Comes Tomorrow
ナウシカ



 私の記憶術

今『身体の言い分』内田樹・池上六朗 著という本を読んでいます。
今回で3回目。
私はだいたい気に入った本は1〜2日で読んじゃいます。

この本も1回目は1日で読みました。
読んだといっても、最初はざ〜っと飛ばし読みで、目に止まった箇所だけチョコっと読んで、だいたいの内容を掴む…この本はこういう内容の本なのかという程度の認識。

2回目はもう少しゆっくり読みます。
1回読んでるので、目次の副題を見てると、だいたいココにはこんなことが書かれてあったなと、ちょっと熟読モードで読む…でもやっぱり興味のない箇所は飛ばし読み。

そして今回3回目。
1ページ1ページ確認しながら、このフレーズ頂き!と思った箇所のページを折る。
そして気になる文章は何度も反芻して読みます。
この時、自分の頭にインプット中…本を開かなくても、だいたいの内容を人に話せるぐらいまでになるのが目標。
でも、これではまだ不十分。

4回目は折っていたページを開いて、赤線なり引くつもりで(うんうん、そうね、なるほど、うんうん)と納得しながら読む…これで完全に自分のものになったら大成功っと♪

こういう読み方がいいのか悪いのかわからないけど、結構、役には立つかもと思ってます。

まぁ〜本だと自分のペースで読めるからいいですよね。
でも人と対話してる時とか、何かの講演とか聞いてる時とかは、いくら覚えておこうと思っても、言葉は待ってくれないですよね。
メモを取るのも、メモを取るのに必死になり過ぎて、意外と頭には入ってこないし、後で読み返して内容はわかっても覚えてないことが多かったです、私は。

仕事を覚える時にはメモを取ることも重要だけど、そうじゃない場合は、何か一つでもいいから覚えて帰ろう、何かを掴んで帰ろうと集中します。
…で、頭に引っかかったフレーズ(言葉そのものじゃなくても内容)をその場で覚える。
本を読む時にやった方法を、一瞬でやっちゃうんですね。

でも、それだけだとすぐに忘れてしまう。
簡単に忘れないために、私は人に話したり、書いたりしますね。
これで大概のことは、自分のものにできるんじゃないだろうかと思います。

この方法が結構メモを取るよりも頭に残って、いつまでも忘れないもんなんですよ。
たった一つのことを覚えるだけなのに、それに関連した外堀の話もちゃんと覚えていたり。
これはかなり効果的…私の中では♪

皆さんは物事をどんな感じで覚え、身に付けてますか?
他にもいい方法があったら頂きます!


2006年03月29日(水)



 小さな恋の物語

先週の木曜日は上の子の保育所の修了式でした。

今一番好きだと言っていた”れんちゃん”とツーショット♪
この子がなかなかのおしゃれさんで、写真ではよくわからないだろうけど、前髪と後ろ髪の一部がピンクなんですよ。
なかなかの男前だし、性格も優しいみたいです。
お母さんも若くて綺麗な人でね。

ところが今日、話を聞いてみると”れんちゃん”は”ほのかちゃん”と結婚すると言ってるらしく『じゃぁ〜どうするの?うみちゃんは?』って聞くと『”ひろと”とけっこんするぅ〜』らしい。

『そうなんやぁ〜』と言っていたところまでは良かったんだけど、その後が…
『うみちゃんな、”ひろと”とけっこんして、Hするねん!』
『え"ッ!?…そんなん誰が言ってたん?』
『”ひろと”がいっててん』
『ああ…そう…』
彼んち、こないだ3人目生まれたところだもんね〜と思いつつ…

『でも残念やね、”ひろとくん”とは学校違うもんね』
『がっこう、ちがうくても、けっこんはできるねんで』
『…まぁ〜そうやね、うん』
Hはともかくとして、こう聞いてみました。
『うみちゃんは、”ひろとくん”とチューはしたことあんの?』
『ないよ、でも”ひろと”がけっこんしようっていったから、うんっていうてんで』

なるほど!
まだ上手く交わせる程度の話で安心したけど、これがもうちょっと先に進んだ話やと、ドギマギするんでしょうね〜
今から覚悟しとこっと!


