蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2008年10月31日(金) いちばんの味方

田辺聖子著『残花亭日暦』を何度も泣きそうになりながら読む。おセイさんのパートナー、カモカのおっちゃんが亡くなる前の日々を日記風に記したもの。おっちゃんはずっと家で介護されていたけれど、がんが進行してからは入院となった。おっちゃんの待つ病院へ通い、家にいる老母の世話をし、もちろん執筆もして、全国あっちこっちへ講演会にも行く。とにかく精力的に働く。そのエネルギーに驚くのと同時にものすごく濃い疲労を感じる。病人のもとに付添いの人を頼んでいるとは言っても、やっぱり自分が行ってあげなければという気持ちにいつも追いかけられていただろう。

体も健康で生活も順風満帆、調子がいいときに仲のいい夫婦なんていくらでもいる。でも、病気になったり仕事が傾いたり、とにかくなんだか調子が悪くなったときも仲よくいられる夫婦はもしかしたらとても少ないんじゃないか。本当はそんなときこそ、いちばんの味方でいなければならないというのに。

おセイさんもおっちゃんのことを、昔はこんな風じゃなかったのに、とさみしく思うこともあったかもしれない。もちろん今でも彼のことが大好きだけれど、(病気のせいで?)変わってしまった彼のことをさびしく思っているようなのが、言葉の端々から感じられた。

気難しくなったり無関心になったり、どう変化するかはそのときになってみないとわからないけれど、体がしんどくなってたとき、生活がうまく回らなくなってきたとき、心を平静に快活に保つことができるだろうか。相手への思いやり、親しみ、気遣いをなくさずにいられるだろうか。

いろいろ思ったところで、しょせん夫婦のことは夫婦で解決するしかなく、子どもがあれこれ気をまわしたところでどうにもならない、というようなことも書いてあった。おセイさんのお父さんが亡くなる直前のこと、無呼吸で苦しそうなお父さんを、しんどいね、しんどいね、と声をかけて背中をさすってあげていたのはお母さん。その様子を思い出して、子どもの立場ではどうしたって役不足だということに思えてならない。

それにしても、電車の中で泣かずに読むのは難しい本だ。じわじわとあふれてきそうになる涙を必死にこらえて、文庫本を顔の真ん前に近づけて読んだ。ふう。


2008年10月30日(木) 季節の目印

今朝、マル(文鳥)が卵を産んだ。

いつもなら朝起きて私が寝室のドアを開けるやいなやチュンチュンピーピーうるさいはずなのに、今朝に限ってチともピとも言わない。ふーん、そういう日もあるのかと思いながら鳥かごにかけた布を外すと、いつもとは違う下の段の止まり木に止まってじっとしている(普段は上の段のはじっこ)。

おはよう。今日はそっちなの?

返事はない。ただ、じっとしている。具合でも悪いんかな、まあ、寒いからかな、と勝手に解釈をして朝の身支度と人間の朝ごはんを作る。そのあとにマルのごはん(カスタムラックスという名前のいろんな種が入った餌)とチンゲン菜を鳥かごにセットする。と何やら見慣れないものが。

あー、卵。

道理でマルがだるそうなわけだ。鳥かごの床にはチョコボール大の小さな卵が落ちている。落下の衝撃でつぶれて変形している。なんでこんな肌寒い日に卵産むかな。ていうか、これから冬になるんだよ?

マルは毎年、たしかこのくらいの時期から冬にかけて、何回か卵を産む。メス1羽で飼ってるんだからそう張り切って卵を産まなくてもいいのに、なぜか産んでしまう。卵を産むと寿命が短くなるって言うし、それでなくてもカルシウム不足で骨がもろくなったり、卵がお腹にたくさん詰まって死んじゃったりすることもあるんだし、余計なことしなくていいのに困ったもんだ。

はあ。おかーさんはどうしらたマルちゃんに卵を産まないでいてもらえるでしょうね?

