気ままな日記
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水産会社に勤務していた頃、へこんで売り物にならなくなった缶詰のおすそわけや、新しく開発した自社製品の試食、売れ残った大量の冷凍食品の社内販売やらがしょっちゅうあって、そのつど、紙袋をいっぱいにして帰宅していた。
税金の関係の事務所にいたときには、どういうわけか、地元の釣船業者さんから、あなごのおすそわけがあって、(よかったのか、もらっちゃって??でもそれで税額に手心を加えたわけではないので、念のため。)、その日は新鮮な魚料理を食すことができた。 その事務所の近所にあった○○観音からは、節分の行事のたびに、升とそれ一杯の豆、お赤飯などが、職員の昼食の時間に間に合うように届けられたりということもあった。
風邪の季節の昨今。 職場の講堂にて、”職員割引価格”で、インフルエンザの予防注射をうってもらった。 普段は、突発的で理不尽な仕事を持ち込み、こちらを散々てこずらせ振り回し、そういうことをなんとも思っていないらしい医師たちも、ひとたび注射器を持つと、「あ〜、ちょっと痛かったかもしれません。ごめんなさいね。」などと、患者さんに対するような謙虚で、優しくソフトな物言いと表情に様変わりするものだから、不思議。 ついこちらも、日頃のアレコレを忘れ、「あ、いいえ〜痛くないです。」(実際痛くなかったし)と、恐縮しつつ微笑み返したりなどして・・・。 やっぱり、ドクターは患者として眺めるのがよろしいようで。
むかしむかし、公団アパートの裏の公園が遊び場だった。 その中の、申し訳程度の小さな砂場で、友達とよく砂山を作って遊んだ。 日当たりの悪い公園だったので、砂はいつも黒く湿っぽく、崩れない山をつくるには、格好の材料だった。 砂山が完成すると、今度はトンネルを掘る。向こう側からと、こちら側から。 せっかくの三角の形が崩れないようにそうっと、時たま穴をのぞきながら。 やがて自分の手の先に、相手の手の動きがむくむくと感じられ、そして開通。がっちりと手と手を握りあう。 お互いに砂のこびりついた手は、湿っぽく、ザラザラとした感触ではあったけれど、やっとつながったといううれしさを、お互いに確かめ合うような、それはそれは、力強く、確かな手ごたえだった。
先日の話。 その人は、ひととおりわたしの話を聞き終わると言った。 「わたしはあなたの意地悪なところと、ブラックユーモアが好きだよ。」 「また来年お会いできますか?」 「そうだね、また来年・・・。」 差し出された手のふっくらとした暖かさ。 こんなにまっすぐ相手の目を見るのは初めてのような気がした。 とても優しい目をしていた。
2002年11月11日(月) |
桐野夏生原作「OUT] |
先日、映画「OUT」を観に行った。 同僚の妊婦さんが、暴力夫を絞め殺しちゃったことから、3人の仲間が風呂場で、彼の死体をバランバランに解体するところから始まる。 死体を切断する音、生手首、足首・・・と、思わず顔をそむけたくなる(でもしっかり見ちゃった。)場面もあったけど、どういうわけか、こんなに非日常な場面なのに、そこはかとないおかしみ、ユーモアが漂ってきて、ひとりで観にいったのに、思わず声を出して笑ってしまった。 死体を切り刻むなんていう行為も、ひとり鬱々とするから暗〜く陰湿なものになるのであって、パートの仲間と、日頃のお惣菜を詰める感覚でやってみると、案外こんなふうに、日常の風景のひとコマとして行われるものなのかもしれない・・・などと思えた。 淡々とした、いつ終わることやもしれぬ現実、雑用、日常から逃避したくて、「巻きこまれ」「振り回され」ていく・・・。 オーロラを見に、北海道の雪の平原を車で走るくだり、ともに追われるもののような感覚で、昂揚感を味わえた。
余談だけど、4人のうち、1番刑期が長いのは果たして誰なんだろう??
今年は観たい映画が目白押しだったので、よく観に行ったが、わたしの好みは「殺伐系」と「ほのぼの系」とに極端に分かれるようだ。
言葉が正しく伝わるということ― 文法的にということではなく その言葉の持つ重さも、雰囲気も、こちらの気持ちも 不足なく、誇張もされずに まっすぐ届くということ
「それは苦しかっただろうね。」 ―「苦しい」という言葉の重みと共感・・・。 「今日は、このへんにしておこうね。」 ―そう。また会えますものね・・・。 明日へと、未来へとつなぐ言葉。
よそよそしい景色の中で、言葉だけが、現実感を帯びてわたしを包む。
相も変わらない休日の過ごし方を続けているものだとつくづく思うのだが、今日もプールへ。 不思議なもので、全く泳げなかった時は、泳げるようになった夢をよく見たものだが、泳げるようになった最近では、全く泳げなくなってしまった夢を見る。 来週あたり、横浜国際プールに初挑戦。
「あなたほど好き勝手に生きてきた人はいないよ。」と、おとといある方から言われた。 わたしにはそういう自覚がないのだけど・・・。 同じことを、たとえば母に言われたとしたら、猛烈に反発心を抱くと思うのだが、くだんの方のことをわたしは大好きなので、「もしかしてそうかもしれない。」と思ったのだった。 言葉は不思議。同じ言葉でも、それを発言した人によって、こちらの受け取り方が全く違ってしまうもの・・・。 それに、殺伐とした気分や、環境に身を置いているときだからこそ、言葉がしんみりと気持ちに染み入るということもある。 わたしの夢― いつか、くだんの方と、ランドマークタワーの最上階でいっしょに食事をすること・・・。 好き勝手に生きてきた人どうしでね。
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