蛍桜

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放浪癖

最近なんだか気持ち的に忙しかった
でも考えてみれば体的にすごく暇人

仕事は11月末でおしまいでした
人間関係がすっごくいやになって
辞める宣言にまで至って
でもちょっと金銭的な部分を考えたり
流されたりした結果アルバイトでやってましたが
本当に終わった…はず

終わりごろには人間関係も気にならなかった
毎日会わなくていいっていうのがやっぱり一番大きい
いい職場の人たちでした

そんなこんなで大会終わった後に
次のお仕事の話がいくつか舞い込んできまして
結局2つ迷ってた
で、まぁ、いろいろ言いだしたらキリがないけど
片方はチャンスは今だけだな、と感じて
もう片方は、もうひとつが落ちても拾ってくれる、と
勝手に過信して、前者を選びました
まだ面接とかまでこぎつけていないものの
一応、紹介っていうルートで行くから
落ちる可能性は少ないんだろうな、とか思ってみる

で、実際その会社に入社出来たとしたら
結構精神的負担は多くなりそうで
今のところ、それに耐えられなくなって辞めるんじゃないかっていう
自分の短気さが心配
まあその時は拾ってもらえると過信しt(ry

ずっと私がやりたかった仕事
いや、WEBデザイナーもずっとやりたかったけどね
今回はちょっと系統の違う
「叶わないだろうけどやってみたい職種」って
感じで考えていたお仕事のチャンスがあったので驚いてる

まあ言ってしまえば「SE」と「指導員兼教員」の仕事の話を
頂いているわけです、はい

どちらも自分の経験したことのない部類で結構迷った
珍しくSNSでもつらつらと文章書いてしまった

ま、でもどうにかなるっていうのが持論ですから
どうにかなってくれることを祈る





年末は放浪に出かけることにした
車でいろんなところに出没する予定
一人ではないので誰にも声かけてないですがね
五輪で知り合った人と行ってきます

そいや国際大会のときにたくさん外国人からもらったお土産を
置く場所がなかったので部屋の隅っこに
「技能五輪スペース」を作ってみた
今まで撮ったメダル置いて
国際大会の最後に撮ってもらった写真が届いたら飾って
小学生が作ってくれた金メダルを飾って
いつでも思い出に浸れるようになった

ほんま全国大会のときは適当だったし
そこまで記憶に残らなかったけど
国際大会は半端ないくらい記憶に残って
自分の身になったと思う

もっともっと、静岡に居たかったな




しかし私が他人とじゃれあっているのは似合わないらしい
まあそうですよね



次の仕事が始まるのが遅くても1月だと思うから
12月中はフリーターとして満喫するつもり

仕事はじめたら放浪できないのが悲しいな…

2007年11月29日(木)

ここが終着地点だと思っていたのに

そういえば大会終わってから
日記を書いていなかったということを思い出して
書き出してみる罠

とりあえずメダルは取れなくて
静岡での人間関係もうざかったけど
なんかよくわからないけど最終日には
今一緒にいるメンバーがすごく居心地よくて
こういうのが友達っていうのかなーとか
いまさらながらに考えていて

現実的に考えてみれば大会が終わってしばらくすれば
その友情もそのうちなくなっていくんだろうけど
今は大会終わった直後なわけで
そんなこと考えていても仕方がないので
旅行の計画を立てよう、とか騒いでる


閉会式では泣くつもりがなかったのに
悔しい、というよりは虚しくて泣けてきて
ああ、私も何かしらの思い入れが
この大会にあったんだなと確認出来てうれしかった



さってっと

やっかいな私がやってまいりましたよ
ダメな部分の私がいらっしゃいました

そのおかげで、毎日がごちゃごちゃしてる

今回はちょっと頑張ったんだけど
ちょっとの頑張りじゃ私の性格は直らないらしい

書いて思ったけど以前もそんなこと言ってたかも



で、この日記を書いた理由っていうのは
気持ちを整理させるためっていうのが最大の理由なわけで

だけどお得意の文章も出てきやしない
あーちょっと今行き止まり

しばらく安心してたからヤバイ

自分の気持ちなんてもともとどこにもないに等しい
だったら何を基準に考えたらいいんだろう

あーなんか自分やめたい




迷ってるわけじゃない

用意された道は歩くだけ



そのうち私が見失ったもの
見えてくるかなぁ

2007年11月24日(土)

