蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2009年02月28日(土) 読んだ本≪2009年2月≫

2月は8冊。後半失速。腰痛で集中力低下。


田中りえ『ブレーメンから飛んで、チベットに着陸』トレヴィル(図書館)
一行感想:あけっぴろげな人だ。楽しすぎる。


平松洋子『夜中にジャムを煮る』新潮社1785円(自分の)
一行感想:↑やりかねません。読むとお腹がすく台所エッセイ。


長嶋有『電化製品列伝』講談社1500円(図書館)
一行感想:のっけからおもしろい。そういう見方もあったのか!


川上弘美『センセイの鞄』平凡社1470円(自分の)
一行感想:ひさびさに読み返す。ツキコさん、仕事は何をしているんだっけ?
追記:OLでした。


小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』文藝春秋1780円(自分の)
一行感想:こじつけっぽくてところどころ興ざめするも、チェスがおもしろそう。


中島桃果子『蝶番』新潮社1260円(図書館)
一行感想:頭の中で添削しながら読んでしまい途中で挫折。江國さんが一人で選考した賞の受賞作。(二行になるか?)


川上未映子『乳と卵』文藝春秋1200円(図書館)
一行感想:酔いそうなリズムの文体は大阪弁のせいばかりではない。それと絶妙な目線。


井上荒野『雉猫心中』マガジンハウス1575円(図書館)
一行感想:観察力と抑えた文章が、たぶん今までの作品の中でいちばんいい。


2009年02月24日(火) この頃どうしてるかといえば

書かなかった間、あったことと言えば、そう、まずチェスを買った。東急ハンズもアマゾンもいいのがないので、専門店の通販で輸入のチェス盤と駒のセットを買うことにした。チェス盤と駒はどちらも木製で、盤が二つ折りになって中に駒を並べて収納できるようになっている。単なる遊び道具にお金を払ったのはずいぶんひさしぶりだ。チェスはおろか将棋さえもさっぱりわからないので、手始めに解説本を図書館で借りてきて、いちいち確かめながらぎこちなく駒を動かしてみる。相方がゲームの相手をしてくれる。将棋が少しわかるとチェスもなんとなくわかるらしい。そういうものか。チェスの起源はインドがどこかのボードゲームで、それがヨーロッパに渡ってチェスになり、さらにそこから中国へ渡って将棋の原型になったそうだ。ふーん。

それから、腰痛になった。3月の引っ越しに向けた連日の肉体労働で腰がグキッっとなったのかもしれない。いつグキッとなったのかはわからなかったが。座っていると腰が痛くて、痛みとしびれが腰から右脚へと伝わっていく。5年前になった坐骨神経痛と同じだ。何がつらいって痛くて前に屈めないのがつらい。顔を洗う姿勢がつらい。靴下をはくのもブーツをはくのもつらい。座りっぱなしのデスクワークもつらい。痛みとしびれを我慢しているとだんだん右脚の感覚がなくなっていく。整形外科に行っても(手術しないのであれば)治らないのはわかっているので、とりあえずこの痛みをどうしよう。バキバキやらないとホームページにあったからカイロプラクティックに行ったら、バキバキやられて失敗した。もういい。自分で鍛えて治すことにする。痛みがなるべく出ないように周囲の筋肉を鍛えて姿勢を良くするように心がける。あーあ。本は重たいのだ。そして並べたり運んだり捨てたり箱に詰めたりする以外にも引っ越しにはいろいろとやることがある。少ししんどくて気落ちする。実家から借りてきた骨盤ベルトを巻いてしのぐ。

読書は井上荒野でしばし中断。次を借りてこなければ。


2009年02月08日(日) 自己完結

わあわあわあ。

今の職場が春に職場ごと引っ越しを控えていて、いやもう、その話は2年くらい前からわかっていたことなのだから引っ越し自体はいいのだけど、いよいよ時期がせまってくると、まだ決まってない細かいことが山のようにあり、よって作業も進まず、ああどうするのよ?!日曜日の夜、お風呂に入りながらふとそのことが頭をかすめたら、そこから延々と考え続けてしまい思いきりブルーになる。

