沢の螢

akiko【MAIL

My追加

「冥王星に捧ぐ」
2006年09月02日(土)

マイホーム追われし星よ地に降りよ水金火木土はた天海より

さる連作和歌のコーナーに投稿した。
水金・・云々は、私が小学生時代にはなかった覚え方。
英語では
My very eager mother just served us nine pizzas.
と言って覚えるらしい。
今まで9個あった星の名前の頭文字を、別の言葉の頭文字に当て嵌めて、上のような文にしたようだ。
冥王星は、一番最後のピザにあたる。
今頃になって、惑星の座から外されて、どんな気持ちがするのだろう。
ママのピザが無くなっちゃったと、英語国の子どもたちは、戸惑っているらしい。
plutoという名を持つ冥王星。
人間様の都合で勝手に、追い出したって、僕は僕だよ、と笑っているかも知れない。

はじめはこの歌ではなかった。
水金も地火木も・・・と書き出したが、三十一音になかなかまとまらず、あれこれやっているうちに変換ミスもあって、画面が汚くなったまま、エンターキイに手が触れ、送信されてしまった。
あらためて、書き直したマイホームの歌を書き込んで、変換ミスだらけの歌の削除を依頼した。
すぐに、元歌を削除して、後からの歌を残して再表示してくれたが、元の歌を「シュールで面白いですね。惜しいですね」と主宰が言ってくれたので、削除された元歌に近い物をちょっと手直ししたのが下記の歌。
同じような物を、また投稿するわけに行かないので、ここに載せておく。

水金も土天海も地火木もなく飛び立てよ冥王星よ


「亭主殿」
2006年08月28日(月)

今日は言わせて貰います。

宴会だとかパーティだとかはもちろん、もっと庶民的な集まりでもいいけれど、夕飯は要らないと言って出かけた時は、帰ってから「腹が減った、何かないか」なんて言わないでください。

妻は、夫の居ない日は、ご飯を作らなくていいので、買い物にも行かないし、冷蔵庫の中の余り物を片づけたり、ちょっと栄養は偏るけど、紅茶に甘い物、果物一個、ツナ缶かなんか開けて、それで済ませてしまい、あとは、好きなテレビを見たり、友達と長電話したり、インターネットを覗いたりして、ひとりの時間を愉しんでいるのです。
毎日欠かせない夕食の支度、決してイヤなわけではありません。
90歳過ぎた私の母が、父が亡くなるまで、自ら食事を作り続けたように、私も、あなたと二人の食卓を、自分の手で整えることを、これからも、続けたいと思っています。
でも、あなたが現役時代、土日や祭日以外の日に、何かで思わぬ休みが取れた時に、解放感を感じるように、私も、台所に立たなくていい日というのは、同じような気分でいるのです。
それなのに、ちょうど衛星放送で、昔の名画なんかを見て、ロマンチックな気分に浸っているときに、ご帰還のベルが鳴って中断され、家に入るなり、「立食パーティでねえ、なんだか食べ損なっちゃった。
お茶漬けでいいからさ、ちょっと作ってよ」と言われたときの、うらめしさ!
あなたが、立食パーティやバイキングが嫌いなこと、よく知ってます。
「立ったまま、ものが食えるかい」と言って、お酒のほかは、テーブルに並んだ食べ物に、あまり手を付けないでいることも、わかっています。
デモねえ、1万円も会費払ってるんだから、「帰ってから家で食べればいい」なんて思わず、やっぱりお寿司とか、サンドイッチとか、唐揚げとか、会場で出たものを、何かお腹に入れてきてほしいの。
「せっかく出かけて行ったのにさ、男が人とろくに話しもしないで、ガツガツ食ってばかりいられるかい」と言いたい気持ちもわかります。
だから今まで、「夕飯はいらない」と言って出かけても、何かしら用意して、待っていました。
でも、私もそろそろ、そういうことから解放されたい。
きょうは、あなたは外で食事をしてくるんだから、と安心したいのです。
こんな嘆き、私だけかと思ったら、同じ年代の奥さんたち、みな同じこと言ってました。
「私だったら、絶対、会費分は食べてやるわ。男の人って、そう思わないのかしら」って。
バイキングパーティは、女性客だと赤字だって、ホテルの人が言ってました。
でも、女の人だと、お酒はあまり飲まないから、赤字ってことはないわね。
まあ、そんな一般論はどうでもいいわ。
とにかく、あなたが、夕食は外で、といって出かけた日は、家では、原則食事の用意をしないことにします。
だから、会場で、しっかり食べて、帰ってきてください。
あ、お酒も飲み過ぎないでね。
あなたがグラスを持って、話をしている間、その相手は、本当は食べ物が気になっているかも知れません。
「○○さんにつかまってねえ、気が付いたら、テーブルに何も残ってなかった」なんて、家で奥さんにしゃべっているかも知れないですよ


