蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2014年10月31日(金) 部活がんばる

ああ、こうして今年も残すところあと2ヶ月。カレンダーの残りが少なくて頼りない感じ。11月は講演会聴講の予定が目白押しだ。仕事のものあればプライベートのものもある。

出かけていって人の話を聞くのは好きだ。ものによっては予習すればさらに楽しく聞けるわけで、いま同時進行で読み散らかしている数冊に、さらに1冊追加する。読書は自分ひとりで読んで納得しているだけでももちろんいいのだけれど、出かけていくと新しい気づきがあってさらにおもしろくなる。その気づいたことについて、ぐるぐるぐるぐる考えたいのだ。考えるきっかけがほしいのかもしれない。考えて、それでまた誰かと話をする。

数ヶ月前のこと。そういえば講演会とかサイン会とか行かなくなったよね、と何の話の流れだったか、言われてみればほとんどそういうのに出かけていなかった。飽きたわけでもないし、なぜなんだろう、何となく足が遠のいて、そのままになってしまっていた。最近は情報だけは大量に目の前を通過するから、ツイッターのタイムラインにあるものをちらっと見て、わかったような気になっていたのもあるかもしれない。

以来、少し意識して機会を作っている。おもしろそうな企画ほどすぐに定員になるから、何より反応の速さ、そしてフットワークの軽さがたいせつだ(これは苦手な部分)。数年かけて身の回りが少しずつ落ち着きを取り戻してきている(と考えて差し支えない?)この頃、こういう「ひとり部活動」みたいなことにこそ情熱を注ぎたい。そう、自己満足。もちろん誰の役にも立たない。でも楽しくって仕方ない。


2014年10月27日(月) できることなら雨の日にひっそりと

というわけで、喜々として神奈川近代文学館で開催中の「須賀敦子の世界展」へ行き、江國さんと湯川さんのお話を満喫した。

日曜日、しかも「文字・活字文化の日」を記念して観覧無料ということで、午前中から人が多い。午後には対談もあって、天井の低い細くうねった展示室は人々の熱気で息苦しかった。人の流れを見ながら、無料なのをいいことに何度も展示室を出たり入ったり。展示内容はこれまでどの資料でも目にしたことのなかった須賀さんの手紙や写真が数多くあり、それらを見ていると途中から悲しくなってきて、できることならこんな人ごみの中じゃなくて、雨の日に一人でひっそりと見たいと思った。じっと息をひそめて、須賀さんと静かに対話したいようなものばかりだった。11月24日まで。来れるならもう一度。

変にしんとしてしまった気持ちを立て直すべく、喫茶室へ行ったらここもいっぱい。外へ出て橋を渡って隣りの大佛次郎記念館のカフェ「霧笛」まで行ってツナサンドとコーヒーを補給し、午後の対談に臨む(このときのツナサンドがとてもおいしかった)。

対談はずいぶん前にチケットが売り切れ、220人収容のホールは開場して間もなく満席となる。聴講者には思ったより年輩の方が多く、同じくらいの年齢の人はあまりいなかった。友人には須賀さんの作品を好んで読む人が多くいるから、会場を見て少し拍子抜けした。

今でもときどき思う。もし私が大学時代に須賀さんの文章を読んでいなければ、その後やってきたいろいろな出来事にもっと苦しい思いをしたに違いない。書かれた内容に直接的に励まされたわけではない。その効用は、遅れてじわりとやってくる。須賀さんの文章を読み、文章に伴走するような心持ちで、自分の置かれた状況を冷静に考えることができる。大学の講義の最後に須賀さんの本を紹介してくれたあの教授にも感謝したい。

対談の詳細は2014年10月26日のページにゆだねるとして、長年敬愛してやまない江國さんと、『須賀敦子を読む』の著者である湯川さんのお二人が、それぞれ須賀さんについて語る言葉を生で聴くことができる、ものすごく特別な時間だった。

