蛍桜

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家出計画


家出をしようかと思っていた

家に居ても毎日が辛くて、
会話もうまく繋がらないし、
お互いにトゲのある言葉になってしまうし、

一昨日、あまりにも悲しくなって
泣いてしまった
布団の中で涙が溢れて
なるべく気付かれないように泣いた
もし気づかれたら、また、
「めんどくさい」って言われるだろうから



もうどれくらいこんな状態なんだろう

だけど、これから先も一緒に歩んでいくと決めたから
どうにかして、乗り越えたかった

いつも話題を途中で切り替えてしまう癖も
たまに返事をしてこない癖も
頑張って慣れた

だけど話題が続かなきゃ、会話にならないし
返事をくれなきゃ、話にならない
普段の会話なら我慢出来たけど
必要な会話や、結果を急いでいる会話の時にそうなると
どんどんとイライラが増した

今まではなんとなく返事を催促してきたけど
最近は、「めんどくさいこと聞くな」
って怒られるようになった

普通に会話がしたいだけなのに
どうしてこんなに会話だけでハードルが高いんだろう
会話だけでこんなに咬み合わないなら
もう無理なんじゃないか?


これはどうやったら乗り越えれるんだろう


毎日一緒にいるとストレスがたまって
悲しくなって



だけど、乗り越えないといけない

その答えを探すための、家出だった

会社にいる間に家出している間の居場所を探した
ネカフェ、カプセルホテル、ウィークリーマンション、、、

一番安いのはネカフェだった
カプセルホテルは確かに安いし、朝食付きも嬉しいんだけど、
ネカフェの倍したから、ベッドで寝たい時だけ利用しよう
ウィークリーマンションはもう除外
思った以上に高かった


家出も、前向きな家出だった
お互い一人の時間を作って、ゆっくり考えようって

グチグチ行って家出したら、
それこそまた「めんどくさい」って言われちゃうし

何日家出をするかは決めてなかったけど
家出中は一切連絡もとらないつもりだった
家出することだけを告げるメールか手紙を書いて
そのうち必ず帰ってくるから心配しないでって
伝えておこうと思った

実行日はいつでもいいけど、
なんとなく今日かな、って思っていた
土曜日には一緒に出かける予定があって
それを潰しちゃったら泥沼になるから
それまでには帰ろうと思っていた

とにかく「家出」をしたっていう事実と
「一人の時間」がほしかった




昨日、家に帰って、
明日から家出をしようかな、って考えて

家出をする、って現実的に考えた瞬間
なんとなく相手の顔を見るのも嫌になった

晩ご飯を一緒に食べて
いろいろ話しかけてくるけど
生返事をずっとしていた

いつもはここで、
私が今日あったこととか、
適当にしゃべりたいこととかしゃべって、
二人でテレビ観て、それでまたしゃべって、だけど

私は自分からしゃべらなかったし
相手からの話題もなるべく返事をしなかったし広げなかった

相手に頼まれたことも、嫌だったけどやったし
嫌だったけど、買い物も付き合った

いつもだったら「やだー」って言って拒否るところなのに
言われる通り、従順にやった
相手に何かを頼むのも嫌だったから
いろんなことを一人でやった


そしたら、
どんどん相手がいつもより優しくなっていったことに気づいた


異変に気づいたからなのかもしれないけど
なんとなく発想の反転をしてみた


私が会話をしたい、っていうからしてくれなくて
私がしゃべりたいことがいっぱいあるからしゃべっても聞いてくれなくて
私が普段はめんどくさくて「やだー」と言って
何もやらずにゴロゴロしてるから機嫌が悪くなって
私の言葉にトゲがあるから相手の言葉にもトゲが出てきて


そんな感じ、なのかなぁって


ずーっと一緒に居すぎて、
素の自分を出せすぎて、
それが楽で


きっとお互いがそうで

今までだっていろいろ我慢してきたけど
「我慢してきた!!」っていうのを盾にしてそれ以上進まなかったというか


そんなことに気づいて
ひとまず、今日の家出は延期になった


もう少し様子をみてみよう




やっぱり毎日これからも一緒に住んでいくわけだから
毎日我慢続きもよくないと思うけど
だからってずっとだらだらしててもいいわけじゃない
自分に素直に生きてけばいいってもんでもない

他人と一緒に暮らすっていうのはそういうことだね


決めなきゃいけないことも決めれなかったし
話したいことも一切話せなかったけど
久しぶりに相手が笑顔でいてくれて嬉しかった

決めなきゃいけないことを催促できて
話したいこともいっぱい話して
相手が笑顔でいてくれる方法ってなんなんだろうなー


ああ・・・昨日はもうちょっとやっていけると思ったけど
これ書いてたらイライラしてきた


これから先、大事な場面で、
本当に大丈夫なのかなぁ。。。



2011年07月26日(火)