一説には、季節どおりに室温を変化させるのがいいらしい。つまり今は秋で、日に日に寒くなっていってるんじゃよ、ということを肌でわからせてあげるということ。我が家は今はまだ暖房をつけていないけれど、これからもつけないっていうわけにはいかないだろうし、これを実践するのは難しいな。どうしたもんか。

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ちょっと調べ物をしていたら、ある方のブログが出てきて、何の気なしに読んでいたら語りのうまさにひきこまれてしまい、この数日読み続けている。読み進めると書き手は闘病中で亡くなられたことを知った。不安や恐怖や悔しさや悲しみなどのありとあらゆる思いがあったろうに、文章はあっけらかんとしてすがすがしく、楽しくユーモラスで素直で聡明な、とにかくこの突き抜けた感じはどこからくるのだろうと不思議でならなかった。書き手は女性で夫と二人暮らし、血液のがんで37歳で亡くなるが、ブログにはいまの自分はとても幸せだ、と何度も書いていた。自分に言い聞かせるようでもなく、無理に思いこんでるようでもなく、本当に心底幸せだということがしみじみ伝わってきた。

よくわかる。夫と二人暮らしで、子はなく、車も持たず、自慢してまわるほど裕福でもないけど明日に困るほど貧乏でもなく、身の丈に合った暮らしができるこの日常がこの上もなくいとおしくて幸せなんだ、とそのことに自分が気づけたこと、このありがたさ。そしてその日常をちまちまと一緒に作っていけるパートナーがいることのありがたさ。

なんだかね、父の病気がわかって以来、どんどん父の具合が悪くなってきたらなおのこと、ちょっと恐れるくらいに日常の幸せがビリビリ感じられて、うーん、感謝せな、と(ここだけなぜか関西弁で)思うことがある。家族、たくさんの人、いろんなめぐりあわせ、そういうの全部に感謝せな。

病気それ自体は苦しい。大切な人が亡くなるのは悲しい。不安もあるし恐怖もあるし疲労困憊もする。いつやってくるかわからないそれは、でも誰も避けては通れない。いつもそこに行きつく。覚悟を決めなきゃ。でも覚悟ってどんなかたちをしてるんだろう。

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何日か前、手稲山(ていねやま)に雪が降った。全国のニュースでちらっとやっていた。手稲山は札幌市内にある山でスキー場もあって、体育の授業のスキーは丸一日ここでやったりする。学校の窓や家のベランダから遠くに見えたりする、市民には身近な山(のはず)だ。手稲山が白くなると、ああ冬が来るぞ冬が来るぞと前のめりに思う。そして手稲山にはじめて雪が降るのはたいてい合唱コンクールの時期で、合唱コンクールは10月の終わりにあるのだった。中学校の頃のお話。

ていねやまにゆきがふったんだよ、と相方に言うと、あ?ていねやま?と聞くから、「手稲山に雪が降る」=イコール=「合唱コンクール」の話を一通りする。ああ、思い出を語っているんだね、と締めくくられた。いや、季節の目印の話をしていたんだけどな。まあ、思い出話と言えなくもないけどさあ。


2008年10月21日(火) 定点観測

仕事はたまっているけれど、ふうわりふうわりやさしく吹く風に誘われてちょっと休憩。

秋晴れの続くこの数日、どこに行けるわけでもないのになんだか気をよくする。昼間にはせめて窓から外の景色が見えたらいいのに、と毎度同じことを思う。もし、もし今度新しい職場に移ることがあれば、そのときは窓から外の景色が見えるかどうか絶対チェックしよう。

江國香織『左岸』の発売の話をチラチラ耳にする。小説すばるの連載は一度も読まなかった。どうも辻仁成が苦手なのだ。『冷静と情熱のあいだ』ですら、青い方を読んだのは1度きりだ。話がそれた。ひさしぶりに江國さんの文章が読みたくて、少し早かったかもしれないけれど、『ホリー・ガーデン』と『流しのしたの骨』を本棚の奥から引っ張り出してくる。秋から冬にかけて読めば、とにかくじんわりしみてくるいい小説だ。そして私には定点観測の意味もある。記憶をたどってゆっくり読み進めば、いつのまにか自分が『ホリー・ガーデン』の果歩や静枝の年齢を超えていることに気づく。今でも「大人のお姉さんたち」の物語だと思って読んでいたというのに。

雨はいちんちめがねをかけて・・・の伊達眼鏡がなつかしい。この伊達眼鏡にまつわるエピソード(私に実際に起きた出来事)は今でも時折ひとに話すことがあって、話を聞いた人は驚いたり気持ち悪がったりくつくつ笑ったりしてくれる。たしか、以前このひとりごとのどこかにも書いたはず。『ホリー・ガーデン』の話の筋とは全く関係がない。ただ伊達眼鏡つながりというだけのこと。

