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かっこ悪い寝込み方
2003年08月31日(日)

小咄をいくつか。

○やる気のない蝉は、地面に止まって鳴いている。

○私のかかりつけのお医者さんは大江千里に似ている。

○うちの妹が電車に乗ると、隣に誰も座ろうとしないらしい。

○ワーストアルバムを出す歌手はいないのか。どの曲も微妙な。

○「冗談よし子さん」という人を無意味に捜しています。芸名でも可。

○「海外旅行」という四字熟語に、甘い幻想を抱くのはもうやめようじゃないか。

○こんな時代だから、天気予報にもっとアドリブを。

(弁解)……頭痛なものでして……大したことができなかったー(悲哀)


「潮の香りが懐かしい」と言える地域
2003年08月30日(土)

今日起きた事件といえば、腹がヘンな感じに痛い。
場所的に盲腸が近いなー、嫌だなぁと思いつつも、大したこともない。

そして、頭痛は意外と来ない。来てる時は鬱陶しいのに、
来ないとどこか淋しい(いやそんなことはない)。

適度な涼しさに思い出したのは、
“「りぼんオリジナル」にオリジナリティはあるのか?”という、
かねてからの疑問。
“「別冊マーガレット」を別冊扱いしている人はいるのか?”とか、
“「殿様キングス」に家来はいるのか?”とか、
他にも疑問はたくさんある。

私も死ぬまでに一度は、沖縄に行ってみたい。
でも実際、それほど乗り気ではない。面倒だからだ。

そしてなるべく早く、木更津に行ってみたいものだ。
これは現実にできそうなんだけど、
「木更津行きたい!」と初めて叫んだあの日から
早いもので5年も経過してしまった。どうしよう。
「木更津キャッツアイ」なるドラマが始まるずっと前から、
私は木更津に目を付けていたんである。「やっさいもっさい」にも。
でも上記のドラマ、実を言うと見たことないんだな。
気になってはいたんだけど、眠かったものでして(!?)。
映画には哀川翔が出るそうな。とりあえず気になる。


どこに行ってもストレンジャー
2003年08月29日(金)

今日は都内でお仕事の打ち合わせ。
その後学校に着くと、
なぜか集団で「忍者ハットリくん」の絵を描いていた。
どういうことなんだ。なんの集会だ。等々、
言いたいことがたくさんあったけれど、
そしてそれをほとんど口にしたけれど(言いたいことは一応言うタイプ)、
結局数十秒後に私も参加してしまっていた。
アラレちゃん、見ないで描くの難しいなあ。

なんか眠くて朦朧としてくるような一日。
理屈の上では眠いはずないんだが。

終電間近の電車、疲れたような人がちらりほらりと揺られている。
うちに帰ったらひたすら眠るだけ〜ぇだ〜から〜♪と、
昔流行った歌を思い出す。
いや、ひたすら眠るだけで済む人はまだいいのかもしれんぜ。
うちに帰ったら、兄弟子にちゃんこを作ってふるまわなきゃ。とか、
うちに帰ったら、ぼっちゃまに絵本を読んでさしあげなきゃ。とか、
色々な事情を抱えて帰宅する人だって大勢いるのだ(関取と執事以外にも)。
不眠症の時の私の場合、何もすることがないにせよ、
うちに帰ってもひたすら眠れないだけだから……なんて、
どうも生ぬるい感じだったもんだった。暇があっても微妙に眠れないんかい。

今日は初めて、喫茶店!臭い店に行った。純喫茶とも違うんだろうか?
なんか、我々が普段生きている世界と違う。妙に電球白いし。
とにかく、マイペース!びっくりするほどに、社会から切り取られてる。
茶パツの若者が闊歩する街にあって、昭和の頃から取り残されている感じ。
「普通の若者」は決して寄せつけない、
大人の中の大人(主成分は高齢者?)が集う店。
こういう知らない文化、東京の隅にまだまだ潜んでいるもんだなあ。
インベーダーが流行って100円玉が不足した時も、
ピンクレディが解散した時も、
たまごっち狩りが世間を騒がせた時も、
こういう店はずーっと同じ、こんな感じの空気を続けてたんだろうなー。
変わらないでいることがものすごく難しい世の中になってるというのに。
いい加減やめようと思ったこと、
少しくらい変わろうと思ったことはなかったんだろうか。

こないだ10年ぶりに再会した人に、
「わー、わかる!でも、街ですれ違ったらわからないかも」という
微妙なコメントをされた。あれから背も伸びたし、化粧もしてるし、
外見は少ーし変わったかもしれないが、
どうやらあの頃と変わらない雰囲気でいられているらしい。
なんせ、少し喋ってみたら相手は爆笑。「やっぱ全っ然変わってない!」

新しいことを吸収して成長したいぞと思う一方で、
いつまでも変わらない自分でありたいもんだ、とも思う。
今周りにいる友達と会わなくなってから、10年経って再会しても、
「わっ、変わってない!」と言われてみたいものだ。
その前に、「お前、誰だっけ」と言われないように、
どこか印象に残る自分であり続けたいものだ。
今のところ、どこ行ってもストレンジャーなポジションだもんなあ。
むしろ印象に残らなくてどうするよ。
マイペースっていう言葉は、なんか魅力的な響きなのだ。


