一日後記

2005年12月31日(土)

とりわけテレビも見る気がせず
朝からCDかスカパーの音楽チャンネルがかかりっぱなしなので
いまひとつ大晦日という気がしない。
買い物に行った先のパックに
片っ端から『賀正』のステッカーが貼ってあって
ああ年末だなと思うくらい。

とはいえお惣菜売り場にあったタコ焼きにすら
そのステッカーが貼ってあるのはどういうわけなんだろう。


そんなわけでして。


今年一年、お越しくださった皆様には厚く御礼申し上げます。
来年もまた気の向くままつらつらと
更新していくと思いますので
よろしくお付き合いのほど、お願いいたします。


よいお年をお迎え下さいませ。



2005年12月28日(水) 仕事納め。

朝、勤務先の予定表を見ると社長は出張中。
ということは今日も一人で仕事だなぁなんて思っていると
当の社長から電話が入る。

「(中略)あ、今日で事務所〆るから。来年は○日からって
 考えてますので、よろしく。」

『分かりました』と答えながら
心の中で『マズいぞー、そんなに休みあったら1月末までに
データの入力終わらない!』と一気に焦る。

今まで販売の仕事が長かったせいか、年末は31日まで
仕事があるのは当然と思っていたし
年始は3日ないし4日までくらいの休みが普通だった。
だから自分の仕事もその予定で進めていたのだが
これでは大幅に狂ってしまいそうだ。

中途半端で来年に持ち込むのもイヤなので、
手元にあるデータは全て入力。
最後に私が関係している会社にFaxを送って時計を見たら
既に終業時間を3時間過ぎていた。

一日一人で仕事をしていたせいか、いまいち年末の気がしない。


そう思ったが、乗り換え駅で酔っ払ったらしきオジサンが
線路に転落して横たわるのを目撃。

・・・年末なのかな。やっぱり。


(ちなみにその方、駅員さんと乗客の男性に引っ張り上げられ
 担架で運ばれていきました。)





2005年12月26日(月) 雑談。

年賀状の準備をしていたら友人一人の住所が結婚・転居で
分からなくなっており、親友であるH嬢にメール。
ほどなく電話がかかってきて、そのまま長電話。

途中、秋葉原のハナシから等身大フィギュアのハナシになった。
うろ憶えだが、確か40万ちょっとしていたと思う。

ひとしきり話して、気がつけば1時間近く経っていた。


そういえば以前テレビで防犯用の人形を見た記憶がある。
助手席に乗せて良し、一人暮らしの留守番に良しの
(実際は勿論何もするわけではないけれど。)
外国人男性の人形だったが、実物は見たことがない。
本当に乗せている方がいらっしゃるのかどうかさえ
甚だ疑問である。

というか、まだ売っているのか。あれ。
そう思って検索をかけてみたが、今はあまり販売されていないらしい。
ただ『日本人タイプ』というのがあったところを見ると
多少は進歩を遂げていたようだ。

とはいえ。




この画は少々こわい。
あと、膨らましているところを想像するのも。






2005年12月24日(土)

つい最近、勤務先へお客様を案内していた最中に
見つけた一軒のお宅。









近づく。








メリー・クリスマース!


電飾もいいけれど
個人的にはこういう飾りつけの方が好きだ。






2005年12月22日(木) 柚子湯。

お風呂にお湯を入れに降りた私に義母が言う。
「冬至だから柚子を蛇口にぶら下げておいたけど
 よかったら柚子のバブ(入浴剤)も入れてね。」
つい何のためにと問い返しそうになって、やめた。


それはともかく。

小さい頃、冬至の柚子湯でひどい目にあった。
湯船に浸かりながら浮いている柚子をぶにぶに握って遊んでいたら
突然全身の体表面に、チクチク剣山で刺されているような刺激。
慌てて湯船から上がって、暫く経ってからまた入っても
結果は同じで3分も浸かっていられない。

ところが他の家族が入ってもそんなことは起きず
大きくなった今、知人友人に聞いても
柚子湯でそんなことはなかったと口を揃えて言う。
ぶにぶに握った私への柚子の祟りかしらとも思う。

