気ままな日記
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2004年04月29日(木) 休日閑話その1 「敵に塩を送る」

わたしはこの慣用句を、
「敵にいやがらせをする、またはとどめをさす」という意味だとずっと思っていた。
砂糖=甘い=親切、優しさ
塩=辛い=意地悪
という公式が頭の中にインプットされていたためか。本当の意味が、「相手の窮地を救う」ということだと知った時は驚いた。
よくよく考えてみれば、敵に悪さをするのはあたりまえのことであって、そんな意味ならなにもわざわざ立派な行いとして慣用句になどなったりしないであろう。
とはいえ、長らく思い込みによって染み付いたイメージというのはそうそう消えるものではない。今でもまだこの句を聞くと、天こ盛りに盛られた塩を前に「ペ〜、ペッペッ、辛いよー、降参降参!」と涙目になりながら白旗を降っている武士の姿がありありと目に浮かぶのである。


2004年04月22日(木) 修学旅行

息子が修学旅行の説明会のお知らせを持ち帰った。
旅行の行き先は京都、奈良。わたしたちの時と同じである。
いろんな神社仏閣を、グループごとに見てまわったのだが、その中で唯一覚えているのは、三十三間堂である。特段、ありがたい心持ちがしたからというわけではなく、ただ、細長い堂内に、観音像がぎっしりと並んでいるのが珍しかったからである。
そもそもあの年頃で神社仏閣巡りを楽しむ子供がどれほどいるだろうか。
修学旅行中の関西地方の中学生が、紅白歌のベストテンを観にきていたり、のちには、東京デイズニーランドに行ったりしているのを見聞きするにつけ、そっちの方がよっぽどおもしろそうに思えた。
 当時、京都では、テレビでウルトラマンの再放送をやっていた。今の中学3年生だったら、ウルトラマンなんぞわざわざ見たいなどと思わないだろうが、25年前の男の子たちは、それを見たいばかりに、グループ行動をはずれて、先に宿に帰ってしまい、先生にこっぴどく叱られた。そればかりでなく同じグループの女子生徒も、連帯責任ということで、これまた叱られた。
それで「ひどいわ、先生」ということになって、関係のないほかのグループの女子生徒もいっしょになってしくしく泣き始めた。連帯して責任を問われたばかりでなく、連帯して泣き始めたのである。わたしも同じグループだったが、なぜそんなふうに、皆寄り固まって悲しみにくれることができるのか不思議だった。
地元からいっしょにくっついてきた写真屋さんが、場違いに紛れこんで事情のわからないままその光景を写真に撮った1枚がある。
部屋の壁に向かい、肩を抱き合って嘆きあう女の子たち、「撮らないで!」とカメラに向かって叫んでいる別の女の子、そしてその光景を盗み見しつつ、傘なんかたたみながら黙々と荷物整理をしているわたしが写っている。
どうやらわたしはこのころから周りとずれていたのである。


2004年04月15日(木) 子供の頃から不安感ははじまっている

今日は休みをとった。昨日は午後から学校で懇談会があり、それに出席したので、結局1日半休んだことになる。
きのう、休むことを告げたとき、斜め前の塩爺は、やはり不安そうで、今のうちにわからないところを聞いておこうとしばしばやって来た。
不安感―。わたしが最近よく感じるのもこれだ。殊に朝目覚めたときが1番激しい。ざわざわとしたなんともいえない不穏な気持ち。
この不安感が原動力になった行動はとても無理がある。何かにせかされ煽られているようで余力を残して1日を終えられない、何度も確認してしまう、とりつくろおうとする。。。
不安感も感情のひとつなので、見ないようにせずに「ああ、今、すごく不安だなあ」とせめてしみじみ感じる余裕を持ちたいのだが。

昨日の保護者懇談会。
中学3年になると、今も昔も気になるのは内申書のようである。
近頃は、このお点があがるとばかりに、委員になったりボランテイア活動したり、露骨に先生に媚びる生徒もいるのだとか。
まー、子供のうちから大変よね〜イヤだわ、とお母さん一同嘆きあったあと、自己紹介を兼ねてひとことずつ挨拶。それが皆さん、そろいもそろって、「今年○○先生が担任になって子供もすごく喜んでます」とお決まりのセリフ。そういうのを媚びるって言うのではないのかしらん。
おまけに皆さんそろいもそろって自分の息子娘を褒め称えてる。
家の中でこのくらい褒めてあげれば子供もきっと喜ぶだろうになあ、などと自らのことは棚に上げて皮肉交じりな気持ちを抱きつつ、会が終わるとそそくさと帰宅したのだった。


2004年04月08日(木) 今週も引き続バタバタ

同じ課に配属になったのは、塩爺を少し若くした感じの年配の男性。
おだやか〜でひかえめ〜で腰が低い方。おとなしそうだけど、でも話し好きな感じ。
自然の流れとして現職場2年目のわたしも今度は彼を指導する立場になった。
教える立場になると、自分がどういったことを今まで覚えてきてどういったことがまだわかっていなかいがよくわかる。
10箇月前に異動になった時は、永遠に覚えることなんてできないんではないかと思うほど不安だったコンピューター操作。今彼もそう言う状態なんだろうな、というのがおどおどした態度でひしひしと伝わってくる。
隣席の同僚は、「わたし、目が悪いからひとの面倒なんかみてる余裕なんてないんです!!!!」ときっぱり彼に言い放ち、相変わらず冷たく突き放してる。それなのに、年の功というか人柄か、塩爺はその独特のやわらかな雰囲気で彼女に優しく話しかけて打ち解けようとしている。なんて人間ができているのかしら、わたしにはとてもまねできない、とつくづく思ったのだった。


2004年04月01日(木) 来る人

異動によって新しい職員がたくさん配属された。
栄養士さん、保健師さん、獣医師さん、事務屋さん、臨時職員さん、さまざまな名称の方々。それを逐一把握して、手続きについてあれこれ手配しなくてはならない。
新しく同じ管理課に配属になっのは、わたしが昨年度まで居た病院の医事課に数年前までいらした方。彼によると、あの本居さんは、今年2月に退職されたそう。
本居さん―。彼は医事課当時わたしの隣席で、毎日毎日10時まで残業し、課長に怒鳴られせかされ1日も休みをとれず、挙句の果ては、わたしが1年2ヶ月で異動になったとばっちりを受けて異動できなかった方……。
なんでもオーストラリアに留学されるんだとか。
そういえば、医事課に外国人の患者さんが来られると引っ張り出され、英語の電話がかかると回されて、散々重宝されていた。忙しくて、せっかく入学したNOVAにも、なかなか通えないと嘆いていたっけ。
留学は予定していたことだったのか、それともああいう職場に4年間も居て思い切りがついたのか、聞いて見たい気はするけれど。

それにつけても、この、年度切り替え、人事の異動に伴う事務に関わるあれこれでまたもや起きる怒涛のようなひと悶着。
「起きるできごとにムダなことは何ひとつない」とはよく言われることだけど、今、わたしの周りで起こり、わたしが感じる感情に、一体どんな意味があるのであろう。
今日はとりあえずアルコール度7%の缶チューハイね、とひとまず逃避して、気持ちを落ちつけるなどして、明日に備えるのだった。


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