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風紋 もくじ / この前 / この後
週に1度の仕事の日は、いつもと反対方向の電車に乗る。いつもと違う風景を眺めながら仕事先まで行く。眺めながら…って、眠り込んでいることも多いけれど。今日も眠り込んでいて、駅員さんに「着きましたよ」とつつかれて急いで下車した(終点だったのは幸い)。 「どうせ私なんかが何をやってもうまくいくはずがない」と思うことが、私はよくある。うまくいかないに違いないとか、出来るはずがないとか。今度も失敗するだろうとか、望んだものは望んでも手に入るはずがないとか。ひどいときには「私は何をやっても失敗する運命なのね」と思ってしまったりする。どこかしら歪んでいることは自分で何となくわかってはいるのだけれど。 思いっきり正直に言ってしまうと、現在の私はそのように思ってしまって、何も手につかずぼーっとしているという状態ではある。これじゃ駄目だとは思うけれど。 私の場合は、「うまくいくはずがない」と考えることで、実際にうまくいかなかった時の衝撃を抑えようとしている面もある。「うまくいくだろう」と思っていて、うまくいかなかったとしたら、やっぱり悲しいから。悲しい思いをするくらいなら、最初から「うまくいくはずがない」と思っておいた方がいいとか。 また、「うまくいくはずがない」と考えることを、行動をしない言い訳にしている面もある。うまくいくはずがないのであれば、行動をしてみても無駄だとか。 自分で書いていて、ますます自分自身のことを「それってどうよ」と思う。情けないよ。 「きっとうまくいく、大丈夫」と思って何かに臨む姿勢か、あるいは、どういう結果になってもかまわないという姿勢で恐れずに何かに臨む姿勢か、どちらかでありたいのに、と思う。 でも、自分のことを考えてみると、実際に何かやってみて、全面的に成功だったという経験も、全面的に失敗だったという経験もないような気がする。どんな経験も、両面を併せ持っていて、ある面では成功したと言えるし、ある面では失敗だったと言えるし、だから結果を一言でまとめると「まずまずだったと思う」ということになることが多い。 とにかく、恐れずにやってみること、無駄でもいいからやってみること、やってみた結果を冷静に受け止めること、冷静に評価すること、良かった面は素直に喜んで、至らなかった面は謙虚に反省して、そして次につなげること。こんな簡単なことが、実は出来ていなかったりして、でも、これを繰り返していきたい、と思う。 うまくいかないだろうから何もしない、という自分からは脱却したいんだ。でも疲れたら適当に休むけれど。 小学生から中学生にかけての頃、薫くみこさんの作・中島潔さんの絵の「十二歳シリーズ」という一連の作品がとても好きで(たぶんポプラ社のページのどこかにあるのではないかと思う)、今の自分にとっても大切な作品である。そのシリーズの1冊である「十二歳はいちどだけ」(1984年刊)のカバーの裏に書いてある「作者からきみたちへのメッセージ」が、何となく印象に残っている。 「一度うまくいかなくたって、 二度目でうまくやればいいのです。 二度目でうまくいかなかったら、三度目に挑戦すればいいのです。 かんじんなのはあきらめないこと。あきらめるのはいけません」 初めてこの文章を目にした小学生の時から、印象に残る言葉ではあったけれど、あきらめたくなることが増えたり、あきらめざるを得ないことがあることを知った今、改めて読むと、頭から水をかけられたような気持ちになる。 わかっていても動けない・動きたくないことも多いけれど、少しずつでも動いていければ。少しずつでも。 あんまりうまく書けないけれど(ということを言い訳にするつもりはないけれど)。 贈り物を頂いた。とても暖かい気持ちになった。笑おうと頑張らなくても、自然に笑顔になれるような、そんな気持ちに。どうもありがとう。嬉しかった。
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