Back  Index  Next

三日月のど飴
2003年09月30日(火)

朝起きて、喉が微妙なことに気付く。
それだけだったらまだしも、
母親が一言。

Oh No!!!
U should better not go out today!!


上記のような意味の、要するに
今日は出掛けない方がいいんじゃないか、
と言うような意味の日本語を言った。
(※上記の英文は実在の人物・発言とは一切関係ありません)

なんでかというと、また私の目が二重になっていたのだ。
これは体調の悪い証である。目がいつもよりぱっちりしてるのに、病気。
あの山の頂きに雲がかかってる日は、狩りに出ちゃならねぇ。
悪いこた言わねぇ、と山の麓に住む男(誰?)が言うように、
目が二重になった日のはやさんは無理しない方がいいのである。
そういう、地元ならではの風習である。

確かに、喉に加えて胸がキリキリ痛みだし、
慌てて入っていた予定をキャンセル。
そういえば明日から授業なのだった。
あっ、俺そういや学生じゃん!
そうじゃん神奈川じゃん(はなわの唄より)。

今日はそんなわけで、横になったり家事をやったりの
繰り返しでちょこちょこと過ごした。休み休み。
だいぶ家族に任せてしまったが、仕方ない。
だいたい、そもそも私は主婦じゃないわけだから。
主婦代理だからね。課長代理、みたいな感じでね。

テレビを点けたら、いとし師匠の追悼ニュースをやっていた。
テロップがすごい。
「夢路いとし師匠追悼・爆笑しゃべくり漫才」
もう笑ったらいいのか泣いたらいいのか、わけがわからない。
笑った方がいいのかな。
師匠は人を笑わせるために生きてこられたのだから。
でも悲しいなー。この寂しさを紛らわすために、
今からでも遅くない、いとし師匠の声マネを練習しよう。
こいし師匠の方はかなりマスターしてきたので。

私も死ぬまでには、何かの形で偉業を残してみたいものだ。
偉業はたいてい、こっそりと築かれる。
ドモホルンリンクルよりもゆっくりと。

いい死に方をするためにはきっと、些細なことで
偉業を残しちゃった気分になってちゃいけないのだ。
社長になろうが、お金を儲けようが、モノマネ名人になろうが、
それにどっぷり満足しちゃったら、それは偉業じゃなくなるのかもしれない。

と、私は体調が悪いときの方が考えることが壮大だ。
スケールでかいんだよね。妙にね。
高校時代はすごかったんだろうなー。

今日も三日月が痛そうなくらい細くてきれいだ。
何かに似てる、何かに似てると思ったけど今日やっとわかった。
トローチ(咳止めの飴・医薬品)の子供用のやつは
丸い穴が開いていてドーナツ型なんだけど(喉につかえても窒息しないように)、
それを舐めた最後の状態だ。
ぺきって折れそうな、ほそーいリング。
それが折れちゃった片割れが、三日月に似てる。
形っていうより、感触や味が似てる感じするんだけどね。
きっと喉がスースーするんだろうな。滑多羅舐めたら。


自分見附け
2003年09月29日(月)

手荒れのケアをしたいなー、と思ったが
ハンドクリームがなかった。あれを使い出すと冬って感じするなあ。
だから、化粧水+美容液で代用した。
いいよね。顔も手も皮膚だもんね。
そんな秋の午後。

なーつの終ーわーりー♪と歌う。
犬の散歩をしていると虫の声がリンリン言っている。
空が高く澄んできた。季節はすっかり秋なのだ。
そんな星空を見上げながら、
「UFO飛んでないかしら」と探すのが我が家流だ。
科学的な意味でロマンチスト。
銀河鉄道999を読みたいね。

主婦業のあいまに、仕事をちょっとずつ進める。
最近「あんた意外と主婦に向いてるね」という
評価を受けつつある。ますます自分の適性が判らない。
前に適性診断テストみたいなのを受けたら、
向いている仕事の欄に「店長」「スポーツ選手」などがあった。
どっちも無理!特に前者!
以上の流れをまとめると、私の人生は
「スポーツ選手として活躍した後、
 主婦のかたわら居酒屋の店長になる」
っていう形が理想だったりするのかもしれないけど、
それは多分無理だな。まず、スポーツ選手として活躍できない。
ただし!
スポーツの実況なら、もしかして……ふふっ。
古館伊知郎みたいな感じもいいな。
「まるで人間山脈!」みたいなキャッチフレーズを、
即興で生みだしながらしゃべくりたいな。
というように興味深いことは意外と多いんだけど、なかなかねー。

皿洗いに疲れて椅子に座り込む。
今日の夕食も、私なりに頑張ったなあ。
そんな時、ふと忘れかけていた自分の持ちネタを思い出した。
一昨年あたりによくやっていた「ムース(整髪料)」というネタだ。
缶を振って、プシュシューとムースを出す音のマネ。
これからは効果音系のネタをもっと増やしたいなあ。
歌マネも、マッチとか練習して……
……あれ、私は何をする人になるんだ?


