蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2012年08月21日(火) その正体は

オキちゃんはシャチでもなければイルカでもなく、なんとクジラだった。オキちゃんショー(正しくは「オキちゃん劇場のイルカショー)に出ていたのはオキゴンドウとミナミバンドウイルカで、大きい方のオキゴンドウは、クジラ目ハクジラ亜目マイルカ科オキゴンドウ属に属するクジラである、という。

でもシャチと思ったのもあながち間違いではなかったようで、英語ではFalse Killer Whale(シャチの偽者)、日本でも別名「シャチモドキ」と呼ばれ、シャチと同じように捕獲した獲物の肉をえぐり取る歯を持っているらしい(イルカにはそこまでするどい歯はない)。群れで泳いだりジャンプをしたり人間の乗るボートに近づいてきたりもするらしく、姿かたちも行動も見ていれば、どうりでイルカだと思うわけだ。

ただ、色の記憶は間違っていた。白黒じゃなくて、黒もしくは濃い灰色1色だというから、そう言われてみればそうだったような気もするし、テレビで見た何か別のものとオキちゃんが、記憶の中ですり替わったのかもしれない。

今の美ら海(ちゅらうみ)水族館は、むかしは海洋博記念公園水族館とかいうごく普通の名前だったはずで、ホームページをのぞいてみれば、なんとまあ、深海魚もわんさか山盛り。改めて今もむかしもすごい水族館だと納得する。メガマウスの液浸標本と触れる標本なんてものもある。いつか行こう。ぞわっとするに違いない。


2012年08月17日(金) 愛すべき海と生き物たち

子どもの頃はミノカサゴとモンガラカワハギが好きだった。姿かたちがひらひらしたものや、模様の派手なものに目がいった。沖縄に住んでいた頃は休みといえば水族館か植物園だったような気がする。とにかくよく水族館に行った。今思えば贅沢なことだけれど、ジンベイザメもマンタもオキちゃんショーも飽きるほど見た。オキちゃんと呼ばれていたのはたぶんシャチだったはずだけれど、シャチを知らない私は白黒模様の太ったイルカだと思ってオキちゃんをイルカショーとして見ていた。

この夏、ものすごくひさしぶりに水族館へ行った。いちばん近いところで、池袋サンシャイン水族館へ。夏休みも真っ盛りだから昼間は入場制限をしていたようだけれど、夕方に行けばそのまますっと入場、館内は少し混んでいるくらいだ。

水族館は暗く涼しい。いちばん大きな水槽ではちょうどダイバーのお姉さんのショーをやっている。お姉さんはエサで魚の群れを誘導したり、エイの口めがけて直接エサをあげたり、岩穴のウツボを引っ張り出して抱えて泳いだりする。お姉さんは怖いもの知らずで豪快だ。お姉さんから解放されたウツボは急いでまた岩穴に戻る。

ショーが終わると再び小さな水槽ににじり寄る。他の水槽よりいちだんと暗い地味な水槽に惹かれる。何がいるのか。水槽の暗さに目が慣れてくると左端にタコがぎゅっとしている。機嫌の悪そうな目、ふてくされたような態度、足の置き方も怠惰なミズダコだ。タコはそんなつもりじゃないのかもしれないけれど、そう見える。そのことがおもしろくて仕方ない。子どもの頃はこんな水槽は退屈だったに違いない。少し進めば、幻想的なクラゲのトンネルに人があふれている。水槽をトンネル型にして人間が生き物の下をくぐれるようにする方法は、いつから流行っているのだったか。奥には始終あっぷあっぷしているマンボウがいる。水槽の湾曲したガラスのせいか、マンボウはえらく大きく見える。これ、畳より大きいよね、と相方に確かめる。マンボウはどうしたいのか、行き先が見えているのかいないのか。かわいそうだ。寒いくらいに冷房がきいた館内をめぐる。上階は淡水、熱帯魚や両生類、爬虫類、そしてまた海水。愛らしいクマノミもいる。イソギンチャクにじゃれるようにするクマノミはいつまで見ていても飽きない。これは子どもの頃からずっと変わらずに好きだ。