対談に出てきたいくつかの言葉をもとに、私は私の中の須賀さんとその作品について、またじっくりと考えたい。



--------------------キ--リ--ト--リ--セ--ン--------------------


「文字・活字文化の日」について、文部科学省のホームページより

---ここから---

文字・活字文化振興法の制定

平成17年7月に,議員立法として「文字・活字文化振興法」が成立,公布・施行されました。この法律は,文字・活字文化の振興に関し,基本理念を定め,国や地方公共団体の責務を明らかにするとともに,地域における文字・活字文化の振興や,学校教育における言語力の涵養,10月27日を「文字・活字文化の日」とすることなどを定めることにより,我が国における文字・活字文化の振興に関する施策の総合的な推進を図り,知的で心豊かな国民生活及び活力ある社会の実現に寄与することを目的としています。これを受けて,文部科学省においては,図書館の充実,読書活動の推進,学校図書館の充実等の施策の一層の推進などの「文字・活字文化」の普及・啓発に取り組んでいくこととしています。

---ここまで---

読書週間(文化の日をはさんだ2週間)の初日、10月27日が「文字・活字文化の日」で、文学館は月曜休館なので前日の10月26日が観覧無料だったわけか。


2014年10月26日(日) 江國香織さんと湯川豊さんの対談記録〜須賀敦子の世界展

須賀敦子の世界展 記念対談 「須賀敦子の魅力」 
出演:江國香織さん(作家)、湯川豊さん(文芸評論家、「須賀敦子の世界展」編集委員)
日時:2014年10月26日(日)午後2時開演
会場:神奈川近代文学館2階 展示館ホール


<注>
以下は、蜜白玉の聴講メモ書きをもとに作成した記録です。実際の講演のお話とは異なる部分があります。また、第1部から第4部の区切りについても私の独断によるものです。会場の雰囲気や、対談の間合い、言葉の切れ端をお楽しみください。

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湯川豊さん(ゆ)
もうはじめていいんでしょうかね。

江國香織さん(え)
いいと思います。

(ゆ)
江國さんは、ギンズブルグ『ある家族の会話』の翻訳を同時代に読んで、以来魅かれているということですが、そこからおはなししていただこうと思います。私はまた今度ここで講演があるので(注:記念講演会11月3日(月・祝)「須賀敦子を読む」 講師:湯川豊)、今日は江國さんにたくさんおはなしをしていただくつもりでいます。

(え)
そんなそんな。



*** 第1部 物語的性質 ***


(ゆ)
江國さんは須賀さんについて、いくつか短い文章をお書きになっていますが、須賀さんの作品についていかがですか。

(え)
須賀さんの作品には“なつかしさ”と“手触り”がある。そして、「現実と物語」、あるいは「日本とイタリア」をつなぐ場所へ連れて行ってくれます。

(ゆ)
つなぐ場所とは、具体的に?

(え)
つなぐ場所、つながる場所とは、本の中の世界と外の世界をつなげてくれる場所のことで、ひとつには須賀さんのお書きになる文章力、もうひとつには性質(あと当然のことながら努力も)による。物語を常に感じさせる。

(ゆ)
それは、物語的性質、というか体質というか。

(え)
同化しやすい性質ともいえる。

(ゆ)
須賀さんの作品は、「回想的エッセイ」という大きなジャンルにカテゴライズされるが、何を説明しても物語的になってしまうのが須賀さんの文章である。

(え)
抽象概念としての「物語の生息する場所」があって、須賀さんはそこへ行かれる人だった。一方で、それはそのことにとらわれてしまうことでもある。魅力であると同時に枷(かせ)でもあったかもしれない。言葉にしてしまった途端、物語性を帯びる。

(ゆ)
核心には物語性があった。エッセイの中では、いかに生きるべきか、とか書いていない。思想、信仰、人生訓は書いていない。

(え)
『塩1トンの読書』からの引用で、正確じゃないかもしれないけれど、「君は今、全ての人の骨の上を歩いている」というところがあって、須賀さんはこういった認識を自然に持っていた。ノートルダム寺院の描写には、今(現在)と過去の厚み、深みがある。

(ゆ)
ヨーロッパとの別れとして、パリまで車を運転していくが、ノートルダムの夕暮れの描写がある。その描写される風景の中には、歴史を説明していないけれど歴史が含まれている。描写の凄みを感じる。現在と過去の、これも“二重性”ということ。