肉体疲労時の悲しいお知らせ
2003年09月28日(日)

『夢路いとし喜味こいし』のいとし師匠が亡くなられたと知って、
今日の日記はどうしても悲しい気分だ。
もう夕飯作りの疲れとかどうでもいいくらい!
残念だなあ……。芸歴六十年超の兄弟漫才師として、
これからもお元気で頑張ってほしかった。
漫才を生で見たかった。ご冥福をお祈りします。

そろそろ学生モードに戻らないとやばい、ということに
気付かざるをえない。やばいなあ……色んなことが手つかず。
でも、今日も家事に追われて一日が終わってしまう。
しかし何の日々なんだコレ。
それにしても体力ないなー私も……。
くたびれる私を見て「普段の私って、意外と働いてたのね」と母。
そうさ、あんた意外と働いてたさ。主婦万歳!
ぼーっとして見えても、おばさんは地味に頑張ってるのでござる。

部屋を片付けたら「星のカービィ」FC版の攻略本が出てきた。
懐かしい!ヤツは私の幼なじみだ。
夢がありすぎる感じが良いね。ファンタジー!
ファイナルファンタジーよりもファンタジックさ。

うちのテレビは9chが映る。何をやっているのかわからない。
地域情報とかが映るから、ローカルな放送なんだろうけど。
たまに怪しいお笑い番組をやっていて、
妹が失笑ときどき大爆笑している。おかしい。違う意味で面白い。


おお牧場〜は〜み〜ど〜り
2003年09月27日(土)

夕飯を作るのももう4日目くらい。
今日になってようやく、「味噌汁の濃さ」を
うちの家族の好みジャストフィットに調節することに成功。
私の好みより若干塩辛いんだけどな。
まあ、味噌だからさほど体に悪くはないだろう。

すっかり主婦だなー。
私はなんの仕事をしてる人なんだっけ?と思うくらいの、
主婦っぷりだな。なんか。
いいのか?いいのかいそれで。

ウィンブルドンを目指すという夢(初耳)を置き去りにして、
俺こんなことしてていいのかな。と思うこともある。
でも今は、目の前のことで手一杯なのよッ。
“あらこんな時間だわ”的な制約の中でね。
冷静と情熱の間でね。もしくは、空と君の間でね。

そーらーと君とーの間ーにはー
今日ーも冷たーい雨がー降るー
君ーが笑ーってーくーれるーならー
僕はギャグすらもー言うーーー

カラオケで中島みゆきを歌いたい。
家事労働をしているとそう思う。
でも、あえて今日は布袋寅泰を口ずさんでみた。

♪だからこそ誰にーも真似のー出来ないぃー
 生きざーまーをー見せてやーれぇー

味噌汁に何入れよっかな。うひひひひ。
台所でこそ、ロックンロールだぜ!Yeah!


草の海 風が吹く
2003年09月26日(金)

あーびっくりした。
今朝は地震で目が覚めた。
でもまた寝た。二度寝だ。
でも早朝だったので仕方ない感じは否めない。
北海道の方、大変そうだ……。
でもなんで我が家が揺れたんだか?
しかし地震はやっぱり怖い。本当に怖いことほど、思いがけない。

で、そこそこな朝!っていう時間に起き出して、
犬の散歩×二回と朝ご飯作り。
でもそれらの仕事の後また寝た。三度寝だ。
風邪っぽいので仕方ない感じは否めない(ってことにしよう)。

昼ごろに起きた。
仕事のことを考えながら音楽を聴いて、それに合わせて歌った。
そのうち考え事じゃなくて歌がメインになっていた。
熱唱するほどの元気はないので、小さい声で旋律を追いかけていく。
大声で歌うよりも、小声で歌うことのほうが実は技術がいる。
自転車をゆっくりゆーっくり漕いでいくことの方が、
早く漕ぐことより難しいことにも似ている。
例の如く、その後また寝た。四度寝だ。
風邪っぽいので(以下省略)。

そして夕方。
今日の夕飯はカレー。
野菜をちょっと細かく刻みすぎた感は否めない。
そして犬の散歩×二回の夕方ヴァージョン。
二回というのは、二匹飼っているからだ。
夕飯だけはしっかり食べる。
そういや今日、昼飯は食べたっけかのう?
と、痴呆の始まりみたいなファジイ発言。
でその後また寝た。五度寝だ。Fifthだ。

そしてさっき。
あっ!と気付いて、皿洗いをした。
また眠いな。風邪っぽいし。
今度寝たら、六度寝。
自分の中では最高記録な頻繁さだ。
ほんと、寝たり起きたりだった。
どっからが今日かもぼやけて見えない。
病気、っていうんでもないし、
疲労!ってほどあくせくもしていないけど、
何か衰弱したような一日。
ま、悪条件が重なったのだろうと思って受け止めている。


おお牧場はみどり
2003年09月25日(木)

待ち合わせをしたはいんだが、
相手がまさか30分遅れるとは。
そして私も、20分前に着いてしまうとは。
30+20=50の、切ない足し算。

なかなか上手くいかないものだね。
夕飯という名のサバイバル。
卵とじを作ろうか、いや無理か、味噌汁だのサラダだの、
メニューが頭の中を駆け巡る。
そうか、夕飯はひとつのプロジェクト。
のどかに見えて、世のお母さんたちはこんな凄まじいミッションを
エプロンひとつで連日乗り越えていたのくゎ!

