Comes Tomorrow
ナウシカ



 ん!?…SARS!?

はぁ〜久しぶりの日記。
何かと忙しい月だったな。
今月は保育所の参観と懇談と家庭訪問とあったし、上の子はパチンコ玉飲んじゃうし…
これはウンチと一緒に出てきて一件落着。

やれやれとほっとするのも束の間…
今度は39度5分の高熱をいきなり出した!
風邪を引いても、あまり熱は出さない子なんで、ちょっとびっくり!

でもこんなに熱があるのに、本人は意外と元気で家で遊びまくってた!?
ほんとに病人か?あんさんは?と言いたくなるぐらい。
解熱剤も使わずに38度5分まで下がったから安心はしてたけど、38度5分以上の熱が4日も続くと、さすがに心配になってきた。

また39度まで上がった時に一度坐薬を入れて、翌日には37度8分までには下がったけど、また38度6分…
こないだ皮膚科で取ってもらった水イボの傷跡からバイキンでも入ったかな?
なんなんだ、この熱は!?
しかも本人は元気…

ぐったりされるよりは元気な方がいいけど、他の病気が隠れてなかったらいいけどなぁ〜
ということで、いつもかかってる小児科医院ではなく、今度は総合病院の小児科で診てもらうことにした。
これって、セカンドオピニオンって言うのかな?
一人の医師より、二人の医師に診てもらった方が確かだし安心だしね。

どうも今、高熱の出る風邪が流行ってるらしい。
風邪が治るまで熱が続くのが特徴らしい。
まぁ〜SARSじゃなけりゃぁいいけどね…
あの台湾人医師、関西に入ってきてたからね。
まるで犯罪者扱いだけど、彼も被害者なんだよね。
でも医師ということで厳しい目を向けられても仕方ないかな。

日本では流行がないけど、どうも日本人のキレイ好きがSARS上陸を阻止できてると言われてるみたい。
トイレの後や食前の手洗い、入浴の習慣など。
ん!?こう書くと中国の人は手を洗わないのか?ってなるけど…どうなのかな?

確かに日本人は異常なほどキレイ好きかもしれない。
それがアレルギーを引き起こす原因の一つとも言われてるけど、こういうところではいい結果を招くんだね。
いつもワーストとして取り上げられてるから、たまにはベストで取り上げられないとね。

2003年05月29日(木)



 胃にパチンコ玉!?

昨夜、2ヶ月になる下の子をお風呂に入れていたら、旦那が『おいっちょっと〜』と大きな声で呼ぶので『なにぃ〜?』と言いながら、タオルに包んだ息子を部屋に連れてくると、3歳になる娘がパチンコ玉を飲んだと言う!?

『ええ〜なんで〜ほんまに〜!?』と私も慌てたけど、当のパチンコ玉を飲んだ本人はケロっとしてる。
『飲んだとこ見たん?』
『いやっ見てない、本人が深刻な顔して飲んだ言うねんもん!』

それからゲロを吐き出させよか、いやパチンコ玉は重さがあるから吐き出せないかもしれない、病院に行ったら胃洗浄するかな?、いや胃洗浄しても管をパチンコ玉が通るはずないし、大人で入れ歯や指輪を胃カメラで取った人はいたけど、子供やしなぁ〜、ウンチで出るかな?、たぶんウンチで出るやろし、そんなに問題ないとは思うけど…、タバコじゃあるまいし体に害はないとは思うけど…などなど、数分の間にいろいろ葛藤がありました。

こんな時、看護師で多少の知識があってもオタオタしてしまいます。
これが気管に入ったとなれば考えるまでもなく、緊急応急処置をしますが…

うちの地区は小児の急患を診てくれる病院が持ちまわり制になっていて、救急病院ならどこでも診てくれる訳ではありません。
一応、情報センターで今日の担当病院を教えてもらうと、隣の市の救急病院だったので電話してから、旦那に車を運転してもらって行きました。

本人はもうケロっとしてたけど、順番も待たずにすぐ診てくれました。
聴診で取り合えず気管に入ってないことを確かめてから、レントゲンを撮りました。

『お腹の写真を撮るねんで』と娘に言うと、ピースをして準備してました!?
おいおい、その写真じゃないってばぁ〜と思いつつ、私は息子を抱っこして外で待ってると、レントゲン室からは娘の怖がる泣き声と旦那のなだめる声が聞こえてきました。
少しは事の重大さをわかってくれたかなと期待したけど、そこは3歳児、わかってるようでわかってない。