偏食や小人と闘う日々
2003年08月28日(木)

焼肉・寿司・メロン。
そんなような物が苦手なのは日本で生きる上で大変だろうか。
どうにかしたらいいんだろうか……

いや、ある人に「今度焼肉おごるよ」と言われたんだが
「肉苦手です」と言いづらいんだよね、毎度。
悪いなーと思いつつ………どうしても好きになれない。

周囲と同じものを身につけたいとか、
周囲と同じものを食べたいとか、
そういう意識って「コミュニケーション・エイド」なんだろうな。
同族意識というんだろうか。
同じ事を感じて、距離を縮める。
それも大事なことなんだが、
その考え方だけだと「変わり者」は「嫌われ者」か、ってことになる。
実際そうとも限らないんだけどさ。

偏食は是か非か?という討論が自分の中で行われている。
なるべく治そうと、先週は人生で初めて「刺身」を食した。
まぁ……美味い……かな?ノリで食べてそう思った。
でも、無理に美味いと感じさせられてるみたいな、
みんなと同じ気持ちになりたいからそう言ってるだけのような、
お前は日本人だよという踏み絵のような、
そんな微妙ーな感じだった。刺身。
でも、食べ物はなるべく種類多く食べられるに越したことはないので、
偏食はなるべく無くす方向で。
ま、あまり深刻に悩むことでもないが。

味覚というのが、五感の中で一番つかみづらいもんだと思う。
痛覚というのは、つかみやすいんだけど外から見えづらい。

今日も朝からずっと頭痛。出掛ける予定がまたキャンセルになる。
ビク!って感じで、不定期に頭のどっかが痺れる。
寝ようと思っても、そういうびっくり系の痛み方なので寝られない。
頭の中に性格の悪い小人がぞろぞろいて、奴らが時々威かしてくるような。
大丈夫かなーと思って油断してると、急に強く痛んだり。
やりやがったな、ちくしょー!と、とうとう私も堪忍袋の緒が切れたので、
強い薬を飲んで退治することにした。
やっと治まってくれたので、溜まった仕事を少しだけこなす。
どうやらパソコンの見過ぎも原因の一つだなー。

見えづらいものに左右されて生きている。
でも、見えるものにもかなり左右されて生きている。
左右されてばかり。
前後はしないのかい?


どうしてこんなにダルいの
2003年08月27日(水)

この夏は本当に、お客さんが多い。
我が家は普段ほとんど来客の来ない家なので、
お客というものに免疫がない気がする。
慣れなきゃいかんのかなー、少しは。

それだけじゃないんだろうが、ぐったり。
頭と胃が重い。風邪、かもしれぬ。まいったなこりゃ。

作業は地味に、滞る。
なんか気持ちが焦ってしまう。
いつものアレだな、体調悪化を引き金にドミノ式に暗転ってパターンだな。
そういう日に限ってめちゃめちゃいい天気。
天晴!と言いたいほどに運動会日和の日射しと空だ。
ああ空はこんなに青いのに、風はこんなに……と、
キテレツ大百科のオープニングテーマ「スイミン不足」を口ずさむ。
あー、みんなでこの歌を歌いながら受験期を乗り切ったっけ。

♪今日もいつもの睡眠不足 頭が痛くなっちゃうよ
 いつもの学校のいつもの教室 あの子は今日も元気だね♪

「これ、本当に今のあんたたち(の学年)にピッタリの歌よねー」と
母親にしみじみ言われたっけ。
相当昔の話だから、言った本人はもう覚えてはいまいが。
「睡眠不足」っちゅうテーマの歌を他に知らないんだが、
歌詞は結構ユウウツなのにそれを明るめに歌いきってるところがなんとも素敵だ。

♪あの子は私を悩ませる 私があの子を悩ませる
 みんながみんなを悩ませる みんなは心を痛めてる♪

小学生にも解るシンプルな歌詞で、きっちりと“ユウウツ”を物語っている。
ユウウツになっても仕方ないんだけど。
なんにも悩んでないと怠けてるみたいに思えるから、
怠けたくない心が自分に嘘を付かせているんじゃないかとさえ思う。
偽っても、装っても、自分もシンプルなのだ。


登場するなり「ただいま惨状!」
2003年08月26日(火)


鶏肉も、肉だろ!

……失礼、半年ほど前にMくん
「俺も肉はあんまり食べないよ。鶏肉ばっか食ってるもん」
と言っていたことを今ごろ思い出したものですから。
どうしてあの時、上記の一言を言えなかったのだろう。
鶏肉は肉じゃないのか。
ビールは水なのか。
カレーは飲み物か。
価値観がもうわからない。
あーモヤモヤする。スッキリしないな。

それにしても、暑い。
暑すぎて、日中は寝たきり気分だ(あくまでも
寝たきり気分であって、寝たきりとは少し違う)。
いやはや、頭痛っちゅうのは恐ろしい。
もう大丈夫だと思っても、
ちょっと予定のない日があると、すぐに忍び寄ってくる。
昨日は頭痛薬をお供に作業。
でもなんか、なんか頭痛薬ってものもこれまた。
是政?いや、これまた。
いかんいかん、私の中では今、是政が大ブーム。
(解説『是政』(これまさ)……西武多摩川線の終着駅。)