2006年03月27日(月)



 もう一人の自分

今日は上の子の保育園修了式だったので、そのことを書こうと思っていましたが、『白夜行』の最終回を観てしまったので、そのことに関連した話を書こうと思います。

あのドラマではハサミが凶器に使われていましたが、ハサミといえば、私は母に背中に突き立てられたハサミを思い出します。

ある寒い日の夜、私がテレビを観ながら何かを食べていると、背中にチクっとする痛みを感じました。
振り返ると、血走った顔をして、手をぶるぶる震わせながら私の背中にハサミを突き立てる母がいました。
母は搾り出すような声で、私に何かを言っていたけど、何を言われたのかハッキリとは覚えていません

もう23時になろうかという時間、私は薄いセーター1枚で、家のカギも財布も持ち出せないまま、泣きながら家を飛び出しました。
とても寒かった…でも体が感じる寒さなんて、たいしたことはないと初めて感じた夜でした。

ああ…その後のこと、もっと詳しく書こうと思っていたんだけど、燃料切れ…

でも一つ言えることは、この日、私は大きな何かを失ったということ。
その後、母娘で笑い合う日もあったり、幸福だと思える日々があっても、それはどこかリアルじゃなくて、何かに打ちのめされないように、かりそめの日常を送っていたような気がする。

ひょっとしたら、あの日から、私の現実は止まったままなのかもしれない。
あの日の私が、今もどこかで彷徨っているような気がする。
あの日の私は、今の私を見て、どのように思っているのだろう?

恐ろしいほど、あの『白夜行』の2人の主人公に共感してしまう。
誰かに見つけてほしかった現実…
かりそめの私を見つめる、もう一人の自分…
やっぱり、まぶしかった太陽…

無くしてしまったジグソーパズルのピースのように…それは埋まらない…
誰か…助けて…お願い…


2006年03月24日(金)



 未完な完結

『生かして生かされて生きる』というサイトにコメントさせてもらったことを、自分の覚え書きのためにも載せておきます。

******

完結は、未完成な状態の持続が、完結なんじゃないかと思います。
つまり常に成長、変化し続けていくのが、物事なんじゃないかと思って…

内田樹さんの本にもあったんですけど、自分で自分に向かってツッコミを入れたり、自分で自分の言葉に疑問をさしはさんだり…
何か言いながら「こんなこと言っていいのかな?」と思いつつ、微妙に違う自分が出てきて「おい、そんなこと言い切っていいのか?」とやる。
それに対して、3人目の自分が出てきて「いや、今の場合は、それでいいんだと思うよ」と擁護に回ったり…

そうやって複数の声を、自らに向ける人はチューニング能力が高い人だと書かれてました。
人とのコミュニケーションでも、首尾一貫して自分の主張を繰り返す人よりも、相手によって変えていく、互いの声が届くということを繰り返す、そういったことで、一人一人では発見しえなかった何かが、新たに発見できるというのはあるんじゃないでしょうか?

皆さんのやり取りを見ていても、そういうことなんだなって変に納得できました。
凝り固まった自分だけの”意見”に縛られ、そこを崩せない人は、逆に何も生まないんじゃないかと。

自分のことも相手のことも「え?そうなのかな?どうなのかな?」って常に考えられる人は、日々成長を続け、哲学も自分のモノとして構築できるんじゃないかと思います。
自分の頭で完全に理解できてしまう話は、所詮たいした話じゃないだろうということも書かれてましたね。

〜〜〜〜〜〜

>でも、未完成が完結やないと思うな、完結目指して日々精進ってか?
完結したらお釈迦様の境涯に至れるんやろな。

私は微妙に違うと思います。
言葉遊びになってしまうかもしれないけど、お釈迦様の境涯って、そもそもどんな境涯を言うのかって思うんですよね。
それに人が完結することって何?って。

私は人が普通にあることなんじゃないかと思うんですよ。
じゃぁ〜普通って何?ってなるんですが、それは人として怒ったり泣いたり、もがいたりしながらも、生を生きるって言うか、どこまでも人の中で生きるってことかと。

やはり人は一人では生きられないってことで、他者に助けられながら、また自分も他者を助けながら、そうやって普通に生きていく営みの連続が、お釈迦様のような境涯であり、何も至れると言う程の難しいことでもないと思うんです。

そういう生き方だったら、多かれ少なかれ皆してることで、時には人を傷つけてしまったり、また逆に傷ついたり、人に喜びを与えたり、与えられたり…仲のいい家族でも、そんな刺激のある連続ではないでしょうか?

