Experiences in UK
DiaryINDEXpastwill


2004年03月29日(月) 第33週 2004.3.22-29 ウィンザー城、イートン校

28日(日曜)から英国はサマー・タイムに切り替わりました。日没時刻が7時半頃まで一挙に遅くなりました。この歓びは生活していないと分からないものです。日本との時差が8時間になりました。

(ウィンザー城)
週末に思い立って英国観光スポットの王様であるウィンザー城(Windsor Castle)に出かけました。
ノルマン・コンクェスト(イングランドの始まりとされるノルマン人によるブリテン島の征服、1066年)後、ノルマン公ウィリアム(イングランドの初代国王とされる)によって築かれたイングランド西端の砦がウィンザー城のはじまりです(ちなみに、ノルマン人が築いた東端の砦がロンドン塔であり、これら東西二つの砦でイングランド領内を監視し、かつ外的に備えたとされています)。その後、幾人もの英国国王が居城として使用し、改修・増築が繰り返されてきました。ウィンザー城は、現在もエリザベス女王が週末などに居城として使用することのある「生きた城」です。
1992年には火災で5分の1を消失するという災難がありましたが、97年に修復工事が完了しました。

ウィンザー城までは当家から車で1時間かかりません。城は、当家の近くを流れるテムズ川をさかのぼった河畔にそびえています。
ウィンザー城の界隈は、これまで訪れた英国の観光地とやや趣が異なりました。
まず、城の周囲が日本の観光地でお馴染みの賑々しい雰囲気であふれていました。お城の周りは土産物屋や食べ物屋などが商売っ気たっぷりに店開きしていました。城に面した通りにはマクドナルドやバーガーキングも出店しています。このような賑わいはあまり好きではありませんが、これまで訪れた観光地が余りに地味だったので少しほっとしたような気もします。
次に、実際の女王の居城であるためなのか、昨今の国際情勢を反映したものなのか、非常に厳重な警備体制が敷かれていました。一人ずつ金属探知器のゲートをくぐって入場します。
最後に、見かけた日本人の数が群を抜いていました。ヒースロー空港に近いため観光客が来やすいのでしょうか。それとも、日本人は王室系の観光地が好きなのでしょうか。

城の内部の展示はさすがに十分に見応えのあるものでした。一級の国賓を招くパーティなどに今でも使用されているわけですから、古いものが多数展示されていても、博物館的なカビくさいじめじめした感じがあまりありません。全長が50メートル以上もある細長〜い長方形の対面式ダイニング・テーブルで行われた女王主催の食事会の模様がビデオ放映されていましたが、意味を圧する形式・格式の迫力というものを感じさせる圧巻映像でした。

(イートン校)
ウィンザーは、総じて必ずしも絶賛したくなるような観光地ではありませんでしたが、テムズ川を挟んだ向こう岸にあるパブリック・スクール(イングランドではエリートを養成するための私立中高等学校の意味)の名門イートン校(Eton College)までの散策はなかなか楽しいものでした。テムズ川にかかる小さな橋から延びる一本道を400メートルほど進むとイートン校のチャペルが見えてきます。道の両側には古色蒼然たる店構えの様々な商店が軒を連ね、ぐっと落ち着いたムードの小振りな学生街といった様子です。
イートン校は、英国で二番目に古いパブリック・スクールです。15世紀にイングランド国王ヘンリー6世がケンブリッジ大(キングズ・カレッジ)の予備校として創設しました。英国の歴代首相のうち20人がここの卒業生とのことです(故ダイアナ妃の子息ウィリアム王子とヘンリー王子、それからケインズも。あげていけば切りがないですが)。年間の授業料は、300〜400万円もするそうです。
英国の学校制度は、日本などとかなり違っていて説明が容易ではありませんが、イートン校というのは日本でいう中高一貫の全寮制・超名門私立学校といったところで、国王の肝いりで創設されたこともあって王族・貴族の子弟がたくさん通うようです。卒業生は、大方がオックスフォードやケンブリッジに進学します(といっても別にイートン校の生徒の学力が抜きんでているわけではないようです。この辺りが英国の学校制度を理解するうえで難しいところ)。