私は夕飯作りに慣れていない。
昼飯作りならまだしも(←なんか重要度が違う気がする)。
夕飯を1人だけでプロデュース!というのは、
しかも5人分を!というのは、なかなかね。緊張するものだ。
自分一人分マイセルフ!とかならいいんだが、
我が塩加減が家族全員の夕飯を左右するとなると、
こりゃあもう。妙な緊迫感が末梢神経まで満ちてゆくよね。

こんな時に限って姉妹で風邪気味なんだが、
タイミングが悪いのもいつものこと、慌てる程のことでもない。
頼りないながらも、どうにか生きていく。


よくーしげったーもーのーだ (ホイッ)
2003年09月24日(水)

だいぶ、「みんなの歌」が歌いたい。
「ヒットコーラス」でもいいね。合唱の秋。

そういや、合唱の大会って秋だったべなあ(方言風味)。
私にとって京都とは、合唱コンクールのあった街だ。
かつて合唱部に所属していた頃、大会のために京都を訪れたっけ。
観光しないで帰って来てしまったけれど、
「いわゆる観光コースだけを京都と思わないで!」と、
実際京都に住んでいる人は言っていたし、
なるほど京都は奥深い街なのだなあ。と、ますます淡い憧れが募る。

京都の人には、さいたまの人には絶対持てないような、
地元への愛着心があるように思う。これは京都に限らない話だが。
「ぶつくさ言いながらもなんとなく住み続け、なんとなく、
ゆるーく地元を愛している」というのが関東のアイデンティティで
あるから、これはこれでべつに良いんだが。

ちなみに私が一番「故郷」を感じる瞬間は、
通勤電車の外壁、車両連結部分近くの高い位置についている
「○○行き」っていう行き先プレートを見た時にある。
あそこに書いてある「快速・▲▲行き」
「各駅停車・■■行き」という文字を見ると無性にほっとする。
地元の学校に通っていない私が郷土愛を持っているのは、
いつも帰り道、目指してきた地名だからかもしれない。
だから普通の小学校でやるという「郷土を知る授業」なんてやめて、
みんなしばらく知らない町に通ってみたらどうだろう。そしたら、
自分の町の良さや問題点を子供なりに肌で感じるんじゃなかろうか。
私は毎日感じていた。うちの地元は何もないけど、空気がうまい!と。
東京に通ってた頃は、地元の駅に降り立った瞬間、深呼吸してたものだ。
今はそんなこと決してしない。
だって、通っている先も同じ程度に片田舎だもの☆(……?)
ああ、ビバ片田舎。俺ら東京はいやだ。

今日、急に母親がなにやら手を痛めた。
原因がよくわからないが、筋かなんか痛めたようで物々しく包帯だ。
「原因不明の軽い疾患を突然わずらう」というパターンは私の十八番だが
母もたまにある。困った親子である。要するに体が弱めなのだろう。
そんなこんなで、家事全般を姉妹で分担。
妹が風呂掃除、私が料理、姉妹で皿洗いと犬の散歩2匹×2回。
明日は少しは治るんかいな。
このまま行くと、わたしゃ当分出掛けられないぜよ。
妹は授業があるし(私もあるんだ、そういや!学生なんじゃん自分)。
味噌汁の味が薄い!餃子が若干焦げ気味!みたいな評判の、
100点満点で言うと80点くらいの夕飯をでっちあげる(?)。
ちなみに味噌汁に関しては、わたくし後悔しておりません。
あのくらいの塩分濃度が、体にはいいんです。
明日の夕飯は何にしようかなー。あー。悩みが尽きない。


雪が溶けて 川となって
2003年09月23日(火)

おお聞け歌の声♪

今日は居酒屋で「もらい泣き」というカクテルがあったので、
その場で「ええい〜ああ君からも〜らぁいなぁ〜ぁき〜♪」と熱唱。
客が少なくて良かったよ!グッドラック!(?)

で、この秋は鎌倉行きたいだのなんだの言いながら夕飯。
飲み会というより飯会になってしまうもんだね。
とにかく食った食った。お腹っていうか心を満たす感じに。
心も満タンに、コスモ石油。

そして、噂はかねがね聞いていた
「友達のお姉さんおよび弟さん」はおもしろよい人そうだった。
さすがノリがいいね。ナイスファミリア!(?)

久々にゆっくりと、寒めの道を歩いた。
友達はコートを着ていたりするくらい、気温控えめな今日。
ああ、カーディガンにブレザーの私は季節から半歩遅れてる。
更に足元は裸足にサンダル!二歩も三歩も遅れを取っているじゃないか。
ファイツ!(?)