「邯鄲の声」
2006年08月24日(木)

日付が替わったが、一時間程前からしきりに鳴いている虫の声。
鈴虫ではないようだ。
深夜の音としては、ややウルサイ程。
邯鄲だと言うことにしておこう。

昨日午後から母の元へ。
7月のお盆は、父の新盆なので、墓石を直したり、迎え盆、送り盆に行き、その後、私たちが高原に行っていたため、ひと月以上、足を向けていなかった。
父が天寿を全うしてから、遺された母と、私ども4人のきょうだいとの間には、相続という問題があるが、墓の継承は長女の私と言うことで、すでに手続きが済んだ。

これは、相続とは違う先祖の供養ということなので、今は三親等以内の親族なら誰でもいいのである。
大家族の長男である父名義の墓には、祖父母の遺骨、未婚のまま亡くなった叔母の骨も入っている。
父亡きあとは、すべて私の名前で、法事を行うことになる。
父の遺産については、墓の維持や先祖の供養にかかる分以外は、母にすべて相続して貰おうと言うことで、私たち子供の考えは、一致している。
それは、母自身の希望でもあった。
ただ、相続の手続きを、老母自身がするのは無理なので、誰かがしなければならない。
それには、母が日頃から何かと頼み事をしたり、ケアハウスの身元引き受け人にもなっている上の妹が、母の希望で引き受けた。
ところが、彼女が、面倒な手続きを嫌って、弁護士に頼んでしまったために、かえってややこしくなっている。
家族の話し合いで決めたことを、そのままやればいいのだが、妹が、暑い最中、役所に行ったり、銀行に行ったりで、体調を悪くしたらしく、知らない間に、弁護士の手に渡ってしまった。
争うような要因は何もないのに、他人が入ったことで、きょうだいの間が、ギクシャクしかかっている。
後に禍根が残らないように、父の遺産の状況を、相続人全部に開示して、手続きを進めたほうがいいと、私は妹に提案したが、なぜか、母も、妹も、開示したくないらしい。
父の遺言状があり、弁護士に頼めば、そんなことはしなくても、銀行の名義変更は出来るからと言い、未だに、印鑑証明一つ、要求してこない。
銀行がそんなに簡単に、処理するのかと疑問だが、弁護士なら出来るのかも知れない。

しっかりしているようでも、90歳過ぎた母には、もはや、自分のことを考えるのが精一杯。
自分がいなくなったあと、残った子供たちが、どうしたらきょうだい仲良くやっていくかと言うことまで、配慮が及ばないのは、無理もない。
何が一番大事かという優先順位も、判断できなくなっている。
そんな老母に安心して余生を送ってもらうために、みんなで考えた後始末の仕方だったはずだが、弁護士のミスリードもあって、そんな風に進まなくなってしまったのは、残念なことだ。
耳の遠い母に、複雑な話は出来ない。
元気かどうかだけ確かめて、帰ってきた。


死闘!甲子園
2006年08月20日(日)