ところで、オックス・ブリッジといえば、28日には両校が競う伝統のボートレース大会がテムズ川で開催されました(第150回大会)。テレビで生中継されるなど、両校関係者のみならず国民的行事として盛り上がるイベントのようです。スタート地点が当家近くのパットニー・ブリッジだったので観戦に出向きたかったのですが、ウィンザー観光で疲れてしまって今年は残念ながら見送りました。
英国らしいなあと思ったのは、翌朝のパットニー・ブリッジ近辺の様子です。食べ散らかしたゴミやら何やらが道路上に散乱しておりました。そのうち清掃員が片付けるのでしょうが・・・。


2004年03月22日(月) 第31-32週 2004.3.8-22 St.Patrick's Day

(St.Patrick's Day)
3月17日はSt.Patrick's Dayでした。アイルランドの守護聖人である聖パトリックを祝う日であり、アイルランド共和国と英領北アイルランドでは休日になるようです(イングランドでは違います)。
英国とアイルランド共和国には、それぞれ4人の守護聖人と呼ばれるキリスト教の偉人がいます(イングランドは聖ジョージ、スコットランドは聖アンドリュース、ウェールズは聖デビッド)。イングランドを除く各地域では、守護聖人の日は特別な日になっているようです。

聖パトリックは、5世紀にアイルランドにカトリックを伝道した司教であり、その献身的な伝道活動から数々の伝説とともに歴史に名をとどめています。現在も国の象徴となっているシャムロック(三つ葉のクローバー)を手にして、父と子と聖霊の三位一体を説いたとされます。また、布教に当たって土着宗教(ドルイド)に対しても寛容な姿勢をみせたことが地元の人々に大いに受け入れられたといいます。この結果、アイルランドにはドルイドの神々が妖精として生き残り、多くの妖精伝説が根付いたとされています。
アイルランド人と世界中のアイルランド系の人々は、毎年のSt.Patrick's Dayにはナショナル・カラーである明るい緑色のものやシャムロックを身につけてこの日を盛大に祝います。St.Patrick's Dayにちなんだパレードやお祭りは、確か東京でもしていたと思うのですが、おそらくニューヨーク在住経験のある方々には非常になじみ深いものと思われます。なにしろアイルランドは、島民人口が3〜4百万人であるのに対して、アイルランド系の移民は米国(とりわけニューヨーク)を中心として4〜5千万人近くいるといわれています。

アイルランドは哀しい歴史を持つ国です。何百年にもわたってイングランドからの様々な形での支配を受け続け、17世紀には清教徒革命という熱病の余波でクロムウェルによる侵攻・大虐殺という悲惨な歴史体験を持ち、19世紀半ばに極めて地味の悪い国土で唯一の収穫物であるジャガイモの大飢饉に見舞われました。ジャガイモ飢饉の際には、900万人の人口のうち100万人が餓死し、150万人がアメリカに移住したそうです。これを司馬遼太郎氏は、「傾いたテーブルから豆がこぼれ落ちるようにして大西洋に浮かび、アメリカに移民した」と表現しています(「愛蘭土紀行」)。
その後も、イングランド(連合王国=UK)との独立をめぐる政治闘争、極度の経済不振という厳しい状況から国民の流出は続き、人口は飢饉発生時から半分以下にまで減ってしまいました。北部の一部州を除くアイルランドは1919年に独立を宣言し、1949年に完全に英連邦から脱退し、正式にアイルランド共和国が成立しています(ちなみに90年代以降のアイルランドは、ケルティック・タイガー=ケルトの虎と呼ばれたほどに経済が目覚ましい好調ぶりを示し、現在もEUの優等生のひとつに数えられています)。