飛びぬけて人格的に優れてると思われるような人でも、家族の元では諸々の葛藤があるかもしれないし、嫉妬や憎しみという感情も湧いてくることもあるかもしれない。
でもそれでも、人のために生きてる…それは誰人もだと思うんです。
意識するとしないとにかかわらず、人は自分のため、人のために懸命に生きてる。
これが未完であり、また完結を目指す生き方ではないかと。

お釈迦様に至る生き方というなら、それは今の自分(私ということではなくて)の生活そのものなのだと。
皆がお釈迦様になれる、既になっていると思うほど、シンプルな、ある意味我侭な生き方が、人としての至れる境涯であり、それでもう完結なんだよと、私は思うわけです。

ああ…哲学チックで、知恵の輪のように、言葉にするにはあまりにも……伝わらない言葉かも…


2006年03月22日(水)



 慣れないと言えば…

『愛と死をみつめて』というドラマがやっていたけど、ビデオに録画して、まだ一部しか観てないけど、あれで広末の主治医の役をやっていたユースケサンタマリアいいですね〜♪

あの雰囲気…あっうちの院長に似てるわ!と思いました。
余命半年のミコ(広末)に『病院では患者さんがどんどん死んでいくのに、先生は慣れてるでしょ?』みたいなことを言われた時、主治医のユースケは言うんですよね。
『そんなの…人が死んでいくことに慣れてしまったら、医者は終わりだよ…そんなのに慣れてしまったらいけないんだよ』みたいなことを言ってましたね、確か。
(ああ〜最近セリフ覚えが悪くなった…昔は完璧に覚えていたのに)

ほんとそうなんですよね。
確かに”慣れる”というのはあるかもしれない。
だけど、それはそういう状況に”慣れる”というのであっても、感情的には”慣れた”らいけないんだと思う。
病気だけを診て、人を見ないと言われる医者もいますが、それではいけないんでしょう。
医者に限らず、看護師も含む医療スタッフみんなも…

それにしても、あのユースケは似てたぁ〜
こないだの14日の日、職場に寄ったら、たまたま院長も来て、私は入れ違いで訪問看護に向かおうとしてたんだけど、院長に呼び止められ…

『あ…○○さん(私)お菓子食べた?』
『いえ…まだです』(実はお腹が空いてなかったので、先生が用意していたホワイトデーのお返しを食べずに行こうとしてました)
『じゃぁ〜食べていったら?これおいしかったよ、ハイ♪』
とわざわざお菓子の箱を開け、私に手渡してくれた先生。

『あ…ありがとうございます』と言って食べました。
お腹はいっぱいだったんだけど、おいしかったです♪
そういう先生の気持ち?さりげない優しさが好きだなぁ〜♪

その後、先生はコンビニへお昼を買いに行ったみたいで、私はクリニックを出て車に乗り込もうとすると、向こうから先生が…
『あ…行ってきます』と言うと『おっ…お疲れぇ〜頑張ってね』と手を大きく振り上げて、少し足早に来るではありませんか!