午後1時から始まった、甲子園夏の高校野球決勝戦。
南北海道地区代表の駒沢大学付属苫小牧高校と、西東京地区代表の早稲田実業高校。
3時間半闘って、延長15回で1対1の引き分け。
決着は明日の再試合に持ち越された。
どちらも譲らず、事実上は投手戦だった。
最後は、全力を尽くした投げ合いに、どちらにも勝たせたいと思った程。
苫小牧高は、今年勝てば夏の大会三連勝となる。
高校三年最後の夏に、優勝旗を手にしたいエースの田中。
対する早実は、何度も甲子園に来ていながら、まだ夏の大会では優勝したことがなく、これで勝てば夏の大会で初めて、優勝旗を手にすることになる。
大先輩には、王監督。
癌の手術後の身で、テレビ観戦しているのではなかろうか。
また、一年生ピッチャーで決勝戦に臨み、横浜高校に破れはしたものの、荒木大輔の姿も、印象深い。

今までの高校野球夏の大会で、一番記憶に残っているのは、何と言っても、昭和44年の松山商業と、青森県出身の三沢高校の闘い。
当時は、延長戦も18回まで。
松山商の井上投手と、三沢の太田投手。
0対0のまま延長18回で、決勝戦が引き分け。
4時間以上に及ぶ死闘だった。
幼い息子を抱えて、テレビの前に釘付けになった。
翌日、松山商が継投で守り、4対2で三沢を下したが、負けた三沢の太田幸司投手は、ロシア人の母の血を引く端正な顔立ちの故もあって、「もっとも美しい甲子園の敗者」と言われる程の、人気と感動を呼んだ。
連戦に次ぐ連戦を、たったひとりで投げきった太田選手の姿は、今でも、よく覚えている。

時代は変わり、高校野球も、練習環境がよくなり、地域差も、あまり無くなった。
いまは、コンピュータなども使って、データ管理もしているのだろう。
しかし、いざ、甲子園の現場に立つ球児たちの顔は、やはり子どものあどけなさを残していて、ひたむきに走り込む良さを持っている。
明日の再試合はどうなるか。
早実には勝って貰いたいが、苫小牧の田中君のポーカーフェイスにも、笑顔を見たい気がする。
ここまで来たら、どちらも負けられない気持ちであろう。
今日の甲子園は、満員。
最後まで、気力とスピードを保ち続けた両投手に、拍手が湧いた。


俳諧の徘徊
2006年08月15日(火)

お盆休みは、高原の避暑地も人が増え、一種の熱気に包まれる。
十三,十四は土日と重なって、歩いて十分くらいのところにある売店もにぎわっていた。
この時期は、臨時の朝市も並ぶ。
野菜や手作りの漬け物、菓子。
民芸品もある。
昔は、地元の値段で安く提供してくれたが、いつからか「別荘値段」というのか、都会のスーパー並みの値段を付けて売るようになった。
高くても売れるからだろうが、せっかくの素朴な品に、そぐわないバブル値段を付ける根性が気に入らないので、私は買わない。
おとといは、売店前の広場で、餅つきをやっていた。
搗き立ての軟らかい餅に、きなこや小豆餡、大根おろしを乗せて、二個100円というので、夫と一皿ずつ食べた。
おいしかった。
それで朝ご飯代わりにした。
きょうもお餅を食べようと言ってみたら、やっていなかった。
Uターンも始まって、人が減りつつあるのかも知れない。
露店で、安い高原野菜を少し買った。
直射日光に当たると暑いが、木陰にはいるとひんやりする。
高原の特徴だ。
帰路を歩きながら一句浮かぶ。

朝市に南瓜顔した亭主かな   夏の句だが構わない。

子供連れの家族とすれ違う。

子らの声ひときわ高し遊歩道  季語がないなあ。

犬の散歩も多い。
私は犬嫌い。
つい避けてしまう。

飼い主の顔つぶすなよお犬様

道筋に木槿を植えた家が多い。
東京の我が家にも、木槿があるが、高原のそれはひときわ背が高く見事だ。

道の辺の木槿は馬に食われたり   芭蕉

朝の徘徊が終わって家にはいると、小泉首相の靖国参拝のニュース。
よかった。
今日の日に参拝したことで、私は小泉さんを支持する。


山荘の隣人たち
2006年08月13日(日)

