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2002年12月31日(火) 旦那の実家で紅白

毎年31日は旦那の実家でのんびり過ごす。
普通嫁ならば、料理の手伝いをするとか色々と気を遣う場面があると思うのだが、私の場合それはそれはデカイ態度で毎年31日を迎えている。

一応食べ物は1品ほど持参するのだが、茶の間に入るなりデンと座ってご馳走を食べて食べて食べ尽くすのである。

その間母があれこれと世話をやいてくれるのだが、

「あ、お母さん、すんませぇ〜ん」

などと言ってあまり立ちあがらない私。
毎年こんなんでいいのだろうか?なぁ、嫁よ。

それにしても今年の紅白、
なんだかアダルト部門が少なかったような気がするのは私だけ?

ま、生みゆきが拝めたからいいか。

でもでも、
ダムで生中継して氷点下2度でノースリーブのドレス着られても
正直なんてコメントしていいのやら分からない。

私だけだろうか…
あの中継を見て



という一文字が頭に浮かんだのは。


あと、
中島美嘉って海草なのだろうか?
不思議な女性だった。でもミネラルは不足気味って感じだ。
そう考えると海草ではないのかもしれない。

THE BOOMのボーカルの男性、
旦那の友達にそっくりだ。顔も声も服装も。
こないだ一緒に飲んだとき、あんな顔でカラオケ熱唱していたなぁ。服装もあんな感じだったし。

ややっ!もしや本人か!?




2003年もやるよ、ふつは。
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2002年12月27日(金) プー助

今朝びっくりしながら旦那が朝食の準備をする私に新聞を見せた。

「ふつちゃん、コレ!ここ読んでみな!」

旦那が指をさしていたのは一般の人の投稿文のコーナーだった。
その投稿文は、一緒に暮らしている老犬に宛てた手紙だった。

<プー助、老衰で耳は聞こえないだろうけれど、心の耳で聞いておくれ。>

そんな書き出しの手紙だった。
私の実家のパグ犬も、同じくプー助という名前だ。
うちのプー助も、もうすっかりおじいちゃんだ。
旦那と昨日、プー助がすっかり年老いてしまいどうも最近様子がおかしいという話しをしていたので、この投稿文には本当に驚いた。
新聞に登場するプー助も、一晩中吠えつづけたり、失禁したりと老化現象が現れているとのこと。でもその手紙を読むと、初めてプー助が家にやってきた日から今日までの十数年、ずっとプー助は愛されてきたことが伝わってくる。

私の実家のプー助も、これまで大きな病気もせずすくすくと成長した。
でもさすがに歳には勝てず、最近徘徊したり夜泣きをしたりする。
耳も聞こえないようだし、餌も探せないほど目も見えないようだ。

ここ数日前からプー助の右目の表面に小さな白い膜がはっていたというのだが、それが昨日から大きくなって、今日はすっかり目の表面全体を覆うほどになってしまったと実家から電話が入った。
今日は父と私でプー助を車に乗せ病院へ連れて行った。
プー助は車の中が怖いのか、それとも病院へ向かっていると悟っているのか、ずっと移動中震えながら泣いていた。

プー助は片目を失うことになるそうだ。
手術で目玉を取ってしまうのだそうだ。

目の表面を覆っている膜は膿だった。
薬を飲ませつづけるよりも、目玉をとってしまった方がプー助のからだへの負担は少ないとのこと。

ショックだ…。
まさかそんなことになるなんて…。
ビー玉みたいに大きくて、天使のように純粋なプー助の目が。

来年すぐに手術をする。

片目を失っても、もともと見えていなかった目なのでプー助にとっては今までとはさほど変わりない環境での生活になると先生は言っていた。
それよりも、化膿している目を放置しておくほうが危険だという。

一体どの選択がプー助にとって一番いいのだろうか。

きっとプー助は、1秒でも長く家族のそばにいたいと願うだろう。住みなれた家から少しでも離れるのはイヤだと感じるのだろう。手術前の検査をして、そして手術をして…その家族と離れる数日間はプー助にとっては辛くて長い時間になるのだろう。

でも人間としては、できることはすべてやってあげたい。そして1日でも1分でも、1秒でもプー助には長生きして欲しいと願う。
でもそれは、人間の自分勝手な願いなのだろか。


