蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2003年06月22日(日) 梅雨の中休み

昨日は相方と吉祥寺を散策。井の頭公園の池の向こう側、ずっと奧まで道なりに歩く。木々が真夏のような強い日ざしを遮る。ふかふかの土の上を歩くのは本当に気持ちがいい。

一転して日曜日は、新宿南口にあるセンチュリーホテル20階のラウンジへ。およそ半年ぶりに親友と会い、のんびりお茶を飲みながらおしゃべりをする。窓から見えるのは薄曇りの空と高層ビル。会わないでいた半年分の報告を順序もバラバラに思いつくまま伝える。

以前、ひとりごとに書いたけれど(“ふたりのロッテ”それから“ロッテとルイーズ”参照)、私たちはよく似ている。ありていに言えば、価値観が同じということだ。相手の言うことがすとんと心に落ちてくる。何の無理もなく理解できる。沈黙が苦にならないし、そうして黙っている間に、相手が何を思っているかもなんとなくわかる気がする。

それでも、大学を卒業してお互いに全然違う生活をしていると、ときどき不安に思うことがある。今度会ったとき、彼女が(あるいは私が)変わっていたらどうしよう、と。相手の言うことがちんぷんかんぷんだったら。彼女があのほんわかとした雰囲気をもう伴っていなかったら、どうしよう。(私は彼女の雰囲気が大好きで、そしてそれはとてももろく壊れやすいものだという感じがする)。

しかしながら、そんなのは杞憂だった。彼女はあの柔らかい物腰を少しも失うことなく真昼の新宿に現れた。もしかしたら、見かけによらずたくましいのかもしれない。ごはんを食べて、お茶を飲んで、少し買い物をして、夕方にはそれぞれ家に帰る。なにしろ明日は仕事なのだから。別れ際、7月か遅くても8月にはまた会う約束をした。


2003年06月18日(水) 草子とママ

江國香織『神様のボート』を再読中。読むのはたぶん、これが3回目だと思う。前に読んでからずいぶん間があいていて、話の細かいところはもうすっかり忘れている。再読向きの記憶力のなさだ。

3回読んでやっと気がついたことがある。草子ちゃんと私にはいくつか共通点があって、ひとつは生まれた時間、もうひとつは生まれた月、そしてもうひとつはママがピアノ弾き、ということだ。生まれた時間は正確に言うと3分違いで、生まれた月はおんなじ5月。母はこの頃はもうピアノを弾かないけれど、昔は演奏もしていたし、先生でもあった。だからなんだ、と言われればそれまでなのだれど、こういう小さな共通点は、物語と私の距離をぐっと近づける。おかげで今回は、自分を草子ちゃんに重ねて読んでいる。

それから、これは前から気づいていたけれど、転校生というのもおんなじだ。引っ越しと、それに伴う転校。私は小学校を4回かわった。なじんだ街から離れることよりも、見知らぬ街へ入っていくことの方が何倍もつらい。お別れはさびしいけれど、転校先で起こるであろうさまざまな出来事に比べれば、そんなのは何でもない。

新しい学校へ行くときはいつも、こんなところ絶対に溶けこめない、と感じた。世界は私抜きで完全にできあがっていて、どこにも私の入り込むすき間なんてない。何もかもがよそよそしくて、不安で心細かった。誰に対しても愛想よくしていなければならないし、うっかり方言が出ないように気をつけて話さなくてはならない(2,3年も住むと、その土地土地の言葉がすっかり染みついてしまう)。

そうして細心の注意を払っていても、転校生はいつでも目立つし浮いている存在なのだ。できれば放っておいてほしかったけれど、お節介な子やいじめっ子にとってはかっこうの餌食で、彼らがそんな私を放っておくわけがない。10月なんていう中途半端な時期に転校したせいもあるだろう。うちの引っ越しはいつも10月だった。

日本中を転々とするうちに、いつしか母はピアノをやめてしまった。今思うと意地でもやめない方がよかったのかもしれない。でも、本人がやめると決めたのだから仕方がない。東京に住むことになったときには、スペースの関係からとうとうピアノも手放してしまった。引っ越しはいつも唐突で、私たちの生活を根こそぎ奪っていってしまう。

こうして、私にいろいろ思い出させるとても危険な小説、『神様のボート』。


2003年06月10日(火) 梅雨入り

午後、東海・関東・甲信越、梅雨入りした様子。東京はどんよりと曇り空。雨は降っていない。これから1ヶ月近く、雨と湿気に悩まされる日々が続く。どうせならあとで水不足にならないように、とことん降ってくれるといい。

柳田国男『遠野物語』を読む。これからしばらく、のんびりと時間をかけて、日本の昔話、民話、伝説を読んでいこうかと思う。柏葉幸子さんが講演で言及されていたのを思い出し、手始めに『遠野物語』から。

語り継がれるはずのこうしたお話を知らないままでいるのは、あまりにももったいない。幼い頃、昔話を語って聞かせてくれる人は、私の周りにはいなかった。唯一あったとすれば、ぼうや〜 よいこだ ねんねしな、の「マンガ日本昔ばなし」くらいだ。『遠野物語』の冒頭には「此書を外国に在る人々に呈す」とあるけれど、今ならむしろ日本の人々に読んでもらわなくては、という気がする。