標高1100メートルのこのあたりは、空気がひんやりとして気持ちがいい。
平地で、35、6°もあるときは、さすがに、少し暑いなと思うが、直射日光に当たらなければ、汗をかくほどではない。
夏の暑さを避けるために、ここに来るようになってもう、26年になる。
最初あまり家が建っていなかったが、今年になって、向かい側に二軒建ち、だいぶ眺望が変わった。
左の一軒は、私たちより少し年代が上の夫婦、ベンツを駆って、大きな犬を二頭伴ってきている。
立派な山荘を建て、張り切っている。
車のナンバーで、東京の人らしいと判るが、まだ、挨拶をしただけである。
右側は、私たちと同世代くらいの奥さん、「娘の名前で建てました」なんて話をしていた。
精力的に、動き回っている。
雨で工事が遅れたらしく、まだ水が濁っているからとかで、先日、大きなペットボトル三本を持って、炊事用の水をもらいに来た。
飲み水は買っているが、お米をといだり、顔を洗ったりの水がほしかったらしい。
こちらも、新しい家で、何かと設えに凝っているようだ。
我が家の西側には、孫二人を預かって、代わる代わるあやす夫婦の声。
私たちより少し若そうだが、娘夫婦は、週日は仕事で別のところにいるらしい。
昨日からは、孫の親たちも来て、にぎやかである。


ここは車でなくては、不便な場所。
25年前は、子供連れの家族が多かったので、真夏は、人の声が聞こえて、結構にぎやかだった。
山荘の売り買いも、活発な時期。
10年くらいの間に、それも、ほとんど落ち着き、思い思いのセカンドライフを営んでいる。
ほとんど改装も、お金もかけていない人もいれば、周りの雰囲気と違う豪華な家を建てる人もいる。
真夏には、野外で臨時の市が立ったり、ミニコンサートが開かれたりする。
車で行けるところに、美術館、博物館もある。
今朝は散歩を兼ねて、歩いて10分の場所にある朝市に行った。
ちょうど地元の人が、臼と杵で、お餅を搗いていた。
つきたてを食べさせるというので、朝ご飯の代わりに、2個入り一皿100円のお餅を食べてきた。
25年前、働き盛りの壮年だった人たちが、次第に老齢期に差し掛かり、子供の世代になったり、遠方から来るには、体力が追いつかなくなったのか、最近はハイシーズンでも、割合に静かである。
家の前を通る人たちも、老夫婦が多い。
東京のある市で、昭和40年代後半から50年代にかけて、大々的に開発した巨大団地が、30年経つ頃から、住民が一斉に老齢化していくことが、話題になっているが、この辺も、同じような現象が起きているのかもしれない。
「車の運転が出来なくなったら、考えよう」と夫は言うが、当分大丈夫そうである。
車の通る音以外は、大きな音もせず、さわやかな風のそよぎを感じながら、過ごしている。


「勇気ある?」ヒト
2006年08月09日(水)

昨日からまた山荘に戻っている。
台風の行方が気になるが、幸い、列車のダイヤに乱れはなく、予定時間に着いた。
移動の疲れもあり、夕べは早々と寝てしまい、夢も見ずに、今朝、5時前に目が覚めた。
今日は長崎に原爆が落ちた日。
広島では、母の末妹が亡くなっている。
60年以上たっても、親族の胸から記憶が失われることはない。

