うなごと
nyauko



 【おまじない】のコト。

ココロが ショート してしまった 
痛々しい人を 沢山 見た。

ココロは 疲れて 傷んで そして 壊れる。
日々の仕事や 人間関係や 突然の 悲しいことで。

カラダの ケガは 治療ですぐ 治ったり するけど。
ココロは 一筋縄では いかないと 思う。

だって 誰のせいでも ないし。誰にも 頼れない。
自分しか 治せない。

そもそも こんな ゆでたまご
(漫画家じゃないよ)みたいなぷにぷに したものが
よく 生きてるなぁ なんて 思うもの。

どん底に 落ちて のたうち回った 時期が ある。
泣いて 泣いて 涙も 出なくなって。
人に 会うのが 怖くて。

明日が あるなんて どうしても 思えない。

不思議と 死ぬことは 考えなかった。
ただ 「何で 生きてるのかなぁ」 なんて。

ある いいお天気の日に 布団を 干しながら
ゆでたまごは 考えた。

生きていく 以上は 辛いことは 絶対ある。
でも 死んでしまう位 辛いことは そうそうない。

[ちゃんと 食べ物が 食べられて 眠れれば 何とかなる。
       そして 私には 大切な人が 沢山 居る]

おまじないを 唱えながら 転がり始める ゆでたまご。
前へ 前へ。

辛いのは 私だけ じゃない。
そして あなただけ じゃない。

あなたが 倒れたら 悲しい人が 沢山 居るよ。

いつか「あんなことも あったね」なんて 
美味しい お茶でも 飲みながら 笑い飛ばしたい。
それまで なんとか 生きていこう。

ゆっくり ゆっくり。 頑張り 過ぎないで。



2001年01月22日(月)



 祖父と会ったコト。

実家に 帰省した お正月。
帰京する 日に 父が 言った。

「おじいちゃんに 会って 行け」

私の 祖父母は 父方母方 合計4人 皆 健在。
ややこしいので 地名で 呼ぶ。
父方が志津 母方が寺町。

寺町の 祖父母には 帰省する 度に 会う。
母の 職場が 祖父母の 家だし。

でも 志津は本家。あまり 頻繁には 会わない。
田舎の 親戚問題も いろいろ ある。

父が 言う「おじいちゃん」は 志津の方だ。

車で 向かった 先は 本家では なかった。
そこは 『病院』という 名前だったけど
養護老人ホーム だった。

6人部屋の 入口近い ベット。そこに 膝を立てて 座る
小さな 祖父が 居た。 遠い目を していた。

「おじいちゃん 元気?」 顔が 見られない。

今年確か 88歳。いつも 元気な笑顔 しか
覚えて いない。
昔は お弟子さんを 何人も 抱える
地元でも 有名な 網師 だった。

何度か 病気や 手術を したけど
こんな 表情は 初めて。

小さな目の 焦点が 合わない。
「どこを みてるの?」
手を 握って 肩に 触れて言う。
「私のこと わかる?ねぇ」

かすかに 返事を して くれた。
「うん」とか「あぁ」とか。

話せば なんとか うなずく。
昔の ことは 覚えて いる。

でも 今 現在のこと。 
これからの ことは 混乱する らしい。

記憶の 容量が いっぱいなのだと 父が言う。

おしゃべりで 陽気だった 祖父の 
笑い皺が 深い 溝のまま 動かない。

鴛鴦夫婦 だった 志津の 祖父母。
祖母は 祖父を捜して 何度か 本家から
行方不明に なった。

祖母も又 痴呆が 始まっていると 聞く。

「また 会いに 来るからね。東京から 帰ったら」
涙を ガマンして やっと 伝えた。 胸が痛い。

「後で また 来いよ。ノン子」

途切れ 途切れの 小さな 声は
実家近くに 嫁いだ 姉と  私を 間違えていた。

長生きして下さいと 心から 祈った。



2001年01月07日(日)
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