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総合的に不調な人には総合的な病院を
2005年08月28日(日)

痛みはひととおりおさまったが、
何となく不安なので静かにしていた。

会社から持ち帰った仕事をしたり、
軽く部屋を片付けたり、
冷蔵庫の残り物を片付けたり(腹具合はいいのか?)。
犬がみょうに可愛らしい顔をしている。
と思ったら、あまり体調がよくないらしい。
お前もか。シーザーの口調で、お前もか。

妹が最近あらためて香港映画にはまっており、
少林サッカーのDVDなどを観ている。
飛び交うノリのいい広東語を聴いていると、
だんだん真似したくなるなー。
アイ〜ヤァ〜、的な驚き方したり。
でもだんだん中川家の弟の真似になってくる。

大阪と香港、ちょっと似てるよね、
ネタになりそうなおっちゃんやおばちゃんが多そうで。
で、東京の下町と大阪も似てるんだ。
笑いが生まれる土地柄独特のにおいでしょうか。
私もそういう町に生まれたかったなーううう。
東京の下町は半分地元のような感じもしますが、
でもやっぱり“生粋の”じゃないんだよね。
東京の下町に住んでいる某友人宅は、
数年前まで鍵をかけるという習慣がなかったそうだし、
そういうのどかで独特な空気が生活の中にあるようだ。

いままで去年からずっと左手に湿疹ができて治らなかったのだが、
今日見たら右手にもできていた。
いままで一年以上に渡って「なぜか右手にはうつらない皮膚病」として
認識していたんだが、なんだいそっちもかい。
地域限定だったタレントが、じわじわと東京進出みたいなことか。
次長課長みたいな感じかな。
長いこと大阪で頑張ってた実力派って感じだもんなー。
というか、右手まで使いにくいと困るんだが…。
指の関節がだんだん曲げにくくなるんよ。
…内科と歯科ばっかり行ってないで、たまには皮膚科にも行くかぁ。
総合病院ないかな。
「あのすいません、虫歯と腹痛と指の湿疹治してください」
っていうと、全部いっぺんに診てくれる病院。
歯を削られながらおなかに聴診器を当てられて、
薬局で鎮痛剤と指の塗り薬処方されて帰る。
忙しい現代人向きだよね。
総合病院とは決してこういうことではないが。


腹におぼえあり
2005年08月27日(土)

それにしても昨日は大変だった。
…と人は言う(誰?)。

昼頃から謎の腹痛が始まり、早退。
いや早退じゃないか、定時の一時間半後に帰宅(=感覚的に早退)。
それまでずっと「体調悪いんで早く帰ります」と言い出せなかった。
なんせ今週頭に休暇(夏期and病気)を終えて復帰したばっかりで、
上司に「おかげさまで全快しました」と言ったところだったから…。
またかよ!オイ!みたいなことになるところである。

だから医者にも行かなかった。
なんせ先週も腹痛でかかったばっかりで、
またかよ!オイ!みたいな(略)。

しかし同じ腹痛とて私にとっては「またかよ」ではない。
先週とは全く違う種類の腹痛だからだ。
この痛みは、高校二年のときのあの痛み方だ。
気分は腹痛のソムリエである(嫌な職業だなー)。
うまく説明できないし原因もわかっていないが、
あの痛み方は忘れない。
時代劇でたとえると、父の仇の顔ぐらい忘れない。定番パターン。

町の病院(先週行ったところである。)で原因がわからず、
大きな病院で検査しても原因がわからなかったあの腹痛。
むしろ検査結果が良好すぎて一瞬仮病疑惑まで浮上したあの腹痛。
こっちは激痛に苦しんでるのに医者が上機嫌だったあの腹痛。
「検査結果は何の問題もなくて健康ですよ、うらやましいですねえ」
といわれたところで、
こっちは眠れないぐらい痛いから学校休んで来てるんである。