どなたか私と同じ経験をされた方はいないだろうか。


とりあえずそれから柚子を握ることはしなくなり
あの刺激も感じることはなくなった。



2005年12月21日(水) 境界線。

拙宅のお隣さんが来月に引っ越すという。
私は8年ほどのお付き合いしかないが、階下の義父母は
20年以上の間柄になるので突然のことに驚いていた。
(相方も一応生まれた時からこの地にいるが、ご近所のことには
 とんと無関心で『あ、そうなんだ』とアッサリ。)

引っ越すだけなら別に問題も何もない。
しかし、ちょっとややこしいことになった。

詳しい事情はとりあえず割愛するが、仲介役の不動産屋によると
どうやら拙宅の下水管が約40cmほどお隣さんの敷地を通っているらしい。
現在の住宅ではまずこういうことはなく
建てたのが随分昔であり、その他紆余曲折もあり
こんなことになってしまった と。
ちなみに今まではお隣さんも『見える場所ではないから』と
全くそのことは気にしておられなかった。

ところがそれを売るとなると、いささか事情は変わる。
何せ自分の敷地内に他人の家の下水管が通っているわけだから
それを嫌がる方もいらっしゃるだろう。
そうなった場合、拙宅の方で下水管を直さなきゃいけなくて
費用はおよそ10万ちょっとだろうとのこと。

話を聞きながら私は『そうなったら直すしかないよなー。』
と思っていたのだが、憤慨し始めたのは義父。
『ご近所なんて持ちつ持たれつなのに、この程度のことで文句言われるなら
 金輪際(お隣とは)関わりたくない。』とまで言い出した。
正直なところ、その後のやりとりはウンザリしてあまり覚えていない。
しかも更に面倒なのは、買主がそこに住むのではなく
賃貸として人に貸すということだ。

将来引っ越してきた方は何も知らないのに
妙に突っ慳貪なオヤジが隣にいることになるかもしれない。
そう考えると、ちょっと気の毒な感じがする。


後々面倒くさいことにならなきゃいいのだけれど
果たしてそううまくいくのかどうか。


(一度22日付けでUPしましたが、もひとつネタがあったので
 21日分に回しました。)







2005年12月19日(月) 速度。

最近、気がついたら2駅(都内での場合)くらいは
何となく歩いて行こうかと思うようになった。

勿論それは気分や都合次第なのだけれど
歩く速度で移動することも悪くない。
多分自転車だと耳と鼻が千切れるくらい痛い季節だから
そう思うようになったのだろう。


用があって隣町まで。
冷たすぎて歩いていても風が痛い。

そういえば今年の冬は珍しいほど寒いとか言ってたっけ。
今朝のニュースじゃ名古屋が大雪で大変そうだと
流していたけど、親友(名古屋在住)のところは大丈夫かな。
○○さん相変わらず忙しいんだろうけど、元気かな。
あぁ年賀状と大掃除、まだやってなかったっけ。

そんなことを考えながら、早足で少し遠回りしていると
風に晒されている部分以外は結構ほこほこしてきた。
帰りもちょっと遠回りしてみよう。


帰宅して鏡を見てみると、見事に鼻が真っ赤。

でも、こういう速度もいいもんだ。





何となくズドンと抜けた通りの空がきれいだったので。
デジカメ持っていなかったのは迂闊だった。



2005年12月17日(土) 救命講習。

先日、上級救命講習なるものを受けてきた。

今は自動車免許取得の際の救命講習は必須だけれど
私が免許を取った時にはそんなものはなく、したがって
人工呼吸や心臓マッサージのやり方すら知らない。
多分目の前で何かあっても、オタオタすることしかできないわけで
これじゃいけないかなぁとボンヤリ思ったのが きっかけ。


9:00、会場に集まったのは約30人ほどで男女の比率はほぼ半分ずつ
年齢は20代〜60代くらいまで実に様々だったが
何気なく様子を見ていると大半は(講習料の)領収書が必要らしい。
きっと仕事で覚える必要があるのだろう
後にペアを組んだ女性も『仕事で・・・』と言っていた。

知人に『あれは恥ずかしいと思っちゃダメだ』とは聞いていたが
まさにその通りで、人形相手に意識確認をしている最中
気付かぬうちに段々声が小さくなっていて注意される。
頭じゃ分かっていても、つい大声が出せない。

