-殻-

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2003年02月24日(月) 涙の理由

君が泣いた理由を考えている。

たった一回、週末を一緒に過ごさなかったことが、
君をそんなに悲しませたとは思えないんだ。
君の涙の訳は、もっともっと深いところにある。

心の底では、君はとても繊細で淋しがり屋なのに、
そういう感情を認められない頑固な君は、
素直に感じる心を否定してしまっている。


捨てられた子猫が抱きしめられた時のように、
二週間ぶりの君の顔は高揚していて、
いつになくおしゃべりになった君は、
ひとしきり言葉を吐き出すと急に黙ってしまった。

君は眠れない夜に、僕に「お話」をねだる。

沈黙を恐れる君は、言葉を欲しがる。
何を話して欲しいわけでもなく、ただ「言葉」が欲しいのだ。

沈黙の中に、君はきっと「断絶」を見るのだろう。
素直に甘えられたなら、そんな苦労を背負うこともなかっただろうに。


僕は、自分の過去を語ってみせる。
昼間見たDVD(「いまを生きる」を一緒に見た)の話から、
この話のテーマが「スタンド・バイ・ミー」に似ていると僕が言えば、
男というジェンダーの「英雄体験」について君が語る。
女というジェンダーは「呪い」をかけられていて、
その呪いは「知恵と勇気」を持った男によってしか解かれないこと。

「知恵と勇気」というのは、「冒険」する男が持つのだそうだ。
男という存在は、冒険することで英雄体験を持ち、
そこで得る自信によって「呪い」を解くことができるのだそうだ。

確かに、女性というジェンダーが抱えるものはとてつもなく大きく、
それは簡単に解決できるような類のものではない。
僕がそれを解いてあげられるほどのものを持っているかどうかはわからない。
それでも、僕はただ目の前にいる君に、君がここにいる事実が、
僕にとってどれだけリアルな現実であるかをわかって欲しい。


だから僕は、君が何も言わずに僕の胸で泣いたときも、
気にせずに語り続けた。

僕は僕としてここにいて、
君もただこういう風にここにいればいいんだ、と、
君に感じてほしかった。

君の涙の理由は、僕には軽々しく語ることはできないし、
理解することもできないだろう。


それでも、君が少しでも言葉にしてくれるなら、
僕は一歩ずつ、そこに近づいていけるんだ。




2003年02月20日(木) 向い風のトラウマ

今日は風の強い日だった。
仕事を終えて、向い風の中を帰ってきた。

僕は、風というものが苦手だ。
髪型が乱れるからとか、寒いからとか、そういう理由じゃない。
精神的に辛いのだ。

向い風が正面から顔に当たると、僕は息ができなくなってしまう。
空気が吸えないのだ。

強い風の中では、僕は呼吸をするのに必死だ。
意識して、一生懸命努力しなければ空気が肺に入ってこない。
それと同時に、言いようのない恐怖感に苛まれ、
思わず目を閉じて倒れてしまいそうになる。



ずっと昔、僕がまだ小学生の低学年だった頃だ。
僕の住んでいた街に台風が来た。

北海道には、台風が台風のままで上陸することは稀だ。
だいたいは温帯低気圧に変わって、勢力が弱まっている。
しかしその時の台風はとても強く、弱まる間もなく北の地までやってきた。

朝、父の車で小学校へ向かったが、
父は急いでいたのか、あるいは単なる気紛れなのかわからないが、
途中で僕を降ろして、
「ここからは歩いていけよ。」
と言った。

その頃の僕にとって、父というのはあまりにも絶対的な存在だった。
逆らったり、文句を言ったりすることなど考えられなかった。
仕方なく僕は、荒れ狂う強風の中、歩いて小学校へ向かった。

それは小さな僕には想像を絶する恐怖だったのだろう。
今でも、歩道橋の上から飛ばされそうになった時の光景、
あの時の感覚をよく覚えている。


その恐怖が、顔に風が当たった瞬間に甦る。
そして、恐怖だけではなく、置き去りにされた淋しさと悔しさ、
どうしようもない憤りのようなものがぎゅうっと脳を締め付けるのだ。

ほんの一瞬なのだが、
強い風にあおられたその刹那、僕の意識は停止する。



幼少の頃の、親の些細な言動はとてつもない傷を残すことがある。
子どもにとって、親というのは絶対的な「世界」なのだ。
自己の存在する世界に否定されたような感覚を味わうと、
記憶の根底にこびりついてしまう。