…で、その時の痛みと同じ種類とわかった瞬間から、
すっと気が楽になった。
なんだ、じゃあまだ軽いじゃん。
あのときはとても立って歩けなかったけど、
今回はいちおう、歩ける。
電車で知らないおばさんに「具合悪いの?席かわろうか」と
声をかけられたりしたけれども(優しい方もいらっしゃるものです)、
ちゃんと仕事して電車に乗って地元の駅まで帰れてるじゃない。
でも地元の駅まで家族に車で迎えに来てもらった。
万が一、地元の路上で倒れてはいけない。
わが町の路上にはやさんが倒れてるなんて景観を悪くするし、
明るく健康な地域づくりに支障が出てしまう。
地域社会と自分の健康を大切にするはやさんです。

といった具合に嫌な脂汗をかいて帰宅した昨日だが、
今日になって経過はだいぶ良好。
やっぱりあの時よりも症状は軽い。
土日で治せる社会人仕様だ(ヴァージョン?)。
この程度だったら気軽に病気にかかれますね。やっぱり嫌か。

今日は痛みがちょいと残るお腹をさすりつつ、
古本屋に売りに行く本を整理。
読まなくなった漫画とか、昔の教科書とか。
挑戦した結果やっぱり読めなかった歴史の本とか。
そのうち読むんだろうな、と思って
小学生頃からずーっととっておいてたんだが。
切ないね。こんな別れ方。
最後まであたしたち、分かり合えなかったね。
もらった指輪、この海に捨てるね。
これなんのドラマ?

そんな韓流ブームくさい臭いのするメロドラマを経て
本を送り出す。
えっ、あの指輪高かったの?じゃあ拾ってくるね、ジャブン。
みたいな未練も時々見せながら。
また読むかなーあ読まないかなーあ、っていうこの吟味が大変なのだ。

あっ、会社から持ち帰った仕事をまだ全然やってない!
がんばれー俺。ま、適度にがんばれ俺。

先々週・先週は本当に、高校時代と同じようなことに
なっちゃうのではと不安がよぎった。
社会人が体調を崩した場合、高校生と同じわけにはいかない。
そんなことを思って怖くなるぐらい、
自分の体を信用していないんだなあ私は。

やっぱりがんばるなー俺。
あんまりがんばっちゃだめ。
あの時は、勉強や歌の練習を頑張りすぎてたんだよ。たぶん。
頑張る暮らしを続けていると、
自分がいま頑張ってるということにすら気が付かなくなって、
なにもしてないのに息苦しい、なんてことになる。
私の苦しさが検査結果に顕れないのは、そういうことなんだろう。


台風だが気にしない派の人々
2005年08月25日(木)

今日の天気はだいたい土砂降り。
午後ともなれば警報が出っぱなしで、不安とどきどきで一杯だ。

「台風が来るから早く帰りなさい」とか上司に言われて、
早めに帰宅するサラリーマンが多かったそう。
私の職場でも「台風が来るから早く帰りなさい」と言われたはいいが、
そう言われた時点ですでに台風は東京に来ており、
いくつかの電車が止まっていた。
この情報化社会にあって、確実になにかが一歩遅いぜ!
というか今の職場、台風とかそういう問題じゃない人が多いんだろうな。
「台風?俺あんまり興味ないんだよね」ぐらいの感覚ってやつ。
そういうもんなのか?そういうもんなのか。
みんなタフだしなぁ。
台風ぐらいヘでもなければトでもない。
イでもロでもハでもない(音階の話)。
そよ風に吹かれただけでも体調を崩しそうな私とは基礎が違う。
きっと染色体のジャンルからして違うよね(なんの生物だ?)。

地元の電車が止まるか止まらないかの瀬戸際だった私は、
ささっと早めに帰宅(周りは誰も帰っていなかったが…)。
早いといってもしっかり深夜番組の時間帯だけども。

部屋にいると雨の音がめちゃめちゃ怖い。
さきほどは雨音にまぎれて歌を歌っていたが、
疲れたのでやめてしまった。
こうなると無性に絵が描きたいが(理屈はわからない)、
タイピングのやりすぎで指が筋肉痛なので
この日記を打つのもちょいと痛い。
夏季休暇をとったせいで筋肉がなまったか!
んだ、なまったべ(そっち?)。


背が伸びたとか伸びないとかの疑問
2005年08月21日(日)