2002年12月26日(木) 来年の仕事について

ささ、
今日はおもいっきり大掃除。

部屋の隅のすすをはらったり、拭き掃除をしたり、色んなことをした。
窓拭きに関しては、12月の初旬にやってしまった。
しかし12月の初旬ではちと早過ぎた。すでにほんのり汚れてるし。

大掃除も大体の部分は済んだので、拓哉のドラマの再放送をみた。
でもホントは完全に大掃除は終わっておらず、床のワックスがけがまだ途中だった。
でもドラマが始まってしまったので一旦ワックスがけはお休み。

で、

CMの最中にさささぁぁっとワックスの続きを行い、再びドラマが始まるとソファーに座って…そんなことを繰り返した。
ドラマの内容もスリリングだったが、私のワックスがけもスリリングだった。

夕方仕事の電話があった。
来年の仕事のことだった。

インストラクタのお仕事なのだが、内容も面白そうな仕事だった。
テキストの作成から携わる仕事で、興味をそそられた。
やりたい!是非やりたい!
かなり乗り気だった。

でも寝る前に色々考えた。
その仕事は、長期間の仕事だ。
今までのような単発の仕事ではない。
んー…。
実は私には短期間で果たしたい目標があるのだ。
そのために今勉強をしている。

せっかく興味のある仕事が舞い込んできたのだが、長期間の仕事となると私の目標達成に支障をきたすかもしれない。
両立できればそれに越したことはないのだが、私は不器用なので両立は無理だ。

ああ、面白そうな仕事なのになぁ。
でも短期間で勝負したいことがある。

ああ、どうしよぉぉ〜…。


2002年12月25日(水) 拓哉を頼んだよ

お昼過ぎに木村拓哉と明石家さんまのドラマの再放送がある。
それが楽しみな今日この頃。

やっぱり拓哉はかっこいいよ。
まいったよ。

悔しいけど静香…、拓哉を頼んだよ。


2002年12月24日(火) 手巻き寿司パーチー

そっかぁ、
今日はクリスマスイブなのかぁ。

今年は特にイベント気分もなくそんなに気にしてはいなかったのだが、今夜はパーチーっぽく手巻き寿司にしよう。

ほんとはケーキでも焼いてトリなども焼いてみようとは思ったのだが、ミツカンのCMを見ていたら手巻きにすることにしたのだ。
クールな郷田ほづみが手巻き寿司にあんなに大喜びするのだから、きっとパーチー気分も盛り上がると思って。

大好きな生協で手巻き寿司の買い物をする。
生協のひきわり納豆もしっかり買った。(←生協のひきわり納豆大好き)
あっ!生協の濃厚とうふは買い忘れた!!(←これも大好きなのに)

家について台所に立っているとヨドバシに寄って行くという旦那の電話が入った。
あの人はホントにヨドバシが大好きなんだなぁ。

さてさて、
旦那が帰ってきていよいよ手巻き寿司パーチー。

予想以上にうまかった。
二人で好きなようにネタをのせた。
「納豆、ツナ、しそ、マヨネーズ」の組み合わせを試してとてもうまかったので旦那に教えてあげたところ、旦那は鼻息を荒くして私のまねっこをした。
ぬるぬるマヨネーズってあんがいイケル。

旦那が「いくら、まぐろ、ほたて、しそ」の組み合わせを試していたので

「海の宝石箱だね。」

とコメントしてあげた。
でも

「こんなにのせたら訳わかんないや。」

と旦那は照れていた。
照れながら食べていたら宝石箱がボロっと崩れ取り皿に落下した。



旦那が

「ごめんね、プレゼントも何もなくて…」

と言うのだが、こちらこそごめんね。私も何にも用意してないよ。
でも私はもうプレゼントをもらっているのだ。
この間、駅裏を一緒に散歩してくれたことが何よりのプレゼントだ。

観光地でもなく名所でもない、なんでもないところを散歩するのが私は大好きなのだ。旦那はこの私の散歩に結婚する前から付き合ってくれている。
こうやってずっと旦那と一緒に散歩をしていたいな。


2002年12月23日(月) パグに気をつかう

ヨドバシに行った。
プリンタのインクと、ドライヤーを買いに。
ついでにヨドバシの本コーナーで立ち読み。


帰りはヨドバシの近くの牛タン屋さんで夕食。
昨日も外食、今日も外食。いいのだろうか…。
それも夕食のつもりが深酒。
焼酎をロックで飲んだりして調子こいた。

お店を出て少し散歩。
駅裏の寂しい町をぶらぶらした。
知らないうちに片手にはクレープが。
クレープを食べながら、消えかかる古い町並を歩いた。
区画整理のため、古い民家やお店が姿を消してしまった。
まだ少し残っているところもあるのだが時間の問題かもしれないなぁ。

