気ままな日記
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友人と鶴巻温泉に行く。 天気は晴れ。 茅ヶ崎から1時間、富士山を真正面に見据えながらのドライブ。 お湯につかりながら、大広間で一杯やりながら職場のあれこれ、日頃のあれこれをうっぷん晴らしも兼ねてしゃべることの解放感! また行こうね。
一昨年デビューしたばかりの花粉症が、今年もぬかりなくやってきた。 目がかゆい、くしゃみ連発、鼻がツーツー・・・。 あの、鳥のくちばしみたいな花粉症用マスクをすることになりそうである。
久しぶりの日記―。 ちょっとさぼっていると、すぐ1週間や10日は経ってしまう。 明日は半日出勤なのであまりうれしくないが、とりあえず、週末を迎えるとホッとして、この寒いのに缶チューハイに手がのびる。
さっき、S先生にメールを書いた。 23歳の時からの友達(正確には先輩なんだけど)と、来週いっしょに行く日帰り温泉の打ち合わせのためにメールをおくった。 メールやらインターネットのある時代に生まれてきてよかったと思う瞬間である。
最近、自分にとって楽チンな考え方をすればいいものを、わざわざ、自分をしんどくさせる考え方、思考回路にはまっている。 からだも丈夫、仕事もある、子供も友達も、気にかけてくれる人もいる・・・自分に相応で、必要なものはすべてそろっているのだと思うのが、怖いのかもしれない。 わたしの心の中には、「これで良いわけがない」という前提があって、現状をそのまま受け入れてしまうことは、この前提と矛盾してしまうことなのだ。 しんどさを何かのせいにしたがっていないだろうか。 そしてしんどさを、何もしないことの言い訳に使いたがっていないだろうか?
雑音の方がとかく音が大きいので、ついそちらにばかり耳を傾けがちになる。 心地のいい音は静かでおだやかなので、聞きのがしてしまいがちなんである。
父がヨドバシカメラから、PHSのパンフレットを持ち帰ってきた。 電車に乗れば、折りたたみ式の携帯をひらいて、熱心に何やらうちこむ姿をあっちでもこっちでも見かけるうちに、自分も欲しくなったらしい。 「わしが1台買えば、2台目からは基本料金が安くなるからお母さんの分も買おう。」と、とても乗り気である。 「一体そんなもん買って誰と電話するのよ。」と母がひとこと言うと、 ちょっと、考えていたが、先の阪神大震災や、山での遭難のニュースを例にあげ、「瓦礫の中に埋まっても、携帯があれば居場所を知らせて助けを呼べるし、山で遭難した時にだって、便利だろ。」とまじめな顔で自分を納得させようとしている。 なんとか、「うん、うん、それはいいね、是非買いなよ。」という応援の声を期待しているのだ。 しかしどう考えても、普段家にかかってくる電話といえば、家庭教師のおすすめや、墓地のセ−ルスといったものばかり。 大地震に備えて、鳴ることのない携帯をお守りのように身に付けて過ごすというのだろうか。ちなみに両親に登山の趣味もない。 「夫婦で、しかも家の中で遊ぶんだったら糸電話で十分じゃないのよ!」と、わたしが言い放つと、ハハハと笑っていたが、翌朝そのパンフレットはどこかへ消えてしまっていた。
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