沢の螢

akiko【MAIL

My追加

父の枕辺に
2006年04月30日(日)

  
先月肺炎で入院し、幸い大過なく、1週間後に退院した父だったが、やはり、徐々に衰えが進み、一昨日あたりから、また熱が出始めた。
両親は介護付きマンションで4年前から暮らしており、医者も看護婦も、常駐している。
21日に医者から話があるといわれ、二人の妹と共に、親たちの居るハウスに行った。
入院時にも、病院の主治医から言われたことだが、母も私たちきょうだいも、無理な延命治療は受けないという点では、ほぼ同意している。
なるべく自然体で、父の持っている寿命のままに、穏やかな終焉を迎えることを、望みたいというと、ハウスの医師も、同意見であったので、「じゃ、原則入院しないで、ここで、出来るだけのケアをするということでいいですね」と言うことになった。
誕生日が来れば96歳になる高齢である。
昨年終わり、父の10歳下の弟が亡くなり、8人兄弟のうち、父だけが残っている。
明治生まれ、戦争も飢餓の時代もくぐり抜け、その生命力はハンパではない。
しかし、退院後は、移動には、車椅子を使うようになり、このひと月、ハウスで調理してくれる刻み食を食べていたが、大分飲み込みが悪くなっていて、時に噎せるようになったという。

入院の原因も、誤嚥性肺炎だったので、また同じ事が起こる可能性があり、ハウスのスタッフも、よくケアしてくれているが、「もう口から食べたり飲んだりは、無理かも知れません」という医師の話があった。
「万一の時に、入院させますか。それとも、ここで、なるべく負担のかからないケアをしながら、過ごしますか」という選択を迫られた。
母は、自分のそばで、最後まで看取りたいという。
入院しても、今以上の回復が望めるかどうかは分からないし、病院通いも、母は自分で出来ないから、ここで、目の届くところで、見ていたいというのだった。
私たちは、母の気持ちを尊重することにした。
なんと言っても、七〇年の歳月を、共に生きてきた夫婦である。
特に母の方は、今は、父だけが生き甲斐のようになっている。
「一日でも、お父さんより長く生きて、ちゃんとあの世に送りたい」というのが、93歳になった母の思いである。
その思いだけで、頑張っている母である。
そこには、子どもの私たちの及ばない世界がある。

一昨日からまた熱があるという妹の電話があり、昨日、父の様子を見るために、行ってみると、父は水分と栄養補給の点滴の後、すやすや眠っていた。
そのそばで、母は、父の手を握って、話しかけたり、頭をさすったりして、見守っていた。
日頃の食事は、ほかの住人たちと一緒に、食堂ですることになっているが、最近は、母が、自室で、父を見守りながら食べている。
昨日私が、「夜まで居るから、少し眠った方がいいよ」というと、母は「それなら、お風呂に入ってくるから、お願い」と言って、上の階にある風呂場に行った。
母は、自室の小さなユニットバスを嫌い、ハウスの共同浴場に行く。
大きくて、ゆっくり出来るからいいのだという。
一人で大丈夫かと心配するが、スタッフには声をかけていくし、たいてい誰かが一緒なので、大丈夫だという。あまり長湯の時は、スタッフが様子を見に来るらしい。
母の居ない間、父の呼吸が少し速くなってきた。
座薬で熱が下がっていたが、少し上がってきたらしい。
体温を測ると、7度7分ある。
ちょうど見回りに来た看護婦に、診て貰った。
「アイスノンを替えて、様子を見ましょう」と言って、帰っていった。
やがて母が戻って来た。
「ゆっくりお風呂に入って気持ちよかったわ」と、喜んでいる。
母の夕食が運ばれ、私は、母が作ってあったものや、途中で買ってきたサンドイッチなどを食べた。
ずっと眠っていた父が、そのころになって目を開けた。
私の顔が、分かるかどうか。
すっかりやせて、手も足も細くなっているが、じっと私の顔を見ている。
父の手を握ると、目から、ひとしずく涙がこぼれた。
何も言わないが、気持ちが分かる。
誰に対しても、感謝の心を忘れない父である。
母が「お父さん、少し笑ったみたい」と言う。
「安心して眠っていいよ」と言い、母が頭を撫でてやると、父はうんうんと頷くようにして、目を閉じた。
父は間違いなく、生きることを欲している。
鼻からチューブが繋がれたような状態は望まないが、こうして、命の終わりを見ていくのも、つらいことである。
人の、最後の姿というのは、どういう形が望ましいのだろう。

今朝の妹の電話は、夜勤の看護婦さんからの報告を伝えるためだった。
父と母が私の家で過ごした3年間に、きょうだいの間で、いろいろな行き違いがあり、何もない時は、ほとんど付き合いもなくなってしまったが、先月の父の入院をきっかけに、また妹たちとは、電話などで、様子を知らせあっている。
きょうだいなど、居ない方が、親の介護がしやすいと思って過ごした3年間だった。
でも、とりあえず、父を見守り、やがて、母を送るまで、裏に確執を秘めたきょうだい付き合いを、せねばならないだろう。


