気ままな日記
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2006年09月30日(土) だるまさんが転んだ

 昨日電車の中で、おおっぴらに転んだ。最寄り駅に近づいたので買い物袋や鞄をさげ、ドアの近くに立っていた時のことである。
 少し強めの急ブレーキ。ボサッと立っていたせいか、バランスを崩し、そのまま尻もち。ああいう時って、頭の中で、「ああ、転ぶ」と自覚していても、体はもはや無抵抗、どうにもならないらしい。
 近くに立って携帯いじくっていたお兄さんによっかかるような形になったのだが、その人が、さりげなく「除けた」ので、今回のような事態になったのである。
 近くに座っていたおじさんが、手を差し伸べて支えてくれようとしたが、腕一本ではもはや、支えきれぬほどの勢いがついていた。
 転んだのなんて何年ぶりかしら。それにしても恥ずかしかった。恥ずかしさのあまり、照れ笑いをしながら、そそくさと電車を降りたのだった。


2006年09月27日(水) これも個人情報?

 先日、息子の通う高校の文化祭に出かけた。
おそろいのTシャツを着た”大きなこどもたち”や、それぞれに趣向をこらした屋台や出し物などで、校舎の中も外も大賑わいである。
 教室の前の廊下には、学校行事のスナップ写真が貼られている。写真の貼られた模造紙に、
「個人情報保護法のため、お渡しすることはできません」と書かれている。
同級生の電話番号を聞きだそうとする輩が現れたとかで、クラスの連絡網が廃止されたのは、いつ頃だったか。
 電話番号や住所なら、なるほど個人情報と言えるかもしれないが、貼られている写真には、名前など一切プリントされていない。 
 保護法にそってといえども、なんだか行き過ぎのような気がする。スナップ写真を配って、なにか実害があったのだろうか。
 修学旅行や遠足のたびに、自分が写っている写真を選んで、注文するのが楽しみだったような気億がある。
 もっとも、近頃の子供たちは、各自カメラ付き携帯を持っているので、学校で膳立てした写真など買わなくても、好きな時に好きなだけ撮って楽しんでいるのだろう。こだわっているのは、母のみなのかもしれない。


2006年09月24日(日) 三つ子の魂は永遠

 幼稚園の絵日記から始まって、日記をつける習慣があった。
24歳の時に書いたのを読み返してみた。当時はもちろん手書きの日記である。
なにやら随分とまじめなことが書いてあって我ながら照れ臭くなる。
元旦の記。「自分を高める」とか、「イミダス(という情報知識満載の本が当時、あった)を毎日読む)」とか、「人の集まる場所には必ず参加する」などとあって、大層な志である。
 当時、会社の茶道部に所属していた。わざわざ扇子の上にお金を乗せて渡す作法なんてもったいぶってる、とケチまでつけている。(気に入らないんだったら退部すればよかったのに)
 起きたできごとは、全部書かなくてはいけない、とやや強迫的に思っていたせいか、本当に瑣末なことまで書いてある。
 それだけに、今は忘れてしまったことも、「へえ、こんなことがあったんだあ」と参考にはなる。
 ぺらぺらで自分がよくわかっていなくて、なんにもないようだったけど、こうして読んでみると、それなりに生きていたというのがよくわかる。
 そして三つ子の魂百までとはよく言うもので、悩んでいることや性分は、当時と現在とで、みごとなほどに、変わっていないのである。


2006年09月22日(金) 年を数える

 所用があって出かけた時に、職場の運転手さんと、
「平成に年号が変わってから、人の年齢が数えにくくなった」
という話になった。
 いちいち昭和に換算してから引き算をしなくてはならない。その面倒のせいか、身内の年齢の記憶さえ、怪しくなっている。
 両親の年を律儀に覚えていたのは、彼らが60歳ぐらいまで。今はまあ、だいたい70歳ぐらい、とまとめている。
彼らが年をとったということは、自分も同じように年を重ねたということである。あいまいにぼかしたいのは、そのことを自覚したくないからだろうか。
 平成元年生まれも、すでに立派な生産年齢。再来年あたりには、自分の息子と同い年の若者たちと、席を並べることになるのだろう。


2006年09月17日(日) 自己顕示欲

 今朝、駅の自動改札口で、いきなり閉まった扉を強行突破しようとしているおじさんがいた。
機械の不具合か、それとも差し込んだ切符が不正だったのか。憮然とした面持ちで、あのぺらぺらの扉を壊れんばかりに蹴り上げていた。
 わたしはその場をそそくさと通り過ぎてしまったので、そのあと彼はどうしたのか、わからない。駅員さんともめただろうか。
 酔っ払いが大声で喚いているのも怖いが、しらふだが、無言で、フツフツと憤りの雰囲気を発散させている人はもっと怖い。
 わたしの欠点は、自己顕示欲が強過ぎることだ。行き過ぎるとそうとう鼻に付く。これみよがしに力を見せ付けようとする人を見ると琴線に触れるのは、もしかして自分のいやな部分を見るような気がするからだろうか。

 さて昨日は、出版や本づくりのための講座を聴きに出かけた。
本離れと言われて久しいが、読む人は減っているものの、書く人は増えているのだそうだ。
 そういえば昔、山口百恵さんが「蒼い時」という本を出版した当時は、まだタレント本自体が珍しく、話題になったけれど、最近は猫も杓子も活字やオンライン上で、物申す時代。中身よりもまずは知名度。その分、書店での回転も早いようである。
 「わたしが、わたしが」と自分を誇示したい願望も、表現する方法を選べば、それなりにしっくりとおさまるのかもしれない。


2006年09月11日(月) 落ちた

 今朝方、ほんの数メートルほど離れた電線に、雷が落ちた。その音たるや、待ったなしの大音響。てっきり庭先にでも落ちたのかと思い、障子をあけて見るものの、火柱も立っていない。しとしとと雨の降る音と、遠ざかって行く雷鳴のみ。
 その代わり、落雷に門のインターホンが反応してしまい、鳴り止まなくなった。修理代が随分とつくらしい。
 物が落ちたわけでもないのに、なんであんなに大きな音がするのか今だ不思議。最近雷の音が大きくなっているように感じられるのだけど、気のせいかしら。


2006年09月08日(金) 一番早いのは

 「直ちに」「遅滞なく」「速やかに」。
どれも時間的に遅れてはならないことを示す言葉だが、それぞれの早さの加減で、若干ニュアンスに差があるのだそうだ。
 問答無用、一切の遅れを許さないのが「直ちに」。
正当な理由や合理的な理由があれば、遅れてもいいとされるのが「遅滞なく」。
「速やかに」はそのふたつの真ん中どころといったところか。
 似たような言葉をたくさん作り、解釈の違いなどと言って理屈をこね回すだけで、なかなか早く進まないのが役所の仕事である。


2006年09月06日(水) 王子様

 テレビは、親王誕生のニュースで、もちきりである。
青いハンカチを持った「俄か王子」も、話題性においては、生まれながらの王子には、かなわないようである。

 確かに喜ばしいことには違いないけれど、政治を司るおエライ方が、祝辞の中で、
「日本の女性も見習うべきだ、云々」などと述べていた。
 少子化を憂いての発言なのであろうが、抱える事情も状況もさまざまなのに、ちょっと失礼な意見に思えた。


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