明後日の風
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2007年05月27日(日) 5月の透明度

 5月とは思えない暑い一日。
 近くの鯛焼き屋も
「今日は暑いので、鯛焼きは午後3時からはじめます」
という札を掲げている。この鯛焼き屋、夏になると
「暑くなったので海に帰ります。秋になったら戻ってきます」
という札を掲げる愛嬌のある店なのだ。

 夕方の5時。夏のような一日とは言え、まだ5月。いくぶん涼しくなってきた。ちょっと良い空気を吸うためにハンドルを握って西に向かう。どうも最近、休日は、この時間に中央高速を走ることが多い。西日の強さに目を細めながらアクセルを踏む。まだまだ日も高い。高尾の山の遥か高みに太陽が光っている。
 それでも、関東平野を過ぎ、小仏トンネルを抜けて、ゆるやかなスロープを快調に進んでいる頃には、お天道様も随分傾いて来た。道の両側に続く山並みは、西日に照らされるて、影絵のようにくっきりと輪郭を輝かせている。この夕方の透明度は、水蒸気の多い夏にはない。春の特徴なのだな、と新たな発見に少し気分が良くなる。

 甲府の高台にある温泉に入った。
 このぬるめの湯が、僕の好みになっている温泉である。
 正面に富士が見える。まだまだ雪の中である。
 日が暮れてさすがに寒くなった。
 湯船に、こんこんと湯が注がれている。僕は肩を湯の中に入れた。


2007年05月14日(月) 台湾の近未来

 郊外の緑の平原に、メタルの近未来的な巨大建造物が見えている。
 市街から続くハイウェーは、曲線を描いて、その建造物に吸い込まれていく。
 これが、台湾高鉄(新幹線)に共通した駅の姿である。
 台中。明るく、ヨーロッパテイストを感じる街。台湾の中でも最も美しいと言われるこの街に、高鉄のこのメタルの駅は、最も似合っている。
 僕の乗ったタクシーはコンコースに横付けされた。
 正に空港の出発ロビーのような開放感のある趣が印象的だ。広いコンコースに高い天井。そこに、宙に浮かぶようなエスカレータが伸びている。

 改札口を抜けて、台北方面行きのホームに上がる。
 まっすぐに伸びる線路の向こうから、もうすぐ新幹線がやってくる。

 



 
 


2007年05月13日(日) 60パーミルの鉄路

 ナローゲージの小さな電車は、クーラー付で快適だ。
 まだ朝9:00前だというのに、台湾は暑い。
 阿里山(アーリーサン)高原鉄路、北門駅の高い天井の待合室で、じっとりと待っていた我々には、このクーラー付の車内は天国である。

 一番後ろからディーゼル機関車に、ガンガン押し出されるように、小さな客車が登っていく。この、引っ張られるのではなく、先に進まされている感覚が、この鉄路の面白さの一つの要素といっても過言でない。

 北門の次、竹崎に停車すると、列車は川を渡る。ガガガーといういかにも鉄橋らしい音が過ぎると、亜熱帯の森の中に吸い込まれていく。それまで比較的平野をまっすぐに走ってきた電車は途端、急カーブ、それもS字カーブが連続、左右に体が揺られる上に、線路は60パーミルを超える急勾配に、最後尾の機関車からの突き上げは一層強くなる。線路が曲がると電車もクキクキと音を立てるように線路に沿って曲がっていく。ジャングルのトンネルや断崖絶壁ぎりぎりの路盤の上を走る気持ちは、ちょっとしたジェットコースターよりもよっぽどスリリングだ。大きなガラス窓に額をぶつけつつ眺めると、これから登っていくであろう、絶壁のような急峻な山肌がおぼろげに見えており、車窓と車内双方に飽きることがない。
「本当にあそこまで電車は行くのだろうか」
答えは、
「三重ループで登るのです」




 奮起湖駅を出発すると、列車は急停車した。日に2往復しかないこの鉄路は、ハイキングコースに勝手に組み入れられているらしい。「線路内立入禁止」の標識も各所に立っているのだが、トンネル内をハイカーが歩いていて、既に急停車を経験済みた。本日の2度目のこの急停車。今後は、急勾配で列車が登れず、駅まで逆戻り。再度、エンジン全開で加速をつけて登りはじめる。登山列車ゆえの急勾配を体で体験。奮起湖駅での、弁当おばちゃんの大乱入とあわせて、珍事件の連続だ。