(ゆ)
須賀さんについて江國さんの書かれた短い文章の中に、「物語とは、長く、暗く、重いものである」という一文があります。この物語とは、というところは、歴史が、長く、暗く、重いものであり、国が、長く、暗く、重いものであり、ノートルダム寺院が、長く、暗く、重いものであり、というふうに、当てはまりますね。人もまた、長く、暗く、重いものの果ての現在にいる。

(え)
須賀さんには、どうしたってそのことがわかってしまう。だからこそ、仲間、夫や親友などとのひととき、一瞬が永続しないからこそ美しいということがわかっていらっしゃったはずで、徹底してそちら側に立った。

(ゆ)
『トリエステの坂道』では、夫ペッピーノのことや家族のことについて書いている。家族はいわゆる労働者階級であったが、(労働者階級の人々を)代表させた書き方ではない。わかりやすく因果関係を書いたりしない。具体的には書かず感じさせる。これは小説の手法にとても似ている。

(え)
(至極納得というふうに、うんうんうなずく)



*** 第2部 『ある家族の会話』をめぐる話 ***


(え)
ギンズブルグの『ある家族の会話』は21歳の頃、今でもはっきり覚えている、千歳烏山の京王書房という本屋さんで買った。ギンズブルグも、翻訳の須賀敦子という人も知らずに、これおもしろそうと思って買った。本の衝動買いには自信がある(余談だけれどCDの場合ははずす。ジャケットがいいなと思ってもダメ)。そして、やはりおもしろくて本当に声をたてて笑いながら読んだ。当時本屋さんでアルバイトをしていたが、先輩におもしろいよ、といって貸したら、彼女は泣きながら読んだと言った。こんな差が!その頃、ぼんやりと小説を書きたいと思っていた。『ある家族の会話』を読んで、あらすじが大事ではない小説でもいいんだとわかった。家族の口癖とか言い間違いとか、物語にすることでとどめておける。

(ゆ)
物語にすることで、普遍性を獲得できる。

(え)
当時買った『ある家族の会話』の表紙の絵が有元利夫さん。これは日本人の描いた絵とは思わなかった。今では有元さんの絵のファンになった。3つの出会い(ギンズブルグ、須賀敦子、有元利夫)をくれた本。

(ゆ)
今のお話に補助線を引くと、須賀さんとギンズブルグとの出会いは、『コルシア書店の仲間たち』の中の「オリーヴ林のなかの家」に書かれている。それよると、将来書くとしたらこういう風に書きたいとおっしゃっている。その後20年を経てエッセイになった。

(え)
ギンズブルグの作品は他に『モンテ・フェルモの丘の家』『マンゾーニ家の人々』がある。『マンゾーニ家・・・』は手紙がベースになっている。どれもおすすめ。おもしろいし、家族と言葉で成り立っている小説。

(ゆ)
ヨーロッパのモダニズム文学、イタリアの実現ということになる。言葉を小説の中心に置く。これは江國さんにつながる。ギンズブルグから須賀さん、須賀さんから江國さんへとつながっている!

(え)
つなげないでいいです、いたたまれない(笑)。『マンゾーニ家の人々』については、小説としての骨太さを感じる。とても正確で、静かで、精緻で、なおかつユーモラス。翻訳の須賀さんの力か、それとも原著のギンズブルグの力か。題材となった文豪マンゾーニの代表作は『いいなづけ』。

(ゆ)
『ある家族の会話』を読んだ先輩は泣いて、江國さんは声を立てて笑ったという、その差については?

(え)
前述の先輩はヌマクラサツキさん(翻訳者)という方で、こんなことなら今日お呼びすればよかった。それは知識の差というか、社会的背景を読み取る力の差だったと思う。当時の私は物語の表面的な部分でしか読めなかった。一冊の本から何を感じるかというのは人によってすごく違う。あとは読んだときの年齢にもよるかもしれない。失われてしまうものについて、年をとってからは泣きたい気持ちになるようになった。涙もろく?

