Deckard's Movie Diary
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2006年01月28日(土)  フライトプラン

『パニック・ルーム』から3年、ジョディ・フォスター主演の『フライトプラン』です。予告編からヤバそうな空気が漂っていましたが、案の定でした。まぁ、宇宙人が出て来ない限り、その展開は想像出来るのですが、説明不足が甚だしいですし、無理が有りすぎです。それでも、子を守る母親を演じるジョディの演技は見応えがあります。ある意味、それだけの映画とも言えます。個人的にはラスト近辺に納得出来ない部分もありましたけどね。ピンと張り詰めた緊張感漂う前半は一級品ですが、ネタバレ以降はしょーもないです。というワケで、ジョディを観るだけの映画でした。最後に気になったシーンがあります。ジョディ!一言必要なんじゃないですか!


2006年01月24日(火)  ホテル・ルワンダ

1994年、アフリカのルワンダで起きた大虐殺が舞台になっている『ホテル・ルワンダ』。これは、実に良く出来た作品です。ドン・チードル演じるポールは、首都・ギガリの高級ホテル“ミルコリン”の支配人。ポールは本当に何処にでもいる普通の人、ただの一般ピープルとして描かれており、彼の行動や発言は小市民のオイラと大して変わりませんし(ホントかよ!)、TRY出来る範囲です(ホントかよ!)。おそらく観客の多くの人達も、彼のその感覚を共有出来るのではないでしょうか。ポールはホテルの支配人という立場を利用しながら、ちょっとだけズルくて、少しだけいい人なんです。そんな彼が、そんな普通の人間の彼が妻に話します。襲われていよいよ危なくなった時は・・・その言葉には驚かされました。彼のその言葉が、ルワンダで行われていた残虐的な行為を如実に物語っているような気がします。普通なら逃げ道等を指示したりするものだと思うのですが、ここでは如何に確実に残虐的な行為から免れるか!に重きが置かれます。オイラと大して変わらない男の究極の選択にオイラは参りました。そんな指示は普通は出せませんよ!そして、自らのその指示に振り回され、挙句の果ての虚脱感・・・単なる小市民が振り回される様は、リアルな体感として迫って来ます。人に襲われる恐怖を、ここまで身近に感じられる映画も珍しいでしょう。観て損はありませんので、是非多くの人に観て欲しい作品です。


2006年01月22日(日)  THE 有頂天ホテル スタンドアップ イノセント・ボイス

朝の8時半に目覚ましをかけて、9時に家を出て9時40分に銀座に着いて、二箇所の金券ショップへ!案の定、二軒とも開店していなかったので、そのままマリオンへ!10mくらいの列の後ろに並びながら「1800円かぁ・・・とほほ」と諦めていたら、窓口に『JCBカードを持っている方1600円』と書いてあったのでラッキー♪という感じで進行した、まだ少しばかりの雪景色が残る今年の初陣でした。