2003年06月06日(金) 雨の季節に

ろくがつむいかにあめざあざあ コッペパンふたつまめみっつ あっ、というまにかわいいコックさん。

これではコックさんの首から下しかできていない。さっきからずっと考えているのに、頭の方が思い出せないでいる。6月6日、歌では雨ざあざあだけれど、今日はいい天気だ。週間天気予報によると、今週末の東京地方は曇りで、来週の水曜日と木曜日は雨。梅雨入りはいつなのだろうか。

雨の季節が近くなると、思い出す映画がある。ジャック・リヴェット監督の『パリでかくれんぼ』。3人の女の子が出てくるパリを舞台にした映画で、話は雨とは何の関係もないのだけれど、そのラストシーンがどうしても雨を連想させる。と言っても、実際にラストシーンで雨が降っていたかどうかは定かではない。何度も見ているわりには、そのあたりがとても曖昧だ。

雨上がりで、草木は瑞々しく、濡れたアスファルトがキラキラ光る、そんな様子を覚えている。その道路を女の子が全力で駆けて行くところで映画はプツッと終わる。オチなんかない。放っておけば勝手に流れていく日常を適当なところで切り取ってみる。切り取られたのが偶然その部分であって、映画はそこで終わるけれど、たぶん彼女たちの日常は今も相変わらずそこにある。

梅雨はいつだ、雨はまだか、と思って暮らしていると、ふと彼女たちに会いたくなる。あの全力疾走の後ろ姿が大好きだ。


2003年06月05日(木) 三角の日焼け

朝からよく晴れて日ざしが強く、夏のように暑い。予想最高気温は27℃。日焼け止めをぬって、帽子をかぶって出かける。今まで防御し忘れていた足の甲は、すでに靴の形に焼けている。時すでに遅し、かもしれないけれど、今日こそは足の甲にもちゃんと日焼け止めをぬる。これで準備万端。

こう暑いと電車も送風ではなくて冷房になる。身動きのとれないくらい混んだ電車に乗り、たまたま送風口の真下になったりすると、痛いくらいに冷たい風を数十分あび続けなければならない。だから、いくら暑い日でもはおりものは手放せない。私は夏も冷え症なのだ。

今月から職場に新しい人が来た。今まで一緒に仕事をしていた人は5ヶ月であっさりやめてしまった。やめる前にひと悶着あったりで、それは大変な出来事だった。人数の少ない職場だから、一度こじれるとなかなか修復できない。今度の人とはうまくやっていけるといい。特別仲良くならなくても、普通にコミュニケーションができれば、それで十分なのだ。波風たてないで穏やかに仕事がしたい。無理な話だろうか。

これだけ暑くても、吹く風はさらっとしていて涼しい。夏本番までにはまだいくらか時間がありそうだ。水をはった田んぼはまるで鏡のように、真っ青な空を映しだしている。東京にいても、電車の窓から見える景色には、ときおりこんなのんびりした風景もある。世界には色とりどりの花が咲き、草木の緑はいよいよ濃くなってきている。


2003年06月01日(日) にわか雨降る

6月。初日が日曜日というのは、なんとなくのんびりしていていい。

午前中は死んだように眠り、昼12時ぴったりに起きる。こんなに眠ったのはひさしぶりだ。休みだと思ったら緊張が解け、ここ数日の疲れがどっと出た。もうだいじょうぶだと言い聞かせて、平静を装っていても、心の中は安穏としない。イヤなものはイヤなのだ。誰かを憎んだり嫌ったりすることで力の湧いてくる人が信じられない。そんなのはただ消耗するだけで、常に臨戦態勢でいるなんて全く性に合わない。やれやれ。ひとまず厄介事は去ったので、あとはこのもやもやした気持ちが薄まっていくのを待つしかない。顔を洗いに行く途中で父に会い、顔が溶けている、と言われる。鏡に映る顔は寝すぎたせいでむくんでいて、目が腫れぼったい。

午後、にわか雨。気づくのが遅れて、外に干していた枕やクッションを濡らしてしまう。シーツは取りこんで乾燥機へ。どたばたしているうちに雨は10分ほどで上がり、空高くすっきりと晴れる。蒸し暑さもおさまり、さらっとした風が吹く。

結婚と同時に遠くへ引っ越した友人から手紙が届く。手紙と一緒に「緑色のかえるのしおり」と「ブラックシュガー色の四角い小物」が入っている。この小物、透明の袋に入っていて、よく見ると手紙の形をしている。しかし用途がわからない。ちょっと飴のようにも見えるので端っこをかじってみる。味はしないけれど相変わらず何だかわからないので、手紙到着のご報告も兼ねて、友人にメールで確かめる。正体は焼き物のボタンだということだ。お腹をこわさないように、と爆笑されながら忠告を受ける。

さて、そろそろ梅雨の季節がやってくる。雨だと服も靴も決まらなくて出かけるのが億劫になるけれど、お気に入りの傘の出番が増えるのだけはうれしい。


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