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とりとめのないもの

2012年06月26日(火) 20120626


すべてを、手に入れることあたわず。


なのだということを、短い小説の行間に思った。


たとえば、河原でふたりでお弁当、とか
レストランでふたりでデート、とか。


そういうことは、あんまりなくて
でも、なくてもやってけるような気がしている。

もしくは、老後にそういことを夢見て。
だけど、そんな平穏な老後が訪れないかもしれない、なんて
もうすでに考えている。



すべては、手に入らないから
夢を見ているだけでも、よしとする。
あることに、よしとする。
じっさい、よし、なのだ。



もしも、すべてが手に入ったら
幸福でしんでしまうだろう。


いますでに、じゅうぶんに、しあわせなのだ。



2012年06月09日(土) 20120609


平日は日付を意識するけれど、
週末はあっという間に二日間過ぎるので、
月曜日の日付が、急に飛んだ感じになる。


リリーさんにむちゅうなので、
厚さが気にならぬ。
むしろ、物語の進行と言う意味で気になるが
終わってしまう、という意味でも気になる。
結局、気になってる。


三度の飯より、というものに出会えるしあわせ。


飯もきっちり食いましてよ。


過去を振り返り、未来を眇めて見、
遠くにあるものに思いをはせる。

見えないたくさんの愛情に囲まれ、守られて育ってきたこと。
今この瞬間まで生きて生活していられること。
どれも当たり前のように空気のように
私のそばに、遠くに在って
当然すぎていしきしないこと。
でもそれは、いつか順番もわからずに
ひとつひとつ失われていくという動かしようのない事実であること。



自分の家族みなにも想いを馳せるし、
これからの家族になってほしいひとにも
それは浮かぶのであって。


正直、自分はあんまり明確にリアリティをもって
「家族を失う」という現実がやってくることを
自分に引き寄せて考えたことが、ない。

物語や映像などでそういうものを見ても
「ああ、かわいそうに。つらいだろうな」という意味で
悲しんだことはあった気がするが
自分がそうだったら、という部分においては
リリーさんの本を読んで、初めてリアルに考えた。想像した。


あまりにいろいろなところから刺激を受けるので、
感想もまばらのまとまりのないものになってしまうのだけれど、
とても今の自分にとって
有益である(なんて言い方いやらしいのう)と思う。
出会えて、よかった、ってことさ。


どうしても、読んでいると泣けてくるのだが
それを止めることに意味がない気がして
垂れ流しなのである。
我慢すっことでもあんめえ。

そう、そう。
筑豊弁も、よかね。



そんなこんなで、
やはりLINEが二週間くらい未読でも
電話一週間くらいこなくても(そらなんてこたねえな)
べつに心がわりなどしませんし、
ましてや、嫌いになどなれませんのでした。
諦めてほしいのか、やさしくしてほしいのか
そのままでいいてほしいのか、
まったくよくわからんものでありますが
きっと、



2012年06月06日(水) 20120606


並びのよい日に日記を書きにきているようだ。


ええと、しあわせな日々を送っております。

とはいえ、別段、変わり映えのしない日々です。

なにも変わらない。
だけど、それがしあわせである、ということ。


そして、特に後ろ向きな発想をしているわけでもないのだけれど
自分が死ぬということを考える。
ごく自然に。


ああ、保険金かけておけばよかった、とか
残して行ってしまう人のことを考える。
だいじょうぶかしら、
かわいそうなことになってしまった、心配だわ。と。



特に寿命が尽きる予定もないので
妄想といえば妄想。

だけど、ぬかりがあってはなりませぬとて
伝えておきたいことは、伝えておくのでした。



今、きづいたけど
自分のハンドルネーム(?)が、好きな人の名前の一部ではないか!!!
はあ、びっくりした、ちょびっと。


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