レントゲン写真を見ると見事に写ってました。
お腹の真ん中に丸い物が…

『もう小腸の方まで下りてきてますね。
腸にイボとかの奇形がない限りウンチに出ると思いますが、2〜3日しても出ない場合はまたレントゲンを撮って位置を確認しますから、また連れて来て下さい』

取り合えずやれやれ…
無理やり吐かせたりしなくて良かったと胸を撫で下ろしました。
でも、しんどい思いさせた方が二度と遊んで飲んだりしないから、本人のためには、その方が良かったのかなとも考えたけど、やっぱりこれは親の責任だから、こちらで気を付けとかないといけなかったんだよなと反省しました。

早速、ママゴト用に出しておいたビー玉類も全部片付けました。
下の子がハイハイしだしたら、どっちにしても片付けないといけないから、これで良かったんですよね。

はぁ〜これからしばらくウンチ観察か…
無事出てきてちょうだいよ。

2003年05月17日(土)



 虐待を受けていた少年について

私以外にもたくさんの通報があり、警察、児童相談所、学校で連携を取ってくれているようです。

学校にも協力を要請し、親を呼んで指導を度々してくれているそうです。
児童相談所の担当のケースワーカーさんの話では、暴力を奮っていた男は義父で23歳、少年は母親の連れ子だそうです。
少年の下には弟、妹がおり、母親は今妊娠中で夏前にはまた生まれる予定みたいです。
母親はその男にベタ惚れらしく、暴力を奮われてる自分の息子をかばうでもなく、『躾だ!』という義父の側に立ってるみたいですね。

指導の後も状態が改善されなければ、児童相談所の方で少年を保護する手続きをしてくれるそうです。
手遅れにならないうちに早く保護してもらいたいものです。
母親があれでは改善される可能性は低いでしょうから。
まして下の子が生まれたら、母親のいない間に…ってこともありますから。

(逃げればいいのに…)と言う人がいますが、親から逃げることは子供にとっては死を意味するぐらい大変なことなんです。
逃げれる訳ありません。
その少年も暴力を奮われているのに、義父から離れずにいたので、たぶん父親に違いないと思っていました。

でも虐待から逃れても、それで解決したことにはならないんですよね。
だから少しでも傷が深くならないうちにって思うんです。

私も家庭内の荒れがピークに達した時、周りの人(近所の仲良くしてたお姉さん)に助けを求めたことがありました。
でも多忙だったのか何度電話してもいなくて、折り返し電話があった頃には私は心を閉ざしてしまいました。
助けを自ら求める時はもう限界に達してるんですよ。
ギリギリまで我慢して我慢して、そしてもうダメと思う時にSOSを出すので、それに応えてもらえないと一旦思ってしまうと、もう誰も私の話は聞いてくれない、助けてくれないと思ってしまって、心を深く閉ざしてしまうんです。

私の場合はそれで自殺を考えましたね。
死にきれず、親を殺すことも考えました。
でも幸い、思い切って打ち明けた学校の先生が親身に相談に乗ってくれたんで、私は救われました。

『中途半端な善意はかえって本人を傷つける。』と言う人がいます。
私が看護学校から保育所に実習に行った時も、問題のある子がいて母親からの愛情不足で保育士にベタベタに甘えたり、暴れまわったりする子がいました。
保育士さんは『親の代わりはできないし優しく接し過ぎると、かえってその子に可哀想な思いをさせる』と言って、ある程度突き放していました。

でも私は親に全面的に代わる人はいなかったですが、何かと気にかけてくれたり、声をかけてくれたり、ただ話を聞いてくれたりしただけで、かなり救われたんですよ。
それが大人への信頼感を唯一得る方法でした。

自分や自分の家庭を犠牲にしてまで関わる必要はないと思いますが、少し優しい声をかけてくれるだけで、その場は何も反応なくても心には必ず届いてます。
私が心を閉ざしてしまって、ずっと電話にも出ず拒否してしまった近所のお姉さんは、それでも何度も私に電話をくれたり、家に来てくれたりしました。
私が気持ちが落ち着いた頃、少し話ができて私も謝りました。