目をつぶると歩けないと分かっていたのに

ここに居続けることにどんな意味があるのかな
私はどこかに居ることに意味を見出せたことがあったのかな

誰かの言葉に甘えて
「自分らしく」居られる環境が
自分にとっての居場所だったのかな

自由に、生きたい
そういう思いだけが先行しちゃだめだって
押さえつけてきた中で
誰かが自由にしていいよ、って言ってくれたら
私にとってそれがオアシスになるのかな


今、踏み切りに飛び込んで試してみるのもいい

電車が気づかずに私にぶつかるのが先か
誰かが気づいて、電車を止めるのが先か


今まで、なるがままになってきた
決定しなきゃいけない場面では選択肢が降りてきた
私はそのときの気持ちを整理して
ちゃんと選択してきたつもりだった
だけど自分だけで決められないときは
なるようになれ、って
飛び込んでいくような場面が多かった

香川から神奈川へ来たのも、そうだった


だから、試してみてもいい

今度はどっちになるんだろう
いろんな人に迷惑をかけてごめんなさい、って謝る私が残るか
私を助けられなかった、と悔やむ人々が残るか


私はどっちでもいい

って、少し本気で思った


そう思ってしまう今の状態が
あんまりよくないのも分かってる
分かってるから日記を書くことにした



もし、私が死んで、
私が死んだことで、泣いてくれる人がいるとして、

それを、死んだ私は、空から見れるとして、
その人々を見たとき、
私の心は満たされるのかな

ああ、よかった
死んでよかった、ってなるのかな

その満たされた感覚が、今ほしい


その感覚がある場所が
「自分の居場所」だと思ってきたから



だけど、その感覚は
永遠に続くものじゃないんだ、って
書いてて感じた

一瞬でしか味わえない感覚だ



たとえば、
最近よく想像することなんだけど、
大きな地震が来て、津波が来て、
私の会社だけが海に近いから、津波に襲われて、
その時、出来るだけ携帯は持っていたいけど
きっと繋がらないから使い物にはならなくて
仕事だけの付き合いの人たちと
津波が来るのを待っているとき

私は一番誰に会いたくて、
誰に何を伝えたいんだろう?

妄想の中での私は
誰にでもいいから
言葉を残したいって思った

「私は大丈夫だよ。
もし私が死んでも、私は今まで幸せだったから絶対後悔しないで。
ありがとう。」

その言葉を、私のことを知っているみんなに広まってくれれば
それでいいって思った
できればこの日記も、みんなに伝わればいいんだけど
なかなか難しそう
私のパソコンのブックマークを見れば入ってるから
誰かが気づいてくれるといいんだけどね


でも実際、そんなときになったら

私は醜いから、
職場の人たちみんなが死んでもいいから
生き残りたい、って思うかもしれない



震災から4ヶ月が経って、
最近は、一般人が撮影した津波の映像がアップロードされている
それを見ていると、
津波の速さ、目の前で人が飲み込まれていく恐怖、
っていうのがリアルに伝わってくる

