風紋

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2003年01月06日(月) 幸せな朝 / で、夜 / 捨て身 / 今、聴いている音楽 / 追伸

何だか、あまりにもよい気分の朝だったので、珍しい時間に更新。もう時間的には昼なのだが。

昨日も大学に行っていたものの、気分的には今日が仕事始め(昨日も仕事をしていたのだけれど)。8時頃に家を出る。寒いけれど、よく晴れたとてもいい天気。明るくて。眩しくて。空気が澄んでいるような気がして。それがとてもとても嬉しくて。

この1年をいい1年にしたいと思った。その前に、この1ヶ月をいい1ヶ月にしたいと思った。その前に、まず今日1日をいい1日にしたいと思った。切実にそう思った。転んでも蹴躓いても、そんな「今日」を少しずつ積み重ねていければ、と思う。

生きる場所は違っても、それぞれの場所で、今日も生きていきましょうね、と、誰に向けるわけでもなくただ呟きたくなった、そんな朝。

いいことがありそうだなと思っていたのはその通りになって、朝に偶然駅で仲良しの友達に会ったり(私の怠慢で3ヶ月くらい連絡を取っていなかった。ごめんね)、大学の近くで雪がうっすらと積もっているのを見ることができたり、と、ささやかな幸せに遭遇することができた。

ざわざわとした不安がないわけではないけれど。それでも、申し訳ないくらい幸せな朝。

…また夜に書くかもしれません。


で、夜(深夜?)。

年末年始にぼけっとしすぎていたので、今になってから大変なことになっている。半分くらいはこうなるだろうなと予想はしていたものの。一人でパニックに陥っているならまだしも学部生まで巻き込んでいる。ごめんなさいほんと。結局星を見ながら帰って来た。地上の灯りが眩しくてなかなか星が綺麗に見えない。でも地上の灯りが眩しいくらいでないと夜道は危ないというジレンマ。

その(この↑)後にあったささやかな幸せ。

帰り道で猫に遭遇することができたこと。2匹で追いかけっこしていた。猫、割と好きなのだけれど、日常であまり見かける機会がないので。

もう1つは、ちょっとだけ内緒。

でも、こうして無事に1日を終えることができただけで、何より幸せなことなのかもしれないと思う。そして、今、「あなた」がこの日記を読んで下さっているとしたら、それも何より幸せなことなのかもしれないと。

良かった。


捨て身、という言葉が、帰る途中の電車の中でふっと頭に浮かぶ。

「捨て身」の意味は「(1)身を捨てるような気持ちで、全力を出して事にあたること。 「―の覚悟でぶつかる」 (2)身を捨てること。なげやり。やけっぱち。「―になる」」だということだった(インフォシークの国語辞典より)。

そっか、捨て身でいけば何も怖くないんだ、何も恐れる必要もないんだ、とは思った。

しかし、捨て身になるのも、私にとっては度胸が要ることだと思った。

“何を失っても私は後悔しないわ”と言えたら潔くてさぞかし恰好いいことだろうと思うけれど、そんな在り方に実はちょっとだけ憧れていたりもするのだけれど、現実には私にはそれなりに失いたくないものも絶対に守り通したいものもあるし、いつもいつも後悔ばっかり。で、絶叫したり逆上したり頭を抱えたり。それもそれでいいのかもしれないと、思ったり思わなかったり。

なんだかうまく書けた気がしないけれど、そんなようなことを考えているうちに電車の中で眠っていた。


今、聴いている音楽:バレエ音楽「三角帽子」(ファリャ作曲)
(最初変換したら「参画防止」と出てきた)


追伸:ほんとに、ごめんなさいね。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)