展示が終わるとお土産屋さんで、さんざん悩んでシーラカンスのぬいぐるみ(Sサイズ)は、ここにはいなかったから、という理由であきらめて、クマノミのストラップを買う。深海魚の下敷きも欲しかったかもしれない。でも深海魚はここにはいない。かろうじてタカアシガニが深海といえば深海か。今度、姪っ子と沼津にある深海魚の水族館に行く約束をしたので、そのときは晴れてシーラカンスのぬいぐるみを買うことにしよう。

それにしてもここ数年、深海にやけに惹かれるのはどうしてなのだろうか。シーラカンスは以前から知っていたけれど、ダイオウイカとか、頭が透明で目が上向きについている魚とか、変なタコとか、バランスがおかしなくらい顔の大きな魚とか。ふだん簡単には見れないからこそ見てみたい!と思わせるのか。深海には人間の知らないことがたくさんあって、これから先、どんなに努力しても絶対に人間が全てを知り尽くすことなんてできない、と思わせるその未知の世界の深さや暗さを、地球の頼もしさとして感じるからかもしれない。わからないことがたくさんあると思うと、わくわくして、体の内側が震えるような気がする。クスクス笑いと寒気が同時に起きたような、こわいようなおもしろいような不思議な気持ちだ。

外に出ると屋上にはドーナツ型の水槽があって、ペンギンが高層ビルを背景に泳いでいる。夕暮れ時、なかなかいい眺めだ。都会の水族館も悪くない。


2012年08月16日(木) 真夏のコインランドリー

我が家の洗濯機はたしか7キロだか8キロ洗えるはずなのに、薄手のラグ1枚で、エラー連発、仕舞いには、無理ですもう回れません、と脱水の途中で自分の仕事を放棄する。そんな状態で放棄されても、ぐっしょり濡れたままのラグは重くて、ベランダに干しても乾くまでに何日もかかるし、そんなこんなでラグを洗いたくてもその顛末を思い出すにつけ、なかなか洗えないでいた。

1年くらい前に、近所の駐車場の角にコインランドリーができた。かなり大型のものも洗えるらしく、ふとん!とか書いたノボリがあったような気もする。相方といっしょに、リビングのラグと、食卓の下に敷いてあるラグをそれぞれ抱えて、コインランドリーに行ってみる。いちばん大きい洗濯機はあいにく誰かの洗濯物が回っていた。横の中ぐらいの洗濯機で念のため1機1枚で回すことにする。洗剤も柔軟剤も家から持ってきたが、自動投入されるから不要、と書かれている。ふたを閉めて、400円を入れて、スタートボタンを押すと、2機の洗濯機はラグに対してなんのてらいもなく回り始める。27分後の仕上がりということで思ったより短いので、近くのコンビニで時間をつぶすことにする。コインランドリーのプレハブで待つには今日は暑すぎる。

洗いあがりのラグををお腹に抱えて、コンビニで買ったアイスを片手に提げて家へといそぐ。猛暑の空に向かって、これでもか、と洗い立てのラグを2枚広げる。真夏の午後の日差しが痛いほどまぶしいベランダに、少しなつかしい洗剤の匂いがただよう。


2012年08月14日(火) おしらせ〜もうひとつのひとりごと〜

こことは別に、「蜜白玉のひとりごと」があります。もうひとつの場所を作ったのは先日のエンピツサーバー長期ダウンがきっかけですが、せっかく一度は引越しを決意したのだからと、こっちもそっちも、どちらも残すことにしました。

もうひとつの「蜜白玉のひとりごと」は、はてなブログにあります。
こちら↓

もうひとつの、蜜白玉のひとりごと
http://mhitorigoto.hatenablog.jp/

他のブログに比べるとずいぶんと簡素なブログですが、写真を載せることができます。文章はここと同じです。あとは、私がちょこちょこ撮った写真や、本の紹介を兼ねたアマゾンへのリンクがあります。こことはまた少し違った楽しみ方があるのかなと思います。今はコメント欄も書けるようにしてみました。