若干の不安も抱えつつ、食べ物も普通に食べられるようになり、
…と思ったら、今日は朝から頭痛が襲ってきていた。
先ほど、その頭痛がやっとおさまった!これはうれしい!ので、
思わず日記。こういう、ささやかな幸せに包まれすぎだ。
うちの犬は相変わらずかわいい。
ワンワンうるさいけどね(「飯をもっとくれ」といった意図で)。
あまりにうるさくて、私が頭痛だということもあり、
バン!って叩いたろかとよく思う。
どーん!ってどついてやろうかとよく思う。
らんらららんららら〜〜!って唄ってやろうかとも思う。
パッヘルベルのカノンとか、唄ってやろうかと。癒し系だ。

具合が悪い。
これはポカリスエットを飲まなくては、と思っていたが
ポカリスエットを飲みすぎたことで逆に気持ちが悪くなってきた。
助けてくれー、あまじょっぱいよー。
あまじょっぱ地獄だよー。
じゃっぱ汁だよー(※青森県の名物)。

なにごともほどほどが一番だね。
高校時代、友人のMちゃんは、
背を伸ばそうと思って
牛乳をいっきに1リットル飲んでしまい、
具合が悪くなったそう。
オイッ。
ほどがあるぞっ。

それにしても最近「あらー背が伸びたわねぇ」といわれるんだが、
私の記憶ではここ十年ぐらい背は伸びていないはずなのですが。
ちいさな超常現象で私の背が今頃伸びざかりなのか、
それとも周りの人たちの記憶がぼけてきているのか、
二つに一つ!なんにせよ、ミラクル!


すべての感覚がシフトチェンジしていく
2005年08月16日(火)

ふらふらの生活から、ゆらゆらの生活へとシフトしつつある。

…抽象的すぎてわかんねーよ!!
バンッ。
もうこんなのだめだ!
机上の空論に付き合ってらんねーぜ!
俺、コーラ買いに行ってくっから!
あばよ!!
バタン!
…コツコツコツ…

誰か怒って出て行ったようです(なんのことだ?)。
コーラを買うようだから、のどが渇いていたのかもしれない。
私ものどが渇いたなー。ポカリスエット飲もう。

飲む以外に、食べたりもした。
納豆ごはんとか。豆腐の味噌汁とか。
普通の食事ができる幸せをかみ締める。
普通に食事をしているときは気付かずに見過ごしていた幸せに、
いま包まれている。
ちゃんと治ればすぐにこんな感覚を、忘れてしまうんだろうけど。
こういう自分の変わり身の早さをわかっているから、
「他人の立場になって感じる」ことの難しさに想いを馳せる。
自分と違う条件下にいる人の耳で、目で、皮膚で、神経で、
ものごとを感じること。
「他人のカメラになる」っていう表現以上に、
それはそれは難しくて、究極の目標。
あらゆるフィクションの最終目標でもある。


理想気体的な議論
2005年08月15日(月)

「カウントダウンTVをご覧の皆さん、はやさんです。」
…と、言ってみたいはやさんです。

病院に行ったところ、これはただの風邪だったらしい。
よかった、もっとひどい病気でなくて。
そんなわけで眠ってばかり。
早く治るといいなあと願っているときほど、
ゆっくりしか治ってくれない時はない。
だから願うのをやめている。今回に限らず、ずいぶん前から。

今日は終戦記念日。
かつ、私にとって頭痛との闘いが始まった記念日。
自分は経験していないがすごくすごく重い出来事と、
小さい規模ではあるが自分にとっては重い出来事。

こんな私は今後どうなったらいいんだろうと思うとき、
水木しげる先生のことを考える。
戦争で片腕を失っているが、
「障害者」という一面を微塵も感じさせない。
様々な辛い経験を乗り越えているが、
「苦労した大人」という空気を漂わせない。
ただ純粋に飄々と「水木しげる」然として生きている。
自然がどんなに破壊されても、ただ黙々とそこで生きているように。
歳をとるということは、煮詰まることだと私は思っている。
先生は煮詰まって妖怪のようなお爺さんになっておられるが、
私は歳をとった後で何になるんだろう。
みずみずしさとか皮脂とか汗とか、
余分なものが蒸発した後で、何が残るんだろうなあ。