(ゆ)
いえいえ、まだ早いでしょう(笑)

(え)
本を読んでいるときは、物語的に効果があれば、もっといけ!殺れ!と思う。自分は冷酷な読み手の方だと思う。本の中のことと現実とをつなげる回路を持っているかどうかだけれど、私はつなげては読まない。母親のことが描かれていて、それを自分の母親と重ねて読んだりはしない。

(ゆ)
『ある家族の会話』でギンズブルグ自身はプルーストに背中を支えられている。序文から意図的さを加減していることがわかる。

(え)
須賀さんは、事実を伝えるには物語にしなければ、という確信をお持ちだったに違いない。人物が実名で出てくるけれど、それには逡巡と覚悟があった。

(ゆ)
当初、雑誌連載時は自他ともに仮名、のちに実名でいいと得心する。



*** 第3部 たちの悪い少女 ***


(え)
湯川さんは須賀さんとお付き合いがおありでしたが、須賀さんはどんな方でしたか?

(ゆ)
非常にたちの悪い少女(笑)。やんちゃで、笑う効果をよく知っている。子どもみたいに夢中になる。それを意図的にそうしていたのではなくて、体質として本来的にあった人と言える。おしゃべりが好きで、でもそれは特定の相手との場合で、私とはそうでもなかった。おしゃべり好きは落語が好きというところにも表れている。白山のふもと、白峰村に文春の編集者とか、大竹昭子さんたちと合宿に行ったとき、男女で部屋を分かれていたが、壁の上の方は隣の部屋とつながっていて、夜中にずっとしゃべっていた声が聞こえた。それも須賀さんの声ばかり。イタリアのこと、自分の文章のことをしゃべっていたように思う。あと、須賀さんは車の運転が好きだった。井の頭通りを80キロで走ろうとした。一種の暴走族!

(え)
意外!サガンみたい。

(ゆ)
私は『コルシア書店の仲間たち』の編集を担当していた。浜田山に住んでいて、車で送ってくれたけどこわかった。ゲラを読んでいる方が安全だった(笑)。車の失敗も平然と話す。世田谷は農道がそのまま車道になっているから道が複雑で、これ以上行ったらいけないな、と思って車を降りて確かめたら崖から落ちそうだったとか。車の運転が好きで、下手で、スピード狂。車を運転することで、静かで明晰な部分とのバランスをとっていたのかもしれない。

(え)
須賀さんが自動車の運転をなさるというのは意外でしたが、とても行動的なお方だということは、結婚とか留学とかにおいても、さまざまな反対を押し切っていることから窺い知れる。やんちゃで、情熱的だということも。一方のエッセイでは対象との距離の取り方が上手。だから物語になっている。

(ゆ)
文章では自己を抑えて、対象に語らせている。須賀さんは、本質は大変なインテリ。その知力や教養を簡単には表に出さなかった。良家だったので子どもの頃の写真がたくさんあって、今回も少女時代の写真がたくさん展示されている。知り合ったのは須賀さんが60代になってからだけど、少女時代としっかりつながっている。私の知っている60代の須賀さんと写真の少女は同じ顔をしている。だから1階の展示をじっと見ていると変な気持ちになる。



*** 第4部 必要な遠回り、そして湯川さんの箴言 ***


(ゆ)
いちばん印象に残った作品、あるいは好きな作品は?

(え)
どれも好きだけれど、あえて選ぶなら、『ヴェネツィアの宿』。父と母のことを書いていて、でも延々と遠回りをする。普段の(と言っても、その他の作品からうかがわれる)明晰さと、逡巡とのせめぎ合いがスリリング。せめぎ合いが『ヴェネツィアの宿』では表面的だからかもしれない。

(ゆ)
飛び石、あるいは遠回りが必要だった。私小説的。どうしても物語にしてしまう性質がここにも表れている。オリエント・エクスプレスのコーヒーカップの話なんて、物語が後からついてきているとしか思えない。

(え)
湯川さんはどの作品がお好きですか?

