奇跡を信じて〜あれから〜
R



 胸部単純+造影X線

午後Hは造影剤を入れ胸部のレントゲンを撮った

2001年12月27日(木)



 ガリウムシンチ

午前Hはガリウムシンチ
硬いベッドの上での検査で背中や腰が痛そう


2001年12月28日(金)



 骨シンチ

2002年1月4日
午前Hは骨シンチの検査
明日、明後日は外泊

2002年01月04日(金)



 告知

午前Hは気管支内視鏡の検査
検査後、病室に戻るが麻酔の為、話す事はできない
後ろ髪を引かれる思いがしながらも
私は仕事に出掛け夜、病院へ戻る
Hの母と3人で医師から説明を受ける事になっていたが
私は看護婦さんに呼ばれ
先ずはH抜きでカンファレンスルームに行く様に指示された
私は廊下の時計を見た
17:53
病室に戻るのがあまり遅くなるとHは心配するだろう
カンファレンスルームにて
O医師とT医師から以下の説明を受ける
病名は「肺腺癌」
肺の左側、左の肺動脈、左のリンパ節に腫瘍が見られる
左肺2,5cm×1,5cmの腫瘤
左肺門に左上幹上区枝を閉塞する形で6cm大の腫瘤
肝臓 全肝に大多数の腫瘤があり多発肝転移
脾臓 6cmの腫瘤があり転移
左副腎 8mm大の結節 転移
右副腎 4cmLDA
腸管、胃体部 リンパ節転移
左腸骨 2,5cm大の腫瘤
右胸壁下部、膵部の右横、左陽骨部の皮下に結節を認められ
転移の可能性がある
左頚部、右鎖骨下、左腋、全身悪性リンパ腫の可能性
左第1,3肋骨、右第10肋骨はじめ右臼がい
左大腿骨転子部、骨幹部転移

溢れ出る涙を抑えながら
「本人には肺腺癌である事への告知」を
医師から告げて頂ける様にお願いした
本人は薄々気付いている
そしてこれからの治療の為に・・・
足、背中、腰などの痛みから恐らく転移している事に
本人も気付く事から
骨への転移のみ知らせて頂ける様にお願いした
他の部分に関しては自覚症状がない以上は知らせる必要がないと
私は判断した
本人へ告知した後は痛みのコントロールに
モルヒネシロップを開始する
来週からは抗がん剤の投与と放射線治療に入るとの事

医師から説明を受けたHは
「小細胞癌」だと思い込んでいたらしく
腺癌であると聞きホッとした様子だった

2002年01月08日(火)



 モルヒネ

痛みのコントロールにモルヒネシロップを服用する事になった
まずは5mlから開始する事になる
夜、脳ルーチンの検査の為Hを車イスに乗せて移動するが
検査室に着いた時には痛みがひどく
検査を受ける事ができなかった
車イスの移動が辛かった様で
病棟からストレッチャーを運んでもらい移動した
坐薬を入れ1時間後に検査は行われた
昨日の説明をHの弟は母より上手く伝わらなかった様子で
改めて私が説明をする
検査を終えたHが病室に戻った後
弟は「本人に会うのが辛いから明日また来ます」
と言って帰っていった
私達の感情はこの際、二の次であると私は思っている
本人は癌と戦うと決意しているのだ




2002年01月09日(水)



 桜の咲く頃には

医師から説明を受けた時に
「このままの状態では桜を見ることはできないでしょう」
と言われた
「治療をして半年でも1年でも延命させてあげたい」
とも言われた
私が願う事は、まずは痛みからの解放である
モルヒネシロップの服用で痛みのコントロールの効果が
どれだけ期待できるのだろう

2002年01月10日(木)



 城の見える部屋

婦長に大部屋から個室への移動をお願いする
少しでもHのストレスを軽減させてあげたい
部屋を移動すると
そこは城の見える部屋であった


2002年01月11日(金)
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