しかしどうにもやる気がでない。エネルギーもない。
なぜだろうといろいろ考えた結果、
もしやと思って血圧を測ってみた。
上が70台、下が50台まで落ち込んでいた。
幅が20ぐらいしかないというのも気になる(血圧の数値は幅も大切で、
幅が狭すぎると脈が弱々しいということになる)。
普段は上が100ぐらいまであるんだが。
やはり食事をしていないからか。
…ということで、約一週間ぶりに箸で食事。
おいしいなー。普通のごはん。普通の味噌汁。
量は半分以下だけども、こんなにうれしいとは。
働いていると、仕事にはエネルギーが必要だということを痛感する。
仕事は、力×距離だからね(※物理の教科書より)。
重いものをどれだけ遠くに運ぶかだから。
物理の法則を鵜呑みにすると、
運送業こそ仕事の中の仕事ということになる。
それだけだと社会が成立しないけども。


わずかずつ衰弱している
2005年08月14日(日)

ちゃんとした時間に起き、ちゃんとした時間に寝ているのだが、
ただ変な時間にも寝てしまう。
昨日と今日…一日15時間ぐらい寝てないか?うわーおそろしいぃ。

普段は一日だいたい12時間働いて、往復に1.5時間ずつかかってる。
いつも会社のために使っている時間と同じぐらいを、
睡眠に充てているっつぅことか。
それは寝すぎだろう。いい加減に。

やらなきゃいけない仕事もあるのに、なんでこんなに眠いのか。
こんなにだらだらしていいのか。
もっと何か、意味のあることはできないのか?
もっと何か、俺がいまここに生きる証を残せないのか?
いきなり目標が壮大になってきたけども、
そうさ、本来そのくらいのスケール感と疾走感と違和感のある人間、
それが俺というはやさんじゃないか。
ちょっと勢いだけで綴っている感のいなめない日記、
それこそがここの文章じゃないか。
体調が悪くなって行動の自由が制限されて、
そういう時こそむしろ私のフィールドなんじゃないのか。
こういう問いかけばっかりの文は、まるで尾崎豊のようだ。
(と言うのは、尾崎豊とそのファンに失礼だ。)

まぁ、何か、やれたらいいよね。具合が悪くても。
なんて思いつつ、DVDとかを観てしまう。
妹が買ってきた「THE 3名様」。
シュール。でも笑える!
あーパフェ食べたい。
まずいポテトでいいから食べたい。
ファミレスが舞台なのがちょっとよくない。
そうか、最近お腹が減ってるせいで元気がでないのか、と
わりと「そりゃそうだよ」なことを思う。
普通の食事をしなくなって今日で7日目。
今日の夕飯もカステラとスープ。
お箸を何日も使っていない。
持ち方を忘れたかもしれない(脳にも影響?)。


アンニュイ修行僧的な一日
2005年08月13日(土)

体調が相変わらずいまいち。
いや、体調がいまいちっていうのは普段からで、
むしろ今のは病気が治っていないという状態である。
仕事を休んで大人しくしているとはいえ、
あまりにもじーっとしているのでだるくなってきた。
あと、じーっとしていることにやりがいを感じなくなってきた。
治しているのか怠けているのかわからない。
薬で症状は和らいでいるものの、根本的には治っていないのではと。
そんな迷いにさいなまれる。

外で激しい雨が降り出そうとも、
どぶが溢れて家族が掃除しなきゃとぼやこうとも、
とことん戦力外でじーっとしている。
部屋の掃除をちょっとずつはじめる。
「裏の白いメモ用紙」として一応とっておいた紙が
邪魔になってきたので捨てる事にする。
こんなことなら捨てておきゃよかったわい。
そしてソフトをインストールしてみたり、
会社の仕事関係の書類に目を通したりと、
じーっとしていてもできる用事をいくつか。
犬がギャワンギャワンヒィヒィと吠える。
私も吠えたいが、お腹に力が入らず断念。
お腹に力が入ったとしてもどちらかといえば断念すべきである。