無趣味の妹が「趣味の欄に、なんて書いたらいいかねえ」と悩んでいた。
「なんでもいい、やってて楽しいことを書け」と言った。
そしたら、「……歯みがき?」と答えた。知るか。

でも後になって考えた。
「歯みがきが趣味ですって奴、ちょっと会ってみたいかもなあ」。
まず歯垢をチェックする赤い液体を塗ってみたい。
親の顔が見てみたいっていう意図もある。


山を下り 谷を走るぅ
2003年09月22日(月)

みどりの牧場が完成するまで、この題名は続く。

今日は昨日よりしんどい疲れが襲ってきたので、自宅で作業することに。
……やばい、やばいぞ!「疲れが遅れて来る」ようになってきた!?
歳だ!齢と書いてよわいと読む。よわいのよわいのー!(混乱)

……フフッ(?)、いやいや、大丈夫。
俺は元々年寄りなんだ!
そういや、そうだ!
だから怖いものはない。若くなければ老化の心配もない。
この先、シワも白髪も気にしない。
ドモホルンリンクルにも頼らない。
「ゲゲゲの鬼太郎」という作品の放つ空気が時代を超えて同じなのも、
昔から『妖怪=古さを売りにしたテーマ』であるという
「普遍的な古さ」にあるのだという。
普遍的に古いものは廃れない。
そういや、中野にある「クラシック」という名曲喫茶は、
母の話によれば三十年前から古くさかったそうな。
今でも変わらず古くさいようだ。

だから幼少期から「老人のような子供」という生き方(?)を
選んでいた私は、実は生き残りたいという願望が人一倍
強かったのかもしれないね、という精神分析結果by俺。

それにしてもね、プレステ2やりたいね。
妹が貸してくれたらの話(だから多分無理だな)。
ファミコンな感じのモノが懐かしい今日このごろ。

小学生の頃に、自分が楽しんでいたことは何だろう?
最近そういったことが気になっていた。
友達が「昔、虫取り行って」「野球やってた」とか言ってたりして、
私はそれを聞きながら「そういう世界もあるんだなー」と
思いもよらない選択肢に、こっそり驚いて興味を示してもいる。
そういや、今年の夏も近所の子供が草むらで虫取りをしていたようだった。
私が見逃してきた文化の範囲は、あまりにも広すぎたようだ。
自他とも認める変わり者であったとしても、
ちょっとぞっとするくらい、距離を感じる時がある。

小学生時代の放課後、私は何をして遊んでたっけ(絵を描く以外に)?
と色々考えて、ホロリとなったり(?)したのち、
そーだ!と思い当たる。
確か、ファミコンやってた。

これからの子供にとって、
けん玉や竹馬のような「懐かしのおもちゃ」のほとんどは
「コンピュータ・電子」なものになるんだろう。
我々の世代あたりがその第一期生なんだろうか。
で、大人がそういう文化の変遷を見て
「最近のおもちゃにはぬくもりがない」「一人で遊ぶなんて」と
一方的に批判したりすることがあるけども。
ぬくもりのある時代や、友達と遊べる状況が無い場合、
そういうものに込められた優しさみたいな感情が、
大切な要素になってるのかもしれないなあ。
今以上に疲れ切った状態で生きていた私を支えたのも、
そういうさり気ない、ふわっとしたものだった気がする。


野を横切り 畑うるおし
2003年09月21日(日)

口でトランペットを奏でながら、今日もご陽気に始まりました、
はやさんの頭痛ターイム!!(あくまで明るく)

……忙しかった翌日には、たいがい来るもんなのよ。ええ。
それに、気力で抑えられる程度だったし。
頭痛の応急処置法のひとつに「勢い」があること、みなさまご存知かしら。
それにしても、この全体的な体調の良さ(良いというより、
予想したよりも全然悪くない)は何なのか。
私、もしかして、ひょっとして……健康になれてきている?
わー。そこで口トランペットもファンファーレに!!
私、(ある程度)元気になれたの?
クララが立った!クララが立った!というレベルで嬉しい。

それに加え、グループへの評価が高かった喜びが今ごろ沸いてきている。
私自身はさておき(?)、他の人達すっごいのよ。
すごい・濃い人々と知り合えたことが、学校で得たことのほとんどだ。
頑張ったりセンス良かったり泣かせたりシズル感あったり(?)。
そうだ、そういえば、誰でも結構ですから、
私たちに「シズル感」の正しい意味を教えてやって下さい。
意味わからないで使っていた感が否めない。
育ってきた環境が違うからすれ違いは否めない、みたいなね。
「否めない」普及委員会を発足。とりあえず「セロリ」歌っとけ。
頑張ってみるよ、少しだけ。

久々に、昼間に落ち着いて家にいる。
犬を観察。ちょっと懐かしい。


呼びかけるよ、私に(ホイッ)
2003年09月20日(土)

倒置法、そして感動詞。

ひとつの闘いが終わり、そしてまた新しい日々が始まる。

……と言ってしまえば格好が付くが、
実のところ今日私がしたことといえば
「ぬるい喋りと、笑いながら熱唱」である。
あと、楽屋でカイヤ、古畑任三郎、矢野顕子のモノマネ。
「もののけ姫」の歌マネ。
エレベーターで一発ギャグ。
……まぁいい。それこそおのれじゃ(?)。
おのれメドレー。つくづく私、何の仕事をする人になるんだろう。
そんな自分もそれなりに地味な経験を積んでいくし、
その中でそれなりに頑張っていけばいいのだ。
高収入が望めるか、出世できるか、有名になれるかどうかは別として、
この調子のまま行けば少なくとも「おのれ臭」の漂うオバサンに
なっていくのだろう(と、あたかも他人事)。
それで十分かな、なんて思ってみたり。
でも現実にお金はある程度持ってないと、病気したら困るなあ。
ああ現実逃避と現実無視は大きく違う。
逃避するのは勇気がないからで、無視するのにはすごく勇気がいる。