もうひとつのひとりごともぜひ、ご覧になってみてください。どうぞよろしくお願いします。


2012年08月13日(月) 田んぼの青、山の青

伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん・別名いずっぱこ)は三島から修善寺までの単線、銀に青の3両編成だ。お見舞いの帰り、伊豆長岡駅で降ろしてもらい、そこからは電車に乗って三島方面へ帰る予定だった。午後3時過ぎ、まだ時間もあるしせっかくここまで来ているのだからと、反対方向の修善寺へ行ってみることにする。

初めて乗る伊豆箱根鉄道は、律儀な直角のオレンジ色のシートで、お盆の観光シーズンだというのに車内はすいている。旅情気分を味わうべくボックスシートにおさまる。車窓は右も左も田んぼの青、山の青。のどかな日本の風景の中をゆったりと走っていく。途中駅のホームには小学校のような水飲み場があったり、なんだか目に映る情景がどれもこれも20年くらいタイムスリップしている。

終点の修善寺駅には、何もなかった。駅前の通りはそっけなく、蕎麦屋と土産物屋くらいしか見えない。バスターミナルには数台のバスと整然と並ぶ客待ちのタクシーだけだ。タクシーの運転手さんたちは車から降りてだべったり、フェンスに腰掛けてタバコをすったり、暇そうにしている。ここで働いている人たちばかりで、観光客らしき人は数えるほどしかいない。午後4時という中途半端な時間のせいだろうか。

肝心の温泉はここからさらにバスで10分くらいのところにあるらしい。ふらっと修善寺駅まで行って街をぶらぶらしてすぐ帰るつもりで来たけれど、こう何もないんじゃ話にならない。ええい、乗りかかった船だ、ということで(実際に乗るのはバスだけれど)修善寺温泉エリアまで行って日帰り温泉に入ることにする。

バスは橋を渡って坂を上ってすぐ着いた。降ろされたところからまた少し歩く。日枝神社の前を通過し、修善寺に到着。お寺だ。修善寺の前には川が流れ、橋の赤い欄干が目立つ。これぞ温泉郷という景色だ。お参りもそこそこに日帰り温泉へ向かう。

入湯料350円、タオル100円を券売機で買い、帰りのバスが18分だから、じゃ5時に、と言ってお風呂へ。ここもすいている。大きなお風呂をほとんど独り占めだ。それでも熱くてあまり長くは入っていられない。湯から上がると汗がとまらずふきだし、なんとか着がえて脱衣所から出て行くと、ちょうど相方も反対側から出てきた。ゴーン。5時の鐘か、修善寺の鐘だろうか。

バス停の横のお店で母にわさび漬けを買い、バスに乗る。再び修善寺駅から伊豆箱根鉄道を端まで乗る。終点の三島に近づくにつれて、家々が電車に迫ってくる。三島に着くとそこはすっかり現代の、見慣れた町の姿をしている。さっきまでの田舎の風景や温泉が夢の中の出来事のようだ。夏の夕方の気だるさと風呂上りの爽快感、そして手元にある温泉名の入った薄いタオルが、行き当たりばったりの、思いつきの旅の証だ。


2012年08月12日(日) 小さな女の子

ひさしぶりに会う姪っ子はまた背が伸びて、そして真っ黒に日焼けしていた。言葉遣いも大人びて、ときどき見せる拗ねたような表情も、もうはじめて会ったときの、2歳の小さな女の子からは想像もできない。本当にあっという間に大きくなってしまうんだ。

大きくなった小さな女の子は、それでも黒目がちの瞳とやわらかそうな髪はそのままで、人見知りの中にもやさしさが垣間見えて、いいなと思った。

親戚の家を訪ね、お墓参りをして、お昼にお寿司をごちそうになり、午後は病院へお見舞いに行った。あわただしく動き回ったものの、楽しかったというかよかったというか、ひとまずみんなの顔を見て、安心した。

雨が降るという天気予報を信じて、帽子を持っていかなかったのが失敗。ものすごく日が照って、この上なく暑かった。入道雲が白くくっきりと空に立ち上っていた。


2012年08月11日(土) 夏休み初日

夏休み突入!