お盆にはてんぷらを揚げる習慣のある我が家なのだが、
私の夕飯はマドレーヌ1個。そして紅茶。
夕飯というより、優雅な午後のひとときみたいなラインナップだ。
もうちょっと食べてみるかということで、
揚げだし豆腐をちょっと食べたところ、
すぐ満腹になり、体調が悪くなる。
揚げだしじゃなくて普通の豆腐ならまだよかったんだろうか…
なんて反省しながらうめく。
こんな日は大人しく桃鉄でもやってるのが正解だが、
頭が痛くなりそうなのでそれもやめる。
耳も目も頭もぼんやりし、体もだるくなってくる。
こうやって情報のインプットも行動のアウトプットも減っていき、
慌しい下界を離れ、
心はだんだん悟りの領域に近づく。
夏は私にとってそういう季節なのだ(修業?)。


アンニュイズムの決定版!的な一日
2005年08月12日(金)

先輩から「顔色悪いけど大丈夫?」の連発。
食事をほとんどとらなくなって5日目。
会社を休んでいない(ほとんど仕事せずに帰った日も含め)ため、
そこそこに活動しているからエネルギーの抜けが早いのだろう。
心配かけて申し訳ないっす、の連発。
だってそんな先輩もゲホゲホ咳き込んでるし。あなたも大丈夫なのか。
そんな体調に異変のある人だらけの職場。大丈夫か。

ちょっと冒険して、昼におにぎりを一個食べてみる。
おいしいなあー。久しぶりの、米。
ただ、おにぎり一個で満腹になる現状の自分に少なからずショック。
胃袋がすっかり縮んでいる。
よく「恋は人を変える」とか「旅は人生を変える」とか、
「蛙の子はかえる」とか言うけれど、病も人を変えてくれる。
本人の意思と無関係なぶん、
サプライズ感もあるし(ポジティブな解釈)。
おたまじゃくしがかえるに変わるぐらい、生理的な「えー!?」。
食生活も見える景色も、周囲の人間との接し方も。
歩き方、持ち物、服装、部屋。
いきなり違う自分になる、当たり前だったことががらっと変わる。
だから十代の頃に経験した体調不良は、
私にとって海外留学に等しいくらいの人生経験だったのだ。今思うと。
今がすべてだと信じきっている、いかにも若者らしいタイプの若者とは
どうも付き合いにくいと感じるのは、そのへんの意識の差なんだろう。
おかげで若い人との付き合いには苦労する。
歳を取るまでに、もっと若者に合わせられる度量を持ちたいものだ。
仮にそこそこ長生きできた場合、晩年には、
自分よりずっと若い世代が世の中を動かしていることになるだろうし。

カロリーを摂取したぶんサクサクと働き、日付が変わる頃に帰宅。
夕飯はお湯とカステラ。
夕でもなければ飯でもない。

明日は休日出勤の予定だったが、お休みさせてもらう。
大人しくしていよう…。


おのれはSFか?
2005年08月11日(木)

フラ、フラ、フラ。
視界が揺れる。
クラ、クラ、クラ。
時はかがやいてる。

小田和正風にそんなことをつぶやいてみても、
よろめきながら歩いているという事実はなんら変わらない。
体調がおかしすぎるため、
ここ数日間まともに食事を摂っていないんざます。
思わず口調もおかしい。

ただ、食事を抜くとメリットがひとつあることに気付いた。
仕事の能率が上がるね。
昼ごはん後のぼーっとした時間がない分だけ。
そんなかすかなメリットはさておき、
しかしちっともやせないよね。例によって。
一週間ぐらい食事を抜いていても、ほとんどやせない自分が怖い。
炭水化物ではなく、燃えちゃいけないはずの物質が燃えているのか?
あるいは、もともと霊的な存在だから食事とか関係ないのか?
いずれにせよ不気味なことだ。特に後者。
そんな自分自身としばし向き合わなくてはいけない。
しかも、霊的な存在なのにおなかがすくということは、
オバケのQ太郎的な何かということになる。
SF=すこしふしぎ。すこし、どころじゃ済まないだろー。


ヘロヘロロック
2005年08月10日(水)

やばいなあー、体調を急に崩した。
今日は病院に寄ってから職場へ。

…むむむ。

そんなわけで、また断食をしている。
体調不良による断食。
ウィークデーじゅうずっと続くもよう。
…力がはいらないぃ…へろへろへろへろ…。


夏はつらいよ
2005年08月06日(土)

