蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2016年11月03日(木) 言葉は要らなくなったのか

このひとりごとはおろか、ついには3年連用日記もサボるようになってしまった。今書いているのはバレエノート代わりのブログのみ。


日々、何も思わないわけではない。仕事とバレエ以外の出来事もあるにはある。姪の成長も著しい。でも以前のように、それらをいちいち言葉を選んで書き付けておく必要性を感じなくなった。その場その場で味わって、噛みしめて、飲み込んだらそれで終わり。覚えておきたいことは覚えているだろうし、忘れちゃってもいいことは忘れちゃうのだ。

なんでもかんでも言葉にしたい衝動に駆られなくなったのは、私にとってはある意味健康なことなのかもしれない。だいたい何か書きたいときは困っているか、行き詰っているか何かで、書いている内容がたとえ核心に触れていなかったとしても、別のことについて書きながら問題の答えを探していたり、一歩踏み出すきっかけを待っていたりした。

今はそれが要らない。


私のバレエはたぶんカラオケに似ている。バレエの爽快感はカラオケのそれに近い。カラオケにはもう10年以上行っていないけれど、お風呂ではよく歌う。

歌にはたいてい歌詞があって意味を持つけれど、踊りにはそれすらない。直接的な言葉に引きずられない。踊りはもっと茫洋として私の前でにこにこと両手を広げている。

では、言葉が要らなくなったのかと言えば、そうではなくて、むしろもっと必要になった。

踊りの技術を正確に伝える言葉。踊りの心を豊かに表す言葉。どれもとても難しく、訓練がいる。

大人の趣味のバレエに言葉はとても重要だ。見て学ぶ以上に、頭の中で言葉を使ってたくさん考えながら、最終的に出てくるのは動きとエネルギー。そうしていつか、指先や足先から言葉が溢れ出すといい。

読者や聴衆や観客は、いてもいなくてもどっちでもいい。お金取ってないから自由なのだ(もちろん常識の範囲内で)。私というフィルターを通して、何かが表出される楽しさったらない。今は腕を動かすだけで楽しい。

本も実用書以外読んでいない。堂々と書いたところで褒められることじゃない。そのうち何かが枯渇したらまた読むんじゃないか、と様子を見ている。


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