頭痛薬を飲むと、びっくりするくらい頭がスッキリする。
「今までずーっと、登山用のリュックを背負って
 生きてたんじゃないか?」ってくらいの爽快感だ。
でもなんだか、そうして得た「スッキリ」はいかにも偽物であり、
何かを偽っているような、恐さがある。
でも薬がないと痛くて何も手に着かない日もあるわけで。
うー、ありのままで生きるってツライなあ……。

夏だからどっかに出掛けよう!なんて思わないな。
行きたい場所はぽつぽつあるけれど、みんな関東。
是政に、行きたいけど行きたくないな。
木更津に、行きたいけど行きたくないな。
荒川沖には、行きたくないな(素直に)。

鶏肉は、やっぱ肉だよ!どう考えても!
魚肉は、……肉ですか?

今日は冒頭からMくんの話題なので、
ためしにまた彼の話題(あー今日は書くことがないなー)。
最近Mくんの噂をよく聞く。彼は去年までの同級生である。
Mちゃん(可愛い女性)と、(総合的には)仲のいい友達だ。
最近のMくんの口癖はもっぱら「彼女欲しい」。
理想の女性論を女友達の前でつぶやいては「キモイ」と言われ。
多分それも「えーキモーイ」と女の子に言われたくて言ってるんだろうなー。
うーん、なにか切ないね。
特に会いたいわけではないが、噂は聞きたいね。
「将来はネットカフェの店長になってほしい人」ランキングの第一位。

あっそうそう、妹が尾崎豊を聴き始めたらしい。
なんなんだ。私の周りで、尾崎豊が熱いようだぞ。なぜに今なの?


時にはお酒の話を
2003年08月24日(日)

今日は高校時代の友達らとお酒を飲んだ。
お酒好きなんだなー。っていう言葉はイメージが良くないが、
お酒をエンジョイしてるよなー。って感じがちょっとうらやましい。
大人よッ!って感じ。
もっともみんなは飲みはじめたのが早かったんだろうけどね。
私は初めてお酒(薬用酒以外)を口にしたのが21歳だったから、
かなり遅い方だと思う。
「日本酒飲みつつ日本史談義」なんて、私なぞ一生できない気がする。
それが平均的なスタイルじゃないにしろ(さすがは私の友達……)。

アルコールには意外と強いのかもしれない。
ただ、養命酒は今もきっと無理だろう。
そう、私が生まれて初めて口にしたお酒こそが「養命酒」。
あの山奥の工場で作ってる感じの、超ポピュラーな薬用酒だ。
高校時代健康になりたい一心で、養命酒に魂を売ったのだ(大袈裟)。
きつい。濃い。まずい。の三拍子で、
一口飲んだだけで胃袋がカーッと熱くなり、
その夜はなかなか寝付けなかった。
(今思うと何かで割るべきだったかもしれないが、後の祭りである。)
要するに私の酒のイメージの原点は「養命酒」であり、
おかげでお酒に対する苦手意識がムダに芽生えていた感もある。
ま、どうでもいいんだけどねえ。

炭酸を飲むことにもう少し慣れれば、
そして極めていけば、
「ビールなんて水みたいなもんだよ宣言」発布に漕ぎ着けるのだろう。
いや、漕ぎ着けなくていいけどさ。

ウイスキーの似合う女にはまだまだなれそうもない。
桃井かおりの声真似で「幾つになっても恋しなきゃあ」みたいなこと
呟きつつウイスキーを飲んでみたいものだ(要するにモノマネ)。

琥珀色に染まったグラスの氷をカラン、とか言わせて。
でも、中身は実は麦茶!
夏休みの味!日焼けした日に飲む感じ!!
よーし、アサガオ育てるぞー!
双葉が生えたあとは本葉が出てくるぞ!
双葉は気付いたら枯れているぞ!
よし、ツルが絡まるように支柱をたてるか。
小学校1年の時の教科書には、支柱が「しちゅう」と書かれていた。
なんのことかよく分からなくて、
食べ物の「シチュー」と同じ発音してしまったことがある。


呑気すぎるくらいに熱唱
2003年08月23日(土)

PC作業のBGMに東京スカパラダイスオーケストラの
「カナリア鳴く空」をかけていたら、
一緒に歌っている自分に気付いてびっくりした。
歌えるはずのない低い音域まで歌えていた(そういう驚きか?)。

鍛えればどんどん低い声が出るようになるんだろうか。
今からでもか?目指せ男声パート。
「もののけ姫」の米良氏が「ソプラノな男」なわけだから、
私はそれに対抗して(?)、三大テノールの四人目を目指そう。

そういや私、声変わりがあったんだよなあ。
男の人の声変わりは「高い声→低い声」という変化で、
女性も、微妙に声のトーンが落ち着いたりする人がいる。
というのが一般的に言われていることだが、
私の場合は顕著に「高い声→異様に高い声+低い声」になった。
声が変わったというよりは、分離した感じで。
「自分の声で遊ぶ」という変な趣味はそこからか。ココカラ(飲料)。