さばーあるへーろ
なんで私はここに居るんだろうと
改めて考えてしまえば
その答えはあまりにも単純すぎて
私がみんなと同じ場所に立つ理由としては
あまりにも軽すぎてる

みんなが感動の涙を流して
笑っている頃に
私は虚しくて泣いてる

自分を偽り過ぎた
頑張って笑うことは大切だし
頑張って愚痴を言わないことも大切だし
頑張って人に気を使うことも大切で

私はそれが普通だと思っていたからこなしていて

みんなしんどい状況だからこそ
笑っていること知っていたから
私もその一員として存在しようとしていて
だからこそ、ただ自分の不幸を嘆くだけの人や
不平等を訴える人には憤りも感じていて

自分に課せられたことは出来る限りこなして
不平等な立場に立たされても文句言わないようにして
その中でどれだけ頑張れるか自分を追いつめて
うまく出来なくてもへこまないように開き直って
誰かが辛いと言えば慰めて
誰もが辛い状況に居るんだから私も頑張ろうって
そうやって思っているふりしていたけど
実際は、私なんて全然辛くなくて
目標なんかもなくて
問題が解けなくてもへこむほど勉強していたわけでもなくて
メダル取れなくてもただの劣等感しかあふれてこなくて
競技が4日間終わっても充実感や達成感はなくて

閉会式には出たくないと思っていて




自分の不平等ばかり唱えて
愚痴ばっかり言って
辛いって泣いてばかりいて
少し頑張っただけで自分がすごいと称えて
与えられた環境にも文句ばかりを言う人が
メダルを取るのを見たくない



私、なんのために我慢してきたんだろ


空虚感が溢れる





みんなはここに、大きなパワーを注いだんだ
だから、きれいな涙が流せるんだ

それが見たくなくて
誰にも会わないように帰った
途中で会ってしまっても
うまく逃げた

大丈夫?って言われても
全然大丈夫って笑って言えてる

だけど、どうしたらいいんだろう
この孤独感

みんなといるのに、私はいない
やっぱり、違うんだ




日本代表だかなんだか知らないけど
ただの人間だもん





みんな、そう





+++

同じ職種のフランスの子がめっちゃ可愛くって
だけど、話しかけづらいオーラで
英語もしゃべれないから
(私もあっちも)
あんまり話しかけなかったんだけど
昨日と今日は少し話して
笑顔がめっちゃかわいくって
いい子で
怖いって遠ざけていたけど仲良くなりたくて
だけど、やっぱり近づけなくて
ちょっと損したなぁって

今回世界各国のいろんな人と会ったけど
これが最初で最後で
これから先はもう会わないって言うのが悲しい


ジャマイカの男の人がすごい目がきれいで
しかもしゃべり方がすごい優しくて
私より背は小さいけど、おちゃめな感じで
黒人さんってやっぱかっこよくて
朝食の時、アップルジュースついでくれた(ぁ
彼は私のメルアドを聞いてきたから
メールをくれるのかなぁ
yahooメールだと迷惑メールに分類されそう…



シンガポールだかどっかの人が
すごい日本人顔で
あ、タイプって思った(笑
ちょっとオタクが入ってる
どこにでもいそうな人
彼と話したかったけどやっぱり英語がしゃべれないのでやめた
英語しゃべれるようになりたいな




アラブの女の子は、黒いやつを被ってて
宗教がどこかも分からないから
うかつにネタも触れなくて
でも、よく話しかけてきてくれて
日本語もよく覚えて話してくれて
私が問題解けなかったって言ったら抱きしめてくれて
明日で最後ね、とか言って
最後に別れるときにまた抱きしめてくれた
明るくて、元気で、かわいい子で
アラブ系って怖いイメージだったけど偏見だなぁ





大会中覚えた言葉



アラブの子の言葉

サバーアルヘーロ
(おはよう)


フランスの言葉

ボンジューロ
(ボンジュールじゃ通じないぽい)
サバー?
(調子どう?)


