいただいた玉葱、とうもろこし、にんにく。スーパーで買ってきたかぼちゃ、肉(すき焼き用だったが…)など。


今日、読んだ本。
平松愛理『ゲキツー!!−子宮内膜症との闘いの日々』(2001年刊、講談社)

読んでいろいろなことを思い、いろいろなことを感じたのだけれど、それを言葉にする力は、今の私にはない。決して逃げるつもりはないけれど、言葉になるまで待とうと思う。印象に残った部分だけ、書き残しておく。震災の直後に、平松愛理さんが故郷の須磨区に戻られた時のことを(のことを回想して)書かれた箇所だ。

 昨日持っていた価値観が、今日根こそぎ変わってくのを感じた。当たり前のことが、当たり前に行われることを前提として、人は生きている。その上に価値観があったのだ。
 全部失くなったら、今まで見もしなかった、気にもとめなかったことが、どれだけ大切かを教えられる。価値観は他人に教えられるものではない。人と支え合いながら、自分で感じて何かをやろうと立ち上がった時、その時に変化し、自分で掴むものなんだ。
 私は、「前向きになろうよソング」は、しばらく書けないと思った。落ちこんでる人の隣に何気なくいて、その人が自らで何かを悟り始めたら、「うん、そうだと思うよ」って、一緒にうなずけるような歌を書きたいと思った。
(p.140)

私はいい本だと思った。読み手の立場や性別によって感じ方は変わるかもしれないが…。


明日は七夕だ。近所の家の玄関や、ケーキ屋さんの入口に笹飾りがあるのを、懐かしく愛しい気持ちで見る。小さい時は、折り紙でいろいろな飾りを作ったっけ。輪っかをつないだのとか、ちょうちん、お星さま。折り紙を小さく折って、切れ目を互い違いに入れて、開いてびよーんと伸ばせば天の川ができる。それから、願い事を書いた短冊。私は不器用だったからあまり上手には作れなかったけれど、折り紙を折ったり切ったりしてちまちまと作業をするのは大好きだった。

もう笹飾りを作るような機会はなくなってしまったけれど、何を願おうか。

私の周りの人に(この日記を読んで下さっている方に)、幸いがたくさんありますように、苦しい思いをすることのないようにと願う。ただただ、そう願う。

それから自分のことも少しだけ願おう(我儘かなぁ)。早く元気になりたい。元気になりたいと思えるだけの元気を取り戻したい。まだあきらめたくない。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)