さて、ロンドンにおいては、このSt.Patrick's Dayもごく一部の地域を除いて催し物等が開かれるわけではありません。この日がそういう日だと気づかずに過ごしているロンドナーも多数いると思われるほどです。
ただし、アイリッシュ・パブだけは別です。仕事が終わってから職場近くのアイリッシュ・パブをのぞいてみたところ、店内に入りきれない人たちが外まであふれてグラス片手にギネス・ビールを飲んでいました。もちろん飲みに来ているのはアイルランド人ばかりというわけではなく、イングランド人も含めてこの日にかこつけて盛り上がっているのです。
私も便乗組に紛れて店外でギネスを立ち飲みして帰りました(英国もようやく日によってはパブの外でビールが飲めるくらい暖かくなってきました)。聖パトリックに乾杯はあまりにしらじらしいので、先日のラグビーでのアイルランド・チームの対イングランド勝利に乾杯、と心の中でつぶやきつつおいしいビールをいただきました。


2004年03月08日(月) 第30週 2004.3.1-8 シンプソンズ、BARホンダ

土曜日に行われたラグビー6ネーションズ・マッチが、波乱の結果となりました。W杯の覇者イングランドにアイルランド戦で黒星がつきました。
イングランド戦は地元トゥイッケナム・スタジアムで行われたのですが、トゥイッケナムでのイングランドの敗戦は99年以来とのことです。アイルランドにとって快挙といえましょう。
試合前日の当地新聞に出ていた新キャプテン・ダラリオへのインタビュー記事で、W杯優勝後初めてのトゥイッケナムでのテストマッチ(国代表の試合)ということへの重圧が語られていましたが、その影響もあったのでしょうか。テレビでゲスト解説していた前キャプテンのマーチン・ジョンソンは、「なるべく長い時間を相手陣内でプレイするというシンプルなゲーム・プランを着実に守ったことが奏功した」とアイルランドの健闘をたたえていました(ちなみに、ラグビー競技における「アイルランド」チームとは、アイルランド共和国と英国領北アイルランドの連合チームです)。

(シンプソンズでのディナー)
今週、ミュージカルをみに行きました。たまたま所用で行けなくなった知人からチケットを譲ってもらったのですが、私にとっては生まれて初めてのミュージカルでした。この方面に疎い私には内容についてうまく批評する知識や能力はありませんが、賑やかでお洒落なコメディだったので(演目は「シカゴ」です)、全く飽きることとなく2時間を過ごすことができました。
私にとって興味深い体験は、ミャージカル前のディナーでした。開演が8時だったので、それまでに劇場近くのレストラン「シンプソンズ」で軽めの夕食を取りました。「シンプソンズ」は、伝統と格式を誇る当地で最も有名な英国料理レストランの一つです。
大きめの木製回転ドアを通り抜けると受付とクロークがあり、受付で予約を入れている旨を告げると、用意された席まで案内されます(なお、この日は、子供を信頼できる人に預けて妻と二人で出かけました)。店内は、毛足が長めの絨毯を敷き詰めただだっ広い空間に座席が並べられているだけで、全席を見渡せるごくシンプルなレイアウトが新鮮でした(かつてこの建物は、ジェントルマンのクラブだったそうです)。天井からは豪華なシャンデリアがいくつもぶら下がっており、壁面には年代ものらしき調度や意味ありげな大きな絵画が飾られていました。席まで案内してくれる人、ドリンクの注文をとる人、スターターの注文を取る人と細かく役割を分担した全ての店員は、「グッドイーブニング、サー」と慇懃な挨拶とともにやってきて手際よく仕事をこなしていきます。