 このあたりから、山は檜や杉の巨大な美林が続く。薬師寺の塔の柱もこのあたりから輸入されたのだろうか。標高も2000mを超えた。
 スイッチバックを繰り返しながら、気温はみるみる下がっていく。阿里山終点はとてもクールだった。
 セロリと細切肉の入った麺を食べる。
 冷え切った体が喜んでいる。
 友人は、阿里山の茶葉を探している。
 3時間の飽きない旅。世界三大鉄路の一つ、という話しも頷ける。


2007年05月12日(土) 鄭成功の話し

 ちょっと寝不足のためか、気付くと、既に車は台南の街に入っていた。
 3階建ての長屋が続く町並み、ロータリーの片隅に、丸裸の鴨が数十と吊り下げられている。「やはり、ここは台湾なんだな」と実感する風景だ。

 港近くに、台湾のオランダ支配時代の城跡があった。日差しが強く蒸し暑いが、城址の展望台に登った。空気の流れの無い長い階段の先、一望する台南の町並みは、その分すがすがしい。
 15世紀、この城を攻めて台湾を開放した鄭成功、そのコトを知る。鄭成功の「抗清複明の戦い(つまりは明を復活せしめようという戦い)」を題材にしたのが、近松門左衛門の「国姓爺合戦」であること、鄭成功の母は平戸在住の日本人であったということ、「百聞は一見に如かず」である。



 鄭成功の廟に行った。平戸ゆかりの「鎮信流」の茶会が準備中であった。茶道関係者だろうか、和装の面々が、廟の回廊で語り合っている。こんなところにも、台湾の親日のゆかり、があるのかもしれない、と思うと、なんとなく外国に行くと居場所のない日本人としては、正直ちょっとホッとするのである。

 再び訪れた朝のロータリー。鴨は飴色に塗られていた。
 そろそろランチの時間。台南名物、担仔麺をいただくことにしよう。


2007年05月11日(金) カオシュンの味

 日本から3時間。
 空港ロビーの外には亜熱帯の甘い香りが広がっていた。
 既に午後9時。タクシーは、片側5車線はあろうかという広い道路を、まっすぐに北上する。ほどなく、日本人にはなじみ深い蛍光灯の灯りに満ち溢れた、高層ビル群が現れた。高雄の街だ。

 高雄(カオシュン)。そのむかし、打狗(ダッカウ)といわれた小さな港町は、その音ゆえに、日本統治時代に高雄(タカオ)と当て字をされ、結果として名前が変わってしまった、そういう過去を持つ。また、広い道路で整然と区画整理された開放的な町並みは、台北の混然とした雰囲気とは対象的で、後藤新平の先見性による都市計画によるものと聞けば、複雑な感情と親近感を我々に同居させる。

 六合路の夜市は、そんな複雑さなど無関係に、台湾のエネルギーで賑わっていた。
 作り置きを望まない亜熱帯の気候は、必然的に、すぐ作ってすぐ消費できる「町の食堂」という商売を繁盛させるのである。
 キングコブラの看板を掲げる蛇屋に少々引き気味になりながら、夜市を歩く。観光夜市とは言うものの、50ccバイクで乗りつけて丸椅子で屋台を楽しむ台湾の人も少なくない。屋台のおばちゃんが、小気味良く小さな茶碗をくるりと回して麺を入れ、跳ね上げるようにリズミカルに肉味噌を加え、最後にスープを注いで完成する、香りとコクのある担仔麺を手始めに、僕は餅のような台湾名物の肉圓、シチュートーストの棺材板へと進み、パパイヤシェイクの様相のパパイヤ牛乳で締めた。冷たすぎないひんやり感と、程よい甘さが印象深い。



 屋台でフルーツを買い込んだ。蓮霧(レンム)、梨のような林檎のような、その不思議な歯ごたえは癖になる。高雄の夜はまだまだ終わらない。


2007年05月05日(土) 一般国道の楽しみ

 深夜の甲州街道。
 中央高速道路の大渋滞をよそに、軽やかに車は流れていく。
 山をトンネルで抜け、谷を橋で通過してしまうハイウェイとは違う、その地域の形、というものを一般国道はしっかりと感じさせてくれる。