韓国の言葉

サランヘヨ
(なんでこれ?w)



他いろいろ



あーなんで外人ってあんな綺麗なんだ


2007年11月17日(土)

おはよう
もうこっちに来て3日目が経って
すぐそこに現実がある
がんばれるかなー
まあやるしかないんだけど

開会式の入場行進のときや
小学校を訪問したとき
写真を頼まれたり
握手を求められたり
ああ、まるでスターだ、なんて感じたけど
実際は全くそんなことのないただの人間で

ただ周りがもてはやしているだけで

メダルなんて遠い話で
だけどみんなは信じてる
大きな、成果が表れることを

たくさんの人が笑って話しかけてきてくれて
それだけでプレッシャーになって
帰りたい、って泣いた日もあったけど
考えてみればまだ競技も始まってなく
勝負は、今日からなわけで
4日間の競技、そのあとの閉会式
やるしかない

パソコンに向かえば周りの世界は関係ない
私は秀でている人間ではないけれど
ただ偶然が重なってこの場にいるわけだけど
選ばれたのだから
ここにいるのだから
やるしかないから

自分との戦い、なんだよなーきっと

頑張ろうなんて言いたくないけど
他に言葉ないんだよね
私に力がないから
代わりにみんなに何かをしてあげたいっておもっても
私には何の技術もなかったんだよねぇ

こっちにきてから変わったこと
讃岐弁が少しなくなったこと
標準語に近くなってきた

でも私はまた香川に帰るから

それまで笑えてればいいなーと


富士山きれいだなーと

さ、やってこよ
2007年11月14日(水)

東京→静岡

11月11日

とりあえず何をしたのかあんまり覚えてないんだけども。。。

朝10時すぎに高松を出発
昼前に羽田に到着
待ち合わせている子から
着いたらメールしてね、と言われていたので
メールをしたら、品川に12時半集合と言われる
急いで地下鉄に乗ろうとして
違う電車だと気付く
なんとかあたりの電車に乗って12時半に目的地に着く
相手からなんの連絡もないので軽くぼけぇとする
時間を過ぎてから連絡がある
指定場所に来いと言われるが分からず
結局その場で待機
迎えに来てくれてそのままカラオケ行こうってことで
恵比寿で乗り換えて六本木
カラオケで1時間半
やっぱ他人と歌うの嫌いー…
そのあと、石の上でアイスを混ぜてくれるところに行く
寒いけどとりあえず頼む
店員さんが歌ってくれなかったけどおいしかった
そのあと渋谷の予定だったけど、行けないとか言われて
個人的にも別にどこでもよかったから新橋に行くことに
前に一度迷子になった地下と再会
知ってる場所に出ると嬉しいね
目当てのものがなくてうろちょろ
いっぱい歩いた
私はその間に白ネコの時計を見つけて衝動買い
あんたれす!!
どれくらい歩いたか覚えてないけど結局
大したものを買わずに蔵前(泊めてもらう家があるところ)に到着
なんかお酒とお菓子を買っておいてって言われたから購入
ダンボールに詰めて静岡のホテルに送る
しばらく家でまったりして飲み会の時間になったので
合流しながら御茶ノ水へ
待ち合わせ場所は新御茶ノ水なのに御茶ノ水
しかし何故かそこに集まるみんな
すぐ近くに新御茶ノ水があったらしい
とりあえず近くの居酒屋
初めは合コンのような人数配分だったけど
途中で大勢やってきて
なぜかその中の一人がフジテレビカメラマンも連れてきて
カメラを回されて悪酔いしてはしゃいで
とりあえず明日もあるし、ってことで早めに解散
今、泊めてもらう家に帰ってきてぼけぇっとしてる

なんか泊めてもらう家の人が「自分は大変だ」と言ってる
大変なのはみんな同じなんだと思う
でも多分、私もあんな感じで
自分が大変だ、なんて言ってるんだろうなって思う

そんなこんなで眠い

お互いお互いのことで必死

やっぱり人間と関わるのってめんどくさい
「泊まりにおいでよ」って言ってくれたから
お言葉に甘えて泊まりに来たのに
他の人にそのことを話す時
どうして「ホテル取らなかったみたいだから」とか言うの

つかれた

そんなもんだよね


彼女は、いっぱいしゃべる分、いろんな面が見える
裏表はないんだと思う
性格もいいんだと思う
だけど自分のことをよくしゃべるから
多少自己中に見えるんだろうな

どうにかしなくっちゃ
もっと広い心でみなくっちゃ

あの子はいい子だと、わかっているなら
こんなところで愚痴たれてる場合じゃないんだけどなあ

人間って全てをさらけ出していたら
キレイなものだと思っていたけど
結局全てをさらけ出しても
汚れていることは変わらないんだよね


あー明日もがんばろう


2007年11月11日(日)