先生ぇ〜爽やか過ぎる!
なんで、そんなに爽やかなん?
飲み会があっても、普通はスタッフの方が先生に気を使って、お酌なんかに回るのに、うちは逆だもんね〜
先生自ら、みんなにお酌して回ってる。

患者さんが、先生に惚れ込む気持ちわかるなぁ〜
ほんと優しいんだから。
やっぱりサラリーマンから一転、医学部に入り直し医者になっただけのことはある!
いわゆる医者としての威厳(ふんぞり返ってるともいう)がなくて、ほんとナチュラルで飾らない計算のない優しさ…スゴイよ、先生♪

こないだの『ほなね♪』といい、今回といい…奥さんが羨ましいぞぉ〜


2006年03月21日(火)



 別れはある日突然に…

こういうのって、なかなか慣れないなぁ〜
先日、職場から電話。
私が受け持っている患者さんが亡くなったという知らせ。

まぁ〜高齢だし寝たきりに近い状態だし、点滴と服薬、浣腸などによる排泄の管理、いつ亡くなってもおかしくないとはいえ、先週までは状態も落ち着いていて、ご飯もそこそこ食べれていて、笑顔でお話もできていたのに…

私が訪問看護に訪れた二日後に先生も往診に行ってるけど、特に変わったことはなかったとのこと。
それがその日の晩、急変したのだとか。

人を看取るのが仕事、訪問看護こそ、そういう仕事だろうと当初思っていた。
それが、こんなにも看取れない仕事だとは思いもしなかった。
まだ病院に勤めていた時の方が、そういう機会は多かったな…

一期一会とは言うけれど、本当にそうだ。
目の前で話している人は、明日もまた同じように話せるとは限らない。
明日また会えるという保障はない。
一日一日を無事に過ごしていく何のことはない日常で、それはある日突然訪れるんだ。

それは自分にも言えることで…
まだまだ先があると思っていても、まだまだ若い、健康と思っていても、それは永遠じゃない。
誰人も、ある日突然なのかもしれない。

患者さんの訃報を知らせてくれた職場の看護師さん。
『○○さん亡くなったから、もう訪問看護行かなくていいからね。
それと、○○さんは退院してきたけど、今のところ調子いいみたいだから、訪問看護はいらないって。
まぁ〜訪問看護いろいろあって大変だけど、頑張ってね』

『えっ!?亡くなった!?○○さん…がですか?』
私は名前をオウム返しに聞いて、名前と顔を本当に間違いがないか、自分の頭の中で思い浮かべて一致させて確かめて…
わかってはいても、いつも驚いてしまうんだ。

まぁ〜調子良くて、私が必要ないっていう人はいい。
それは、とてもいいこと。
そんなことにはガッカリしない。

私が回る患者さんが減るということは、それだけ給料も減るということだけど、そんなことはいいのよ。
病院と違って、訪問看護ってそういう仕事だから。
同僚の看護師さんは、それも慮って『頑張ってね』って言ってくれたんだろうけど…

患者さん本人だけじゃなく、そのご家族とも交流を深め、いろいろお話していると、ほんと楽しくて、このままずっと関係が続く間柄のように錯覚してしまう。
今度はこんな話もしよう、あんなこともと思っていても、それはいつ終わってしまうかわからないんだ。

慣れないね…いつまでたっても…このポッカリ空いたような感覚。


2006年03月20日(月)



 コンセント

昨日、田口ランディ原作の映画『コンセント』を借りてきて観ました。
最初から不思議な話の展開だったけど、どんどん引き込まれていきましたね。
最後は軽い脱力感…

私も”コンセント”を抜いた状態になりました…って書いても、この作品を知らない人にはわからない話だけど、いわゆる幽体離脱する人の話。
自発性トランスと言うらしい。

まさか私がそんな状態になるはずもないので、モノの例えだけど、トランスに近い感じというか、まぁ〜全然違うものかもしれないけど、ちょっといつもと違う感覚というのなら、何度か体験したこともあって…

心理学的には解離というのかな?
私の場合、解離というほどのものでもないけど。
こないだの木曜日、半年ぶりにカウンセリングに行きました。
別に調子が悪かったわけでもなくて、定期的に行っていたのを途中で中断していたから、近況報告を兼ねて、また行ってきたわけです。

なぜ月1のカウンセリングを中断していたかというと、予約日を忘れて、ブッチしてしまったから…
その後、なんか億劫になってしまって、ついつい月日が過ぎてしまいました。
仕事が忙しかったというのもあるし、調子が悪くなかったというのもあるし…

