蛍桜

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私は、知らない

4月20日夜、おばあちゃんが亡くなりました。

今の気持ちを忘れないために、書きたいと思う。

ってか、「亡くなった」ってなんかおかしくない?
私的には「死んじゃった」がいいんだけど。
電話をかけてきた姉ちゃんは「亡くなった」って言ってた。

「亡くなった」だと他人行儀な感じで嫌なんだよね。
どうでもいいことだけど。

とか、告別式の間ずっと考えてたけど
おばあちゃんを尊敬していたし、そういう意味では「亡くなった」でいいのかも。

まあ、19時何十分かに亡くなったらしいんだけど
姉ちゃんから電話かかってきたのが20時11分。
晩御飯作ってる最中でした。

多分姉ちゃんはいろんな人に連絡してたんだと思う。
お母さんは動転してただろうし、姉ちゃんも私に電話かけてきたときもまだ泣いてた。
で、電話で「亡くなった」と聞いた私は、全く泣けなかった。

言っちゃえば、死ぬのはばあちゃんよりじいちゃんが先だと思ってた。
そろそろかな?とは思ってたけど、あんまり実感してなかった。
GWには帰る予定で、会いに行くつもりだった。
普通、誰かが死ぬ時って何か嫌な予感とかするんじゃないの?
4月20日、私は普通の毎日だった。
姉ちゃんから電話かかってきたときも、GWの話だと思ってた。
でも、違った。

なんだかんだでよく分からないし、実感も沸かないから
仕事もあるし、帰るつもりはなかった。
ばあちゃんに会ったことのある彼にも
GWにばあちゃんの家行くまで内緒にしておこうかと思った。
どうせGWに帰るんだし、いいんだろ、って気持ちが大きかった。

でも結局行くことになって、通夜は行けなかったけど
仕事を全部片付けて夜行バスで香川に帰った。

バスを降りると、一緒にバスを降りたおばあさんに話しかけられた。
おばあちゃんのこと、考えてしまって、必要以上に優しく会話した。

真ん中の姉ちゃんに迎えに来てもらって、スーツに着替えて
ばあちゃんの家へ行った。
姪が可愛かった。
ばあちゃんに会った。化粧してた。

私の中のばあちゃんは、そんなんじゃなかった。
畑仕事してたから、色も濃かったし、しわくちゃだったし化粧なんて全くしないし
本当にこればあちゃん?って感じで。
だけど、棺桶の中にいるおばあちゃんをちょっと見ただけで
涙が出そうになって、目をそらしてしまった。
叔母さんが「ばあちゃんの顔ちゃんと見た?」って聞いてきたから
笑顔で、「見たよ」って言ったけど、多分半泣きだったと思う。

死体って腐らないのかなぁ、って考えを巡らせながら
じいちゃんにかける言葉もなく。

告別式では、久しぶりに集まったいとこたちを見て、
じいちゃんとばあちゃんの二人から
こんなにたくさんの人生が生まれたんだって考えると
改めて二人はすごいな、って思った。
ばあちゃんは曾孫ができたことを喜んでいたから
曾孫たちが元気に駆け回ってる姿を見て、私もうれしくなった。
おばあちゃんの棺にお花を添えて、泣いているみんなの姿を見て、
弔辞の言葉を述べる叔父さんが涙をこらえているのを見て、
少しだけ、改めて実感した。

ばあちゃんを火葬する前に、最後に顔を見たときも悲しくなったけど
最後のばあちゃんの顔を必死にみているじいちゃんを見て悲しくなったけど
一番悲しかったのは、ばあちゃんを焼く瞬間。

じいちゃんが火をつけるボタンを押して、泣き崩れたのを見て
みんな、泣いた。

だって、もしかしたら生きてたかもしれないし。
焼いたら熱いじゃん?
あの顔もう見れないし。
本当にそれが最後になっちゃうし。

私がもっと大人になってなければあの時に「いやだ」と叫んで止めれたのかなぁ。

ばあちゃんの姿がなくなって、骨になって出てきた時は
また実感がなくなった。
ばあちゃんの顔がもうない。意味わかんない。
全然わかんない。

骨を壺に運んだけど、意味わかんない。

でもちょっと嬉しかったのは、ばあちゃんの法名に「英」が入ってたこと。

みんなに言っても、「で?」って言われたけどさ
嬉しかったんだよ。自分の名前の一部が入ってたことが。
繋がりがあるようで。

じいちゃんは、これからどうするんだろう。
元気に生きよう、って思えるのかな?