ブログを散見していて、いささか気になることがあった。


日本にブログが増え始めたのは2年前。
ちょっとした知識を必要とするホームページ作成に比べ、誰でも簡単に持てるブログコンテンツは、今や、当たり前のようになった。
ほんのひと昔前まで、新聞雑誌、テレビなどの媒体に、普通の人が意見を発信するなんてことは、そう易しいことではなかった。
読者投稿欄、視聴者参加のプログラムもあるが、誰にでも、道が開けているわけではない。
プロの手による選別というハードルがある。
しかし、インターネットが登場し、ホームページで、自分の作品や考えを表現できるようになってから、シロウトの物書きの出番が来た。
私も、5年前から、参入している。
それまで、段ボールの中に、いつ自費出版できるかと貯めてあった原稿も、ネットという媒体で、ただで、日の目を見させることが、出来る時代になったのである。
地味なテキスト中心の私のホームページは、宣伝もしないこともあって、訪問者は少ない。
しかし、自分の思ったこと、感じたことや、世の中に訴えたいことを、キイボードで、どんどん発信できるというのは、ページをデザイする面白さも伴い、それまで感じたことのない満足感があった。
段ボールで眠っていたむなしい原稿は、たちまちパソコン画面に変わった。
ことに、2年前から時流に乗って作ったブログ、こちらは知らぬ間に読者も増えてきて、反応が感じられるのがうれしい。

ただ私は無名の人間だから、ネットでは、ペンネームで通し、実生活とは区別している。
家族、友人、知人にも、ほとんど存在を知らせていない。
以前にも何度か書いたが、実人生の私を知ったヒトが、私の書いたことを、いちいち検証して、勝手に事実と照らし合わせたり、斟酌されるのは困るからである。
3年前、私のホームページを検索して読んでいた顔見知りが、そこに書かれたことを自分のことだと思いこみ、私の参加していないメーリングリストに、私の実名を揚げて非難する文書を、回すと言うことがあった。
私は、インターネットのルールに沿って、すでにマスメディアで報じられたこと以外には、他人の実名、特定団体、プライバシーに関わるようなことは、書かないのだが、その人は、私が触れてもいない特定グループの出来事に重ね合わせて、読んだらしい。
世の中に起こっている出来ごとや、人間関係にまつわるドラマというのは、よほど特殊なことでない限り、たいてい誰にでも思い当たることがあるのである。
それに特定の固有名詞を当てはめるのは、読み手の勝手であるが、こちらにすれば「あんたのことなんか書くかよ」と言いたいところであった。
もし、私の書いたことに意見なり、感想があるなら、ウラで怪文書を回すなどと言う卑劣なことをせず、ゲストブックに書くとか、私に直接言えばいいのである。
そんな人が見ているかと思うだけで、不愉快なので、ホームページは、別のサーバーに移し、デザインも一新して、再スタートした。
そのために失われたコンテンツ、せっかく増えつつあった読者も、また開拓することになった。
ブログが主になったのはそれから1年後だが、日々書くものはブログ、ある程度日数が経って、録っておきたい記事は編集して、ホームページに転載という、使い分けをしている。
件の不埒ものが、検索でブログにまで来ている可能性もあるが、もう、気にしないことにした。

最近、実名で発信しているブログも目につく。
著名なジャーナリストや、ライターが多い。
その人たちは、その名前でショーバイしていて、むしろ名前を売りたいのだろうから当然だが、気になるのは、記事の中で触れている人物まで、実名で登場させている例である。
たまたま、あるライターのブログに、私の関係する分野で、顔を知っている人が、実名のまま、出てくるのでびっくりした。
書かれた人は知ってるのだろうか。
別に、その人の名誉を傷つけたり、プライバシーをさらす内容ではないが、プロのライターにしては、無神経で、配慮に欠けた書き方だと思った。
「誰々さんと、夕べ食事を一緒にしました」というたぐいのことに、実名を出す必要はない。
イニシャルで済むことではないか。
それとも、その世界ではちょっとした有名人である相手と、自分が如何に親しいかと言うことを、顕示したかったのか。
いずれにしても、あまりお友達にはなりたくないなと思った。
目立ちたがり屋の人に、誰が見ているか判らないネットで、実名で登場させられるのは、ごめん被りたい。
私のネットでは、ペンネームで通し、有名人でない他人の実名、団体名は出さないと言うことを、これからも守りたい。



BACK   NEXT
目次ページ