風紋

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2003年04月19日(土) かなりの弱音(休むこと・元気のないこと・好きなこと)

休むときには、他のことを全部忘れて、休むことだけ考えてゆっくりと休んだ方がいいのだろうと思う。長い目で見れば、そうした方が効率がいいのだろう。より高いところへ、より遠いところへと到達することができるのだろう。

わかっているのに、どうしても焦ってしまって、中途半端にしか休めない私がいる。中途半端にしか休んでいないから、結局、効率も悪くなって、全然前にすすめなくて、悪循環に陥っている。

ただ、休んで事態が改善するという保証がない。今日も1日休んだ(休んだというか…一歩も外に出なかっただけで、来週の発表の準備を少しずつしたり、仕事の準備をしたりしていた)のだけれど、結局あまり元気にならなかった。こんな状態がずっと続いている。さすがに焦っている。いつまで経っても元気にならないように思う。もはやどういう状態を元気と呼ぶのかわからない。

もしかすると私はすごく元気なのかもしれない。と思うと、気の迷いで休んでしまっているのは良くないことだと思う。実際、人の前では割とけろっとしているので(それは無理して元気を装っているのでもなくて)、現実場面で私と接している人は、私が元気がないとは思っていないと思う(思ってほしいとも思わない、というか、思われたらそれはそれで大変だ)。

一方で、休んだことにすごく罪悪感を感じている。今日は、明日の演奏会のためのリハーサルがあったのだけれど、休んでしまった。体調が悪かったから休んだのか、頑張れば行けるのにさぼったのか、いまひとつ判然としない。いずれにしても、多少無理すれば行けただろうと思って、なぜ休んだのだろうと自分を責めている(なぜ…って、どうしても動けなかったからなのだけれど)。

少しずつ進んでいこうということなのだろうと思う。以前、休学を本気で考えた時に、「きついとおもうけれど、わからないなりにも進んでいかないと何も開けてこない気がする。あなたのような状況の場合は離れないでやり続けた方がベターだと思う」ということを、師とも姉とも慕う先輩に言われたことがある。それと同じようなことをごく最近も言っていただいた。歩きながら考えてもいいのだと。できるときにできることをゆっくりやっていこうということなのだと思うのだけれど。

休学を本気で考えた時というのが、2度目の留年が現実になりかけていた時で(で、現実に2度目の留年をしてしまうのだが)、その時の自分の状態と今の自分の状態がすごく似ているように思うのが不安をかきたてる。今の私は、あの時の自分の状態を失敗だったと捉えているので、今年もあの時と似たようなことを繰り返してしまうのではないかと思うと、なんとかしなければと思うのだけれど。

足掻けば足掻くほど泥沼に落ち込んでいるような気がするけれど、そんなものなのかもしれない。

ただ、何だかんだと言いながらも、私は、研究をすることも、音楽も、思いっきり広く捉えるならば生きることも好きなんだろうなと思う。というのは、昨日友人からもらったメールに「〜〜さん(私の本名)も遅くまでがんばるなあ〜体調よくないんでしょ?やっぱ好きなんだろうね〜」と書かれていたのを見て気がついたのだけれど。あ、そうか、私は研究も生きていることも好きなんだ、と思った。好きだからこだわっていたいし、だから苦しかったり悩んだりする。

もっとも、最近は悩みっぱなしのような気がする。この日記にも弱音しか書いていないと思うのは自分でも自覚していて、公の場(一応…)に書いていいんだろうか(よくないだろう)と思うと申し訳ない。ただ、この気持ちに出口が欲しかったから。

で、明日は演奏会。もう会場に辿り着ければいいやと思うことにする。今の状態で楽しんで演奏できるかどうかは自信がない。が、せめて、その時の自分自身を大切にして、その時に生み出された音楽と正面から向き合いたいと思う。

全然関係がないのだけれど、あたたかいプリンが食べたい。冷たいプリンでなくて。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)