みんなみんなビタミン不足。
小林聡美みたいな元気がほしいなー。
そんな毎日の中で叶えた願望。
 ・トレビアーン!と言って驚く
 ・マイセルフ!という口癖の復活
 ・新作モノマネ「ユーミン」の披露
 ・声帯模写「トランペット」有効活用
 ・仕事で徹夜する(人生初)

最後の一つは、叶えたものの叶えなきゃよかったかもと思った願望。
でもさ、仕事で徹夜するってタフガイの象徴な気がしてさ。
そう、初めて公言するけれど、私の夢の一つは「タフガイ」になること。
ガイって時点でどうも無理っぽい。
でもいいの。私はあきらめない(NHKの番組)。
私の目指すものの中には、かなり大量に雰囲気重視のものが含まれる。
「ハードボイルドになる」
「ワイルドな自分を演出する」
「シズル感を出す」
「背中で語れるようになる」
「そこかしこにニュアンスだらけ」
「シュールレアリズムの極限を見つめる」
「出身地と書いて“くに”と読んでみる」
……どれも、雰囲気だ。いかにも雰囲気重視。
それを要約すると「Get Wild」って感じ。TMNか。

「Get wild and tough
 ひとりでは解けない愛のパズルを抱いて
 Get wild and tough
 この街でやさしさに甘えていたくはない」

そういえば、なんとなく雰囲気だね。小室哲哉は。
わかりづらい否定表現といえば、PUFFYのあの曲。

「もしも誰かが 不安だったら 助けてあげられなくはない」

要するに助けるのかな。助けてあげられない、ってことでもない。
難しいね、日本語。日本語と、日本語以外の言葉も。


おぬしもサルよのう
2003年09月13日(土)

「時代劇」って言葉は、何かが足りない気がする。
一度、なに時代かを明記してみてはいかがなものか。
「安土桃山時代劇」とかさ。親切。
「マグナムドライを145円で飲む時代劇」とか、わりかし最近の話。

江戸時代とか戦前とか言われると遠すぎてしまう。
中途半端な時代劇やってくれないのかねえ。
80年代が舞台とかさ。スカジャン着てたり、ワンレンだったり。
「あ〜、そんなのあったかも」ってうなずけるくらいの昔。
その頃の女子アナのイヤリングの大きさはすごい。
今見ると、万歩計くらいの機能はありそうな存在感。
言葉づかいも当時仕様。「ごめん」が「めんご」だったりして
……うん、俺もなかなかいい歳だ!

一日、PCに向かっていたら、外の気温に気付くのを忘れた。
ヘンですよねえこの季節のこの気温。気候ないし日付がおかしいよ。
まだ8月だよ。ていうか、今がまだ8月だってことにしようよ。
そうだそうしよう(壊)。


プロレスラーを目指せない俺
2003年09月12日(金)

「コムサ」って「このように」って意味なんだ。
へぇ〜。(もはや定番)
“このように”で買い物。どのように?の、ように。

ラ・サロンパス。も、フランス語なんだろうね。きっと。
サロンパス30(サーティー)は英語かな。それとも主人公かな。ゴルゴ30。

今日もまた、幼い子供に凝視されてしまった。
かねてから私は「幼い子供に凝視される」確率が高い気がしてるが、
気のせいなのだろうか。それとも逆に、
幼い子供以外は見て見ぬふりをしているだけだったのだろうか。
「おとうさん、あの人……」
「シッ!指指すんじゃないっ」
子供はいつも正直だ。はだかの王様か?

とはいえ、子供の屈託の無さは動物と似ていて救われるものがある。
RPGの出発点にも似た、やくそうしか持たない潔さみたいなものがある。
スライム倒してる時のビクビク感。
いつまでもそうしているわけじゃないけど、
そういう時間は短いからこそ価値があるのだなあ。
ただ、私は4歳の時点で残したのが例の
「夏は暑いから嫌だけど、冬は寒いから嫌」発言。
当時は人生悟ってたんだなあ。

今日うちの犬が「うゎ、ギャー!あーっプシュッ、」と吠えた。
最近では聞き取るのも難しい。
彼は日に日に進化していくなあ。意外なほどメゾソプラノボイス。

最近寝る時間が不定期。
でもいい、そこそこ元気があれば。
元気があればなんでもできる。とアントニオ猪木は言った。
いや違う。と私は敢えて言おう。
「元気があったら、病気はできないぜ。」
すると猪木は言うだろう、「しない方がいい」と。
だから私は笑って言うのだ、「そうかもね」。
とりあえず私は、プロレスラーにはなれそうもない。
アマレスラーにも。


へぇ〜って音を聞かない日はない
2003年09月10日(水)