料理は迷うことなく看板メニューのローストビーフを注文しました。シェフが肉塊を載せた大きなトローリーを引っぱって席の隣まで来て、肉を切り分けてくれます。店名が刻印された真っ白い大皿の上に、ぺろんぺろんと切ったばかりの数片の肉を載せてソースをかけ、その周囲に付け合わせの野菜をごろごろと無造作に転がし、最後にヨークシャー・プディングという得体の知れないお菓子のようなものを添えて完成です。決して安くない高級レストランの料理の割には、盛りつけに何の飾りっ気もないところが英国風なのでしょう。見てくれではなく中身(味)で勝負という質実剛健の精神なのだろうと、シェフが去ってからおもむろにナイフとフォークを手に取り、しばしその味を堪能しました。
料理の味の判定はひとえに個人の趣味の問題であるし、たった一回の体験から言えることは限られていると思いますが、何の変哲もないローストビーフだったというのが偽らざる感想でした。
英国料理を堪能しようとして、気張ってこの有名レストランの看板料理を口にする観光客は数多いと思いますが、個人的にはその辺の気の利いたパブのパブ飯を食べる方がはるかに意義深いと感じました。「雰囲気」は大いに楽しめましたけど。
「英国料理は悪評高いけど、カネさえ出せばおいしい料理が食べられる」という説は正確ではなくて、後段は「カネさえ出せばおいしい各国の料理が食べられる」だと思います。英国料理に関しては、余計なカネをつぎ込まない方がむしろいいような・・・。
2コースのコースメニューで、一人15.75ポンドでした。

(BARホンダ)
日曜、F1の今季開幕戦がオーストラリアのメルボルンで行われました。
今年の私の楽しみの一つは、BARホンダチームの応援です。我々が英国に来たその年のラグビーW杯で地元の人たちとともに応援したイングランドチームが優勝したことは、この国への親近感を高めるという意味で本当にラッキーなことだったと思います。今年、同様の思い入れをBARホンダチームに注ぎたいと思っております。思い入れるだけの理由が十分にあるのです。

BARというのは、99年から参戦している英国の新興F1チームですが、当初よりホンダ・エンジンとタッグを組んできました。ホンダは、今回が3度目のF1参戦になります。過去2回は、ご存じの通り、F1の世界にホンダ無敵時代を築いてきたのですが、今回は苦戦が続いています。ただし、BARホンダチームは徐々に成績を上げてきました(昨年のチーム成績は5位)。とりわけ今季のマシンは非常に高い前評判が囁かれていて、本命(フェラーリ、ウィリアムズBMW、マクラーレン・メルセデス)を脅かすチームとして、もっとも注目度が高いチームの一つと考えられています。
日・英タッグで昇り調子というのは、チームだけではなくて、ドライバーにも当てはまります。BARホンダチームの今季のドライバーは、英国人のジェンソン・バトンと日本人の佐藤琢磨です。どちらも若手有望株なのですが、とくにバトンの速さは現在のF1界でも折り紙つきで、つい先日も名門で優勝候補のウィリアムズ・チームへのシーズン終了後の引き抜きの噂が流れたほどです(本人が否定しましたが)。バトンはF1レーサーとしては背が高くてハンサムなので、英国内での人気も非常に高いレーサーです。佐藤琢磨も、昨年1年間をBARチームのテストドライバーとして過ごしたうえでの満を持してのフル参戦であり、マシンへの理解やチーム内でのコミュニケーションなどの点でたいへん期待が持てます。

さて、開幕戦の結果は、昨季まで5年連続チャンピオンを続けているフェラーリの2台が圧勝しました。BARチームは、バトンが6位(予選4位)、佐藤が9位(予選7位)で、まずまずの結果だったといえましょう。十分に今後に期待できる内容でした。目標は、年間ランキング3位です。


2004年03月01日(月) 第29週 2004.2.23-3.1 ウォーリック城

「イギリス人は会えばまず天気の話をする」とはよく言われますが、半年生活しているとその気持ちがよく分かります。これだけ天気・天候の振幅が大きいと、どうしても話題にしたくなるものです。今の季節は心から喜びの気持ちを込めて「日が長くなりましたね」と言いたくなりますし、朝から晩まで曇天という日が何日も続いた後に爽やかな晴天になると、「気持ちの良い天気ですね」と言いたくなるものです。
天気の話が、手っ取り早く相手のシンパシーを得られる話題なのです。