否定してはいけない。
僕は身を持って痛感する。




2003年02月17日(月) 渡世

なんとも、生きづらい世の中だ。

うまく生きるには、他人のことを気にせず、
平気で奪い、傷つけ、踏みにじり、罵倒し、過信し、脅し、
うまくいけば全て自分のおかげ、失敗すれば全て他人のせい、
天気が悪ければ気象予報士を責め、晴れれば自らの行いを褒め、
コペルニクスもびっくりの「世動説」信者でなければ。

そう、あなたのようにです。


僕もうまく生きたい。
あなたのように、うまく生きたい。


だけど、
決してあなたのようにはなりたくない。

2003年02月16日(日)

状況と環境に応じた自己を幾つも設定して、
その時々で最適な役柄を演じる。

そしていずれ、どれが本来の自己なのかがわからなくなって、
戻れなくなってしまうのではないだろうか。

そもそも、本来の自己なんてものはどこにあるのだろう。
自然でいる自分など、存在するのか?

他者との関係性なくして自己を認識できないということは、
「状況と環境」を切り離して自己が存在し得ないということだ。
そんなにも僕の存在は曖昧で、不確定な可能性の雲なのだ。

相対性の中にしか見出されない、儚い実存。
そんな風に、他者とぶつかり、せめぎあい、エネルギーを授受して、
個の存在はカオス的に揺らいでゆく。

だがマクロでは、所詮見分けのつかない統計的集合に過ぎない。
そんな中で、一体どうやって僕は自分を認識するのだろう。

誰も教えてはくれない。
誰も答えてはくれない。


2003年02月13日(木) 大人とか子供とか

「しんってさ、すごいコドモじゃん。
 仕事に夢とか持っちゃダメだよ。
 そんなに真面目になっちゃってさ。」


この間、同期数人で飲んでいたときに、
同い年のマツダが僕にこう言った。

僕は一瞬、何を言っているのかわからなかった。
とにかく、ムッときたのは確かだ。

何がムッときたって、
この言葉を発したときのマツダの顔が、
とてもコドモっぽいサディズムに満ちていたからだ。

少なくとも、一緒に入社したときにはこんな嫌味な奴じゃなかった。


マツダは、僕と同じで博士号を持ち、
一年間博士研究員をしていたところも同じだ。
違うといえば、僕はアメリカに渡り、
マツダは自分の出身研究室に残ったということ。
それから、僕はH大で、彼はK大ということ。

同じ国立大学とはいえ、内情は違う。
偏差値で言えば、K大は理系では日本一と言っていい。
H大は、旧帝大といわれる括りの中では一番下だ。
彼にはそのプライドがあるのだろう。

僕がいわゆる「研究所」と呼ばれるところにいて、
彼はほとんど「製造現場」に近いところに配属されたのも、
彼のそういう変化の要因になっていると思う。

僕の勤める会社は、化学系メーカーというやつで、
基礎研究からプラント製造、顧客対応まで何でもある会社だ。
「エリート」的なキャリアを積んできたニンゲンには、
研究所に配属されることがステータスでもある。

実際には、何もかもを自社で賄うこの会社には、
どの部門も必要不可欠で、上も下もない。
しかし、現場に配属された人間は口々に研究所を批判する。

確かに、基礎研究というものは当たり外れも多く、
全てが製品につながる訳ではない。
それに、ビジネスであるべきの企業研究に、
大学と同じような趣味性の高いサイエンスを持ち込んで
自己満足に浸っている研究員がいることも事実だ。

その態度が、現場でモノを作っている立場からしてみれば
我慢ならないのだそうだ。

それは真摯に受け止めよう。
もちろん、企業としての研究のあり方というものを、
僕は日々考え、意識し、「役に立つ」ための仕事をしようとしている。

しかし、高々入社して一年も経っていない僕等が、
何かわかったような気になってお互いを批判しあうのは、
ちょっと違うのではないのか。

研究所と現場の確執は事実としてあり、
だがそれは僕等ではなく、長いこの会社の歴史の中で生まれたものだ。
それなりの理由があり、経緯がある。
僕等の知らない、深い事情があるのだ。


僕等はまだ、偉そうにそれを語るほどに仕事はできない。
なのに、たまたま現場に配属されたマツダは、
たまたま研究所に配属された僕を、目の敵にする。
結局は自分の境遇に納得できずに、周りが口にする愚痴に感化されたに過ぎない。