そんな風に音楽に思いを馳せるということは、
そこそこ体調がいいということ。よかったよかった。
でも今日は暑いなー。最近急に暑いよなー。
後から私が崩れなきゃいいが。ちょっぴり怖い。
ばりばりばりっと、色々なことを考えたりやったりして
暮らさなくてはいけないのだ。
……ま、気合いを入れ過ぎてもしょうがないんだが。
勢いに頼らないで、冷静に一個一個やるしかない。


金曜に飲んでも水曜液と申します(落語調)
2003年08月22日(金)

今日は、飲み会。飲みといっても、水溶液の試飲会だ。
さまざまな水溶液を作ってはちびちび飲み、
作ってはちびちび飲み。「マズッ」「グフッ」とか言いながらね。

――うまいカクテル、とか。
――ウイスキーを飲もう、とか。
そもそも、美味しさを追求したくて開いた集会だったのだが、
結局のところ「あっはっは、化学実験って楽しいー」という
マッドサイエンティストな雰囲気になってしまった。
このメンバーって、そうかー理系だったよなあ。なんてことを思い出す。
何を隠そう私も工学部出身だ。そういや実験はしたことがないけど。
でも、変な色水を作るのは面白い!絵の具は好きだ!!

そんな気持ちでずっと、不気味なカクテルを作っていた。
ウイスキーを「飲むヨーグルト」で割ってみるといい。
飲めたもんじゃないぜ。
オレンジジュースはそれ以上にあり得ない味だったそうだ。
あと特記することといえば、「ジブリ作品ではどれが一番好きか?」と
いう質問に対し、その場にいた四人中三人が「紅の豚」と答えたこと。
これはなんだか、珍しいことだ。
一人くらいならまだしも、75%があの作品を挙げるとは。
「ナウシカ」とかじゃなく、あえて異色作が一位。
「あれは男の美学だー」等と、盛り上がる男三人。
ちなみにその三人のうち一人が私なんだが。
「お前男か?」とは、聞かないでやっておくれ(?)。
あの作品を語る時は、気分的にかなり男なのさ。

♪男には〜自分の世界が〜ある
 たとえるなら〜空を駆ける〜ひとすじ〜の流れ星〜
            (ルパン三世のテーマより)

ちなみにこの後に続く歌詞が「孤独な笑みを夕陽に晒して
背中で泣いてる男の美学」なんだけどね。
あまりに突っ走ってる詞なもので、覚えてしまったのでした。
いいよね、男!な奴ら。迷いがない。
「飛ばねぇ豚はただの豚だ!」っていう台詞とか。
あのポルコ役の森山周一郎氏のシブイ声を真似しようとして、
喉を痛めたことがある。フッ、俺もバカだったさ(今もな)。


ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・俺
2003年08月20日(水)

なんか最近、おじさんが読むような雑誌ばかり買ってる気がする。
私もとうとう、「おじさん」になってきたんだろうか?
まあ、今までは「おじいさんみたい」だったことを考えると、
幾らか改善されていると捉えられなくも、ない。
いっそロマンスグレーな香りを漂わせよう。
クラリスに「おじさま!」って呼ばれるくらいの。
ちなみにクラリスというのは、ルパン三世の映画
「カリオストロの城」に出てくるヒロインの少女のこと。
宮崎駿監督作品なので気になって見たんだが、
非常に「宮崎テイスト」が色濃く出てた感じだったなあ。
飛行機出てきたし、悪役の男爵が「紅の豚」のカーチスみたいだったし。
最後の最後、銭形のとっつぁんがうまいことを言うんだよな。
銭形「待てーぃルパーン!」
クラリス「いいえ、あの人は何も盗らなかったわ。
     私のために戦ってくださったんです。」
銭形「いやー、奴はとんでもないものを盗んで行きました!」
クラリス「え?」
銭形「あなたの心です。」

…………うまい!笑点で拍手が起きる感じ。
誰かあの人に、座布団を!

うまい、うますぎる、十万国饅頭。

そんなテレビ埼玉らしいCMはさておき、
今日も学校へ。
そして、「明日が試験よッ」「ていうか今日もよッ」と
心で叫び続ける人々を見た。うわー(言葉にならない)。
でもみんな、きっと大丈夫だよ。
なんだかだ言って底力はありそうだし。
なんて思いながら見ていられるのも今年だからだ。
去年の自分のド緊張を思い返すと、今も冷や汗とまばたきが止まらない。
あれから一年。うーん、自分は何か成長しただろうか?
自分をどんどん鍛えていこう。そうだ、発声練習しよう(え?)。


ぬるい体調、ぬるい俺
2003年08月17日(日)

乱馬にぬるま湯をかけた場合、男なのか女なのか。
水とお湯の境界線ってどこにあるんだろう。
暑いとぬるい、涼しいと寒い。
体感温度というのは本当に個人差オンパレードな概念なんだなぁ。

温度を意識するのはなぜかというと、
今日うちに新しいエアコンがやってきたからだ。
私の部屋のではなく、親の部屋の。
やってきた、ということはこれすなわち、前のが壊れたということ。
私自身は超が着くほどの冷え性なので、今年のような冷夏は
エアコンが無くてもどうにか暮らせるタイプなんだが、
彼らはそうもいかず。
なんか、マイナスイオンが出てくるので快適なエアコンらしい。
うん、そう言われると快適なような気がしてきた。
商品の付加価値ってそういうもんなのよ、まず気分が大切さ!