 岡谷の町は、広い松本・塩尻のある大きな盆地から、長い長い登坂車線のある峠を越えてやってくる。諏訪は諏訪湖に占領されて少しばかりしかない平地をなんとか活用して道が続く。2度ほど中央本線の踏み切りを越える、といった芸当まで存在するのだ。
 茅野を過ぎると再度の峠越え。その先は、富士川の源流である釜無川の河岸段丘の底に沿って道が続いている。アップダウンを続けながら、比較的ゆるやかなカーブで、のどかにドライビングが楽しめる。段丘の上にある高速道路とは随分景色の印象が違うのである。途中にある、今は北杜市となってしまった白州は、素直さを感じさせてくれるネーミングで、僕は大好きだ。
 そして、韮崎を過ぎると甲府盆地が広がり、その先は、笹子峠を発端として、急カーブが連続する険しい道が続いていく。高尾の山の先に東京がある。

 運転は少し疲れるのだが、どっちみち渋滞でイライラするのだし、たまにはハイウェイがなかった頃の一生懸命走るドライブを楽しむのも悪くない。思わぬ町が、実は遠い町だ、ということを実感できたりするし、何より、高速料金が節約できるのである。


2007年05月04日(金) 天空の道へ

 国道41号線。
 岐阜と富山を結ぶ大動脈だ。

 高山の市街から南に走る。
 飛騨の広々とした盆地は、宮川の作ったうねるような狭い谷となり、ほどなく開ける。その広々とした宮村の町を、宮川は曲がることなく、すっくと流れているのである。この透明度のある美しい清流の来し方を見れば、それは、今日登る山、位山(くらいやま)である。
 
 登山口は、スキー場の脇に沿って続いていた。
 見た目には痛々しいスキー場の人工的な山肌ではあるが、一方、巨大な御嶽山を視界をさえぎることなく見せてくれるという、恩恵も与えている。
 リフトの頂上駅を過ぎると、スキー場はなくなり、木の階段に誘われるように、森の中に、登山道が続いていた。大きな笹原にさえぎられながら、ところどころにいきなり現れる巨石群には、「畳岩」などの名前がつけられており、なんとも不思議な世界を作っている。「天ノ岩戸」と言う、神話の世界を過ぎると、山頂は近かった。

 今日は25度を越えている。その強い紫外線に光る白山のなだらかで大きな山容をおかずに、おにぎりを食べた。いつも、鮭と昆布が定番だ。
 この先、川上岳に向かって「位山天空遊歩道」なる、登山道が続いているらしい。きっと足が自然と動き出すような気分のいい道に違いない。次回は歩いてみたい。 


2007年05月03日(木) ダッチコーヒー

 伊那谷は明るい。
 午後の高台のカフェ。テラス席から、天竜川に向かってなだらかな緑が続いている。その先、白一色の南アルプスの3000m峰の手前には、ぽっかりと高遠の町が口を開けている。
 甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、そして日本第二の高峰北岳。更に南には未踏の塩見の険峻な峰が続いている。まだまだ雪の山である。

 岡谷の町から小さな谷を走ってきた僕には、この伊那谷は広くて大きい。
 諏訪湖の北岸、大きな高速道路の高架橋を見上げる、山に囲まれた小さな空間、岡谷の町の端に、ひっそりと小さな駅舎と駅前ロータリーがある。
「東京に一足先に戻るから」
という、友人をこの岡谷の駅で降ろしたのだ。
 塩尻へのトンネル開通で今では電車も少なくなった中央本線と僕の走る県道が川沿いにひしめく小さな谷は、辰野を過ぎていきなり開け、僕は高台の直線の続く農道へとハンドルを切っていく。緑の草原の向こうに木曽駒ヶ岳が見えた。



 午後2時。そろそろダッチコーヒーの氷も解けてきた。
 開田高原からの御嶽山を楽しみにしながら、目的地、飛騨高山を目指すとしよう。


 権兵衛トンネルの向こうは木曽、険しい谷である。


さわ