(ウォーリック城)
週末に先日の英国のお城ベスト10で1位になっていたウォーリック城(Warwick Castle)に出かけました。
ウォーリックという街は、ロンドンから北西におよそ150キロの高速道路(M40)沿いにあり、F1などで使用されるサーキットのあるシルバーストーンや大学街のオックスフォードのさらに先にあります。
ウォーリック城の原型は10世紀に造られた砦です。11世紀にウィリアム征服王(所謂ノルマン・コンクエストを果たした初代イングランド王)の命によって木造の城塞が築かれ、14〜15世紀には城のシンボルといえる2つの大きな石造りのタワーなどが増築されて現在あるような姿となったようです。中世から17世紀のピューリタン革命にいたる頃までは、この城をめぐってかなり血なまぐさい歴史もあったようですが、その後は徐々に軍事的な色彩は薄れて、代々続くウォーリック伯爵の住居かつ貴族たちの社交場として使われてき
ました。つい最近までウォーリック伯爵が所有していたのですが、1978年にマダム・タッソー蝋人形館で有名なタッソー・グループに売り払われて、アトラクション施設に生まれ変わりました。
以上の歴史を反映して、城の内部にある豊富な展示も2系統に大別されます。一つが、城塞としての展示物で、中世に使用された鉄製の鎧・兜や剣、ダンジョン(地下牢)などです。もう一つは、貴族の館としての展示物で、タッソー・グループお得意の蝋人形を駆使して忠実に再現されたヴィクトリア朝末期以降の貴族の居室や贅沢な調度品などです。
特に後者は、実際に使用されていた部屋やインテリアなどがほとんどそのまま残されているうえで当時の状況が忠実に再現されているので、かなりリアルです。通常は気持ち悪いだけの蝋人形も、ここではリアルな感じを引き出すのに一役買っています(見つけられませんでしたが、20歳台のウィンストン・チャーチルの人形もいるそうです)。

(ウォーリックの街並み)
暗くて狭くて長い石造りの螺旋階段を上ってタワーの上に出ると(タワーの入り口には「老人には無理!」との注意書きあり)、ぐるりと周囲の町並みを一望することができます。南側には、城の真下をゆったりとエイヴォン川が蛇行しており、川沿いに著名な造園家によって設計された美しい庭園があり、さらにその周囲に柔らかい田園の風景が延々と広がっています。北側には、高い尖塔をもつセントメアリー教会を中心として広がるウォーリックの市街を一望することができました。
このウォーリックという街は、歴史や伝統を感じさせる落ち着いた佇まいの街でした。外に露出した木組みと漆喰を用いた伝統的な手法による小さな民家が整然と並んでいて、その間を縫うようにある小径には石畳が敷き詰められています。ここを訪れる観光客は多いらしいのですが、土産物屋の類はほとんどみられず、街の暮らしは静かに淡々と営まれているようでした。観光案内所で主に紹介されているのは、付近のウォーキング・ルートです。
街の中心の小高い場所に何百年も前から街を睥睨しているお城がそびえていて、その裾野にへばりつくように形成されているこぢんまりとした街には、細かい街路の隅々にまでお城が発散する歴史・伝統が行き渡っているといった雰囲気が感じられます。この点は、観光化が進んでいない日本の城下町にちょっと似ているように思えました(松阪など!)。
なお、ウォーリックの西隣は、シェークスピアとその妻の生家がある自然豊かな観光地として有名なストラトフォード・アポン・エイヴォンであり、さらにその南には英国を代表するカントリー・サイドのコッツウォルズ地方が広がっています。

この日の昼食はウォーリックでパブ・ランチをとりましたが、ラム肉のローストにベークド・ポテトと温野菜の付け合わせという内容で、量はたっぷりあって7.5ポンドと、実にリーズナブルでおいしい昼食でした。
簡素な味でボリュームのある英国のパブ飯は、たまらなくいいですね。


DiaryINDEXpastwill

tmkr |MAIL