昨日はずーっとPCとにらめっこをしていたら、
目がおかしくなって頭痛がひどくなってしまった。
今日は休みながら違う作業をしていて、
ようやく少しずつ目と頭痛が少しずつ良くなってきた。
懐かしい色鉛筆で、落書きのようなスケッチをした。
そういえば中学生くらいの頃は色鉛筆が画材の全てだったな。
絵の具を使うのは正直、苦手だった。
しっかり乾く前に、つい描いちゃうのだ。
せっかちなのは江戸っ子のせいさ(嘘)。
水彩のように穏やかな画材とは、なんか相性が悪い。
そういえば私が絵を描くスピードは、当時本当に速かったなぁ。
高校入試の頃は社会の授業ノートを「絵」で取っていたくらい。
授業を聞くやいなや時事ネタをからめたイラストに起こし、
時間内に水性マーカーウン十色セットを使って着彩まで仕上げていた。
そのくらい遊ばないと覚える気が起きないくらい、
社会がすっごく苦手で困っていたからなんだが、
そういうことが今の私に続いているような気がする。
絵が好きなんじゃなくて文字が苦手なだけじゃないのか?という説もあるが。

その後コピックに出会い、水彩っぽい色使いはやっぱ綺麗だなーと
遅ればせながら実感したりしたっけ。
そういや、最近コピック使ってないな!勿体ない。

相変わらず〆切がいつもそばにある(微妙な距離感で)。
暇ではない、されどゆとりは持ちたいなーなどと考える。
暇は物理的な「空き」のことで、
ゆとりというのは精神的な問題のように思う。
同じ時間でも、同じ行動でも、気の持ちようで全然違うものだったりする。
限られた物理的条件、社会的制約の中で暮らす我々だが、
現代の日本において、気持ちはあくまでも各自の自由である。
そのギャップがかえって病の温床になったりするのかもしれない。
束縛がいいというわけでもないが、自由は不安を生むものだ。

昔の日記を発見して、今と変わってないなあということを確認。
だいたい10年くらい前に書いた文章だが、
やっぱりなんか、その日の身の丈に合ったレベルで悩んでいるんだなぁ。
今の私は当時の目標地点のさらに先に立っているわけだけど、
やっぱりなんか、その日の身の丈に合ったレベルで悩んでいる。

言葉の響きやイメージについ惑わされてしまうけれど、
本質を見つめると全然違ったりする。見方によっても。
同じ人間が、人生辛いねと言ったり、人生楽しいねと言ったりする。
どちらも嘘ではないんだと思う。
楽しい人生とか、いい人生とかっていう表現はあまりに画一的なのだ。
どこに行っても、何になっても辛いことはあるもんだし、
何かをしても、何もしなくても辛いことはあるもんである。
「何もしない」ってのも、実際のところ意外と辛い。
「具合悪いんだったら寝てなさい」みたいに言われてしまうと特に。
なんでだろ、体調悪いと無理したくなってしまうのだ……。
普段はぐうたらしてるのに。本当に不思議なもんだ。


これでいいのだ、と言える俺でいたい
2003年08月16日(土)

バカボンのパパは実は凄い人なんじゃないか、
ということに今更気付いた今日この頃。

レイアウトを考えていると落ち込みに落ちこんで、
ついには泣きそうになってしまう。
きゃー、ぎひー。苦しい。と。
落ち着けー、落ち着け俺。
うまくいかないのは苦手意識のせいなのか、本当に苦手なのか。
……両方なのか?いーやーさっさー。
でもある程度はこういうこともできないと不便でしょうがない。
いっそ何かをコピーしてみようかとも考えるが、それも悲しいような気がする。
オリジナリティが上手く発揮できないもんかなー。

そんな中、今日は小説を書いてしまった。
なにやってんだろう?ストレス解消か。

これでいいのか?と迷うのは一般人のレベルだが、
いつかバカボンのパパのような天才、つまり神聖なるバカになってみたいものだ。


私は妹の弟ですか?
2003年08月15日(金)

一度でいいから、「粋なはからい」というのをしてみたい。
そんで、「フッ……はやさんの野郎、粋なはからいじゃねぇか」
っていう評価を受けたいのだ。時には、そんな世界観もいい。

そんな願いとは全く関係なく、
今日はなんか盛りだくさんな一日。
午前は「お盆!」、昼に「移動」、午後は「相談」。
現実的な用事に直面すると、たびたび
「私、現実に適合しにくい人間だわー」と、トホホな気分(死語)に
なってしまったりするのだが、そんなこと言っててもしょうがない。
だいたい、この現実感の欠如した感じこそが私らしさなんじゃなかろうか。
なんて開き直ってみたり。
長い目でみると「ま、そんな奴もいる。」って程度のことかもしれない。
深刻なこととはとらえたくない。あえて。
全ての人間が、現実的なニーズにぴったり当てはまるとは限らないのだ。
はぐれ刑事無頼派(?)。
頑張りと工夫と、ちゃっかり次第で楽しく暮らせないだろうか。

