気ままな日記
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2005年10月24日(月) 女性の役割!?

 先日の監査。監査委員は3人。
当然のごとく「悪いけどコーヒー、3つ入れてくれる?」と頼まれた。
こんな時はやっぱり仕方ない。お茶を汲むのは筋骨隆々毛むくじゃらの男性よりも、容姿はともかく、女性がしっとりと、お茶を運んだ方が、お客さんも、慣習にならって、気持ちも落ち着くというもの。しかしながら私は、心のどっかで、「どうして女性ばかりがこんなことに時間を割かれなくてはいけないんだろう」という、納得のいかなさを抱えていることも確か。で、考え付くのは「手抜き」。まあ、コーヒーカップに皿を添えるのは礼儀として当然だけど、できるだけ後片付けを楽にしたいという下心が働くので、1本のスティックにコーヒー、砂糖、クリープが全部ミックスされたものをどぶんと小ぶりのカップに注ぎ、スプーンでぐるぐるかき混ぜ、
「わあ、めちゃくちゃ甘そう。体に悪いわあ。でもお客様ももしかして甘党かもしれないし」などと勝手に自分に言い訳し、なにくわぬ顔をして、お出しする。
そして、結果的に、人数分のスプーンと、スティックシューガー、スジャータをひとりづつに付け合せたり、それらの残骸を片付けたりする手間を省こうしてしまうのである。
 女性の役割云々というよりも、ただの横着もの、気持ちよく飲んでいただこうというサービス精神に欠けているだけかもしれないけど。


 そうは言っても、力仕事となると、やっぱり男性陣に頼んでしまうわけで、「どうして力仕事となると男が借出されるんだっ!」などと不平をたれずにやってくれる彼らを見ると、まあ、お茶ぐらいでそうぐずぐず言うこともないのかも、と、ちょっと妥協した気分になってしまうのでした。


2005年10月21日(金) 日々は雑事でできている

 監査が終わった。
日頃、監査のために仕事をしているのではないかと思うことがある。
「監査でひっかかたらどうする」「監査で言われちまうぞ」というのは上司の脅し文句。大の男も、「監査」はお母さんのように怖いものらしい。前例のない、新しい方法や試みに消極的なのもそのためだろう。

 週末はゆっくりと何も予定のない日にしたいと思った瞬間、不思議なことに、やらなくてはいけない用事がふりかかる。または思い出してしまう。
そのひとつひとつは、実にささいなこと。スカートの裾上げがおりてしまったとか、ボタンがとれたとか、(ひとつボタンをつけると、ほかのボタンも気になって、結局全部付け替えたりする)。
子供の泥まみれの靴下、シーツの洗濯。別に今日やらなくたっていいのに、なぜか一気に片付けたくなる。
 そういえば、誰かの小説に書いてあったような気がする。ものごとがすべてすっきりと片付く日なんてないのだと。


2005年10月15日(土) なにげない挨拶に……

 来年度の異動先を決めるための、意向調査書を先日提出した。
前の職場を1年ちょっとで去ったので、今度こそはと、やみくもに肩肘張った2年半であった。
「ウワサに聞いていたよりもマシな人が来てくれた」と思ってもらえたらいいと、周りの目を気にしていたのかもしれない。人にものが頼めないたちなので、休職中の人の分の仕事まで、言われるままにソツなくこなし、どこかで褒め言葉を期待していたのかもしれない。
 今の職場はあと半年で閉鎖になる。先が見えたとたん、今までの緊張やら意地やらが一挙に「息切れ」となって雪崩を起し、体と心が素直に悲鳴をあげはじめた。
 結局、平日週に1度程度の療養休暇をもらうことになった。
そうして荷物をちょっとおろしてみたら、周りの人の言葉、ありがとうや、お疲れさま、というちょっとした言葉さえ、じわじわと心に染みて感じるようになったのはありがたいことである。
 人は言葉に傷付くけれど、本当にさりげない言葉にもこんなにも助けられもする……。


2005年10月10日(月) 変化

ここ数年、ホームページをつくりはじめたこともあって、心の中でつらつら考えたり感じたことをずっと書きとめてきた落書帖なるものがある。
薄い字で殴り書きしたような文章の羅列。それでも読んでみると、当時の気持ちが蘇る。
理屈っぽい文章なのは、今も大して変わらないけど、当時と今とでは随分と変わっていることもままあることに気づかされる。
 中には、わたしが変わったのではなく、世の中の価値感が変わったので、それまでこだわっていたことがどうでもよくなったということもある。
 一方では、考え方が変わったというより、「あきらめ」がついたのだということもある。 
なあんだか、おんなじところをず〜っと堂々めぐりしているようではあるが、ふとしたはずみに、あれはそういうことだったのか!と説明がついたり、納得がいったり、話のネタに使えそうなほど客観的に語れるようになっていたりする瞬間があることは確か。
 今までやってきたことはなにひとつ無駄ではなかったと思えるありがたい瞬間である。


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