夏バテしたかもしれぬ、ぬぬぬ…。
ほとんど外に出ない生活とはいえ、朝などしっかり暑いからなぁ。
犬が髪型を変えた。世にいうトリミング、というやつ。
………………角刈り?(!?)
あっ、私もそろそろ美容院に行かなきゃ。
来月あたりに(全然“そろそろ”じゃない)。

夜、寅さんの第一作を観る。
いや〜〜〜、みなさん若い!というか、初々しい。
その時点でかなりあの作品の定番的要素が
出揃っているわけだが、そのひとつひとつに初々しさがある。

寅さんが帰ってくるシーンも、
「20年ぶりに帰ってきたんだよ!」とか「…お兄ちゃん?」とか、
すごく久しぶりであることから、喜ばしさと驚きが違う。
寅さんが出て行くシーンも、
本当に二度と帰ってこないんじゃないかっていう
寂寥があふれていて切ない。
「いやいや、この後数十回に渡って帰ってくることになるんだよ」と
こっちは神の目線であるが。

毎回家族だとか失恋だとか、根深くて全力のコミュニケーションが
繰り返される映画だが、まだそのひとつひとつがきらきらと青いのだ。
下町の平和な家庭に寅さんが来ることによる「異物」感もある。
今でこそ「寅さんといえば下町の人」っていうイメージがあるが、
第一作ではそんな安心感はない。
帰郷したてであり、本人も周りも心なしか緊張しているように見える。
シリーズが数十回続いて円熟味を帯びる前の、
鮮やかで荒々しい勢いが私にとってすごく新鮮だった。
おいちゃん役の俳優さんも、2代目の方しか知らなかったし…。

俳優・渥美清さんが亡くなったのは9年前の夏。
私は部活の合宿先で訃報を聞いた。
原爆投下や終戦、自分の持病の発症などと並び、
ずしんと重い夏の出来事として脳裏に焼きついている。


わけありの俺、アレルギーテスト不可
2005年08月01日(月)

八月第一日、すごい頭痛がくる。
会社でふらつきながら頭痛薬を処方。
処方フロム俺、フォー俺。
一人薬局ごっこ。
薬局とはつまり、くすりのつぼねである。
ためしに“春日局”みたいな読み方をしてみた。

頭痛薬を飲むと普通なら30分で痛みがおさまるのだが、
今日は4時間かかった。
なぜだかわからない。
あるいはわかるのが怖いのか?
その1時間後にまた痛み出した。
うーん。
夏とはいえ、いや夏だからこそ、不吉な感じである。
炎天下を歩いたせいさ、とか自分に言い聞かせてみる。

近頃の毎日を包む“頑張る感じ”が怖くなる。
“頑張らない感じなんだけどなりゆきで頑張っちゃいました”っていう
ぐらいが個人的にすごくいい状態だと思っているんだが、
新人というのは頑張らないと“なりゆき”自体に乗っかっていられない。
ただその場にいるだけで必死な職業だ。
だからむしろ、たまに意識的にさぼるぐらいの
ずぶとさが必要かもしれない。
突然パタンと倒れて迷惑をかけないための、内密なおまじないとして。

理解されるまでに時間と手間を要するだろうし、
今はそこまでひどくはないし、体質は検査に顕れないし、
あまり人には言わないことにしている。

ただ「頑張れ」といろんな人に繰り返し言われるたびに、
言われたその言葉を、ありがたく頂戴したふりをしては
こっそり押入れに押し入れている。
なんかすいませんねぇ、と苦笑いしながら。
わけありの後輩でなんかすいませんねぇ。

でもこの「わけあり感」に気付いている人も何人かいるようだ。
その証拠に、ある先輩は私に対していつも敬語だ。
そればかりか、おびえているようでもある。
どうしてなんでしょうねぇ、とつぶやいたら、
別の先輩いわく「あの人はナイーブだからね…。」
ナイーブな人には俺は無理か。
ちょいと刺激が強いのか。
カネボウ・ナイーブでないと肌が荒れちゃうか。
じゃ、ビオレは?