最近ピコッと哲学スイッチが入り、ふと考えてみるのだが、
「はやさん」は本当の本当は実在しないものかもしれない。
実在しないというより、実体がないというか。
なんかエンターテインメントとか、ふわっとしたものだ。
名詞の種類でいうと「キダム」とか「オリンピック」みたいなものだ(自ら初耳)。

「はやさん」を名乗り始めてから十年以上になる。
いつか「はやさん」もフィナーレを迎えて
私は○○(本名)に戻る日がくるのかもしれない。
納得して終わるであろうその時まで、私は「はやさん」として歩むのだろう。
ひょっとしたら死ぬまでそれは来ないのかもしれないし、
意外と早くにその時が訪れるのかもしれない。
今は実は、「両立」できたらいいなとも思っている。
「はやさん」と、本名と。
お前の作風は一本調子なんだよねー、という評価を
いろんな方から一様に受けている上に、自分でも
「あっ、そういやそうですね!」と納得して
「やばいみたいだなー、やっぱり」と微妙に焦っている今日この頃、
ちょっと別人の気分になってみようかなと思っているのでした。
別人というか、自分なんだけど。普段とは、違う自分。

確かに、家族の前でも「はやさん」を名乗っているというのは
なかなか珍しいことのような気がする。
普段は、まるっきり本名を無視して暮らしている。
テストの時とか、履歴書を書く時とかに思い出すだけだ。
別に嫌いなわけではないんだけどね。
妹なんか、私のことを「お姉ちゃん」とか呼んだことがない。
ろくに日本語を喋れなかった乳幼児の頃は「ねーねー」みたいな言葉で
呼んでいた気がするが、彼女が幼稚園くらいの頃から
私が「はやさん」を大々的に名乗り始めたので、
物心がついた頃にはすでに姉というより「はやさん」だった。
それで全然姉らしくないんだろう。
前に友達に「兄弟いるの?」と聞かれた時に、
「おと……お姉ちゃんが、一人」と答えたそうだ。
「おと……」って。なんだその言い間違い。
要するに弟ってか。
そういや、なんか扱われ方が弟みたいだけどさ。
うるさいこと言われると「うっせー、バカ」とか言い返すけどさ。
あっちゃー、弟っぽいなー。それも弱そうな。


魚に危ないと書く
2003年08月14日(木)

俺は危ない魚だぜ。
そう、俺の名は「鮠(はや)」。
俺らに惚れちゃ怪我するぜ。
俺はナイフみたいな魚って言われてるんだ。
あっ、それは秋刀魚(さんま)か。
“明石家秋刀魚”って、漢字で書くと意外にカッコイイなあ。
ただ読みづらいよね。ひたすら。
“鮠さん”も、こう書くと本当に危険な香りがする。
なんとなく生臭いし。

元気に働き回った一日。
……いや嘘だ、そんな元気でもなかったな。
ま、普通に。皿洗いとか、接客とか、スリッパ出したりとか。
あと、びしょぬれになった犬を拭いてやったりとか。

それにしてもこの涼しさは尋常じゃない。
だから私も尋常じゃない。
今日も「サファリパーク」って言おうとして
「サパリファーク」って言ってしまった。
どうもいまいち、呂律が回らなくてもどかしくて。
伝えられない恋心。
いやいや、そんな甘酸っぱくもないんだが。

心に余裕を持ちたいもんだな。
瞑想するつもりで迷走してるようなところがある(掛詞)。

昨日の題名を見ていて、そういえば昔
某掲示板への書き込みで「ルパン酸性雨」っていう件名
使ったことがあったっけかー、なんてことを思い出していた。
あれずいぶん前だなー。
まだあの掲示板で「しりとり」とかやってた頃だ。
“ル”で始まる件名がなかなか思いつかなくて悩んだんだっけ。
あれから僕たちは何かを信じてこれたかなぁ?
あの頃の未来に僕らは立っているのかなぁ?
なんてことを、SMAP気取りで回想。

お、なかなかしないことだなあ、「SMAP気取り」っていう行動を。
少なくとも私は初めてだ。
「古畑任三郎気取り」することは多いんだが。

「〜気取り」っていうのを付けると、
たいがいの名詞はおもしろく聞こえる。
この名詞は、一般的にあまり憧れないものの方がおもしろい。
「給食当番気取り」とかね。


ルパンおよそ3世
2003年08月13日(水)

「3.1415……」が、「およそ3」になっている。
そんな曖昧な今日この頃だが、だからこそ
真実を見つめてみる勇気も必要なんじゃないかい?
――なんていう社会諷刺を込めて、今回のタイトルを付けてみた
わけではないんですけどねー。いやー。

あー、濃い人って沢山いるんだなー。と思った。
ちょっとした「闘いの場」に参加させてもらって来たのだ。
結構楽しいムードなんだが。
それでも、みんなが凄いということは伝わってきた。
知らないところに、やっぱりたくさんいるもんだなぁー。