だけど、所詮、私は関係ない人間

目の前で家族が流された絶望感、空虚感、
そういうの全然分からない

想像しか、できないんだから





私は私が死んだときのことをよく考えるけど
他人が死んだときのことはあまり考えない

大切な人がいなくなってしまう悲しみを
今から想像してしまうと耐えられないから


お母さんの死には、いつか絶対出くわすだろう
最近それが、目に見えて分かってきた

いままで強かったお母さんが
定年が近くなっている

どんどん体調にも変化が現れて
いつのまにか老眼にもなっていて

お母さんの衰えが、目に見えて分かるのが怖い


お母さんのこと大好きだから、
その衰えの間も
一緒に居てあげられないのがつらい

会うたびに衰えているお母さんがつらい

だけどそれが現実



そして私には時間がある

津波とは、違って




私が死ぬのは簡単だ
死ぬのを想像するのも簡単だ
そしてそこに恐怖はない
死にたい、って思ったときには恐怖はない


だから簡単に死にたい、って言える
居場所がない、って言える


ここにいる意味なんて探しても仕方がないのに
その「仕方がない」って言い訳じゃないの?
なんて、今も考えてる


とりあえず自分に言い聞かせる何かがほしい
そうしないと、立っていられない

もうこれ以上、歩いていけない


なんて、甘えなのかな





自分が生きていくことに必死で
誰かを傷つけてばかり

私の影を負わせて
人を陥れている


本当は私のことなんて忘れていいよ、って
言ってあげたいのに言えない



自分が傷つくことも、怖いから



人を傷つけるっていうのは、なんて簡単なんだろう
言葉って、なんて鋭いんだろう


私はどうしてすぐに、傷つけてしまうのだろう

そんな私を、みんなが嫌がるのも当たり前だ






考えがまとまらない

3時までパソコンしてたのなんて、久しぶりだわ



明日起きたら、この不安定な気持ちも
なくなってるかな


明日の晩御飯はニラがいっぱいあるから
チヂミパーテイーにしようかな、なんて

そういう日常のことばかり毎日考えて
必死に生きていればいいのかな

そしたら変なこと考えないですむのに


だけど、本当に考えないでいいのかな



答えがでないね



2011年07月23日(土)

結局は今のままでいいや

まだ関わりたい、って思っているのは私だけで
みんなはとっくに私の存在なんて忘れてた

家で久しぶりにゆっくりネットが出来る、って思って
パソコン立ち上げても、
何もやることが出てこないんだ

昔はもっとパソコンって、
心が踊るような、楽しいものだったのに
今は、一緒に踊ってくれる人がいないんだ

久しぶりに音楽をランダムに聞きながら
それぞれの曲に詰まった思い出で
どんどんと辛くなっていくんだ
だからもう聞きたくない、とも言えるんだけど
その感情は、
あのとき感じた感情そのままで、
ずっと、とっておきたいんだ


みんなもう私のこと忘れてるんだ、
っていうのは
前々から知ってたし
この日記にもよく書いてたのに
たまにもう一度現実を目の当たりにするたびに

ああ、、、って項垂れる

別に、なにも変わらないのに

っていうか多分、
社会人になってからパソコンで音楽を聴く時間が減って
久々にその状況になったら
絶対パソコンをよく使っていた昔を思い出す、って
いうだけなんだけどね

そのたびにこうやって項垂れてて
相変わらずめんどくさいやつです




同い年のみんなが、どんどん25歳になる

25歳って何?
おかしい

昔見ていた25歳は
こんな子供じゃなかった

もっともっと大人だった

25歳って、四捨五入すれば三十路だね、なんて
馬鹿にしてた年齢だったはず

こうやってこのまま、どんどん年をとっていくのに
中身は変わらないままで
私、本当に大丈夫なのかな

私、本当に笑えてるのかな



過去が懐かしくなるのは当たり前?
みんなもそんな感情ある?

私が、過去に縋りすぎなのか
現在に、縋れるものがないだけなのか



いつも、いろんなものを同時に大切にするっていうことが出来ない



過去をうらやましがってもどうにもならないんだけど
なんか書かずにはいられなかった

どうやったら過去を思い出さないでいられる?
どうやったら今を誇れるようになれる?

別に、今が嫌いなわけじゃない


ああ、だめだ、完全に美化してるだけなんだ


心が満たされる何か、がほしい
それがたくさんあった過去が、ほしい

それだけだな


ないものねだりなだけだ



ああ、今日は何が書きたいのか分からないけど

なんか、とりあえず何でもいいから書きたかった

今の気持ちを吐き出したかった





ああ、
いつも逃げてばっかで
いつも過去ばっかり見て
今を最高にできなくて
明日を望むこともできなくて
同じ毎日を繰り返すことに必死で
屁理屈ばっかりこねて
自分の気持ちなんてちっぽけで

自分の存在なんてちっぽけで

認めてほしい、と嘆く割に
なにも認められることは出来てない

私は弱いんだ、と叫んでおいて
助けられるとプライドが傷つく


どうしてほしいんだろう、私は

って考えるあたりに問題がある

とりあえずは
「どうしてあげたいんだろう」
って考えられる自分になりたいのに


自分本位
自己中心的

分かってはいるんだ


自分では性格はいいほうだと思ってる
だけど、分かってる
それは自分を守るための思い込みだ

私の性格はとても悪い
だから友達もできないわけで


私はいつまでたっても、誰かの支えには到底なれない

自分の支えばかりを探して文句ばかり述べている


ありがとう、っていう言葉を軽々しく使えるようになった
本当に感謝してるのか?
って疑問も抱かなくなった


ありがとう、っていうときに
どうしてありがとうっていう必要があるのか
ゆっくり考えていかなきゃいけない

私は薄っぺらい人間にはなりたくない
もうすでになってるのは分かってて言う






こんな日記を書けば
いつか誰かが私を思い出してくれるんじゃないかって
心のどこかで思ってる

この日記を読んでくれた誰かが
私のことをまた心のどこかに置いてくれて
私のことを片隅で想ってくれるじゃないかって
そんな淡い期待があって
いつもこういう日記を書いている