トリビアの泉「へぇ〜の本」第3巻が絶賛発売中。
という、情報自体が十分トリビア(ムダ知識)だ。
ムダ毛の存在は許せなくてもムダ知識の存在には寛容、それが人間。
現代社会をざっと見渡すと、足りてないのはむしろ毛の方だと思うんだけど。

夕べは三時間睡眠。なんか若いっぽいね。
と思ったけど、すぐに頭の電池が切れて
今じゃもう「○★×♪△※」という表示が出っぱなしだ。
脳が疲れているのだろう。
こうなると、金の脳でもいいから欲しいよね。
用途が合ってるかどうかはともかく。
猫の手みたいなもんだ(?)。


酒びたい
2003年09月09日(火)

思酒期である。
酒のことばっか考えている。
いやいやいや、ダメな意味じゃなく。
今日も高級な感じの街でビールをおごっていただいたのに、
我々は「……飲みやすいね」「口当たりが」「香りの強さは」みたいな、
試飲会な感じのコメントを口々につぶやく。
お酒の本当のおいしさ、なんてものには私はまだまだほど遠いなあ。

ぶっちゃけてしまうと、お酒なんてホントは好きじゃないのだ。
でもこうしてぶっちゃけていくと「好きな物」がどんどん
無くなっていくので、近頃はあえてぶっちゃけないようにしている。
なるべく世の中に溢れる物をキライにならない方向で行かないと、
社会にあまりにも適応しづらくて参ってしまう。
だから最近は、肉を少しずつでも毎日食べるようにしている。
あまり好きになれなかったとしても、
食べることを可能にするのは処世術として大事だ。
食事はコミュニケーションでもあるのだ。
ただ、寿司はまだしばらく時間がかかりそうだが(……)。

今朝は相当焦っていたのか、
焦る必要もなかったのに、
出掛ける時に定期を忘れた。駅で気付いて炎天下を引き返す。
ああ、出掛けだというのにHP(ヒットポイント)が減ってゆく……
誰か私にやくそうを。または、ホイミないしベホイミを。
ああっ、間違ってどくけしそうを使ってしまった(?)。
毒、消しそう?ううん、消せなそう。

最近の私は、言葉の乱れが酷い(かなり前からだという見解もある)。
表層的な言葉遣いがというより、意味的な面で。
意味がわからなすぎる。シュールとして片付けようか?
いやいやそんな、シュールの王道を行く素晴らしき先人達に対して
これ以上の無礼は!重ね、るかもしれないけども。うーん。


行列のできる俺
2003年09月08日(月)

電車の中で見かけたカップルの女の子が
たいてい意外な言葉を知らないので仰天しております。
“恰幅”とかって、あんまり難しいとは思わないんだけども。
阿諛追従”とかだったら知らなくても仕方ないけども。
これ、私が知ってる中で一番マイナーそうな四字熟語。
「気に入られたくてへつらうこと」みたいな意味だ。
嗚呼、日本人は日本語を忘れちまった。
カナリアは歌を忘れちまった。
植木算の解き方なんて中学入学と同時に忘れちまった。
でも、時には忘れることも大切☆
☆を付けて今更お茶目感を演出。
もしくは、つのだ☆ひろ気取り。
そうか、困った時は☆を付けてみよう。人生観が変わりそうだ。
ダンス☆マン、もしくはHAYA☆SAN!Yeah!
もしくはの使い方を間違えながらも。

今日は数時間にわたる会議。
会議は踊る、されど少ししか進まず。少し進んだだけでもいいのかな。
競争社会に対するアンチテーゼとしての側面を持ちたいがために言うけど、
昨日のはやさんより今日のはやさん、今日のより明日の、という風に
地味なりにいつも何かが変わってる、
ということを大切にしていきたいのだ。
誰かと比べるんでなく、ライバルは昨日のおのれさ。
嗚呼あの人にはかなわない、私はあんな風にメガネをかけこなせない!
でも、いいのさ。メガネに関しては諦めた。
私にとって顔の一部は、まゆげなのだから(他にもパーツはあるし)。
俺は俺で、まゆげをどれだけ伸ばせるかを考えればいいんだ。
メガネがないなら、まゆげを生やせばいい。
もしくは、絵が飛び出して見える赤と青のサングラスをかけるのだ。
飛び出せ!青春。
飛び出せ!中身。
えっ、何のですか?牛乳パックのさ。
だから言ったじゃない、かどを持ってお飲みよ。

今日はいつも以上にすごいな。かっとんでるな俺の文章。
俺の日記は今日も負け知らず!でも勝ったこともない。わはは。


各駅停車に乗る日もあるさ
2003年09月07日(日)

つるつるマシェリ。

という言葉を聞いて、
ハゲそうだな。って瞬時に連想してしまった。
だってつるつるよ。つるつる。
つるっ、と聞いて思い出すのは「つるピカハゲ丸」。
……ハゲ丸かあ。
ブタゴリラと並んで、とてつもないネーミングセンス。