心臓マッサージでは力の入れ具合がまずかったか
人形が跳ねて位置はずれるし、新生児想定での時には
頭を思い切りワシ掴みしてしまうし、こんなんで大丈夫かと不安になる。
(ちなみにマッサージの位置がずれれば下手をすると
 肋骨を骨折したり、内臓破裂ということにも繋がる。
 新生児は頭が柔らかいので、親指とその他の指で挟むように
 頭を持たなければいけないのだそうだ。)

その後AED(自動体外式除細動器)の使い方や
ケガ人の搬送・三角巾の使い方etcを習い、終わったのは16:30。
正直言ってイザその時になったらちゃんとできるかどうか
自信はないけれど、知らないよりは知っておいた方がいい。


そんな半ば自己満足を抱えながら、2駅分歩いて帰宅。




2005年12月16日(金)

急に休止宣言など出して、ご心配をおかけしました。




2005年12月07日(水) 意地っ張り。

職場にて。

『2ヶ月分は向こうで入れるって』というウチのボスの言葉を信じ
何にも手を入れていなかったところに、やっとそのデータ到着。
ほっとしたのもつかの間、開いてみるとほんの一部しか入ってない。

(何度か書いているのだが、現在私がしている仕事は
 “経理”というものらしい。
 しかも自分が勤めている会社ではなく
 訳あって別の会社のを処理している。)

思わずモニタを凝視しながら固まってしまった。

入れるべきデータは手元に来ている。
ということは、こっちで入れてくれと そういうことか
って、話違うじゃないの。

呆れたところで仕方がないので、とりあえず報告。
『あ、そう。うーん、でも向こうに(入力できる)余裕ないんだよね。
 アナタができないって言うなら外注で頼むしかないけど、できそう?
 できなきゃ早めにギブアップして欲しいんだけど。』

毎日出勤していない身にはかなりキツいものだと思う。
でもやってやれない量じゃないし、ここ2ヶ月ちょっと頑張ってきて
今更『できません』と言うのが自分で許せなかった。


午後、一人になった事務所で黙々と作業をしていたら
いつの間にやら2時間オーバー。
無論その分の時給はゼロ。


・・・・とんでもない意地っ張りである。




2005年12月05日(月) 補色クリーム。

何年か前に買った斜めがけバッグの擦り傷が妙に目立つ。
縁の部分が革巻きになっているためか
角ばかりではなく、縁全体が白っぽくなってしまった。

別に底が抜けたなど修理不可能なほど傷んだわけでもないし
使い勝手がいいので、買い換えるのも気が引ける。
黒だから靴用の補色クリームが使えないわけではないだろうが
おそらく多少なりとも服に色移りする可能性があるだろう。
斜めがけゆえバッグを取ったら
お尻が黒くなってたなんてことになれば、目も当てられない。


そんなわけでバッグ用の補色クリームを探す。
ところが案外これがないもので、近場では見つからずに
池袋まで出かけるハメになった。


早速家に帰ってまずはステインリムーバー(汚れ落とし)で一拭きし
マニキュアと同じ形をした補色クリームで縁をぺたぺた。
おそらくほんのちょっとのリタッチ用に販売されているのだろう
量も少ないし、ハケも小さいが文句は言えない。
何度か『ウェスに液ブチ撒いてガーっと塗ってやろうか』という
衝動に駆られたが、ぐっと堪えて2度塗りぺたぺた。
ついでにもう一つのバッグの傷もやってしまおう。

乾かしたらミンクオイルを塗りこみ
(お高いバッグならバッグ用クリームがいいのだろうが
 拙宅では靴以外殆どの革製品はミンクオイルで用が足りる。)
2時間ほど陰干しした後、防水スプレーを吹いて終了。
擦れた部分に補色しただけでも
結構キレイになるものだと自画自賛。


お手入れ前後の写真、撮っておけばよかった。



2005年12月02日(金) ガスタンク。

と言っても、バンド名ではない。
(ご存知の方がどれだけおられるかは疑問だけれども)


仕事中、ちょっと考えた。

新宿のビル街をピンに見立てて
あの丸いガスタンク転がしたら、どうなるかなぁ
・・・なんてことを。


目の前に山積みになった領収書と出納帳と通帳のファイルを見ながら
つい頭が勝手にトリップし始める、危ない午後3時。



 < 過去  INDEX  未来 >


Haruki [MAIL] [HOMEPAGE]