それに深く関わってはくれなくても、優しくしてくれた人のことは覚えてます。
親に箴言してくれた人もいました。
私を褒めてくれた人もいました。
うちの親に私のことを叱ってくれと言われた中学の担任は、私に何を言うでもなく叱るでもなく、ただニコニコ笑っていました。
それだけでも(私を見守ってくれる人はいる)と思ったもんでした。

そのことは今、大人になって更に深く大きく心の支えになってます。
親に虐待された人は人格を深く傷つけられてるので、心の支え(柱)がないんですよ。
だから、少しのことで傷つき、挫け、人生を挫折してしまうかのようになってしまうんです。
社会で適応しにくかったりするんです。

できることをできる人がするという当たり前の社会になってほしいですね。
大きな責任を背負う必要もないと思います。
一日一善のような気持ちでいいと思うんです。
虐待かな?と思ったら、子供のためにも親のためにも通報なり何らかの行動を起こしてあげて下さい。

少年のような虐待被害の子供がこれ以上増えないことを祈ります。

2003年05月12日(月)



 仲間の死…虐待…その後

実は自殺して亡くなったという私のメル友さんというのは、私が共同出版で4月5日に出版した詩集のメンバーでした。
出版のために、長い期間を共に過ごした仲間としてはやりきれない思いでいっぱいです。
その彼の誕生日に虐待される子供を見て、その少年が自殺した彼の姿とダブって見えて、いてもたってもいられなかったんです。

詩集の巻末には、虐待防止センターの連絡先も掲載していますが、私の住む大阪は虐待に関する通告が多く、これ以上、電話が多くなっては手に負えないということで、掲載許可がおりませんでした。
それほど悲惨な状況下に置かれてる子供たちが多いということです。

連休明けすぐに市の児童相談所に再度電話して、うちの区の担当であるケースワーカーさんから連絡をもらうはずでしたが、未だに電話はありません。
見捨てるつもりはなくても多忙なのかもしれません。
それに緊急性があるかどうかで、実際に動く優先順位が決まっているのかもしれません。

私たちに今できることは祈ることしかないかもしれません。
虐待にしても戦争にしても、この世から悲惨の二文字を消したいですね。

2003年05月09日(金)



 自分でも驚くほどの動揺

こんなブルーな時に私は父親?が子供に暴力を奮うのを目撃してしまいました。
洗濯物を干していると、男の怒声と子供の泣き叫ぶ声が聞こえ、マンションのベランダから下を覗くと、父親らしき男が小学低学年ぐらいの子供の頭・顔を足蹴り、回し蹴りするのを見ました。

すぐ警察に通報しましたが、警官が来た頃には自宅(団地)に入ってしまった後で、どこの階かもわかりませんでした。
私が電話を取りに部屋に入ってる隙に、その親子?を見失ってしまいました。
もう少し見届けるべきだったかと悔やまれます。

しかしショックだったのは、目撃したことではなく、たまたまうちに来ていた義父の一言…
『あんなに殴られるのは、よっぽど子供も悪いんじゃないか?』

私が『子供がボコボコに殴られてる!』と一番に義父に伝えて、『虐待や!警察に通報しないと!』と言った時も、『もういないいない、部屋に入ったよ』とろくに見もしないで言ったこと。

こうやって虐待は見過ごされるのではなく、見捨てられるんですね。
かなりへこんでしまいました。

善を行わないことと、悪を見過ごすことは、悪と同罪だと思います。
一人一人の意識を変えないと難しい問題かもしれません。

2003年05月03日(土)



 とってもブルー

私の大切な仲間…メル友さんが亡くなりました。
自殺です…
今日は彼の25歳の誕生日…
悲しすぎる…
涙が止まりません…
彼を死に追いやった両親が許せません!
自分の子供も満足に愛せなくて、小学校の教師してるなんて信じられない!

彼の両親は、彼と同棲してた彼女に最期のお別れもさせず、阻んで、帰って行ったそうです。
生前、彼女との仲を裂こうとしていたみたいです。
最後の最期まで彼の意思は尊重されませんでした。

彼の死も、両親は何とも思ってないんじゃないかって疑ってしまいます。
本当に悲しい…悔しい…むなしい…
何もできなかった自分が腹立たしいです!



2003年05月02日(金)
初日 最新 目次 MAIL


My追加