お母さんは、どんな気持ちなんだろう。
そりゃ悲しいに決まってるけど、私にできることってなんだろう。

GWには
もうばあちゃんはいないけど、ばあちゃんの居たあの家に行きたいな。



家に帰ってきてから、年末年始にじいちゃんばあちゃんと撮った集合写真を見た。
もちつきの時のばあちゃんを見た。
不思議だなー。
普段、集合写真なんて撮らないのになんで撮ったんだろう?
あの時、ばあちゃんは「私は入らないよ」と嫌がったけど
最終的には入ってくれて撮れたのはなんでだったんだろう?

私が告別式に行こうと思えたのはなんでだろう?
いとこが一人もかけることなく集まれたのはなんでだろう?
私みたいに「実感わかないし仕事があるから行かない」って人が
いなかったことがすごいなーって。

ばあちゃんのことは好きだったけど
ゆっくり話したことはなかったな。

初七日で来てくれたお坊さん?おじゅっさん?が
ばあちゃんが亡くなったって聞いて動揺したって言ってた。
ばあちゃんは先祖を大切にして、よくお経呼んでたから
おじゅっさんもよく来てもらってたから顔見知りだったみたいで。

私はおじゅっさんのこと全く知らないけど
おじゅっさんが語るおばあちゃんは、私の知ってるおばあちゃんだったことがうれしくて。

みんなに好かれていたおばあちゃんがやっぱり私も好きだった。

でもおばあちゃんが好きだったものってなんだろう?
私は全然知らない。

おばあちゃんの骨の前で手を合わせたけど
手を合わせることでばあちゃんに気持ちが通じるなんて思えない。
ばあちゃんは今まで言葉で気持ちを伝えていたのに
拝むことで気持ちが通じるんだろうか?
そんな遠い人になっちゃった?そんな架空のものになっちゃった?

ばあちゃんが今どこにいるのか、分からないけど
手を合わせるのはなんか違うと思うけど

それ以外の方法を、私は知らない。

2009年04月24日(金)

人と書いて嘘と読む

結局のところ、最近の私は
不幸ぶる自分を見たくなくて
「自分は大人になった」「強くなった」と思っていた
それは間違いでもないし、悪かったわけでもないけど

なんだかそんな自分、つまんないなぁって気づいた

気持ちを制御することも、前より容易くなって
人の事情も、飲みこめるようになって
理不尽な世の中も、受け止めれるようになって

いつまでも自分の影を嫌いで居て





本当に、「今不幸?」って聞かれたら「全然不幸じゃない」って
心から答えることができるけど
もしかしたら誰かは私が不幸であることを望んでいたのかもしれない

「今幸せ?」って聞かれたら「分からない」と答えるけど
「幸せ」って言葉はもったいなすぎて使えないだけかもしれない

通勤路を歩いていて、少し不思議になる
今まで知らなかった道
1年前に知った道
1年間通った道

今はもう、当たり前になっている道

記憶は、同じ場面を数十回も残してはくれない
たとえば、365回あの道を歩いていたとしても
私の頭の中に残っている記憶は365回をごちゃまぜにした数回だけだ

その365が増えていくたびに
私の記憶はごちゃまぜになって、曖昧になって、そして当たり前になる
いちいち全部を覚えておく必要のない事柄になる

人は何度も経験したことを、そのうち飛ばしてしまう
同じ道を毎日歩いてれば、気がつけばその道を通り過ぎていたりする
多分、記憶を蓄積しすぎると混乱するからだと思うし
同じ記憶は数十個も必要ないからだとも思うけど