魍魎たちの宴
2006年04月27日(木)

人が集まる場では、いろいろな動きがあるのは、会社や政界ばかりではない。
本来利害とは関係ないように思える趣味の世界でも、時に、どろどろした人間模様が、見えないところで、展開されていたりする。
聖人君子ばかりではないのだから、仕方ないかも知れないが、何もそこまでしなくても、と思いたくなる人の動向を見ていると、やはりさびしいなあと思い、イヤだなあと感じることも、事実である。
いかに文明が発達し、生活が向上しても、イヤ、だからこそかも知れないが、人は、元々持っているピュアな気持ちを何処かに追いやってしまう。
そして、まじめな人をバカにし、物事に誠実であろうとすることを嘲笑したりする。
ホントに傷つく。
うっかり信用して、裏切られることが多くなった。
自分の得になる人には、近づくが、そうでないと思う人には、洟も引っかけない。
そんな手合いが、増えてきた。
このごろ、さすがの私も、そう言う見極めが付くようになり、一方的に、利用されたり、取り込まれたりすることはなくなったが、そんなことが分かるようになった自分も、イヤだなあと思う。
金銭的利益に結びつかない趣味の世界であっても、それなりに向上しようとか、人に認められたいと思うのは、悪いことではない。
いい意味での競争もあった方が、自分を磨くことになるし、切磋琢磨して、その世界全体のレベルが上がるから、いいことであろう。
でも、日頃親しくしていながら、その世界での情報を、出し惜しみしたり、こちらの人脈にある実力者に、知らぬ間に近づいて、出し抜くようなことをする人というのは、どういう神経の持ち主なのだろう。
そんな事実を、間接的に知ると、やはり心穏やかではなくなる。
昨日は、趣味の会合があり、終わってから、二次会に行くつもりであったが、そんな雰囲気を感じたので、寄らずに帰ってきた。
魍魎たちの動きは、遠くから見ているだけでいい。


お菓子の時間
2006年04月14日(金)

けさ、何年ぶりかで、ケーキを焼いた。

我が家の朝食は、和食である。
ご飯にみそ汁、納豆、野菜のおひたし、香の物。
そのくらいが定番。
食後には、果物を食べることもある。
納豆は、以前は卵の黄身、大根おろし、鰹節、もみ海苔を混ぜて、ほぼ完全食品に近い食べ方をしていた。
南米にいた頃、週に2度くらいは日系人が経営する店に行き、現地産の日本的食材や調味料を買い、納豆も豆腐も、食べることが出来た。
醤油さえあれば、かなりの食材も、日本人の口に合う料理に変身させられることも、外国暮らしの中で、発見した。
日本から派遣されてきた独身の若い人が、週末になると、わが家に食事に来るのが習慣になっていた。
上に書いた納豆の食べ方は、その人が教えてくれたのである。
「ご飯とみそ汁、それにこの納豆があれば、完璧ですよ」と、その人は言い、日曜日の遅い朝食に、我が家の家族と共に、その食べ方で、納豆を食べるのを楽しみにしていた。
これは息子の大好物になり、日本に帰ってからも、我が家の納豆は、このやり方だった。
しかし、息子が家を離れ、やがて夫婦二人になると、納豆はもっとシンプルな方がいいと夫が言い出し、最近は、ネギとタレだけで納豆を食べている。

今朝、食後のバナナを食べようとして、身が大分柔らかくなっているのに気づいた。
「きのう買ったばかりなのになあ」と夫は皮をむきかけたまま、皿に戻した。
以前は、食べ時を過ぎた果物は、庭の木に刺しておき、野鳥の餌にしたのだが、今は、鳥寄せを止めている。
「腐ってるわけじゃないから、ミキサーで牛乳と混ぜてジュースにしようかしら」と言いかけて、昔、南米で、よくバナナケーキを作ったことを思い出した。
現地では、パンもケーキも、毎日のように作っていたし、息子のお弁当に持たせることもあった。
しかし日本では、パンもケーキも、美味しい物がふんだんに出回っているので、作らなくて済んでしまう。
柔らかくなったバナナを、ケーキに使おうと思ったのは、どういう風の吹き回しかと、我ながら、不思議だが、思い立ったら吉日とばかり、朝からケーキを作ることになった。
バナナ4本を細かく刻み、潰す。
卵、砂糖、マーガリンを混ぜ、ふるった粉と重曹を入れる。
牛乳で適当に伸ばす。
分量はみな適当である。
ハンドミキサーがあったはずだが、長年使っていないので、見つからない。
泡立て器と、フォークを使う。
ほどよく生地が出来たところで、さあ、焼こうとして、ガスオーブンの使いかたが分からない。
最近は、何でも、電子レンジですませてしまうことが多いので、台所の一角を占めている大きなガスオーブンは、ほとんど使わず、操作を忘れてしまっている。
電子レンジには、パウンドケーキの型が入らない。
使い方説明書を取り出して、やっと蘇った。
そうそう、まず余熱を入れるのだった。
150度に設定、熱くなったところに、パウンド型を入れる。
そして一時間。
その間に洗濯をすませ、ベランダに干し、夫は会合に出かけ、パソコンを覗き、ケーキが焼き上がった。
型から外し、端っこをちょっと食べてみると、ちょっと甘みが足りない。
でも、バナナの匂いはするし、いかにも家庭で作った素朴なケーキと言うところである。
分量も、味も、アバウトなので、人には勧めないが、夫なら、食べてくれるだろう。
午前10時半。
怠け者の主婦が、珍しく、いい時間を過ごした。