今年の初観賞です!まずは邦画応援団としてチェックをしなければいけない(義務かよ!)三谷幸喜脚本監督の『THE 有頂天ホテル』です。小生の周りの映画ファンの間では異常に評判の悪い三谷幸喜なんですが、オイラは別に嫌いではありません。TVドラマでは『やっぱり猫が好き』『振り返れば奴がいる』『王様のレストラン』『古畑任三郎』、映画では『12人の優しい日本人』『ラジヲの時間』『みんなの家』『笑いの大学』等、どれもこれも十分楽しませていただきました(『古畑〜』は初期だけですが・・・この正月にオンエアされた作品も全くダメでした。イチローの演技は上手かったですけどね!)。さて、超豪華キャストが揃った今作。どうにも、ノれませんでした。そりゃ、思わず笑っちゃう部分も多少はありますし、辻褄の合わせ方や小道具の生かし方等も上手いんですけど、わざとらしい雰囲気しか感じられません。くどい!って、言うか、脂っこい!って、言うか・・・さり気無さとか、洒落とかいうニュアンスが全くありません。分かりやすく説明すると、登場人物全員が加藤武扮する等々力警部のような演技なんです。って、余計分かんねぇーよ!まぁ、普通、若い頃は濃かったけど、最近は脂っこさが抜けて、良い塩梅になってきたよね!なんて言われたりするモノですが、三谷幸喜は逆ですね。最近の作品に出てくるキャラクターはどいつもこいつも鬱陶しくて腹にもたれます。また、役者がオーバーアクションなので(まぁ、監督が舞台出身だから仕方無いのですが・・・)疲れます。どこでも声を張り上げてるんだものなぁ・・・(笑)。それと、どういうワケか彼の映画を観に来てる人の中には、茶の間で観ているのと勘違いしている人が、多くて困ります。とある登場人物の後ろ頭が禿げているの見つけると「あら、禿げてるわよ!」と隣に座る友人に話しかけ(笑)(笑)(笑)、とある小道具が巡り巡って元に戻って来ちゃうと、隣に友人が居なくても「あらら、戻って来ちゃったよ!」と独り言を言いながら(笑)(笑)(笑)。一時が万事この調子です。だいたい、何処がそんなに面白いのかサッパリ分かりません!吉本新喜劇とかが好きな人には向いてるのかなぁ・・・。映画を観ている最中、何だか、とても不思議な空間に紛れ込んでしまった時間でした。ダメだこりゃ!



続いては『モンスター』でアカデミー主演女優賞を受賞したシャーリーズ・セロンの新作『スタンドアップ』。劣悪な労働環境で女性が立ち上がる映画と言うとサリー・フィールドの『ノーマ・レイ』が思い出されますが、今回は環境が男性優位の場所だけに、女性を取り囲む状況はまさに四面男根!以前、友人の女性が「大きな男性が近づいて来るだけで恐怖を感じるし、その態度がちょっとでも粗雑だったり、大きな声で話されるだけで怖い・・・」と言ったのを聞いて、女性にとっては男性の存在そのものが大きな威圧感を与えているんだなぁ、と気づいたコトがありました。そりゃ、男だって大きな相手には多少なりとも威圧感は感じますが、スキンヘッドの大男でも無い限り、恐怖まではなぁ・・・彼女の発言は男性の自分には、なかなか把握出来ない実感でした。そうなんだぁ・・・気がついて良かった!(って、遅いよ!ジブン!)で、そういう荒くれ男根たち・・・あ、違った!男たちに囲まれて仕事をするコトになった女性@受身セクハラ三昧!さぁ、どーすんの、アタシ!っつー話です。この映画の主演はセロンですが、どっこい!(←古いよ!) ヒロインは彼女だけではありません。この映画が単純なヒロイン誕生物語にならなかったのは監督がハリウッド出身ではなく、さらに!女性だったからかもしれません。セロンをことさらにスーパーウーマンにしません。ハリウッドの男性監督だったら、セロン演じる主人公・ジョージーを逆境転じて、男勝りで、どこまでも挫けない立派な女性として描くでしょう。ところが、この作品でのジョージーは上層部とのヤリトリでは何も出来ず、壇上に上がればえげつないヤジで硬直してしまいます。そりゃ、そうでしょ!現実問題、女の細腕(そんなに細くないけど・・・)じゃ、な〜んも出来ませんよ。だけんどもしかし!彼女を援護射撃する為に、人生で初めて母は反乱を起こし、父はスタンドアップします。その行動が、あまりに劇的なので不覚にもヤラレてしまいました。おそらく、その行動を示唆するようなカットがあったのなら、ここまでヤラレなかったでしょう。この場面を唐突と受け取る人も多いと思いますが、個人的にはハマりました。映画を観ながらズーっと、「アンタ(父親のこと)、それでいいのかよ!そんな態度ばっかりとってていいのか!取り返しのつかないコトになるぞ!」と毒づいてましたので、彼のスタンドアップにヤラレてしまったんですよ。どんなに出来が悪くても、自分の子供は可愛いですし、愛おしいモノです。現実では、そうでない場合も多々見受けられますが・・・それでも、親とは子供を慈しむモノだと信じていたいんです。単なる甘ちゃんの願望ですけどね(現実にセロンは幼い時に母が父を射殺する現場に立ち会ってしまっていますから・・・)。ジョージーの父親も、彼女を疎ましく思う反面、ズーっと抱きしめる機会を心の何処かで願っていたんじゃないでしょうか。まともな父親なら、男たちに囲まれ吊るし上げられている娘を放っとくコトなんか出来ませんよ!父親の言葉は力強く説得力に溢れています。そういう部分をピックアップすれば家族の物語とも言えますが、基本的には“人間、立つときゃ、立たなきゃ!”というED系(なんじゃ、そりゃ!)の作品です。主要登場人物のほとんどが、様々な理由で自分のコトを卑下してるんですが、実際の人間なんてのも、そんなモノでしょう。でも、卑下したままじゃ、何も始まらない!ってコトです。オイラもいつかは立ちたいなぁ・・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ. え、裁判シーンがいい加減?そんな場面なんて、ありましたっけ?マクドーマンドが座ったままスタンドアップ?フェイスアップ?したシーンしか覚えていませんわ! 



