気ままな日記
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もうすぐ新年度である。 ちらっと計算してみて気づいたのだが、来年度から「平成生まれ」の人たちと、席を並べて仕事をすることになる。 大学を卒業して入社した会社は、寿退職する人が多かったせいか、2,3年経つと、なにやら居心地の悪くなる雰囲気が漂った。昭和40年代生まれの人が入社してくると、いっきに老け込んだような気がしたものだ。 それが今度は「平成生まれ」の登場である。 つい最近のように思える、阪神淡路大震災のときに、ものごころがついておらず、山口百恵を「なつメロ」でしか見たことがない世代である。
以前に比べ、もの覚えが悪くなったり、根気が続くなったなあと、自覚することが多い今日この頃。 「まだ若いんだから」と言われると、「本当に若い人には、そういうこと言わないもんね」などと、皮肉ったりしたくなる。 「まだ若いんだから」。このセリフを職場で言われたら要注意。 面倒な用事を押し付けようとしている時、あるいはこちらの仕事を増やそうとしている時に、「おだてる言葉」として、まま使われることが多いのだ。
2007年02月18日(日) |
慌ただしいという言葉 |
自分の書いたエッセイに客観的な目で朱を入れてもらっていて、気がついたことがある。 それは、「慌ただしい」という言葉の多さ。慌ただしがっているのは、必ずしもわたしだけではなく、同僚や上司だったり、家族だったりするのだが、読み返すとずいぶんと出てくる。そんなに忙しい日々を送っているわけではないのに、これはどうしたことか。多分、気ぜわしいというのだろう、いつも「何かやらなくてはいけないことがある」ような気がして過ごしている。それがこんなふうに、時間や周りの様子を、「慌ただしい」というふうに切り取ってしまうのだ。 同じようにバタバタしている様を表現するのにも、もっと違う言い回しもあるだろうに。そこはボキャブラリーの乏しさといったところか。 ちなみに、送り仮名は、「慌しい」ではなく、「慌ただしい」のだそうだ。こういうことも勉強になるひとときである。
4月に行われる監査の資料作りがそろそろ始まる。 会計の仕事にはじめて就いた頃は、 「なんだって監査が近づくと、みんなあのようにピリピリするんだろう」などと 思っていた。しかし4年目ともなると、その空気にすっかりと染まっている自分を感じる。 頭の中で、資料づくりに割く時間や手順をあれこれ計画。知らず知らずのうちに気合がはいっているのだ。 しかし、大事なのは日々の仕事であって、監査や検査ではないはず。気合の割には毎度あっけなく終わり、あとに残されるのは、なんだったんだろう、あの慌しさは、というため息のみ。特段、達成感もなにもないのである。
コンビニに行ってもデパートに行っても、チョコレートの特設会場が花盛りである。 14日の通勤電車の中は、紙袋を大事そうに抱えた女子高校生でいっぱいになるんだろうな。 わたしが高校生の時は悲しいかな、いっしょにお弁当を食べる女子のグループの中でチョコレートを贈りあったものだ。 まるで「クリスマスのプレゼント回し」(っていう名称なのか知らないけど、各自持ち寄ったプレゼントを順繰りに隣の人に渡していき、曲の止まったところで手にしていた物が自分のものになるという方法)のように。
義理チョコを贈るならわしのある職場があったが、3月のお返しの方が高くついてしまったようで、かえって申し訳ないような気がした。 今の職場のように、男性の数の方がずっと少ない場合では、頭割りの金額がその分多くなるわけで、もしそういう風習があったとしたら、男性受難である。
さて、昨日の新聞に、「自分に御褒美、ひとり時間のために」というような歌い文句で、チョコレートの宣伝がしてあった。 こういうのを読むと、ついつい、そうだよね、御褒美御褒美などと釣られて、買いたくなってしまうわたし。 毎週のようにチョコレートを食べているというのに。 で、結局「カカオの深い味わいが楽しめる大人のための贅沢なナッツチョコレート」なるものを買ってしまいました。
宣伝文句の影響というのは、大きい。
2007年02月01日(木) |
いつも「初めまして」 |
早くも2月。昨年の今頃は事務所が閉鎖になるというので、そうとうに慌しかった。その余韻も今は昔。最近では、のんびりとした空気があたりまえとなっている。 異動間際の気分というのは、いつもいいものである。遠足や旅行と同じ。始まる前の方が盛り上がるのと同じ。 これにはもうひとつ訳がある。 わたしは、いつも初対面のように自己紹介するような関係に安心感を覚える傾向がある。 気心が知れる、というのをどこかで恐れているのだ。本音や本性を知られてしまったら、あきれられるのではと不安がっている。 だから、異動した直後というのは緊張はするけれど、自分のことを知られていない分、気が楽なのだ。 そして、日にちが経っても、「初めまして」だの「いらっしゃいませ」だのという距離を、ずっと保とうとしてしまう。 そういえば、就職の面接試験は好きだった。向こうはこちらのことを全く知らないわけだから、臆することも無く、しゃきしゃきとしゃべることができた。 そして外食も好き。そこでは、わたしはいつもお客様。いらっしゃいませ、ありがとうございました、と言われる立場のまま、おいとまできるからである。
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