蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2007年10月19日(金) 一度きり

武田百合子著『富士日記(下)』を読む。いつも買おう買おうと思うのに、ずっと前本屋に行った時、たまたま下巻しか置いてなかったせいで、上中下あるうちの、いまだに下巻しか持っていない。読みたいときは図書館で済ませていた。

今までと違って、老いていく泰淳と百合子の心のありようが、じわじわとこちらへ沁みわったってくる。読みながら、電車で泣きそうになってやっかいだ。

どんな種類の病気でも(あるいは不慮の事故でも)死ぬのは一度きりだし、死んでしまったらもう二度と生きて会うことはできない。どんなに悔いのないようにと思って暮らしても、絶対に悔いは残るのだ。その悔いを抱えたまま、自分もやはりいつか死ぬまで生き切るしかない。


2007年10月10日(水) 転居

日曜日、新しい家に引っ越した。

引っ越しまでの日々は、詰めても詰めても後から出てくる小物類におびえ、なんせ当日は朝8時に引っ越し屋さんが来ることになっているから、それまでにちゃんと荷造りを終えられるかどうか、もらった段ボール箱で足りるかどうか、最後の2箱くらいまではずっとハラハラしっぱなしだった。結婚してから今まで特に荷物の整理をすることもなく来てしまったせいで、ふたり分の荷物の量を把握していなかったから、なおのこと落ち着かない。

それでも日付が変わる時間までにはめどが立ち、やれやれ、このボロ家とも今日でお別れかと、お風呂に入りながら少ししんみりとした気持ちにもなった。

住みはじめた頃は、壊れたカギ、始終ぽろぽろと崩れる砂壁、雨も風も吹き込むたわんだサッシなどに不安を覚えたものだ。通勤に便利で家賃は親戚割引という理由で住むことを決めてしまったけれど、せっかくの新婚生活、少し遠くてもマンションか何かもう少しきれいな所にすればよかったかな、という考えが頭をよぎることもあった。

それでも古いが為のいくつかの不都合にはそのうち慣れてしまい、気になる所は目に映っても意味を持たなくなり、屋根と壁に囲まれた空間がほの明るくやわらかく、私たちの周りを包んでいるように感じていた。ふたり暮らしの時間を積み重ねるほどにボロ家への愛着もわく。相方がかなり早いうちからこのおさがりの家での暮らしを気に入ってくれていたのも大きかった。

新しい家への引っ越しが具体的になってきた頃から、家自体が何か、私たちが立ち去るのを察知したかのようにその役割を放棄しはじめた。階段の蛍光灯はまたたき、古い洗濯機のすすぎはどんどんいい加減になり(何となく洗剤が残る・・・)、滑りの悪い門扉はますますガタつき、ベランダの床は割れ、アロンアルファで補修したはずの窓のカギは再び壊れ、外壁をツタが覆いはじめた。

そう、別れのあいさつか、しばらく見なかったヤモリも二度ほど顔を出した。

当日はお兄さんたちのプロの仕事ぶりであっという間に荷物が運び出され、ほどなく新しい家におさまった。その後、大量の荷物に埋もれての荷ほどきは、わかってはいたけれどやっぱり大変で、日曜日の午後と月曜日まるまるかけて、どうにかご飯とお風呂と洗濯と寝る場所は確保できた。あとはまた週末だ。まだ開けていない段ボールの山、新しく買い揃えなければならない物、処分する物、いろいろある。まあ、焦らず、ゆっくり整えていこう。

新しい家は新しいだけあって、それなりにあれこれ設備が整っている。何をするにもいちいち取扱説明書を見てからでないとはじまらない。これまた慣れるまで一苦労だ。


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