蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2002年03月31日(日) あれこれ言われたところで

ずいぶん前から思っていたことだけれど、私の趣味や好みは年寄りじみている。派手なものより地味なもの、奇をてらったものより落ち着いたもの、騒がしいことより穏やかなことが好きだ。大勢できゃあきゃあ騒ぐより、ひとりふたりで静かにのんびりとしている方がずっと楽しいと思う。例えば遊園地などは乗り物酔いも手伝ってか、たいして行きたいとは思わない。物心ついた時には既にこんな調子だった。傍から見れば、妙に醒めた子どもだったと思う。物分りのいい落ち着いたお子さんね、というようなちょっと的外れな褒め言葉もしばしばいただいた。

中学生くらいになるといよいよこの老人傾向が顕著になってきて、クラスメイトと話を合わせるのに苦労した。音楽は母の影響でほとんどクラシックばかりを好んで聴いていたし、ドラマやバラエティ番組はあまり見なかった。こんな調子だから当然みんなの話についていくのは大変なのだが、孤立する勇気はなかったから、がんばってそれらしく振る舞っていた。芸能人にもあまり興味はないし、周りの男の子たちはみんなとても子どもっぽく見えたし、それはそれはかなりの重労働だった。そこまでしてみんなに合わせなくてもよかったかもしれない、今ならそう思えるけれど、その時はやっぱりできなかった。

それがここ数年は、自分の年齢がだんだん自分自身に近づいてきているようで、居心地がいい。私の趣味や好みが「オヤジくさい」とか「オバサンぽい」とか「年寄りじみている」とかあれこれ言われたところで、もう他人の言葉は昔ほど気にならない。どうあがいても好きなものは好きだし、苦手なものは苦手なのだから仕方ない。甘ったるいお酒よりウィスキーや焼酎を選ぶし、ウィスキーを飲むならソーダ割りじゃなくてのロックなのだ。有り金はたいてサークルの合宿に行くより、ちょっといい紅茶を丁寧にいれて家で本を読んでいる方がいい。庭の花々は「ガーデニング」からはほど遠く、きわめて「園芸」に近い。

なぜこんな話をしているかと言うと、あと1ヶ月と少しで私の誕生日なのだ。またひとつ、年が自分に追いついてくる。


2002年03月30日(土) ロッテとルイーズ

どちらがロッテでどちらがルイーズなのかはさておき、昨日会ったばかりの友達が、チーズケーキと彼を連れてひょっこり仕事場に遊びにきてくれた。昨日は別れ際に、あんまり会わないのもつまらないから少なくとも1か月に1回くらいは会おうね、なんていう約束をしたのだ。ところが彼女は一度会うと続けて会いたくなるようで、デートの帰りにわざわざ私の仕事場に寄ってくれた。とてもうれしい。

まったくおかしなことに、今日も私たちはまた似たような格好をしていて、カーディガン(彼女は赤で私は緑)の中に赤い小花柄のノースリーブを着て、ブラックデニムを合わせていた。もっとも、彼女はスカートで私はジーンズという違いこそあったけれど。

ちょうど仕事が終わる頃だったので、そのまま3人でご飯を食べに行くことにした。私の「餃子が食べたい」という予測不可能な発言によって近くの中華料理屋さんへ行き、餃子と五目あんかけそばとビールを注文して、卓上1センチの乾杯をした。

友人や恋人との食事はいつもそう思うけれど、本当に温かく幸福だ。食べ物がとてもおいしく感じられる。今日の私もきっと、にこにこおいしそうに餃子を食べていたはずだ。きっちり一皿分、6個の餃子をたいらげた。この頃はいろんな理由で食が細くなっていたのだが、ひさしぶりに、まだまだ食べられると思った。


2002年03月29日(金) ふたりのロッテ

私たちふたりはとてもよく似ている。顔つきや仕種や雰囲気や洋服の好みもそうだし、ものの考え方から果ては好きな人の呼び名まで、本当にとてもよく似ている。前世というものがあるのならば、私たちはおそらく双子か何かだったに違いない。そして「似ているね」と他人から言われると、どういうわけだか、くすぐったいようなうれしいような気持ちになる。

今日も数か月ぶりに会ったのにも関わらず、まるで示し合わせたかのように、同じような格好をしていた。膝丈スカートにVネックのカーディガン、カーディガンの中にはボーダーのカットソーを合わせて、足元はブーツ。かろうじてカーディガンの色が違っていた。私は赤で、彼女は青。聞けば、彼女ははじめ赤いカーディガンを着てこようと思ったと言う。笑っちゃうくらい、何から何までよく似ているのだ。