携帯で投稿してます
2006年04月09日(日)

果たしてうまくいくかどうか試してみます。
-----------------------------------------
上の記事は、はじめてケータイで送信してみたもの。
ケータイは、今まで、電話として持っているだけで、あまり使いこなしていなかった。
持ち歩いても、オフのままにしておくことが多く、「あなたのケータイ、通じないわね」と、友人たちから言われた。
私にとってケータイは、自分が緊急の場合に使う物であって、人からかかってくることは二次的な物だったので、それで不自由は感じなかった。
しかし、2週間前、高齢の父が肺炎で入院し、妹との連絡に、はじめてケータイの便利さを痛感した。
不在勝ちの妹は、電話もメールも、ほとんどケータイですませている。
ファックスや固定電話では、緊急の連絡に間に合わないこともある。
幸い、父は経過がよく、大事に至らずに退院できたが、これを機に、私も、ケータイを少し使いこなそうと考えた。
ちょうど、ケータイサーバーが変わるので、機種も替えることになり、夫と同じ新しい機種に替えて貰った。
タダである。
そして、これまで電話機能のみだったのを、インターネット対応にした。
ケータイでネットまで・・・と思っていたが、この数年の間に、私はいくつかの掲示板とブログを運営している。
最近、それらを、ケータイで見に来る人もいて、いったいどんな風に表示されているのか、分からない。
管理者としても、知っていた方がいいだろう。
そう思ったのである。
はじめは、なかなかうまく行かなかったケータイの投稿、何度か試し送信しているうちに、やっと、馴れてきた。
今までは、旅行中などには、サイトを一旦休止中にしたりしていたが、これからは、旅行中にも、閲覧できるし、場合によっては、書き込みも出来る。
使う、使わないはともかく、何でも、知っていた方がいい。
メールも、パソコンよりは気軽に出来るだろう。
8年も前から持っていながら、何となく毛嫌いしていたケータイ。
これからは、出番も増えそうである。
点線以下の部分は、パソコンから書いた。


ケータイを替える
2006年04月01日(土)

花見を兼ねて、駅前のケータイ電話屋に行った。

私は、パソコンは、どうやら、使いこなせるようになったが、ケータイは、全くダメである。
パソコンよりも前から、緊急の連絡のために、持ち歩いてはいるが、ほとんど使うことがない。
電話番号は20件ほど入れてあるが、こちらの都合で発信するためなので、必要ないときは、オフにしてある。
「あなたのケータイは通じないのねえ」と、友人たちは、あきらめている。
夫が、外出しているときには、オンにしておく。
緊急事態があったとき、受信できないと困るからである。
一つには、指先で細かな操作をしなければならないケータイは、どうも、使いにくいし、難しいのである。
何度か新しくしているが、ほとんどタダで移行できる機種を使っている。
ケータイでメールやインターネットをすることはあるまいと、電話だけの設定で、8年ほど経ったが、先日父が緊急入院し、家族間の連絡に、やはり、便利だと思った。
そこで、この際、もっとケータイを使いこなすようにしようと思い立ち、たまたまサーバーが切り替わるのを期に、機種を替え、設定もインターネット対応にすることにした。
私のブログに、時々ケータイで見に来る人がいるが、私自身は、ケータイ閲覧をしていなかったので、自分のブログが、ケータイではどんな風に表示されるのか、分からない。
サイトの中で持っている掲示板も、ケータイ対応になっているが、私自身は、パソコンでしか、閲覧も、書き込みも出来ない。
管理者がケータイに精通していないと、セキュリティや、そのほか、困ることもあるだろう。
ケータイを毛嫌いばかりしても居られない。
また、ケータイで投稿できるようになれば、電車の中でも、更新できて便利だろうという気持ちもあった。
「どうせ、そこまでは使えないだろう」と、夫はたかをくくっているが、なに、その気になれば、私だって、ケータイくらい使いこなしてみせると、張り切って、機種変更した。
夫も同じ機種に替え、家族割引にしてもらった。
一緒について来た説明書。
何であんな小さい字で書いてあるのだろうと思う。
今までにも、この説明書は、とても読む気がせず、新しいまま、何処かに行ってしまっている。
ケータイは、若い者ばかりではないのである。
フォントをもう少し大きくして欲しい。
帰ってきてから、あれこれやってみたが、パソコンと勝手が違い、基本的なことをマスターするのに、時間がかかりそうだ。
とりあえず、ケータイのメールアドレスを設定し、自分のブログ、ホームページの掲示板の、ケータイURLを入れた。
今までパソコンで受信していたケータイのメールアドレスを、いくつか取り込んだ。



BACK   NEXT
目次ページ