そうやって削られていった記憶たちにもう出会えないことが悲しい

そうやって私の頭の中から消えてしまっている言葉や
人々がいるかもしれない、ということが悲しい

そうやって誰かの頭の中から私が消えてしまっているのかもしれない
ということが悲しい




もしかしたら私は不幸ぶりすぎて
記憶の中の不幸ぶってる私が多すぎたから
今はもう全部、飛ばされているのかもしれない




ああもうなんせ、昔の日記を読んでると恥ずかしいよ
懐かしいとも思うし、あの感情を思い出したりもするし
ああいう感情表現が出来た自分がうらやましいとも思うけど
なんにせよ、すみませんでした

みんなに迷惑もかけたし
傷つけたりもしただろうし

まあ抽象的な言葉ばかり書いてたので
当人じゃない人たちも間接的に傷ついたかもしれないし

だけどなんにせよ、あの綴った言葉たちは本物だろうし
あの時の私も本物なんだろうなって思うし

だけど恥ずかしいのはなくならないし
ほんとあんな私に付き合ってくれてた人たちには感謝だし

「今誰もいない」って言ってる私だけど
そういう不幸ぶってる感じ?もちょっと気持ち悪いし
誰もいないわけじゃなくて、正直にいえば
居てほしい人が居なくなってるな、って思って

そう、私はそういう直接的な言葉が綴りたいのに
どうしても、包み隠そうとして結局は誰にも伝わらないんだと思う

「今誰もいない」にせよ、誰かが居るにせよ
結局私はもっとうまく人間関係を築いていくべきだと思うし
それがまだまだ出来てないから一人ぼっちなんだろうし
(一人ぼっちという表現はここでは正しくないけど)
相変わらず人見知りで、仕事以外の初対面の人とは本当に話せないし
人間的魅力もないし、仕事は一生懸命頑張るけど
認めてもらいたい、って思っても
どこかであきらめてる自分もいるし

なんか世の中結局、人間的魅力がある人が有利で
いくら頑張って仕事しても、いくら仕事が出来ても
人間が出来てるほうが重要で

だからこそ、私は人間的魅力がほしいと思うけど

だからこそ、人間的魅力がない自分を実感してしまって

だからこそ、やっぱり人間的魅力がないから
「みんながいない」っていう結論になるんだと思う

そこでずっと悩んでいても答えは出ないから
やっぱり自分を磨くしかないんだと思う

でもどうやって?
まだ分かってないよ

2009年04月07日(火)

君は君を守れるかな

あの時の気持ちを思い出したんだ
だけどそれを形にすることはもう出来なかったんだ
それが現実だったかさえも曖昧になってきて
幸せな夢を見ていたんじゃないかとさえ思えたんだ
だけどそれが夢ならばあまりにもうまくいかないことだらけで
もっとスムーズに全てがうまくいけばよかったのにと願ってしまうよ

なんのために遠回りしたのか答えが見つけ出せないんだ
だけど、答えがなくたって
あの時間が無駄なんかじゃなかったってことは容易に分かるよ
この先どういう風にその記憶が渦巻くか予想もつかないけど
自分の中にまた色が増えたことはただ単純に嬉しいよ

もしまた歩けなくなっても、歩きたくなくなっても
それはその時考えればいいことで
たとえそうなったとしても、誰かを恨むようなことはしたくないから
今まで選んできたことには意味があるし
失ってきたものには私にはもったいなかったんだと思うから
いつか、また、手に入るように
それに見合うような人間になれたらいいな、と漠然と思考を巡らすんだ
巡らすだけで、実際何をしたらいいかなんて分からないけど
そんなの、誰も教えちゃくれないから自分で考えるしかなくて
だけど自分で考えてたらキリがないから
とりあえず今は、否定をせずに生きていきたいと思う

繋いでいた手が離れる瞬間は、今思い出しても切なすぎるけど
誰が見たって分からなかった絆を、誇りを持って信じれたことが
何よりも一番幸せだったと思う

あの頃に戻りたいという気持ちが全くないわけでもないけど
いくら振り出しに戻ろうとしたって、出来なかったっていうのが現実で
もうあんなに笑えないし、泣けない
これを大人になったというのなら、そうだと思うし
それさえも受け入れて歩いて行けたらいいなと思うけど

感情を露わにしていたあの頃の自分を思い出すと
少しだけうらやましいなぁと感じるよ
あんなの若気の至りなんだけどさ

今そのままこの歳になってたら、友達なんて出来ないんだろうなって
考えてみたけど、今言うほど友達なんていないから
どっちだって一緒なんだろうなって思った
どっちかというと、あの頃のほうが、傍にいてくれる人は多かった