負けていられないわッ、なんて思いつつ、
同時に劣等感も引きずっているこの不安定な状況。
インプットされる情報を処理しきれていない、
つまり手に入れたせっかくの知識を
きちんと「知恵」として消化できていない、
ということの現れでもあるかもしれない。
容量が少ないという以上に、要領が悪いのだろう。
人の話を聞こう、この人の良いところを吸収しよう、そうしよう、
と思うあまり、なんかパニックになってるような。
そんな気もするんだよなーあ。
なにも必死になって焦ることはないのかな。

そのくらい、ちょっと体液が沸騰するくらい、
おもしろい人間たちと出会えた。
確かに貴重だったと思う。
けど、なんか刺激が強すぎたようで、
日記を書き忘れるくらいくたびれてしまったのだった。

「パソコンをなるべく見ない生活」を数日続けた甲斐あって、
疲れ目は回復してきた。
その間こなした仕事は、本業=学業はほぼ皆無(……)。
その代わり、家の掃除と買い物に明け暮れる日々。
そう、時節はお盆。
我が家には滅多に来ないはずのお客さんが、たくさん来る。
滅多にお客が来ない家なので、
たまにこういうことがあるとなんだか慌ててしまう。

今年のお盆は初めて、お盆という気がする。
本当にそういう感じがする。
生きるとか死ぬとかいう問題は誰のそばにも潜んでいることで、
でも普段はそのことを意識しない。
軽い気持ちでコンビニに行って好きな物を選び、
気軽に「死にそう」なんてつぶやいてしまう。
良いとか悪いとかではなくそれが現状なわけだが、
人知を越えた長ーい目で見れば、
私が片田舎で忙しく悩んでいるというこの光景は、
まぎれもなく幸せの一つなのだろうなあ、などと思う。
おっ、ちょっと俳人みたいだ。ないしは明治の文豪みたいだ。
明治の文豪!なんかカッコイイ!!
文化人っぽいヒゲをはやしたいな。ちょっと偉そうな。
つけヒゲでもいいけどね。

それとは関係なく、
「やっこさん」って言葉を使いこなしたい。
ヤツ、彼、He、ってな意味に近いんだろうけど、
いまいちよくわからない。適切な例文が思い浮かばない。
でもなんとなく応用して創作した単語としては、
女の子ver.の「やっこちゃん」。ちょっとカワイイ。

例文:やっこちゃんめー、今度会ったら顔面にパイ投げだぞ。


涙目狂詩曲
2003年08月08日(金)

最近日記を書いてなかった。
な〜〜〜んでか?(堺すすむ師匠っぽく)
それはね、PCのモニターをなるべく見つめないようにって言われてるのよ。
誰に?目医者さんに。
「前に、ドライアイって診断されてるんだよね。
 ま〜前といっても○年前だけど、
 普段から涙が少ないってことかもしれないから。」

そう、あれは高校の時。
頭痛の原因がなにかを探るために、
あらゆる検査を受けまくっていた時期だ。
で、検査を受けまくっては「あんた、不健康なだけで病気じゃないね」
みたいな感じのリアクションをされていた時期だ。
血を調べたら貧血と言われ、
目を調べたらドライアイと言われ、
血も涙も控えめ(無いわけじゃないけど)な女であることが
科学的に判明したんであった。

でもまさか、「ドライアイの検査」が
あんなシンプルなものだとは。
目に試験紙を挟んで、ただひたすらじっと待つ。
で、涙が染みだした量を目盛りではかるって。
思いのほかローテクでびっくりしたっけ。

ドライアイ風味なうえに、
目がちょっと炎症を起こしている。んだそうだ。
炎症って言葉、なんか怖い。
火、を連想するからだ。
しかも、眼球にって。
眼球に火って。
星飛遊馬か、わしゃ。

ああ、夜になると目が疲れてきてしまう。
ついでに、(ついでに?)明日は大変だ。明後日も大変だ。
だから力を蓄えたい。
元気に動きたい。気持ちよい忙しさ、を感じたい。

就職活動、のことをよく考える。どうにも憂鬱な感じだが、
どうせ同じ道のりなら、楽しんだもの勝ちだ。
楽しそうな人、っていいものだ。確かに。

誰にでも、「自分が楽しめる瞬間」や
「自分が楽しめそうなこと」の大まかなイメージはあるけど、
でもそれが、「ひとりよがり」になってしまいそうで怖くて、
つい縮こまってしまうのだ。
自信がないなー私、と思ってしまうのだ。
そんな風に、その「客観視」したつもりの映像を見つめてばかりいると
自信って何?私って何?という疑問さえ生まれてしまう。
問題がどんどん抽象的になっていって、目の前のことがおろそかになる。
その疑問を持つことに意味がないわけではないけど、
それでチャンスを逃しているとしたらすごくもったいない。
とりあえず実行してみて、壁にぶつかることを恐れないことかなあ。
ぶつかったらぶつかったで、また何か別のことを実行すればいいんであり。

社会の中で楽しそうに暮らすには、
要領のよさであったり実行力であったり判断力であったりが必要で、
楽しそうに見える人というのもきっと、意識的ないし無意識的に、
いろいろな工夫を経ながら、めげずに暮らす粘りを持って
生きているのだろう。
人間なんだからそれなりに課題や苦労はあるはずだ。
でも、楽しそう。っていいな。