にせもの

お父さんが生きている夢を見た


お母さんは死んでしまったのか
私は一人で暮らしていて
そこに姉がたまに様子を見にやってきていて
私はいつものように昼過ぎまで寝ていて
玄関のチャイムが鳴って
ちょうど家に来ていた姉が出てくれて
その姉が深刻な顔で私に
「お父さんが会いにきたけど」と伝えて

多分夢の中ではお父さんは死んだわけじゃなくて
家を出て行ったとかっていう設定で
会うのを拒否することも出来たけど
私は悩みもせずに、「会うよ」と告げて玄関に出た

そしたらそこにはお父さんじゃない若い男が居て
「あ、ちょっとまってね」なんて言う
若い男っていっても、私より全然年上で
だけどお父さんの年齢に比べたら全然若いっていう程度で
私は心の中でその男の存在を薄々理解していた

その男に手招きをされたお父さんが、私の前に歩いてきて
深刻な顔で、謝る
だけど私は憤りも感じなければ、情けも感じず
ああ、この人がお父さんなんだと理解するだけで
ただお父さんが連れてきた数人の男女を見るだけだった

お父さんは言う
これは俺の息子と娘だと

一番初めに見た、30くらいの男
高校生くらいの女
私と同い年くらいの男

この3人が、私や、お母さんの前から
姿を消した原因だと語る父を、ただ見ていた

私は思考を巡らせた
この人たちは、全く知らない人たちで
この事実を知らないまま、この男性と恋に落ちて
子供を産んだら、遺伝子異常の子供が生まれていたところだったのか
とか、母親が違う義理の兄弟たちを
私は自分の「何」として受け止めたらいいのだろうか、とか
適当に無意味に考えていることしかできなくて

後ろを振り返れば
明らかに嫌悪の顔で見る姉の姿があって

姉にとって父は、本当の父ではないから、
私と同じ感情なんて決して抱けるはずもなくて
今の私の感情の名前を聞こうとしても、それは無意味なことだった

父は言う
別に帰ってきたわけじゃないんだ、と
理由を話しておきたかっただけなんだ、と

私は笑いもしなかった
父が居ても、居なくても、私には関係ないんだ
父が死んでいても、生きていても、
私にはなんの関係もないんだ

だって玄関に立っている父と名乗るその男は
血が繋がっていたとしても
私にとっては父なんかじゃなかったから

そうやって考えてみると
私が知っている父の顔と
その男の顔は全く違う風に見えた



ばいばい、ばいばい、

あんたの温もりなんか、初めから求めちゃいなかった
私の記憶を、汚さないで


2007年11月08日(木)

あと6日

何に向かって今まで進んできたのか
何のためにここに立っているのか
そして、それが未来にどう組み込まれていくのか
疑問を唱えればきりがなくて
行き先を失ったと嘆けば簡単で
だけど本当は、もうこれ以上歩きたくないって泣いてるだけで

必死に走ってたわけじゃない
何度も何度も寄り道して
そこから動け出せないこともあって
とりあえずちょっとは進まなきゃいけないって
心の中で思っていても
私には道の先で待っているものが見えなかった

きっとみんなには見えていたんだろう
だからあんなにも走っていたんだろう

もういまさら、みんなの後を追いかけるなんて出来ない


冬になれば、体育の授業で1000m持久走がいつもあった
何か理由を探しては、さぼってた
もともと色白だから、しんどそうに保健室に行けば
「顔色悪いね」と寝かせてくれたこともあった
でもさぼりにも限界があったから
しょうがなく走る日には
必ず200mのトラックを5周なんて出来ない、と
初めから決めつけて3周くらいで息が出来なくなって
途中でリタイヤするんだ

本気を出したらもっと走れたかもしれない
走れなくても歩いてゴールを目指せたかもしれない
だけど私はそうはしなかった
一周遅れになる自分が恥ずかしかったし
みんながゴールした後一人で走って恥をかきたくなかった
特になんとも思ってない人たちに
「頑張れ」と声をかけられることにも疲れた
限界を超えようとは思わなかった
私は、私なりに、楽に生きられれば満足だった
それなりの逃げ道を、いつでも持っていたから

でもいつからか、逃げ道以外目には映らなくなった

なんのために進んでいたのかも、分からなくなった

だけど、周囲からは目線が飛んでくるから
とりあえず歩いているふりだけはしていたけど

私が見ている景色は相変わらず変わらないままだった
別にそれでよかった
私には春も夏も秋も冬もなくて
私には山も谷もなくて
私には一緒に座って雑談できるような人もいなかった