数じゃなくて、質だけど
その質さえ、あの頃のほうが上だった

もちろん今だって傍にいてくれる人はちゃんといるけど
たまに、見失ってしまうだけ

みんな、距離が遠い
2009年04月05日(日)

Cuz I wanna be with you

私は、闇に帰ったわけじゃないよ

あなたは確かに私の手を取ることをやめたけど
その全ての原因が、あなたにあるって思ってるわけじゃない
あの時のあなたの気持ちが、どれほど深くて、どれほど遠かったか
今じゃもう思い出せないけど
思い出の中のあなたは、いつも私を見てくれていたから

ありがとう

私は、あなたが思っているほど弱くないよ
強くないって見抜いてくれたあなただったけど
あなたと出会うことで、共に歩くことで、言葉を交わすことで
強くなれたし、あなたと離れてから、また強くなった

もちろん辛い時だって悲しい時だって卑屈になるときだってあるし
そういうときにあなたが傍にいてくれないのは悲しいけど
そんな毎日にも、もうずっと前に慣れたよ
電話しようにも電話出来ないし
メールしようにもメルアド知らないし
そういう状況が、きっと私を諦めさせてくれた
だから、もう今更もう一度繋がったって
私は前みたいに甘えて助けを求めたりは出来ない
それがもう「当たり前」じゃないから
前みたいにぬくもりを求めることが出来ないんだ
あの時あった絆は消えていないけど
その絆を信じていた「私」が消えたんだと思う

だけど今でもまだ思い出すから
あなたはもう忘れてしまったかもしれないけど
私は、思い出すから

桜の木の下で、二人で話したこと
洞窟の中で、二人の時間を共有したこと
闘技場で、再会した日のこと

初めて行く駅で迷子になって
なかなか会えなかったこと
横を通り過ぎた時、すぐに気づいたけど、怖くて声をかけられなかったこと
駅からバスに乗って、降りる場所が分からなくて
最後まで行ってしまったこと
二人で自転車に乗って、学校へ行ったこと
グラウンドの真ん中で暗闇を吸い込んだこと
ホラービデオを見せられて泣いたこと
あなたがいない時間に散歩した道のこと

なんかもう、全てが遠くて、決して手に入らないものだけど
なんでそれが今、ないのだろうって悔しくなるけど
あなたが足枷のない状態で歩けているのなら
私は、それが一番良かったと思う

この前の誕生日も、覚えていたけど何も言えなかった
もしかしたらメルアド変えられてるかも、っていう恐怖もあったし
今更私が祝っても、意味がない気がしたから
何歳になったんだろう、って考えないようにしてた
だけど、今日この日記を書いたのは
あなたの言葉に、久々に触れたから
ほんとに馬鹿でガキでうそつきでわけわからんやつだったけど
言葉はいつもまっすぐで、私に突き刺さっていたから
きっと今は、あんな感情にはもうなれないだろうけど
今でも、いないのが寂しい

誕生日おめでと
計算してみたら、びっくりした
もうそんな年?ありえなくね?

通りで私はおばさんになっているわけで
そろそろいい加減ちゃんと化粧しようと思います


泣いてる心ばかりを、隠したがってるふりをして
助けを求めていたころの私とはもう違う

私の弱い部分を、知ってくれている人が居ることが
幸せだったっていうことにようやく最近気づいて

ようやく気付いたからこそ、今誰もいない現実に
自分が犯してきた過ちを知った

私は誰も幸せにしてあげられなかった
一緒にいることで、ずっと足を引っ張っていたんだよね
思い出を埋める場所だけ一生懸命奪って
今はもう繋がっていないなんて、酷過ぎるでしょ
私は続ける努力なんて、きっとしていなかったんだろうね
私のことを、思い出してくれる人がいてくれるなら
それだけでも充分嬉しいけど
私はいろんな人のことを思い出すたびに
それだけじゃ足りない、って嘆くの

どうして?なんで?

別に、問いたいことがあるわけじゃないと思う
でも、ずっと疑問しか頭に浮かばなくて

どうして?なんで?誰もいないの?