(ゆ)
私はあれこれ読み散らかしているので、今となってはどれというのはない。さて、話が当初の物語に帰結したところで3時半になりました。せっかくの機会なので、質問をどうぞ。

*

質問1:作品のメディアミックスについて、また紙の出版の行方について、どうお考えですか。

(え)
映画化についていうならば、小説とは別のものだから違うふうにしてほしいとお願いする。それがうまくいったのは『スイート・リトル・ライズ』で、これは小説より良かった。小説の中のセリフをそのまま語らせると変なので、変えてとお願いするが、変えないと変なものができあがる。須賀さんの作品については、須賀さんの世界をそのまま映し出すことはできない。ただし、作品を題材にして、エッセンスを使って、別のものを作ることはできる。紙の本については、私が教えてほしいくらい。紙の本と電子書籍は別のもので、それを「同じ」というなら、そのことは退化だと思う。

(ゆ)
物語の起源は神話。それは言葉によって作られたもので、人間の歴史と同じである。メディアが変わる、あるいは種類が増えても、物語そのものは消えない。メディアは自分の埒外で、そんなことは考えても仕方ない。自分は自分の書くべきものを書くだけ。幸いもう出版社を退職しているので。

(会場笑)


質問2:最近おもしろかった詩集、あるいは本をおしえてください。

(え)
難しい質問だ。最近の詩、詩集はあまり読んでいないので。小説なら、奥泉光さんの『東京自叙伝』がおもしろかった。

(ゆ)
これ以上難しい質問が出る前に終わりにします。




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神奈川県立神奈川近代文学館
『須賀敦子の世界展』 2014年10月4日(土)〜11月24日(月・振休)
展覧会のページはこちら


2014年10月15日(水) 山の家、ヤモリ

売るにしたっていつ売れるのか、いや、そもそも買い手が現れるのかどうかさえ、素人にはさっぱりわからない『実家を売却する話』が夏の終わりに急に加速し、しばらくはそれにかかりきりとなった。実家は私の結婚後に建てた家だから私は一度も住んでいない。その後の予期せぬ介護のためさんざん通い倒したけれど、あの家はどこからどう見たってやっぱり父と母の思い出の家なのだった。

売ろうかどうしようか迷っていた時期に比べれば、売却に向かって一気に動き出した今となっては、感慨はほとんどない。昨年の母の引っ越しによって空き家となってからは「思い出の山の家」は、ゆっくりと「ただの山の家」に変化したようだった。

つい先日の猛烈な台風の日、「ただの山の家」になる総仕上げとして、家に残されたありとあらゆる家財道具を処分した。せまりくる暴風と大雨にひやひやしながら前泊し準備をした。当日は朝早くから業者さんに頼んで、どんどん分別しては運び出してもらう。その作業は引っ越しと似ていたけれど、決定的に違うのは搬出はあっても搬入はないということだ。ここでお別れ、今日でさようなら。

運び出される物を私はなるべく見ないようにした。業者さんは、思い出の品っぽいですけどいいですか?と見つけるたびに訊いてくれた。細かい物ほど見てしまうと名残り惜しくなって、あれもこれもとっておきたくなるだけだとわかっていた。そのたびに、あ、いいですいいです、いっちゃってください、とへらへら明るく返事した。へそくりみたいなものは見つからず、出てきたのは500円の図書券1枚(カードじゃなくて券)、ビジネスホテルのギフト券、20年前のビール券、うちのタマ知りませんかの貯金箱の1円玉と5円玉だった。どれも納戸から出てきたもので、そこはすっかり時が止まっていた。

2台のトラックを満載にして業者さんが帰ると、物がすっかりなくなった家の中は、気が抜けたみたいにぽかんとしていた。それを眺めて、よかったと思った。安堵ばかりでさびしさは感じなかった。

片付けの途中、勝手口を開けたとたんに首元に何かが触れて、払い落すと大きなヤモリで、一瞬、うわぁ!と叫んだものの、ちょっと考えて合点がいった。お役目これにて終了、ということなのだと思う。こちらこそ、今までありがとう。そういえば、前にもこんなことあったな。挨拶に来るなんて、君たちも相変わらず律儀だね。


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