私は彼女といると肩こりが治る。というのはものの例えだけれども、彼女の持つほんわかとした空気に包まれると、体の力が抜けていくのがわかる。ふだんあんまり人に言わない(もしくは言えない)ちょっと面倒で厄介なことも、彼女にはわりとすらすら話せてしまう。(ちなみに、私はそういう面倒で厄介なことは手紙にして、遠くの友達に送ることにしている。)私の弱くて甘ったれた性格、いい加減で面倒くさがりな性格を彼女は決して非難しない。だから、彼女と話していると、自分に無理のない答えが出てくる。

今日見つけた答えは、「焦らないで生きること」だ。焦って、形にすることばかりを求めない。この先どこに行き着くかわからないけれど、自分の気持ちをごまかさないで、その過程を楽しんでいこうと思う。


2002年03月23日(土) 母娘関係

最近、母とよくけんかをする。と言うよりも、私が一方的にまくしたてて、母はだんまりをきめこむ。その後もぎくしゃくしていて、やりにくいことこの上ない。幼い頃はともかく、私が高校生くらいからは何でも話せる友達のような仲になったのだが、この仲の良さが都合の良いときもあれば悪いときもある。そしてこの頃は、それがとても都合悪い。

容赦なく辛辣な言葉を浴びせかけてしまったときの気まずさといったらない。いくら母娘でも、やっぱり言っていいことと言っちゃいけないことがあるのだ。お互いにいろいろ知ってるだけに、そしてわかっているようで肝心なことはそれほどわかっていないだけに、事態はますます面倒なことになる。

母からはあれこれと相談をもちかけられる。それはちゃんと言葉になっていることもあれば、なんとなく様子がおかしいという態度で示されていることもある。この「なんとなく様子がおかしい」に気がつくのは、私と妹なのだが、妹は気がついても知らんぷりをする。仕方なく、私は「どうしたの?」と母に聞く。これは私たち姉妹の決定的な違いだ。妹は厄介事から逃げるのがうまい。「どうしたの?」と聞いてしまったからには、ある程度、問題が解決するまで母に付き合うことになる。でも、最近気がついたことなのだが、母にはそもそも問題を自分の力で解決しようという意志がみられない。文句を言っているだけで、話はいつも堂々巡り。これには、娘の私も手を焼く。これでも大人かと疑ってしまう。

子離れできない母に付き合って、あんまりいつまでもくっついているのはよくないのだろう。同じ家で暮らしていることでさえ、時には苦痛に感じる。けれども、突き放すというのもこれまたなかなか難しい。何かいい方法はないだろうか。春、桜の咲くちょうどこの時期、最も母の機嫌が悪いので、私も巻きこまれて毎日気疲れする。早く夏にでもなってほしい。


2002年03月16日(土) たかがご飯されどご飯

ひとりで食べる晩ご飯ほどむなしいものはない。今日も職場の休憩室で、ひとりでお弁当をぼそぼそ食べた。別に食べなくてもいいくらいなのだが、食べなきゃ食べないでお腹が空いてきたときがまたむなしいので、とりあえず食べることにした。ごはんの時間を早く終わりにしたかったから、ただもくもくと食べ物を口に運んで、食事は10分で終わった。

一方で、朝ご飯や昼ご飯をひとりで食べるのはどうってことない。昼ご飯を外でひとりで食べることはむしろ、快適なことのうちに入る。この違いは何なのだろうか。

晩ご飯というものは大勢でわいわい楽しく食べるもの、もしくは家族でのんびり語らいながら食べるものと考えている節がある。この考えは確実に私の中にある。だから、部屋でひとりで晩ご飯を食べていると、世界から取り残されたようで、心細くなる。

明日は日曜日。家でみんなで、あたたかいご飯を食べるつもりだ。


2002年03月15日(金) 不倫をしでかす恐れあり

彼女たちが潔いのか、それとも諦めが悪いのか、さっぱりわからなかった。

昨日、美術館にたどり着くまでの長い時間を『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』を読むことに費やした。江國香織はあとがきで、「いろんな生活、いろんな人生、いろんな人々。とりどりで、不可解で。」と言っているが、この短編集に収められている10の物語に出てくる女たちは、本当に不可解。そして、みんなが一様に哀しかった。さらに厄介なのは、彼女たちの思いやそぶりがいちいち自分と重なって見えたことだ。江國香織の書く女たちは予想もしないところで私を揺さぶる。あんまり無防備に読んでいると、足元をすくわれ兼ねない。

