明後日の風
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2011年07月17日(日) 夏本番

 夏本番。

 700m弱の標高差なのだが、これほどの日差しとなると、やはり体力を消耗する。筋肉が疲れるというよりも、正にオーバーヒートという感じ。
「いや、暑い」、「本当に暑い」
と言葉が発せられる都度、体から「これでもか」と汗が出る。

 悪戦苦闘で2時間弱。山頂まであと20分。
 20年ぶりに訪れた谷川岳は、やはり急峻という形容が相応しい。



 山頂直下の「肩の小屋」で買った冷たい烏龍茶で体が再生したのをいいことに、高山植物の咲き乱れる最後の尾根を、ホイホイと登っていく。クールダウンの効果は計り知れないというところだろうか。ハクサンフウロや、ニッコウキスゲ、これほど花が咲き乱れる山とは知らなかった。尾根の下には、湯檜曽川が造った断崖が広がっている。

「う〜ん、次はあの尾根を歩きたい」


 20年前、この笹原の山並みに触手を動かされたその上信越国境の尾根筋は、同じように続いている。


2011年07月10日(日) そして森林限界を超えた。

 小屋の外に出ると、真っ青な空が広がっている。
 昨晩、消灯前に空を眺めた時、雲が少しずつ切れて行く様子に、翌朝の快晴を期待したのだが、正にその通りとなった。

 こういう朝、小屋の前庭やその前に広がるテント場の雰囲気は、とても明るい。「早く山頂を目指そう」という活気に、「朝のすがすがしさを堪能したい」という気分が、不思議に入り混じっているからだ。我々は、小屋脇に溢れている冷たい湧き水をペットボトルに詰め、急登を登っていく。

 そして森林限界を超えた。



 初秋とは違う、初夏の山が、そこに広がっていた。
 雲海に富士が浮かぶ。そして、鳳凰三山の最高峰、観音岳への緩やかなカーブが続いている。


 言葉は要らない。
 


2011年07月03日(日) ピアノの時間

 古い6件の宿が並ぶ小さな温泉場。
 ぬるい透明なお湯が満たされた湯船に朝から浸かっている。
 ご夫婦でやっているという小さな宿。昨日の宿泊客は僕一人だった。
 この広い湯船を独り占めできるとは、なんという贅沢か。

「夏がきちゃったね」
とはご夫婦の言葉。クーラーがないのが当然のこの温泉場にも、昨年からは「クーラーが欲しい」
という言葉が聞かれるようになったという。それを「異常気象」とお父さんは話す。

 そんな下界から、僕は涼を求めて蓼科山七合目に車を走らせた。さすがに20度という涼しさ。ガンガン登れば1時間ちょっとで山頂のはず。ザックに水とカッパ、そして唯一の食料の「あんぱん」を詰め込み、登山靴の紐を締めて鳥居を潜る。山頂に蓼科神社奥宮がある。ここから神域に入るのだ。

 苔むした緩やかな道を進むと、ガレ場の急登がはじまる。
 新緑が美しい。



 ほどなく道は樹林帯に入り、天狗の露地を見物。
 あいにく、曇っていて、下界が見えない。


 最後のザンゲ坂を登る頃には、ぽつぽつと雨が降り始め、将軍平の小屋に逃げ込む。
 大粒の雨がバリバリと屋根にぶつかっている。
 急登続きの道を40分で駆け上がってきたのだ。さすがにつらい。ゴクゴクとペットのお茶を飲みつつ、とっておきの「あんぱん」を頬張る。

 ここから岩の続く急登を登れば山頂だ。


 雨はすっかり止んでしまい、一面の岩の平地である山頂は一瞬晴れた。奥宮にお参りをする。それまで霧に包まれていた山頂が、一瞬晴れたのだ。

 山頂直下の蓼科山頂ヒュッテに入る。
「ピアノ触って行ってよ」
と小屋の管理人さんが声をかけてくれた。
 ラベルとショパンを弾いてみた。湿気で不意に鳴らなくなる鍵盤との格闘は相変わらずだが、ここでアコースティックのピアノが弾けるということ自身が幸せだ。
 不意に入ってきた一人の若い青年が、ラーメンを食べながら聞いてくれている。たった一人の観客が拍手をしてくれた。ちょっとばかりの気恥ずかしさとうれしさを交錯させて、時間は過ぎていく。


さわ