きっと原因は自分にあるのに、都合よく忘れてるんだ

私に関わりたくないと、去って行った人も居るし
去って行ったわけじゃないけど、関わってちゃダメだって
距離を置いて行った人も居る
私はそういう人たちを引きとめるつもりもないし
その選択が正しいんだって思うけど

もっともっと、誰かを幸せに出来るように
一瞬だけじゃなく、ずっと一緒に居たいと思ってもらえるように
自分を磨いて、人間性を磨いて、頑張りたいなって

思うんだけど…やっぱ無理

やっぱり、誰かが居なくなるのは辛くて寂しいから
そして傷つけてしまったことに、罪悪感を感じるから
知らないうちに、臆病になってる
だけど臆病になってるだけじゃ生きていけないから
それなりの回避法を見つけるわけで
その回避法じゃ、私のほしいものは見つからない

私が選んだのは、人に踏みこまないようにする、ということであって
決して、誰かとの絆を築いているわけじゃない
深い絆を築くのも怖いし
怖いというか、自分の性格の悪さを知ってるから
それを教えちゃ終わりだって気づいてるから
いつまでも猫を被っているわけなんだけど

だからこそきっと、過去に築いた絆を思い出しては悔しくなるし
同時に、愛しく懐かしくなるんだと思う

そんな生き方だから、そりゃ周りに誰もいないけど
私はこのやり方でしか、やっていけないから
どうにか頑張るしかないんだよなぁ


というか、今の私には
あの頃の私に以上に
価値がないんだなぁと気づいてしまった

廃れてしまった
戻れない

やだ
変わる、って、やだ

怖くなった
このままどんどんと価値がなくなっている自分を
見つめ続けていく自信がなくなってきた


やだ

2009年04月04日(土)

同じ色の明日が来ても違う僕に



ねぇ、もう桜が咲いたよ?




見なくていい夢を見たけど
見れてちょっとよかったと思うんだ

今年も桜の季節になったけど
いつも通りの感情に包まれたけど
それでいいと思うんだ



咲いたよ


2009年04月02日(木)

だから自分だけが可愛いの?

自分に似ているからあの人の行動に嫌悪感を抱くのだと思ってた
だけど自分で言うのもなんだけど、私はあそこまでひどくなかったよ

自分がその立場になってみないと分からないの?
考えることはできたんじゃないの?

相手がつらい、と思っていたこと
今まで軽く見てたの?
実際自分がその立場になった時、つらいと感じて気づくの?
その立場になって気付いたとしても
「相手も今までそうだったんだ…」ってならないの?
今までどれだけ無碍にしてきたか分からないの?
今回は自分がその立場だから、つらいな、って何それ。
甘えてんの?ばかにしてんの?
今まで頑張ってきた相手のこと分かってないの?
自分がその立場になったときだけつらさを強調するの?

社会人のつらさは社会人にならないと分からないってよくいうけど
だったら学生の時には社会人に向かって何の配慮もしなくていいの?
「もっと私の相手をして」「放置しないで」
「本当は時間あるんでしょ」って
それだけ言ってればかわいいの?若いからいいの?
「お仕事お疲れ様」って言えないの?
少なくとも私は言ってたよ

ちょっと前にも、嫌悪感というか、対抗心を抱いていた自分がバカらしく思えたけど
今はただもうイライラするだけで人間として見たくない

成長するとしても、私は立ち会いたくもないし
二度と名前も聞きたくないよ

悩んでいるとしても、悩みを聞いてほしいと言ってきても
真剣に私が答えても全部否定するんでしょう?

自分の過去の不幸を初対面の相手に話すんでしょう?
何を言わせたいの?かわいそうな子って思ってほしいの?
そうすることでみんな自分のこと好きになるとでも思ってるの?

ごめん、私はちょっと思ってた
初対面の人にはさすがに言わなかったけど
自分の不幸を少し人に話すだけで
自分が乗り越えてきたことを人に話すだけで
頑張ってきた私を認めてくれると思ってた

とにかく、今また「相手のつらさ」を体験してるところだと思うけど
それを「自分だけのつらさ」と認識しないでほしいし
そういう報告もしないでほしい

2009年04月01日(水)

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