2003年07月28日(月) |
夏休み・自分の書くもの |
先日、夏休みなのに「個人面談」(小学校)がありましたが、今度は夏休みなのに「家庭訪問」(中学)です。どこが夏休み?って感じで、なかなか学校と縁が切れません。 その他、林間学校やら、合唱部のコンクールやら、お祭りやら花火やら、なんやらかんやらありまして、骨がちっとも休まらないのにはまいります。
そんなで、夏休みの出だしはハードスケジュールだなと見込んで、「更新おやすみ」の看板を挙げているのです。まぁ更新たって、定点観測をダラダラ書くだけなんですけど。 先日、母さんなんていうサイトをみつけて、そのシンプルさ、文の簡潔さ、切れ味の良さにつくづくと感心し、どうせやるならあれくらい短くいきたいと思ったのですが、やっぱぜんぜん無理です。
どうがんばっても、ダラダラ長くなるんですねぇ。 こういうの、親切心ゼロっていうのか、向上心ゼロっていうのか。 そんなで、最新日付が一番上に来るっていうスタイルも自分には向いてなくて。 といいますのも、あのスタイルだと、小説でいうと「短編読み切り」みたいにしなくてはなりません。 一応、そこで完結っていう。 そうすると、ネタが限定されてしまって、暗いニュースなんかを入れられないのですね。 ニュース系はどんどん新しい情報が出てくるため、昨日書いたことがすぐに見当はずれになってしまい、ずっと情報を追い続ける根性がないと無理です。それに、昨日暗いニュースのこと言ってたのに、今日は何事もなかったかのように次の話題じゃあ、それもどうかと思います。 だから手を出さないのが無難なんだけど、それも無理(な性格)。 うまく何とか折り込めないかな?と思う由縁で。 時々、デタラメ(フィクションなんていう高級なものじゃなく)が入るのは、事実ばかり書いているとイライラしてくるから。それに、起きている事実だけが事実のように思うのは、認識の帯域幅が狭いからってだけのはず、と勝手に解釈しちゃって。
だけど本当に不思議だなと思うのは、その昔、純文学VS大衆小説のような抗争があって、「売れなきゃしょうがいないんだよ、メシのためだよ」とかいって、大衆小説作家は「文学」を捨て、書きたくもない?ベッドシーンを入れたり、通俗的?な三角関係を描いたりしたそうですが、別に食える食えないと関係のないWebの書き手だって、売れたい! というのが、ほとんどだと思います。 実際わたしもそうです。 でありながら、「食える食えないと関係ない」という圧倒的現実に、応援されているというか、甘やかされているんですけど。
そういうことで、手前味噌なことを書いた、今日のたまー日記でした。
「花火がしたい」という末次郎のために、花火は買ってあるのだけど、ここんとこ雨続き。
明日はできるかなぁ?
今日は小学校の個人面談でした。何を考えているのか、夏休みなのにそういうこと、するんです。最近の学校は。 まぁ週のマンナカで休めて嬉しいけどね。
先生曰く 「末次郎くんは、授業中にコマーシャルタイムが多いですねぇ」 「末次郎くんは、給食よく残しますねぇ」 「末次郎くんは、忘れ物多いですねぇ」
あたたたたた たたた あたたたたた たたた
ほんとーにツライ15分間でした!
なんか眠い。早くねよう
それだけ
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