でも、その頃というのは、ちょっとこれまでの自分とは違う風になっていたのはありましたね。
記憶がですね〜なんか変だったんですよね。
完全な記憶障害というのではないんだけど、大切な用事を忘れてしまったり、思い出したとしても、なんか夢を思い出すみたいにボンヤリしたものだったり…

でも、そういうのは一時期だけで、すぐに治まったんだけど、これまでにあまりない症状でした。
その後は、さほど悪くもならず、いろいろ困難なことを抱えながらも、何とかやってきて…
それをカウンセリングでも報告したんだけど、今の状態はというと、逆に良くなってきてるらしい。
へぇ〜そうなんだ…って感じです。

話は元に戻して、映画『コンセント』を観て、私もいろいろ自分の身に起こった不思議体験を思い起こしていました。
映画の主人公は、鋭い感覚を持った不思議な女性として描かれていたけど、そういうのって非現実的なようで、結構あるよねって思って。

私も、そういう自分でも説明できないような感覚っていうのがあって、カンが鋭いねって人から指摘されることも、これまでにあって何なんだろう、コレって?思うこともしばしばありました。
でも、そんな大層なもんではなくて、人が普通に持ってる感覚が、たまたま出るだけなんだと思うんだけどね。

そういうの具体的に挙げるとキリがないので、また書く気になったら書くということで…
でも、そういうカンは、こういう仕事してると有効に働いたりするんですよね。

病院で働いている時に、なんかおかしい、なんかわからないけど、何かがおかしいと思って、ドクターに懇願して、入院患者さんの血液検査を至急でやってもらったことがあって、そういうことが2回あって、そのお2人とも異常が見つかって、適切な治療を施し、事なきを得ました。

看護学校に通ってて休学することになった時も、担任の先生に『あなたは看護のカンが鋭いわ!これは学業の知識とかで得られるものじゃなくて、一種の才能だと思うから、それは大事にしたらいいよ。絶対、看護師になりなさいよ!』と言われて…なのに、その後うつ病になっちゃって中退しちゃったんですけどね。
准看護師の資格は取っていたんで、今でも看護の仕事は続けられていますが…

そんなこんなで、この映画を観て、物心つく頃のこととか、これまでのいろんなことを思い出したりしました。
だから私、うつ病になっちゃったのかな?とか、そんなことをふと思ったりして…

う〜ん、人間って不思議…


2006年03月13日(月)



 『糧』

昔 いろんな人がいた
誰も 似ていないの
敬語を使う人もいない
立場など気にしない

昔 そこにいた
小さく目立たなくても
誰もが振り向き 笑顔で
語りかける人

そう 私はそこで 生まれ育ってきた
口々に飛び交う
人々の生きる場所

悲しみも 喜びも
誰もが関心事
そのまま うち捨て置けぬ
息を吐く その場所
歩み 生きる場所


今 どんな人がいる?
皆 どこか似てるの
よそ行きの言葉で
語りかける人

今 私どこにいる?
形だけの存在
吐く息は 行き場をなくし
ただ 彷徨うだけ

そう 人々集い 語り合っても
同じ息を吐くだけ
生きる場所はない

悲しみも 怒りも
誰もが無関心
どこかで聞いたような
教科書の文字だけ…
生きる場所はない

飛び立つための翼
休め 明日に繋ごう
生まれ 育ち 生きた
糧をひとつ持って
旅路につくまで…


2006年03月08日(水)



 酒飲み母さん、キレ気味父さん

今日ふと目覚めたら、携帯を握り締めてロングコートを着たまま、リビングのソファーで寝ていました!?
実は、昨日は飲み会に行っていたのでした!
ところどころ記憶が…

それでコートを脱いで毛布をかぶって、またリビングの床で寝てしまい、朝になり目覚めると…私は風船(いわゆるバルーンアート)に囲まれて寝ていました!?
なんじゃこりゃ???