一人だけ違うところにいるんだ、といつも思っていた
みんなとは違う、って

逃げてるだけだって分かっていたのに
置いて行かれてるだけだって気付いていたのに
あたかも自分が優位な場所にいると言い聞かせるように

別に、なんでもよかったんだけど

自分がどこにいようと何をしようと
誰かに何を言われようと
ふと考えた時には不安になるけど
別にどうでもよかったんだ
私がただ立っているだけだったとしても
いつも同じ景色しか見えなかったとしても
すれ違う人たちと笑えることがあったから
泣くことがあったから
多分、それでよかったんだ

誰と歩いてきたかも分からないこの場所で
とりあえず前を向いている
前に向いて歩いていくことが正しいって誰が決めた?
いつだって私は後ろに向かって歩きたいと願っていた
そんな、逃げ道を欲していた




要は、ちょっと不安になってきた

なんか私はみんなと違う、って
優位な方じゃなくて、劣位の法に

いくら手を伸ばしても届かない現実
それを信じようとしなかったからこうなった
どうにかなるで
どうにもならないことがたくさんあったのに
どうにかなるで
乗り越えようとしてきたし
乗り越えたふりをしてきたけど
ふと後ろを振り返れば解いていない問題が積み重なっていて
今にも崩れてきて、私は崩れてしまうんじゃないかって不安になった

数学の方程式を覚えることは苦手だった
その方程式の数字が無意味に見えた
でも、その方程式の数字も、アルファベットも、
頭のいい人がいろんな理論を積み重ねて作り上げたもので
それはいつでも正しかった
それは唯一問題を解く方法だった
それ自体に意味がないだなんて思ってる時点で、終わりだった
数学は嫌いだから、で片付けることが出来たからよかったけど
私の人生も、そうやって片付けることが出来るのかなって

いつか、今まで見て見ぬふりをして積み重なった
数字やアルファベットの塊に潰されるのかなって


いつでも自業自得っていう言葉はついてきた

だったら、こんな人生、初めから、紡がなければ、よかった、のに




無意識のうちに追い詰められていた
だけど、やるしかない
そういう立場に立たされていたんだから

重大さに気づいてなかった
だけど、誰もが知っていた
私はあたかも知っていたかのように
最善を尽くさなきゃいけない義務がある

さ、気楽に頑張ってこよ




2007年11月07日(水)

あと8日
微妙に忙しいようで暇だったり
やらなきゃいけないことあるのに
どうしてもやる気が出なかったり
そのくせ何かに追い詰められた感じになったり
それから逃げるために部屋の掃除してみたり
そんなこんなしたら結構日記さぼってた

とりあえず私が一つの区切りとしているもの
これさえ終われば私は新しい仕事を探すと思っているもの

とうとうそれが近づいてきた

楽しみなようなプレッシャーなような…
とりあえず今は荷造りをしながら11日分の服を
寄せ集めてたところで
…この段ボールには入らないと気付いたところで…
せっかくつめたのに…ってやる気がなくなってるところだったり

Yシャツがないから買わなきゃと
買い物にでかけたはいいがそこには置いてなくて
しょうがなく最近知った簡単アイスでも作ろうと
材料を購入してみたり
賞味期限の切れた牛乳をお母さんが大丈夫だと言い張るから
飲んでみたらおなかを壊したり

それなりの毎日

これからの予定は
お母さんが帰ってくるのを待って
大きい段ボールを使っていいか尋ねて
荷物を詰め替える
んでゲームして寝る

水曜日はお母さんが休みだから
姉と姪が遊びにきて
いっぱい歩きまわる予定

木曜日は仕事
いつもどおりの仕事

金曜日は荷物をまとめて送る

土曜日は最後の香川を楽しむ

日曜日は飛行機に乗って昼には東京につく
夕方から少し観光して
技能五輪関係の知り合いと
お昼して、カラオケして
浅草あたりのバーで飲んで(おすすめらしい)
らぶらぶだった彼氏との失恋話を聞いて
泊めてもらって

月曜日は厚生労働省に行って
外添さんに会って、バスで静岡まで移動して
小学校を訪問してホテルについて
多分飲み会して
待ちに待った日々が始まる

それが終わったらきっとまた私の人生が始まる

今は、その時の不安が大きいから怖い

何も残らないであろう自分に
情けをかけられるだろうかと考える自分が嫌い

2007年11月05日(月)

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