蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2014年07月30日(水) カオナシあるいは虚無

いろいろなことが進行中。こんなに気忙しいのに、でもどれもこれも私のことじゃない。こっちは誰かの代理、あっちは誰かの手伝い。

それも悪くない。当てにされれば、自然と力もわく。頼ってくれてうれしい。そしてたぶん、私ならやれる。どんと来いだ。それらを通じて学ぶことや得るものがたくさんあるというのも、もう十分すぎるほど知っているはず。

でも、足を止めるとふとさびしくなる。私自身のことって、どこにあるんだろう。今もそれが全然わからない。見えない何か。あるいは、名前をつけられない何か。属性じゃなくて。

・・・なんて言ってこねくりまわしてふてくされてもどうにもならないから、自分にぐっと引きよせて、私なりの意味を見つけるしかない。やりたくないわけではないのだ。ただ、やればやるほど、自分が薄まっていく気がするのはどういうわけなのだろう。

夫にもいつだったか、「流され過ぎ、自分がないよ」と言われたな、そういえば。まったく耳が痛いことである。

千と千尋の「カオナシ」や、果てしない物語の「虚無」のことを思い出している。


2014年07月29日(火) 彼女たちのワンピース

その映画を見るなら断然、季節は夏で、今くらいがちょうどいい。日の光がまぶしくて、頭がぼーっとして、周囲の音が遠ざかるような、そんな日がうってつけだと思う。暑さにやられ脱力した自分の隣にそっと差し出される、ちょっとわけのわからない物語。空っぽな自分を物語の中で自由に遊ばせる。そこには幾通りもの意味が潜んでいて、毎回新しいおはなしのよう。

いつだって際立つのは彼女たちの色とりどりのワンピースで、大股でパリの街を闊歩するたびに軽やかに翻る。もちろん場面ごとに彼女たちはワンピース以外の洋服も着ているけれど、どうしても印象に残るのはルイーズの赤いワンピースだ。何年も前、似たようなワンピースを見つけ、迷わず買った。ひさしぶりにクローゼットから出して着てみる。着れた。今夜の読書会にはこれで出かけよう。映画ではフラットシューズだったけれど、今日のところはサンダルにして。

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映画「パリでかくれんぼ」原題:Haut bas fragile  監督:ジャック・リヴェット 1995年フランス

Amazonで見れば、DVDは中古品のみで高額になっていた。いつの間にか手元のDVDがとても貴重なものになっている。またいつか、映画館のスクリーンで見たい。


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