でも結局行き着いたところは、私ごときがあれこれ考えてもどうにもならんし、引っ越しはなるようにしかならないし、ボロボロでもなんでも、とりあえず物理的に動いてしまえばいいのでしょう?と。それよりも、ムキになって周りと衝突したり、ヤケになって怪我したり、そういうことにならないように気をつけることの方がずっと大事ということでひとり勝手に落ち着いた。ああすばらしき自己完結。

読書は金曜日から小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』に取りかかり、チェスに興味を持つ。チェスは触ったこともないし、ルールも知らない。ネットのチェス入門でかじったら楽しくなって、今は小さなチェスセットがほしい。


2009年02月04日(水) 春到来

立春。二十四節気(にじゅうしせっき)の簡単な説明が書いてある紙をデスクマットにはさんである。それによれば、「立春 二月四日頃 冬と春を分ける節分の翌日で、春の訪れを告げる。梅の季節。立春後に吹く強い南風が春一番。」とある。ちなみに節気とは陰暦による季節の区分のことで、その名の通り24個ある。最近は天気予報でも二十四節気について触れ、いろいろおしえてくれる。

春と言われてもまだ風はキンと冷たくて、そう簡単に力を抜くわけにはいかない。それでも昼間、日の当るところに出れば、空気の中に薄っすらと春の気配がするときがある。ああ、ちゃんと春が近づいてきてるんだ、と安心する。いつまでも冬じゃない。もうしばらくの辛抱だ。こういうのは人間よりも植物の方が敏感で、梅はもうあっちこっちでポコポコと楽しげに咲いている。

川上弘美『センセイの鞄』を読む。頭の中で想像するツキコさんはどうしても写真で見た川上さんに似る。背が高くて髪が長い。どうやら話の中でのツキコさんはもう少し背が低いようだ。そうでなければセンセイが大男になってしまう。

ツキコさんの仕事は「OL」だとわかった。母校の花見会で再会した同級生に仕事は何をしているのかと聞かれて、「OL」と答えていた。そうか、そうだったのか。なんだか働いていないような人を思い描いていた。でもそれではどうやってひとり暮らしの生活費をまかなっているのかわからなくなる。まっとうなOLでよかった。

それにしても、ツキコさんのこだわりのなさ、執着のなさにはあきれる。私には到底無理だ。ひと月もふた月も会わないでいられるのはなぜだろうか。


2009年02月03日(火) 簡易豆まき

夜、相方とご飯を食べ終わってから、軽く豆まき。高幡不動尊祈祷済みのありがたい豆を控えめにひと粒ずつ窓から放る。ちょうど下を通りがかった自転車のオジサンがこっちを振り向く。

他の行事はそうでもないけれど、節分の豆まきは何となく忘れずにやっておきたい。鬼は外、福は内。こうして家にバリアを張るような気持ちだ。悪いやつは入ってきませんように、良いことは出ていきませんように。ずいぶん勝手なお願いではあるものの、夜の暗がりに向かって小声で、おには〜、そと。ひと部屋ごとに、ふくは〜、うち。

まいたあとには歳の数だけ食べる。途中まで数えていたけれど、合間合間に席を立ち家事をしていたらわからなくなった。えい、もういいや。好きなだけバクバク食べる。たぶん40歳以上になった。

長嶋有『電化製品列伝』は作品に登場する電化製品に着目した一風変わった書評で、その中に川上弘美の『センセイの鞄』が紹介されていた。そう言えばもうしばらく読んでないなあ、と思い、明日からの通勤のお伴にする。


2009年02月02日(月) 家政婦は見たのか

どうもマンションで暮らしていると、だらしない生活をしている(であろう)家が目につく。我が家はふたりとも朝早くに出て夜真っ暗になってから帰ってくるので、明るい昼間はあまり家にいない。昼間の様子がわかると言ってもせいぜい土日くらいだ。そんな限られた時間でさえ、廊下を歩くときとか、駐車場の脇から表へ出るときとか、敷地内のゴミ捨て場にいくときとか、何気なく目にするものだけで他人の家の様子はわかるものだ。生活が透けて見えるというか、見ようとしなくても見えてくる。もっと言えば、見たくもないのに見させられてしまう。