今何が欲しいって、ネーミングセンスが欲しい。
私が欲しいものはいつもソフト系だ。
ハードじゃなく。
手に取れない、目に見えないものを欲しがってばかりいる。
高校時代は健康が欲しかったし、
小学校時代は平和が欲しかった。
今は、いろいろなセンスが欲しい。
欲しいものがどんどん小さくなっているんだが、
結局どれも手に入らない。否、“手に入った感”がない。
そりゃそうだ、どれも目に見えず手に取れぬ概念なのだから。
ひょっとしたらもう、すぐそこにあるものなのかもよ。
憧れのタイガーマスクも、近くにいるかもよ。
パーマンも、すぐそこに。多分パーヤンも。
パーヤンも?いや、パーヤンは関西人だから遠くかな。

いやー目に見えないものは実のところ強大だ。
幸せは、なるものじゃなく見付けるものなのだ。
と、さも上手いことを言った風。

うちの母は、ニュースを見ていて何か怖い事件が起こっていると
「怖いわねー、だから言ったじゃない!」と、とりあえず言う。
あんた、別に何も言ってなかったんだろうに。
たとえばこないだも、「ディズニーランドで事故」というニュースの時に
「あら怖い。だから言ったじゃない!」
いや言ってないだろ。確実に何も言ってないだろ。
「遊園地なんて行くもんじゃないよ」とか、事前に言ってたんなら成立するけど
彼女に限ってそんなはずはない。遊園地なんて言葉が
我が家の辞書に載っててたまるか(何故かムキになる)。

うまいこと言ってたと見せかけてそうでもない親子。
遺伝だ。恐ろしい、遺伝だ。
恐ろしい。
んまー恐ろしい!だから言ったじゃない!
何を?

スローフードについて真剣に考えている。
食べ放題って素敵だし魅惑的なんだけど、
時間制限の中で、限られた胃袋で、
「これ食わなきゃ」「あれも食っときたい」と
味覚のデパートに縛られた亡者になって食いあさる!というのは、
皿も汚れるし口の周りも汚れる気がする(じゃあ拭けよ、ってレベル)。
そういう、安さのためにスピーディーに食べるんではなく。
じっくり選ばれた質の良い食べ物の素材の旨味を噛みしめながら、
こんな風にのどかに料理を食べられてる状況じたいに感謝の念さえ覚えつつ、
ゆったりと、ゆっくりと、食べるということ。
飽食とほぼ対極をなす概念がスローフードである。
食べ放題はお得感がたっぷりで、「今日は得しちゃったなー」
って感じを得られるという意味でもそれなりに魅力があるんだが、
スローフードの良さがわかる、ってことは、
イコール良識ある大人、って感じがする。あくまでもイメージだけど。

そういや自分、若い頃はかなり早食いだった。
急ぐように、快速電車のように弁当を食べる日々(なぜかたとえが電車)。
でも今思うんだ、「食事は各駅停車ぐらいのリズムがいいよ」と。
たくさん咀嚼した方が満腹感が増して
少量で満足できるようになるからカロリー摂取が減って痩せるしさ。
たくさん咀嚼することで、アゴが強くなって
頬の筋肉が引き締まり、小顔・美肌効果もある。
ゆっくり良く噛んでだべる食べるってスバラシイのだ。
なのにどうして、人は早食いをするのだろ?
腹が減ってるからかなあ。それともストレスなのか。
たくさん噛んだり時間かけたりしないと食えないモノを
あえて食うっていう方法もあるけどな。
それだとそれが新たなストレスなんだよな。
ゆったり食事、っていうことも我が家ではなかなか難しい。
たいがい「醤油ぐらい自分で取れよ」とか言いながらだ。
やっと家族が落ち着いたと思ったら、
今度は不思議な痛みで倒れたり(夏は日常のひとコマ)。
そうなのよ、落ち着いたと思うと知らない症状が出たりするのよ。
やんなっちゃうわ奥さん。大家族で軽病人、半端にてんやわんや。


ハトムギ・玄米・火事・親父
2003年09月06日(土)

ハーブ占いというのをやってみた。
ナツメグだった。
なんだそれ?と思いつつも、「あなたはナツメグです」と
言われてしまったからには私はナツメグなのだろう。

エキゾチックで甘い刺激性の香り、かつ、
まろやかなほろ苦さを持つナツメグ。


……とりあえず想像がつかないな。
匂いが刺激的に甘いのに、それでいてまろやかに苦いのか?
『喜びだ しかし哀しみでもある
 苛立ちだ しかも安らぎがある
 憧れだ そして怒りが溢れている』(ヒットコーラス「春に」より)
中学の時に歌ったあの歌のように、要するにどういうことなのか掴めない。

大量に服用しては危険で、香り・効用ともに刺激が強いハーブです。

あっ、危険なんだ。「大量に服用しては危険」って。
どっち方向の危険が待っているんだろう。俺に何が起こるんだ。
ガスター10みたいに、“用法・用量を守って正しくお使い下さい”か。
そんなこんなで性格診断については、

あまりにも個性が強いため、変わり者、偏屈と言われることも。

……当たってるのかな。いや違う、
「変わり者、偏屈と言われることも」って、
「ことも」なんていう生やさしいレベルじゃないもんな。
脱「ことも」宣言。

そういえば、爽健美茶の歌って最後まで知らない。
それでも、「崎陽軒」の歌は知っている。

♪君が歌った旅の歌
 言葉をうつしたシュウマイの
 赤いきれいな包み紙
 あのシュウマイは崎陽軒
 あの時の歌を今も歌う
 おいしいシュウマイ崎陽軒

こんな感じの歌。
でも、悪いけど、こんな私が言えたことじゃないんだけど、
あの包み紙は別に、歌にするほどきれいじゃないような気がする。
別にいいけどもね。

髪を切って、しみじみと頭が軽いね。夢詰め込めそうです。


夜な夜なもへじ
2003年09月05日(金)

まず叫ぼう。
イヤッホーぃ、前髪が無くなったぜ!