とりあえず何かしなきゃ、というので、家じゅうのカーテンを洗う。いちばん大きいリビングのレースのカーテンなんて、ぎゅっとまとめるとうっすらとグレーになるくらいで、洗いがいがあるったらない。

フックをはずして洗ってまたつけてカーテンレールにつるす。取り付けてそのまま乾かす寸法だ。この暑さだからレースのカーテンなんてすぐ乾く。心なしかいつもより部屋が明るい。カーテンが白いからか。

さて、明日から実家めぐりだ。夏休みは来週の日曜日まで。


2012年08月09日(木) 講演会のおしらせ

ついこの前、たまたま読んだ本の著者が講演をするという。しかも地元の図書館で。なんて奇遇な。

というわけで以下、お知らせ。北欧の図書館のお話がいろいろ聞けたらいいな。

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〜杉並区立図書館ホームページより〜

中央図書館講演会「北欧の公共図書館:スウェーデンの児童サービスを中心に」

講師は、北欧公共図書館の生涯学習機能に関わる実証的研究を行っており、「デンマークのにぎやかな公共図書館」を出版しました。
今回は、北欧の図書館およびスウェーデンの公共図書館で行われている児童サービスについて講演を行います。

【日時】 平成24年9月1日(土)午後2時〜午後4時
【場所】 杉並区立中央図書館 地下視聴覚ホール(荻窪3−40−23)
【講師】 筑波大学大学院図書館情報メディア研究科教授 吉田 右子
【定員】 50名(申込順、電話か直接カウンターへ)
【申込・問合せ先】 中央図書館 電話 3391−5754


2012年08月06日(月) 人、ときどき虫

もうそろそろかさぶたになっているかと思って、不用意に引っ掻いたら流血。いったん流れ出てしまったものは止めようもなく、当の本人が収拾つかないのだから、周りにだってどうしようもなく、どんどんイラ虫と化していく自分の扱いに困り果て、結局布団に入って目を閉じるしかなかった。(比喩です。実際に血は出ていません。)

朝起きたら、とりあえず虫から人に戻っていた。今になって落ち着いて考えてみれば、やっぱりあれは安易だった。この先もまだまだ、そうあと少なくとも5年くらいは、いやでもさらされる場面が何度もやってくるのだから、今よりもっと慎重にしてもいいくらいだ。平気なふりをするのがあんなに後々つらくなるものだとは思わなかった。口から出まかせ(というのではないにしろ本心とは少し異なること)をなんでもないことのようにしてしゃべり続けるというのは、他でもない自分をめった切りにしているようなものだ。そう気安くやっていいことではないのだし、何もそうまでして人におもしろい話や耳触りのいい話や都合のいい話を聞かせなくてもバチはあたるまい。だからと言って、じゃあ代わりに何を言えばよかったのかは今もってよくわからないけれど。あーあ。

ひとつ別の見方をすれば、平気なふりをすることで、もう自分は平気なんだって思い込みたかったというのもある。面倒くさいな、私ってば。でもわかってるけど、さらっと流せるほど器用じゃないし、うじうじぐじゃぐじゃ考えるし、考えが整理されて自分が納得しないと前に進めないのだから仕方ない。まあいいや、もう少しこの辺で泣きながらうろうろしてよう。誰かのせいにするのは簡単、でも他人のせいにはできない、深い深い問題なのだ。自分がこれからどうやって在るか、というのとほぼ同義くらいに思っている。


全然関係ないけど、最近読んだ本。

津村紀久子『やりたいことは二度寝だけ』
タイトルが最高。同感。でも最近二度寝すると起きた時に頭が痛い。

西村賢太『苦役列車』
主演が森山未來で映画化したというので、つい。

田中美穂『わたしの小さな古本屋〜倉敷「蟲文庫」に流れるやさしい時間』
蟲文庫さんの軌跡。いいなあいいなあと羨望のまなざし。

吉田右子『デンマークのにぎやかな公共図書館-平等・共有・セルフヘルプを実現する場所』
図書館で見つけて何となく。北欧は図書館も豊かだ。


他にもあったような気がするけれど、忘れた。夕方の蝉時雨がかなりの音量で、耳がわんわんするくらい。甲州街道の車にも負けてない。蝉、元気いっぱい。


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