マンション内で顔を知っている人はあまりいない。廊下ですれ違えばあいさつはするけれど、何号室の誰々さん、とわかるのは引越しの挨拶に行った部屋の人だけだ。そんな中で、顔はわからないのに、その存在をくっきり示している住人というのがいる。

例えば、「雨が上がった次の日もまた次の日も、いつまでも傘を廊下に出しっぱなしにしているIさんち」

最近はどこもそうだと思うけれど、マンションには細かい決まりがある。全部は覚えちゃいないが、入居のときにとうとうと説明された。えー、そこまで、とうんざりしたものの、決まりは決まり。ここに住むってことはそれを受け入れるってことだから仕方ない。その中に、廊下は共用部分なので廊下に物を出しっぱなしにしてはいけないというのがある。Iさんちはみんなが通る廊下に面しているのでものすごく目立つ。Iさんちだけ守られていないみたいに見える。ちなみにIさんちはドアにトールペイントの表札をでかでかと貼り付けている。どうにもこうにもそこだけメルヘンで浮いている。厳密にいえばこれも貼ってはいけない。ドアの廊下側は共用部分なんだってば。それを管理組合が注意したかどうかは不明。

かさねて、「燃えるゴミを透明袋に入れずにダンボールに入れて、しかもふたが開けっ放しだから中身の住所とか名前が丸見えの同じくIさん」

これをゴミ捨て場で目にしたときは驚いた。ダンボールに投げ込んだまま捨てるなんて荒業を堂々と「記名で」やってのけてしまう無頓着さにあきれた。こういうのってバレないようにやるんじゃ・・・

ほかにも、「自転車を自転車置き場の枠の外に仮置きするYさんちの旦那」

Yさんちの旦那さんは自転車に乗ったうしろ姿だけ見たことがある。どんな自転車に乗っているかも知っている。その自転車がいつも自転車置き場ではないところに止めてあるのも知っている。朝、駅へと急ぐうしろ姿を見て、あと5分早く家を出れば、自転車置き場から自転車を出せるよ、と心の中で呼びかける。でももしかしたら自転車置き場の料金を払っていないのかもしれない。

あとは、「いつ見かけてもぽわ〜っとたばこを吸っている、司法試験を控えた専用庭の旦那」

専用庭の家の名前は知らない。ここの旦那さんは仕事をしているのかしていないのか、時間を問わずよく専用庭でたばこを吸っているのを見かける。ある日、たまたま前を通りかかったとき、大声で怒鳴り合う声が聞こえて、「ぅぉわ!」とびっくりした。「こっちは司法試験控えてんだよ!」とおっしゃっていたから、きっとそうなのだろうと思う。司法試験はいつなのだろうか。無事合格されたのだろうか。

とまあ、別に知りたくもないのにいろんな情報が目や耳から入ってくる。きっと我が家も同様に観察されているに違いない。どこへ行くにもいつも一緒で(ゴミ捨ても)、無駄に仲のいい夫婦だと思われているかもしれない。マスクをして帽子をかぶってマフラーをぐるぐる巻きにしているときに、バッタリ廊下で遭遇することもあるから、ダサい変な人だと思われているかもしれない。まあどうでもいいや。最低限のルールは守って気持ちよく暮らしたい。

で、言いたかったことは、Iさんちの傘を見て「だらしないなあ」と思ったときに、「だらし・ない」ってことが悪いことなら、「だらし・ある」っていうのは良いことなのか?(そんな言葉ないけど)だいたい「だらし」って何だよ、と相方とふたり疑問に思ったのだ。で、調べてみた。

だらし・な・い (形容詞)
「だらしない」は、同じ意味の「しだらない」が転じた言葉。音節順序を入れ替えるのは江戸の頃の流行りでそうなったのかも、ということだ。「しだら」は「自堕落(じだらく)」や「ふしだら」の「しだら」とする説がある。「だらしない」「しだらない」とも悪い意味のときにしか使わない言葉だそうだ。チャンチャン。


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