この小説は食欲も刺激してくる。今日のおやつは早速ドーナツとコーヒーだ。少なくともドーナツは2つ以上で。


2008年10月04日(土) 『蜜白玉の記憶』ホームページお引越しです

このたび『蜜白玉の記憶』は下記URLへお引越ししました。ブックマークの変更などなど、よろしくお願いします。

新URL http://mitsushiratama.web.fc2.com/index.html

開設以来、ずっとAOLでやってきましたが、AOLが10月いっぱいでホームページサービスをやめるというので、あわてての引越しです。やれやれ。

ちなみにメールアドレスは今までどおり、AOLのままです。


2008年10月02日(木) 庭から学ぶこと

ぐずぐずしていた空も今朝はご機嫌。さらっと乾いた秋の空気、やっぱりこうでなくっちゃ。ああ、布団干し、衣替え、と後ろ髪をひかれながらしぶしぶ出勤。週末もこんな天気なら、大きく窓を開け放って、クローゼットとベッド下収納と押入れの中身をごっそり整理したい。その後は洗濯物の山と格闘だ。想像しただけでなんてすがすがしい心持ちだろう。

実家の畑を庭に改造中だ。家のすぐ横(というかテラスから見下ろした位置)にこれまた家1軒建つくらいの土地があり、そこを半分は畑、半分は庭として使っている。ド田舎の山奥だからこそ。植えたり育てたりするのが好きな父はあれも作るこれも作る、と移住以来いろんな種類の野菜を育てた。病気で動けなくなってからは母がそれを引き継ぎ、季節ごとに父の希望を聞いてはあれもこれもと作り続けてきた。少なめに少なめにと思ってもどうにも出来過ぎてしまい、基本は両親だけの二人暮らし、差し上げるったってそんなに相手がいない。それに野菜だってただでは育たず、収穫までにはさまざまな世話がいる。母一人には重労働で、今度の冬の収穫を最後に思い切って縮小することにした。ちなみに今育てているのは、大根2種類、ホウレンソウ、春菊、スティックブロッコリー、白菜、オクラ、ゴーヤ、トマト、ピーマン。さすがに夏野菜はそろそろ終了だ。

畑の空きスペースに父が好き勝手に植えていた花や果樹はそのままに、畑は作物がなくなった時点で庭へとシフトさせて、コテッジガーデン風にすることにした。新しい庭について母と話をしていると、母はもともとこっちがやりたかったようだ。母はとてもたくさんの花を知っている。そう言うと、お父さんほどではないよ、と謙遜する。

シモクレン、ハナミズキ、柿、あんず、梅の木はそれぞれ5年経ちずいぶん大きく育っているので動かさず、すかすかしている土の部分を少しずつ手入れしていく。庭をゆったり歩いてまわれるような小道をつくり、座って休憩できる場所も確保する。なにせ今の畑はそこそこの広さがあるはずなのになんだか窮屈で、道具を持って移動するのも一苦労なのだ。そして花エリアはどこに何が植えてあるかよくわからず、うっかり球根を踏んでしまったりする。踏んでいいところといけないところの区別がよくわからない。抜いていい草といけない草の区別もよくわからない。

庭の角には道具小屋があり、その横にはプラスチックのコンポスターが3つ置いてある。そのほかにも箱やら支柱やらごちゃごちゃ置いてある。このあたりを整理して作業場として使いやすくするのも手だ。空間を広めに取っておきたい。草取りや剪定で出た庭のごみは米ぬかと混ぜてコンポスターに入れ、自家製堆肥にしている。途中で切り返したり、思いのほか体を使う。道具の手入れをしたり、液肥や虫よけを作ったり、こういう裏方作業も庭には必要なのだ。

夏の母の入院を機に植物の世話を代わってすることになり、この場所の楽しさと大変さと抱える問題点が見えてきた気がする。そして贅沢な広さを目の前にすると、自ずとあこがれの庭への夢が膨らむ。私は母の庭づくりの良きパートナーでありたい。

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ガートルード・ジーキル著『ジーキルの美しい庭−花の庭の色彩設計』を読む。2700円と少し高いのでまずは図書館で借りてみる。カラフルな絵と写真に読みやすい文章だ。調べていくと、イギリスのコテッジガーデンの源流はこの人に行きつく。どうせやるなら(理解できるかどうかはさておき)本質を知りたい。花の種類や育て方は母からその都度習うとして、庭ってそもそもどういう意図で作るのか、私たちはそこから何をどう学ぶのか。種や苗を買ってきてそれっぽく植えりゃあいいってもんじゃなかろう。どうすれば植物にも人間にも無理のない、美しい庭が作れるのか。できることなら私はそこから考えてみたい。ジーキルは建築、絵画、詩、手芸などなど、園芸以外にもとにかく多才な人だ。イギリスの自生植物を生かした自然な庭づくりを提唱した初の女性造園家。


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