気ままな日記
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2005年06月19日(日) 公平って?

 残業時間の公平化を図るという趣旨で、一定期間内での、各人の残業時間調査が行われた。
結果、一月の間の残業時間が、40時間の人あり、0時間の人あり、とさまざま。
でもだからといって、40時間の人の仕事量がやたらに多くて0時間の人が少ないというわけではない。残業しなくて済むように、さっさと手早くこなして、それなりに工夫した結果としての0時間ということもある。しょっちゅうお茶を飲んだり同僚とべちゃべちゃしゃべくったり、関係のないことまで口出ししてまわった挙句、時間内に自分の仕事をこなせなかった結果としての40時間ということだってありえるのである。
0時間だからといって必ずしも余裕があるわけではない。
時間だけ公平であればそれでいいというのなら、同じ量の仕事をすご〜くゆっくりとだらだらとやって残業時間を10時間、20時間かせいで、周りとあわせればそれで公平なのかということになる。
時間で判断せずに、こなした仕事量で判断してほしいと思うのだけど、この理屈、どこまで通るものやら。
この調査結果をふまえて仕事の分担を見直そうということになったら、どこまで反対できるものやら。
……と定時で帰りたがっているわたしはもっともらしくそう思うのでした。


2005年06月13日(月) 女性はいくつになっても

病院へ行く。長くもヒマな待ち時間でのひとこま。
待合室に備え付けてあるテレビで、事故のニュースが流れている。それを見ていた顔見知りらしい二人の年配の女性が、「やだねえ、事故で死んじゃうと、年(年齢)がばれちゃんうんだよ」。
確かに事故の被害者や加害者の名前と年齢は、ニュースで流され、全国に知れ渡る。
事故で死にたくないという思いには同感だけど、そういう理由もあったとは……。(目からウロコ。)

「女性に年齢のことを聞くのは失礼」とよく言われるように、なぜか年をとるのが罪悪のように思われているふしがある。かくいうわたしも、プレゼント応募用ハガキの年齢欄にはいつもいつもさば読んで「38歳」と書く。
見た目まだ30台でも通りそうだなとか、他人からの、「若く見える〜」という評価(実は未熟ということかも)にすがったり、無意識的に若いことが美徳のように思っている。
スッピンの自分を鏡で見たとき、ぎょっとすることもしばしば。
年輪を重ねた美しさ、妖艶を漂わす女などというのは、きっと陰でそれ相応の努力がはらわれているのであって、ただ自然現象に任せてばかりいてもそうそう虫のいい期待は持てないということだろう。


2005年06月05日(日) プール

水泳の季節―。
わたしが泳げるようになったのはほんの3、4年程前だった。毎週日曜日に水泳教室に通い、クロールと背泳ぎを覚えた。人並みはずれて冷たい水が苦手なのによくもまあ続いたものだ。
 学生の頃は、だから夏の体育の時間が憂鬱だった。水泳の授業を「見学」するには、親の承認のハンコが必要だったのだ。なんだかんだと理由をつけてサボりまくった挙句、鬼の○○とあだ名されるほど厳しかった体育の女性教師ににらまれるようになり、中学1年の1学期の体育の成績は赤点だった。
 あのとき、今のようにすらすらと泳げていたら、と思っても仕方のないことを考える。

 中学3年の時の体育の授業も、受け持ちは鬼の○○だった。跳び箱の上に頭をついて、倒立をし、そのままでんぐり返しをして着地をするという課題があった。
わたしはどういうわけか器械体操は、得意というわけでもないが、人並みにできたので、軽々とやってのけたら、彼女がやってきて言った。「どうしたの?すごいうまいじゃないの!」
 並にこなせて「どうしたの?」はないだろうと思うが、自分を嫌っているのではないかと思っていた相手に、褒めてもらったことは、なぜかずっと覚えているものである。


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