風紋
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| 2003年04月24日(木) |
涙 / 躑躅や葉桜や蓮華 / おずおずと、こっそり |
瞼のすぐ裏で涙がいっぱいにあふれているのを、うっかり零れ落ちないように必死に気合いで止めているような状態が、今週に入ってからずっと続いている。あんまり良くないような気がする。
なにせ、瞼のすぐ裏では涙がいっぱいにたまっているもので、仕事上でうまくいかなかった時、疲れたときには、いつも以上の頻度で涙がうっかり零れそうになっている。そればかりか、思いがけず人の優しさに触れたときや、誰かが親身になって私の話を聞いてくれようとしたときに、ふっと気が抜けて、何かががたがたっと崩れて涙が零れ落ちそうな気がする。というわけで、気を抜かないようにかえって人を遠ざけているようなところがあって、ますます良くない。本当は、いっぱい話がしたいのに。自分の話をするだけで…例えば、「最近どう?」とか「元気?」と聞かれただけで、涙が零れそうになっている(でも、例えば「プリンタの調子おかしいねー」「どうしてかなー?」とか、「この書類の提出の期限っていつだったっけ?」「明後日じゃない?」というふうな会話だと、割と平気)。
今日も仕事。そしてやっぱり失敗。冗談抜きで死にそう。死にたくないけれど。帰りの電車の中で、じわっと涙がこぼれてきて、焦った。思い返してみると、夜、ベッドに入ってから寝付くまでの間に知らないうちに泣いていることも多い。
ちなみに、嬉しい時・悲しい時の涙と、怒っている時・悔しい時の涙は、味が違うそうだ(出典はこちらなど)。今の自分が流している涙(もしくは流れそうになっているのをぎりぎりのところで止めている涙)は、どっちの味がする涙なんだろう。そもそも、なぜそんなにも涙があふれそうな状態なのか、自分でよくわかっていないので、涙の味もわからない。
いっそどこかで思いっきり泣けたら楽なのかもしれないと思う。
○ 躑躅がだいぶん咲いてきて、道路がずいぶん華やかになってきた。仕事先に向かう途中の桜は、すっかり葉桜。
電車の窓から、蓮華畑が見えた。飛び降りて蓮華畑に行きたいなと思った。
小さい時は、よく蓮華畑で遊んでいた。私は不器用だったので(今も不器用)、ちゃんと蓮華の花を編んで作る首飾りは作れなかった。どう言えばいいのかな。いくつかまとめて結んで…というのを繰り返して作る、見かけがとても豪華な首飾り。それは作ることができなかった。ただ、蓮華草の1本の茎に縦に爪ですじを入れて、そのすじから別の蓮華草を通して作る作り方の首飾りは作ることができた。説明がまどろっこしいけれど。私が作り方を知っていた方の首飾りの方が、どう見ても貧相だった。ちゃんとした首飾りを作ることのできる友達が羨ましかった。
○ 昨日の日記も書きました。読んで欲しいような読んで欲しくないような微妙な気持ちなので、おずおずとこっそり更新しています。
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