蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2011年12月29日(木) なんとなくの振り返り

さて、今年も残すところあと2日となってしまったので、今年の目標とやらを振り返ってみたい。昨年の年の瀬のひとりごとを読み返してみると、日常の仕掛け、として私はこんなことを考えていたようだ。

1.うそ日記を書く

2.友人知人には自分から連絡をとる

3.忘れてしまうのだからすぐにメモ

4.予定を入れないデー制定を模索

5.おおらかに

6.月ごとに、小さな断捨離。季節ごとに、大きな断捨離。

7.眼鏡を作る

8.ストレッチ

9.植物の名前を覚える

10.(未定)


・・・ほとんど覚えていなかった。完璧にできたのは「7.眼鏡を作る」だけだ。眼鏡は快適だ。日によってかける日とかけない日があるけれど、集中力の低下を眼鏡をかけることである程度補うことができるのに気づいたときはうれしかった。

あとは、日記とメモは半年も続かなかったし、ストレッチもやったりやらなかったり、断捨離もそのうち飽きた。植物の名前を覚えることなどすっかり忘れていた。最近は覚えるものが「植物の名前」じゃなくて「イタリア語」にすり替わっているし。おおらかに、もどうだったろうか。イライラしつつも何とか今のところ仕事をやめずにこれただけいいとするか。10.が未定だったのは未定のままきてしまったのか。

今年は、予想していた大変なことに加えて、予想もしていなかった大変なことも起きた(地震と、それ以外にも個人的ないくつか)。それでも大きく壊れることなくここまで来れてよかったと思っている。

いつも振り回されて大変だ、と思っていたのだけれど、実は大変なのは私じゃなかったとこの頃は考えるようになった。私自身はいたって単純明快、どんなに他人の事情に巻き込まれたとしても、大変なのは私じゃなくてその人であって、その大変は私の持ち物ではなかったのだ。そのことに気づいたら気が軽くなったし、いろんな大変よ、どんと来い、という気にもなった。その病気も、その借金も、その家族関係も、私自身のものじゃない。どんなに振り回されても迷惑をかけられているような気がしても、ちょっと落ち着いたときにふと我に返れば、あれ?平気・・・かも。長く生きればきっともっと執着も澱も膿みもたまる。私自身はなるべく手放して単純明快にしていたい(他人にかまわないというわけはありませんよ、念のため。心配もしますし)。

来年は特に目標もないけれど、心を健康に、体を大切に、もう少し人のために時間を避けるようになりたい。それからイタリア語は続けたいなあ。来年もよい年になりますように。


2011年12月02日(金) ペンキまみれ

なんだか長い間書いていなかったのはなぜだろう。たいして本を読んでいなかったせいもあるし、職場の人間関係のグチをつい書いてしまうのがいやだったせいもある。生活の大半の時間を占めている職場のことを「意図的に気にしないように」するのってけっこう難しい。とにかくここに書きにくいことばかりが起きていた。将棋もイタリア語も当然興味がわいたからやっているのだけれど、職場とは全然別のことで、ひとりでどこででもできることを見つけたかったというのもある。毎日会っているあの人たちとは全然関わり合いのないこと、絶対話題のかぶらないこと、誰も知らないことをしたかったのだ。こう書くとあまのじゃくだな。あの人たちの生活の色が濃過ぎて、私まで毎日塗られたくもない色でペンキまみれみたいな気分だ。どう?このわかりにくいグチ。

子ありと子なしの壁は厚い。保育園から電話がかかってきたらすぐに帰るし、鼻水が止まらなくて病院へ行くからって朝突然休むし、今週は疲れたからもう帰るって早退するし、そもそも時短勤務だし。「帰りまーす」の前に「すみません」くらいつけても損はしないと思うけれど、どうなんだろう。さらにはそんな勤務状態なのに、いろんなところで風呂敷広げて仕事を増やしてくるから理解に苦しむ。早く帰りたいとか休みたいとか言っている人は小さく仕事をしていればいいのに。その負担が全部私に来るので、早退も遅刻も休みも百歩譲って好きなようにすればいいと思うけれど、風呂敷広げて仕事増やすのはやめてほしい。私もいつまでニコニコしていられるかわからない。


2011年12月01日(木) おつまみはイタリア語

雨の日は、赤より黄色の葉が目立つ。濡れた落ち葉に足をとられないように、急いでいても注意深く歩く。

この頃何をしているかと言えば、イタリア語をかじりながらイタリアワインを飲んでいる。以前からワインは特に赤ワインが好きで、それでも特に何のこだわりもなく、ただおいしいなあと思って飲むばかりで、どこのなんていうやつを飲んだかなんて気にも留めていなかった。せっかくイタリアづいているのだからこれ幸いとイタリアワインだけを意識的に飲むことにした。これでだいぶ絞り込んだと思ったらそんなことは全然なくて、イタリアは全土でワインが作られているから、まずはイタリアの州の名前を覚えることになった。州の中にさらにいくつもの産地がある。加えてぶどうの品種、ワインの名前、商品名、生産者、作り方、ランク、どこまでも果てしないカタカナの洪水だ。ちょっと知りたいと思っただけなのに、なんだかとんでもない扉を開けてしまったようだ。ワインを考えるときに、わからないからどうしても日本のお米になぞらえて考えてしまう。こしひかり、ささにしき、あきたこまち、きらら397、ひとめぼれ、・・・たくさんあるお米の品種と産地、地域、区域、生産者、これと似ているってことだろうか。詳しい人からすれば、おいおい何を言ってるんだい、と怒られそうだけど、まあ。

もうひとつ、かじっている方のイタリア語はまだ本当にかじり始めのひとくち目という感じで、ラジオ講座の入門編を聴いているのと、1冊の文法書があるきり。あとは録画してある「イタリア トスカーナの山暮らし」(NHKプレミアム猫のしっぽカエルの手)を繰りかえし見て、生のイタリア語を少しでも体に染み込ませるという勝手な方法。ここに登場する一家をとても気に入っていて、そのことは前にも書いたかもしれない。バッボ(イタリア人お父さん)とマンマ(日本人お母さん)と9歳の女の子ユキちゃんの3人家族は山の一軒家で仲良く楽しく暮らしていて、特にひょうきんでおしゃべりなユキちゃんの様子からは目が離せない。何度も見ていると、ふだんの生活の中に流れる言葉をほんの少し聞き取れることがあってうれしい。イタリア語はその音がきれいだ。

勉強し始めが楽しいのはどの言語でも同じだろうけれど、イタリア語はどのあたりまで行けるのだろうか。


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