何事かというと、髪を切った。
また切った。
切って切って、いい加減切りすぎ。
でもいい、頭は軽い方がいい。
誰かが言ってたろ、「頭空っぽの方が夢詰め込める」って。
「何が起きても気分はへのへのかっぱ」とも。
そこで疑問を持とうか、「“へのへのかっぱ”って一体何だ?」と。
そこは“もへじ”じゃないのか。“かっぱ”出現か。

髪を切ってもらうのを待っている間、
おしゃれな雑誌を読んでいた。
普段絶対買わないような雑誌が読めるので、こういう待ち時間も悪くはない。
そうだよなー、駅のベンチでも雑誌読み放題だったらいいのになー。
キオスク商売あがったり。
ないしは、クリーンなイメージの「あやしいおじさん」がいたらなあ(何か矛盾)。
私の言う「あやしいおじさん」というのは、電車の網棚・駅のゴミ箱などから
スポーツ新聞や週刊誌などを拾い集めている人のことである。
私が見かけて来た人は、例外なく男性。
かなり高い割合で、紙袋を手に提げている。
それも紙袋といっても、結構丈夫そうなものを。
ああいう人が、車内の回し読み文化をビジネスモデル化してくれたらいいのに。
いいのに?いいのか?うーん。
電車で暮らす私にとっては「あやしいおじさん」もれっきとした共存者である。
そういう人をそっと見つめる私も、見つめてる時点で「あやしいやつ」だから。

……なんでおしゃれな雑誌からあやしいおじさんの話になったんだっけ。
ダメだなー、こういうところが老人並みって言われるんだ、自分に。

肌が急に荒れていてびっくりした。
陽に当たりすぎたからかもしれないし、寝不足だったからかもしれない。
飲み会で午前3時まで起きてる、なんていういかにも「若い!」行動に
初参加してしまったからだろう。
体力ないくせに、ていうか酒飲めないくせに。
ちなみに飲み会に参加したからといって、イコール酒を飲んだということ
ではない。最初の2杯くらいは淡いアルコールでも、
後半は何を飲んだもんかわかったもんじゃない。っていうといかにも
漢方薬とか焼き芋ジュースとかを飲んでいるのではと、いらぬ誤解を
されそうなんだが、実際はどうせ烏龍茶である。どうせね、どうせっ。
HAYASANのくせに月並みな飲料で納得してるのさ。
どうせね、ふんだ(不必要なネガティブ)。
やけに疲れるのは、変な志を持ちすぎるからさ。
でも、変なことを目指すのは私の場合よいことなのだ、だから続ける。
続けることが健康。いや、続けることが不健康。
そういえば、健康や不健康は「続ける」ものであり、
「続けてしまうもの」、それが病気だ。(?)
そう考えると、「連続テレビ小説」もある意味病気かもしれない。何のこっちゃ。


顔はメガネの一部
2003年09月04日(木)

今日は木更津に行った。
いや、正確には木更津を通過した。

でも写メールは撮った!



“でも”っていう接続詞はおかしいけれど、
なんか画像を貼ってみたかったのだ。
“携帯で撮った画像をHPにアップする”って、
なんとなくナウいじゃん(でも色々と古臭い)。
だいたい貼ったところでどうだというんだ。(自問)
決して下車しなかったけど、木更津を満喫。
満喫?(自問)

ああ、線路はどこまでも続いているんだな。
Suicaの使える駅も、使えない駅も、たくさんあるんだ。

松浦亜弥の紅茶のCMを真似してみたけれど、
「“夏の大人味”って言うけど、大人度として
 前とそんなに変わってない気がするんですが」
って思いながら真似したので、いまいち心が入っていなかった。
邪念が生まれてしまったんだね。
この道は厳しいね、厳しいねこの道。

家に帰るなり、犬の散歩と夕飯の支度に追われる。
「あっ、今はやさん体調いいでしょ」と家族に言われる。
「なぜ?」と聞くと、「目が一重だから」。
体調悪いと片方のまぶたが二重になる。
プチ整形なんかして万年二重になったとしたら、
ずっと体調悪いんだぜ。必然的に(?)。

メガネは顔の一部だ、っていう人がいたけど、
その盧さん(仮名)の場合、なんかその域を超えている気がする。

私の場合も、「HAYASAN(通称)が○○(本名)という本体に属している」
というより、もう本体がHAYASANで本名は存在感が薄いものね。
いつからか淡ーく乗っ取られてる。それもまた人生さ(?)。