そうこうしないうちに、3歳の下の子が起きてきて『パンちょうだ〜い』
まだ完全にお酒は抜けてない状態で、よっこらしょっとパンを取りに行き…
そうこうしてるうちに、5歳の上の子が『かぁ〜ちゃ〜ん〜』と寝室から呼ぶ声が…
廊下に出てきてた上の子を見て『起きたんか?』って聞くと『ぬれてる…』とパジャマのズボンを指差し…

ああ……
最近、おねしょパンツから普通のパンツに変えたところで…本人希望です。
もうすぐピカピカの1年生だもんね♪

『昨日、寝る前にトイレ行かんかったんやろ?
ちゃんとトイレ行っとかんから、おねしょするんねんで。
おねしょしたら、アカンやんかぁ…』
と、やんわり言ったら…
『うん、うみちゃん、れんしゅうする!』
と言って、お風呂のシャワーを浴びに…
おお〜めげてない!
偉い!

もう仕事に出かけてしまった旦那には、後で『ちゃんと寝る前にトイレ行かさんかったやろ!アカンやん!』とキツメに怒ってしまいました。
しかも、ひなまつりのケーキも手付かずで残ってるし!
生やのに、せっかく頼んで出かけたのに、もぉう〜!

子供らを保育所に送った後、ジュースやお茶をガブ飲みしながら、布団を干して、洗濯をして…お天気が良くてよかった♪

まぁ〜二日酔いというほども悪酔いしてなくて、ただノドが乾く程度のもんで、昨日の語らいを思い返しながら、自分の頭を整理して…記憶を必死に取り戻す作業です。
とにかく無性にお腹が空いて、今日一日食べまくり!
仕事は休みだったし…
家事は洗濯だけしました。

ところで、バルーンアートの謎ですが、旦那が少しだけ帰りが遅くなりそうだったので、ほんの数時間、ファミサポの人に子供らを預けて出かけたんですね。
それで、そこのお宅で貰ってきたらしいんです。
夜中に帰ってきた時は、酔っていたこともあって気づかなかったんですね。
でもほんと、朝起きて、自分が風船に囲まれて寝ていたのには驚きました!

昨日は保育所のお別れ遠足で、前日は夜中の1時頃に寝て、5時起きでお弁当を作って…
それから仕事に行って…飲み会行って…
朝、保育所に送り出したら、どうもファミサポさんちに忘れ物をしたらしく、それを取りに行って…
昼には保育所のお母さんからメールが入って、修了式後の茶話会は参加されますか?するなら会費を早めにお願いしますと着て…
夕方、お迎えの時に待ち合わせて渡して…

その後、子供らは『こうえん、いきた〜い』とせがまれ…
一旦荷物を自宅に置いて、それで公園に行って、子供らと一緒に走り回って遊んで…
『かぁちゃ〜ん〜おなかすいたー』と早々と言われ、まだいつもより早いやん!と思いつつも、帰って作ってたんでは遅いし…
タコヤキ食べたいと言うので、近くにはおいしいお店がないので『ちょっと遠いけどいい?』と聞いて…
上の子は歩きで、下の子には幼児用自転車をこがして…

タコヤキ屋に辿り着いたのはいいけど、少し時間がかかって、やっと出来上がったモノを持って家路についたら…
ちょっとした坂で、下の子が自転車をこかし転倒!
大泣きしてると思ったら、オシッコ漏らしててズボン濡れてるし!
上の子は『おなか、すいたー!』とキレ気味やし…

家に帰って、着がえさせて、食べさせて、ヤレヤレと思ったら…
旦那が仕事から帰ってきて、あまり言うことを聞かない上の子に、すぐキレて怒り出す始末…
いつもは甘々なのに珍しい〜
はぁ〜さては昨日、自分一人で子供らの面倒を見て、かなりお疲れなのね〜と察しがついて…

まぁ〜たまにはね〜こんな日もないと、私の普段のしんどさ、イライラ感などわかりようもないもんね〜と思いつつ…
まぁ〜内心では感謝もしてたけど、まぁ〜いいんちゃうって感じで、やり過ごし、今こうして日記を書いてます。

なんとも忙しい一日でした!
でも充実♪
あッと思い出した…確定申告しなあかんやん!
去年は初めてということもあって遅れたから、今年はちゃんと出さんと!
ああ…春だねぇ〜


2006年03月05日(日)
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