その果てに出てきたのが、冒頭の言葉だ。

変えようと足掻き、長く努力を重ねて、それでも叶わず、
なお求めて止まない人間に言われるのなら納得もいく。
誰でも、他人を攻撃することでしか癒されない傷を持っているものだ。

しかし、現実に埋没して日々の暮らしに追われ、
不平不満を垂れ流すしかしなくなった輩に言われる筋合いはない。


僕は、仕事に「夢」なんか持っちゃいない。
ただ、自分が納得できる生き方をしたいだけだ。
自分が目指していたものに恥ずかしくないように生きたいだけだ。
仕事と夢を安易に結びつけるのは、自己が確立していないことの隠れ蓑だ。

現実がそんなに生易しいものなら、不幸な人間など存在しない。
夢を仕事にして、幸せだと笑っていられるのは、
そのためにあらゆる苦労を厭わない者の特権なのだ。


仕事は仕事で、夢は夢。
その二つは、「生きる糧」であることに共通項を持つが、
決してイコールではない。

僕は、夢は夢として暖めながら、
現実の仕事の中に少しでも自分の存在意義を「構築」するために、
(「見出す」のではない。自分で「作る」のだ)
納得できなければ今の職場を捨てることも惜しまないだろう。

それは、「コドモ」なのか?
諦めて、拗ねて、誰かを皮肉ることでしかストレスを解消できない人間は「オトナ」なのか?

現実の前に立ち竦むことが大人になることだと、
どうにも勘違いしているアダルト・チルドレンが本当に多い。

「仕事は仕事なんだから、クールにやらなきゃ。」
「そうそう、適当でいいんだよ、仕事なんだから。」
「かっこつけちゃってさ、しんくんったら。」

一緒に飲んでいたみんなが、それに同調して口々に言う。


僕にはわかったフリはできない。
自分が本当に理解しないと、自信を持てない。
だから求める。


それが「コドモ」と言われるのなら、それでいいよ。
ただ、君たちは駄々を捏ねる赤ん坊か、それ未満であることを知った方がいい。

赤ん坊でも、欲しいものがあれば泣き声を上げるよ。
だって、君たちはそれすらできないんだろう?

2003年02月08日(土) あのことふたり

今日の僕は何を考えていたのか、
同期の女の子とデートしていた。

彼女の部屋に上がりこんで、しばし話し込んだ後、
僕等のお気に入りの紅茶屋に行って、
彼女はジンジャーチャイを、僕はウバのミルクティを飲んで、
仕事の愚痴を聞いた。

その後で、いつも僕が一人で行っている行きつけのお店で飲んだ。

終電に飛び乗って、彼女は眠そうにしていて。
彼女の降りる駅に着いて、僕も一緒に降りた。
本当は僕の降りるべき駅は二つ先なんだけど。

雨が降っていて、
彼女の傘で僕等は雨をしのいで、
彼女の部屋に戻ってきた。

時計は12時を回っていた。

僕は途中のコンビニで買った缶ビールを飲み、
彼女はペットボトルの温かいココアを飲んでいた。

二人でコタツで温まりながら、
くだらない深夜番組に文句を言って、
ごろごろと過ごしていた。


それだけといえばそれだけのこと。

僕はその後、雨が止んだのを見計らって帰ってきた。
そんなものなのだ。

彼女は、実はもう彼とは別れてしまっているのだが、
だからといってそれが僕等の関係に影響する訳じゃない。

なんとも、不思議な関係なのだ。
いつどうなってもおかしくない、という、
その危うさこそが僕等の関係性の本質であって、
だからこそこのまま続いていくのだ。

ずっと、

きっと、

このままなんだ。
それでいいんだ。




2003年02月05日(水) 流浪

どうしようもないことで泣きそうになって、感情の閾値を知る。
僕は常日頃、感情を表に出さないことで自分を保っている。
それはどうやら、とてつもないストレスになって堆積しているようだ。

長い年月の中で、潜在意識の底辺に沈殿した滓。
気付かぬうちに警戒水位を越え、今にも決壊しそうな理性の堰。


溢れて何処へ流れるか。
新たな滓になるだけか。

それとも決して溢れぬように、
その壁を堆く、ひたすらに積むのみか。

来し方も知れず、行方も知れず、
彷徨の果ては道の途中。

ふと立ち止まれば、
夕闇迫る淡い空には上弦の月。






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しんMAIL

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