そして、3本目・・・1980年、エルサドバドルでの内戦が舞台になっている『イノセント・ボイス』。映画が終わった時に言葉が出ませんでした。雨の中、兵士達に囲まれながら手を頭の後ろで組まされ、何処か向かって行く数人の子供達・・・。前半はインディーズ系映画の特徴とも言える、対象から一歩引いたようなカメラワークで悲惨な状況を淡々と切り取って行きます。このような演出はドキュメンタリータッチとも呼ばれ、置かれた状況をことさらに強調するようなコトはせず、事実を客観的に伝えるのに適している手法と言えます。でも、個人的には、とても居心地の悪さを感じてしまう演出で、強制的に傍観者にされてしまうような気分になってしまいます。それでも、そこに映し出されている状況は十分に見応えがあり、観客は客観的に映像を捉えるコトが出来るので、後々、自分の中で良く噛み砕き把握するコトが出来ます。ただ、それがどんなに悲惨なコトでも、結局は他人事なので、個人的には何処か居心地の悪さを感じてしまいます。ところが、この作品は冒頭で描かれた雨のシーンに戻ったところから、ガラっと演出が変わります。それは劇的とも言える演出で、それまで他人事だと思っていた客観的な気持ちが、いきなり主人公の少年に同化させられてしまいました。あの川辺のシーンは、それまでのインディーズ系演出でしたら、もっとロングショットで描いたと思うのですが、いきなりのハリウッド調演出が自分にはめちゃくちゃツボでした。映画が始まってから初めてのクローズアップショットと言っていいほど、対象に迫ったあの瞬間、周りの子供達の顔には、小学生の頃に仲が良かった同級生達の顔が浮かびました。それくらい死を自分のコトのように身近に感じてしまいました。これは思わぬ出来事でした。そこからは、自分と少年が同化したまま、エンディングまで観てしまいました。躊躇したし、早く会いたかったし、救って欲しかったです。個人的には、あの川辺のシーンから、この映画に関しては冷静な判断が出来ません。遠い昔・・・こんな質問がありました。「あなたは、この国が他国から侵略されたらどうしますか?」。当時は「自分は戦う!」と答えてました。でも、今・・・小生の言葉は「逃げて、逃げて、逃げ切れなくなったら、抵抗せずに殺されるコトを受け入れる・・・」かもしれません。1980年・・・社会人になったばかりで、覚えたての仕事の出来不出来に一喜一憂していました。もちろん、あの時の同級生もそれなりに幸せな人生を過ごしていると思います。この恵まれた人生に感謝したいと思います。


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