言葉にしてしまえばなんて浅い考えなんだろう



私はいつも片隅にみんながいるよ
なんでか分からないけど
そんな毎日

思い出の音楽を聴いたら思い出すし
同じ名前の人を見かけたら思い出す
すんでいる地名を見ても思い出すし
何かをきっかけによく思い出す



私が持っている何かを
みんなに持っていてほしくて

ただそれは
みんなにとっては必要のないもので


ああ、もう、よくわかんない


頭では分かってる

みんなもう私のことを思い出さない
思い出す必要性もない

私もいつか、もしかしたら、同じように
前を向いて歩く日がくるかもしれない

そういうときに、足枷になるから
みんなは捨てていったのかもしれない

捨てるって言い方はなんかだめだな

私って、根本から自分を被害者にしようとしてるんだな
って、言葉選びをしながら思った


ああ、うん、まぁ
結論はさ、
このままでいい

このままでいいよ



私は過去を思い出すし
今も大切にできる

みんなはもしかしたら片隅で私のこと覚えているかもしれないし
もしかしたらふと思い出してくれたりするかもしれない

完全に忘れていたとしても、

うん、
このままでいいんだよ



これが現実で
これを受け入れるっていうのが
なんていうかなぁ

大人になるっていうのかなぁ


、、、なんて




前に進まなきゃいけない
っていいながら
なんとなく自分は前に進めているんじゃないかなって思う
ただ進んでいる自覚はなくて
後ろを振り返ったときに
今まで歩いてきた道が見えて

「あ、ちょっと進んでるかも」

って思えて


だからこそ過去を見ることは大事で



ね、

やっぱりなにいってんのかわかんない

ぐちゃぐちゃ


それでいいや今日の日記は


こういう日記が書きたかった


わけわかんない私の頭の中
読み直さないで投稿する

あとで恥ずかしすぎて死にたくなっても
何も考えずに出た言葉を受け入れるべし



がんばろう



2011年07月15日(金)

ここにいないだれか

写真を整理して、ふと思い出した

私はおばあちゃんの死をきっかけにして、
前以上に、人の写真を撮るようになったんだって



昔から写真を撮ることが好きだった
なんで好きだったのかは覚えていないけど
無意味な写真をたくさん撮っていた

昔はフィルムだったから
現像にお金がかかって怒られた

高校の時は、インスタントカメラが流行った
だけどあの時撮った写真は
一枚も見つけられなかった
撮ることに満足して、
ちゃんと現像しなかったか、保存しなかったらしい

自分で初めてデジタルカメラを買ったのは
多分、海外に初めて行く時だった

19歳のときだったかな

それまで写真を撮ることが好きだったのに、
なんで自分でデジカメを買わないでいられたのかは
あんまり記憶がない

でも、遠い記憶の中でかすかに残っている事項が正しければ、
私がカメラに興味を持ったのは
お姉ちゃんが、親にカメラをねだっていたのを聞いてからだったと思う

だから多分、私も何かにお祝いにカメラを買ってもらったような気がする





ある日、おばあちゃんが突然、
前触れもなく死んだ

喪主のおじさんは、一生懸命、遺影に使う写真を探したらしい

それを聞いてからだ

あ、おばあちゃんの写真、残せなかった
って、気づいたのは


ただ、何故か奇跡的に、
おばあちゃんが死んじゃう前の年末に、
婚約者(当時はただの恋人)を連れて行った

ばあちゃんが死んじゃった、って
婚約者に話すときに
ああ、この人はばあちゃんに会ったことがある人で、
頭の中で同じ人を思い描くことが出来るんだ、
っていう事実になんとなく感動した

そして、婚約者を連れて行ったときに、
なんの流れだったか忘れたけど
多分、彼がそう言ってくれたんだろうけど、
みんなで集合写真を撮った

じいちゃん、ばあちゃん、
おかあさん、ねえちゃん、めいっこ、
おじさん、おばさん、いとこ

私の中でこの集合写真は
すごく特別なものになった

おばあちゃんの葬式が終わって
集合写真を改めて見て

これからは、人も撮っていこう

と決めた



写真を撮るのはもともと好きだったけど
今では違う意味もある

昔から、その一瞬を切り抜きたいって気持ちはあったけど、
今は、その時間を残したい


だれかに、

これが私のおばあちゃんだよ、って
知ってもらいたい


おばあちゃんとおじいちゃんに、会いたい

2011年07月10日(日)

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