蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2009年06月30日(火) 読んだ本≪2009年6月≫

今月は6冊。

図書館からたくさん借りてきた割にはたいして読めず。重たい本を何冊も持って歩く羽目になっただけだ。石田千は新しい本が出るたび味わいが増す。川上弘美はめずらしくニョロニョロした生き物が出てこないなあ、と思っていたら、やっぱり最後に幽霊が出てきた。


太田静子『斜陽日記』小学館文庫(図書館)
一行感想:太宰の『斜陽』と読み比べるため先に読む。なんだかんだ言って昔の人は丈夫だ。


吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』暮しの手帖社(図書館)
一行感想:再読。細々と、しみじみと、ちいさくおもしろく生きていくことの楽しさ。


太田治子『空色のアルバム』集英社文庫(図書館)
一行感想:所収「十七歳のノート」が読みたくて。『斜陽日記』からはわからなかったお母さん(静子さん)の人柄がよく伝わる。


フジモトマサル『ウール101%』文化出版局(図書館)
一行感想:読んだ、というのが適当かどうかはさておき。絵のかわいさとは裏腹に、というところが好き。


石田千『きんぴらふねふね』平凡社(図書館)
一行感想:毎晩、寝る前に1、2編ずつだいじに読む。連想に伴って情景が移り変わる。いつも唐突なのに、なぜか「わかる」感じ。


川上弘美『どこから行っても遠い町』新潮社(図書館)
一行感想:それならこっちは朝、出かける前の半端に余った時間にちょっとでも読み進める。ゆえに物語はぶつ切り。もったいないことよ。
(追記:その後、休日に一気読みした。)


2009年06月29日(月) 本読みの端くれ

今年も半分が過ぎる。早い。いや、この半年もいろいろあったから、たとえば年明けの頃がどんなだったかというのは今となってはもうよく思い出せないから、そうするとただ「早い」というわけでもないのか。ぎゅっとつまった、でもなにをしたという実感もない、疲れた半年だった。

半年で読んだ本を足してみたら38冊で、これは多いのか少ないのか、たぶん少ないと思う。もっと読みたい。読書は冊数ばかりではないけれど、読みたい本、読んでおきたい本があれもこれもとあるのに、頭も体も追いつかないのが悔しい。この頃は布団に横になるとすぐに眠りに引きずり込まれるので、夜に本を読みたいなら座って読まなければならない。



2009年06月04日(木) いつでもどうぞ

思いつくまま次々と図書館の本を予約する。予約限度冊数いっぱいの20冊に達する。抜け目なく新刊もリクエストしておく。高山なおみ(チクタク食卓)と石田千(きんぴらふねふね)がいい。これらは買ってもいいくらいの本だけれど、図書館が入れてくれれば他の人も読めるわけだし。他館から取り寄せたり、予約待ち人数が多かったりで、届くまでの時間もまちまちだが、次の日にはもう6冊用意されていて焦る。帰りに図書館へ寄って借りてこなければ。

読めない読めないと言って読まずにいたらいつまでたっても読めないわけで、思い立ったらすぐ読めるような、もしくは、読まなきゃならないような環境に自分を置くことにする。少しでも心惹かれる本が本棚の真ん中の段(いちばん手に取りやすい高さで、図書館から借りてきた本はここに仮置きする)にずらっとスタンバイしている姿はなんとも頼もしい。いつでもどうぞと読まれるのをじっと待っている。

借りるのは川上未映子の詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』(中原中也賞を受賞したばかり)他に数冊と、太宰治生誕100年で太宰治と太田静子(太宰の愛人の一人)も。実は太宰はちゃんと読んだことはない。高校生のとき読んだかもしれないが全く覚えていない。

まるはあれから卵を産まない。抗生剤とカルシウム補充で見た目元気に生きている。お腹の腫れも少しひいたような気がする。本当に人騒がせな鳥だ。でも元気なのでよしとする。


2009年06月01日(月) 枇杷の実

歩いていると枇杷の実がたくさんなっているのを見かける。枇杷は数回しか食べたことがないので、味をよく思い出せない。

結局5月は1回しかひとりごとを書かなかった。盛りだくさんあれこれあったけれど、あり過ぎて、書こうにも考えもまとまらず追いつけず、書けなかった。折々また思い出しながら書くことにする。

先週はひさびさに1週間まるごと家でご飯を作ることができた。肉、魚、豆腐、野菜いろいろ、調味料以外ほとんど使い切って、金曜日には冷蔵庫が気持ちよくすっからかんになる。日曜日は午前と午後でスーパー2軒行って買い出し。いつ来るともわからないパンデミックに再び備えて(我が家では3月末にもう来ないだろうと思い、一度解除した)、缶詰乾麺なども余分に買う。日曜日の夜はひき肉をこねてハンバーグにする。余裕のないときにひき肉を使った料理はしない。だからハンバーグもものすごくひさしぶりだ。

1週間母がひとりで頑張ってくれたおかげで、私は自分の家で過ごし、毎日ご飯が作れた。うれしかったけれど、母が根を詰め過ぎても体に悪いので、やっぱりちょいちょい手伝いに行こうと思う。

土曜日はまるの病院へ行った。まるがまた卵を産んだのだ。土曜日の朝、鳥かごを覆う布をよけると、チョコボールより小さな卵をだるそうな目をして羽を膨らませて温めていた。ああ、なんてこと!卵を産むことは寿命を削り、たたでさえ腹壁ヘルニアで出っ張ったお腹が、卵が通ることでさらに腹筋が破れ、お腹が出てしまう。いま卵を産むなんて、命を縮めるだけのそれは危険なことなのだ。何度言い聞かせてもまるにはわからない。まるがなるべく発情しないように、大好きな水浴びも外遊びも禁止、早寝遅起き励行、あまり話しかけない、むやみに触らないなど、ずっと気をつけて過ごしてきた努力もむなしく、全く発情抑制にはなっていない模様。

急いで病院に連れて行き、皮下注射をしてもらう(栄養と抗生剤入り)。午前中は止まり木に止まるのがやっとで、餌には見向きもしなかったが、注射をして帰ってくると、少し餌をついばみ始めた。昨年の12月に卵を産み損なって血だらけになって以降は、まるの余生と思っている。まるはあのとき死んでいたかもしれない。いい先生に出会えたこと、治療と観察と毎日の薬、あとはまるが元々持っている生命力でここまで来た。出っ張ったお腹を見なければ、まるは元気そのものだ。

ヘルニアのお腹で何度も何度も卵を産み、そのたびに運良く切り抜けてきている。まるの、不思議な余生だ。


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