体力が無かった時期は、病気さえ治ればそれでいいと思っていたが、
もっと重い病気でももっと強い人はたくさんいる。
そういう人に対して情けない。
別に健康が正解とは限らないのだ。
実際、そんな謙虚な贅沢に納得している自分ではない気がしてきた。
健康で安全な生活を望むことは、謙虚だけど贅沢だ。
私は謙虚じゃなくて目立ちたがりだし、
贅沢したいとも、そんなには思わない。

もっと伝え方、捉え方を学ぶ必要があるんだろうなあ。
売れる商品を企画してヒットを飛ばすことも、
感動的な映画を作って観衆を泣かせることも、
要するに「共感」したくてやってることなのだ。
未熟な上に、めんどくさいと思ったりもするが、くすぶるのは嫌だ。

その時その時の状況の中で一生懸命であれば、
そのうちなにかいいことがあるような気がする。
こんな風に気がするだけのことって多いんだが、
何も確証がない世の中では実は誰しも、
気がする、のレンズの内で生きているのかもしれない。
って気がする。


目薬のバラード
2003年08月02日(土)

数日前から目がおかしいので、いい加減眼科に行く。
今日は暑いなー。梅雨明けたのか。

視力検査で、
「こちらのレンズ入れた場合、どうなりますか」と言われ、
「あ、こっちの方が見えやすいです」ということを
認めたくない自分がいた。
裸眼の道を貫きたい気持ちと、
メガネをかけて頭のいい雰囲気を装いたい気持ち。
その間で揺れる乙女心。

ショックだった。
視力がガクンと落ちていた。
うわ〜。パソコンのいじりすぎだろうか?
でも、結果の数値を述べると妹がキレた。
妹「はやさん、視力落ちたってどのくらいなの」
は「両目とも1.2。」
妹「……(怒)」
一般人からすると1.2も「十分良い」のだろう。
でも私にゃ私の闘いがある。
高校の時はまぎれもなく、2.0以上あったのだ。
学校の視力検査表は全部見えていたのだ。
この私が身体能力で人より優れているのは、
間違いない、視力ぐらいだ。
そう確信したのである(背景はベタフラッシュ)。
ちなみに矯正すると1.5になるらしい。
あー悔しい!
テニスプレーヤーに負けないくらいの俺でいたかった。
でもまぁ、いつかはメガネなのかなー。いつかは。
んで、下を向くたびにずりおちてクイッと上げたりするんだ。
頭良さそうな感じなんだ。ワクワク。

パソコン、あんまり使うなってよ。
へへ。
どうしよ。


ミュージカルメドレーof劇団雨季
2003年08月01日(金)

今日は絵を描いて、そして絵を描いて電車に乗って、
「すいません、ホントすいません」とひたすら謝罪し、
テンション高めに宴に参加したのちまた電車に乗って帰宅し、
そして絵を描いた。
目のあたりにヘンな鈍痛をおぼえて、
初めて体力がすり減ってる自分に気付いた。
しばらく忘れようとして忘れていたのだ。
男がつらいことを酒で忘れるように。
でも、そんなつらさは背中がものがたっているのだよ。
粉雪の舞う一本道を、傘も差さずに歩いてくあの背中がね。
(※8月最初の日記とはとても思えない文面)

「好きな花は?」と訊かれた際の
「ヒヤシンス!」という回答が忘れられない。
数ある花の中で、球根系とはお目が高い。
「好きなカレーは……」という自己紹介の形式も、今後確立したい。
ちなみに私は、好きなカレーは福神漬けです。
好きなハヤシはオムハヤシ。

好きな電車は、東急池上線。って答えてしまったけど、
意外と西武多摩川線もいいんだよね。是政行きだよ!是政。
JRには、正直ちょっと飽きている。
でも、京葉線も夏じゃなければ許せる。海と工場がたくさんで、
「うわー、東京にも海があるんだ!一応」という事実を確認できる。
他にも、総武線快速の虚無感漂うスピード感とか、
横浜線の期待以上ののどけさとか。
埼京線の冬景色なんて、富士山が見えて豪華絢爛!
でもどれもこれも冬が旬だ。
電車で過ごす夏は嫌だ。
夏は冷房が効きすぎて、そのせいでコートを持ち歩いている。
とはいえ、冬が最高かっていうとそうでもなく。
冬は暖房が効きすぎて、ふくらはぎが低温火傷になりそうだ。
春はまごつく新入社員が多いし、秋は遠足の団体が多い。
そういう風に電車も悩みが尽きないから、住むとしたらちょっと嫌なのだ。
「あー、この電車、気付いたら木更津に着いてないかなー。」
そんなことを夢見ながら今日も帰る。
もし着くはずのない電車が木更津に着くようなことがあったら、
それはジャックされているのかもしれない。線路を造ってでも、逃亡。

修理に出していた携帯電話が帰ってくるという。
意外と早い。
まあ、お兄ちゃん帰ってきてたの?と、男はつらいよ風。
気付いたら、だんご屋の店先の雑踏の中にふらりといる。
そんな風に帰宅するのが夢だ。
ただ問題として、うちは店ではない。近くに雑踏もない。
俺もつらい男になりたいぜ。
なりたいぜ?
いや、やっぱりいいです。