ひとつ断っておくが、今の私の生活はそんなに哀しくはない。全然哀しくないと言えば嘘になるが、たいして哀しくない。不倫もしてないし(私はしばしば「不倫をしでかす恐れあり」と周囲から言われる)、今のところ数字の2とはうまくいっている(はずだ)。彼女たちの置かれた状況と自分のそれとが異なっているにもかかわらず、なぜか自分と重なって見える。厄介だ。


2002年03月14日(木) モネじいちゃんとの対話/追記

木曜日の美術館はたしかに空いていた。最寄駅からの無料送迎バスは、ガラガラとはいかないまでも行きも帰りもちゃんと座れたし、美術館の中も人がいっぱいで絵が見えないなんてことはなかった。木曜日の美術館は空いている。私の読みは正しかった。

川村記念美術館は、畑や田んぼの広がる中をバスで15分くらい行ったところに、いきなりぽっかりと現れる。田んぼにはまだ水が入っていなかった。モネの睡蓮がみたくて、とんでもなく遠くまで足を運んでしまった。そうでなかったら絶対に来ない場所だ。田舎は空気がきれいで、と言うより、空気がまるくて甘くて気持ちが良いけれど、都会の喧騒に慣れているためか、私は少し寂しくなる。

美術館には順路があるが、それを順路通りに進み、最後まで到達すると逆行してはじめの位置まで戻り、また順路通りに進む、それを4回繰り返した。これも美術館が空いていたからできたことだ。そうしてわかったことは、睡蓮をみるときには絵から離れて、絵の中央よりやや上に目をやる。そうすることで、絵が一気に生気を帯びる。すごい発見だった。心もち近づくと、水面のきらめきが一層引き立つし、反対に遠ざかると、池が額縁の外までずっと広がっていく。絵をみるのは、とてもおもしろい。絵の前に立ち、心を自由に遊ばせてみる。

モネの絵の素晴らしさをあれこれ言えるほどに知識を持ち合わせていないのが、残念でならない。チャンスがあったらぜひみてほしい。会期は4月14日まで。

追記:
たくさんの睡蓮の絵とともに、モネの写真がいくつか展示されていた。家族や友人と語らうモネ。その中のひとつに、池の水面だけを撮ったものがあり、そこにはモネ自身の反映が写っていた。帽子をかぶり、絵筆を持ち、池を見つめ、柳やポプラやときには空に浮かぶ雲の反映を描き続けたモネの反映。気をつけていないと見過ごしてしまいそうな写真なので、展覧会にお出かけの方はちょっと探していただきたい。


2002年03月07日(木) なんということもない日々

3月になって、すでに一週間がたとうとしている。この一週間、私は何をしていたのだろう。何も書かないままに過ごしてしまうと、自分が何をしていたのか何を考えていたのか、あまり思い出せない。そうなると、ただ毎日同じことの繰り返しのような気がしてくる。これではいけない。

3月1日
この日は唐突にやってくる。カレンダーをめくり忘れることおびただしい。それでも大した影響はない。日にちと曜日の関係は2月と一緒だから。

3月2日
11日ぶりに仕事が休みになり、家にいるのが好きなので、思う存分、家にいることにする。結局、一歩も外へ出なかった。

3月3日
ひなまつりなので、ちらし寿司をつくる。さくらでんぶを買ってきてほしいと母に頼んだところ、幼稚園みたいね、と言われる。

3月4日
あっという間に休みが終わり、仕事。やっぱり月曜日は憂うつだ。

3月5日
誰がなんと言おうと(?)江國香織短編集『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』の発売日。しばらくはこれで生きていける。

3月6日
おや、昨日のことではないか。昨日は、昨日は、きのうは・・・思い出せない。いつもと同じ。そうだ、家に帰って日本酒を冷やで。

ふりかえってみれば、それぞれ少しずつ違うのだ。当たり前といえば当たり前なのだが、なぜか、毎日同じことの繰り返しと思ってしまう。今日の特筆すべきことは、小野リサのベストアルバム“Ono Lisa best 1997-2001”を手に入れたことだ。

願わくば毎日できるだけおだやかに、それでいて楽しく元気に暮らしたい。ちょっと欲ばり過ぎだろうか。似たような日々から生まれる些細なできごとをたいせつに。



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