そんな寂しい話しをしながら歩いた。
そんなことを熱く語っていたらいつしか旦那が「有事法制」の話しを始めた。
そして「消費税も大事だけど、そんなことよりもっと考えなければいけないことがたくさんあるのだ、我々は!!」と言っていた。
すごいなぁ、旦那は。

ブラブラと楽しい散歩を終え、地下鉄に乗り家の近くまでトボトボ歩いた。
トボトボ歩く途中、またまた旦那はすごいことを!!

テクノ調で私の実家にいるパグ達の名前を突然連呼した。

「クロ助、プー助、リリー♪クロ助、プー助、…」

と。ドラムンベースっぽく。

「龍之助(りゅうのすけ)がいないよ。」

と、私が注意すると、慌てて旦那は龍之助を付け加えた。
しかし慌ててしまったせいかクロ助、プー助、龍之助をごちゃまぜにしてしまい

「プロ助」

になってしまった。
プロ助でもいいのだが、そうなるとリリーが抜けている。
あれこれと私に注意された旦那は

「どうしてパグにそんなに気をつかわなきゃいけないんだ!!」

とついには開き直った。
確かにパグにここまで気をつかう旦那ってすごぉぉい。
なんだかうちの旦那ってすごいなぁ。


2002年12月22日(日) フランス料理と猪木ちゃん

夕方ホテルでフランス料理を食べた。
うまかった。
腹いっぱい。

フランス料理を食べる前にウェッジウッドの置時計を買った。
これはある方への贈り物。
私も欲しいよぉぉ。
でも自分では、
あんなちっこい時計にあんなにお金はかけられない。

それから、今日はペットショップにも行った。
パグの女の子がいた。
ちっこくてひょろひょろ。
目玉だけがきょろっと大きかった。
ちょっと受け口のパグだった。
旦那が「猪木ちゃん」と名付けた。
名付けたとしても自分のものではないので、あくまでも心の中で名付けただけだ。

ああ、猪木ちゃんに会いたい…。
私は寝る準備をしながらそう思った。


2002年12月21日(土) コンビニと妖怪ポスト

最近近所にコンビニができた。
歩いて行ける距離がうれしい。

ただいまオープニング記念として何かとサービスがある。

弁当も安いし、さらにチラシの100円割引券を持参するとレジにて割引してくれる。

今日のお昼はコンビニ弁当にしよう。
ということで、
天気もよかったし、お散歩がてら旦那と二人コンビニへ行ってみた。

できたてホヤホヤのコンビニは新築の匂い。
そのコンビニの上は新築の賃貸マンション。
新しいマンション、いいなぁ。
うちのマンションは、マンションとは名ばかりで、ボロボロ。
妖怪ポストが立っていてもおかしくないぐらいの不気味なマンションだ。


2002年12月20日(金) バーミヤンLOVE

昨日旦那は忘年会だった。

夜中に帰ってきたのだが、足元がふらついてネストテーブルにひっかかり転んだ。
器用にソファーとテーブルの間の細い隙間に倒れた。
ちょっとずれてたらテーブルに頭をぶつけていたよ。

思い出しただけでぞっとするよ。
あのとき頭を強く打っていたらどうなってたんだろう。
ああ、やだやだ。考えただけで怖いよ。

今日の午後は年賀状を作ってみた。
そしたらあっという間に夕方に。

ご飯の仕度もなんもしてなかった。
だから久々にバーミヤンに行った。
あんかけチャーハン、サイコー。
海鮮マーボー豆腐もサイコー。

ああ、毎日バーミヤンに通いたいよ。
バーミヤンに溺れたい。

突然旦那が言った。

「気のせいかな?ここのお客さん、ぷっくりしてる人が多いよね。」

と。

まわりを見渡すと、確かにぷっくり関係の人達ばかり。
あわわわわ。

(確か、あの石ちゃんも常連だと聞いたことがある)


2002年12月19日(木) 人知れず吐気(そしてひじき地獄)

昨日、すごいテレビを観てしまった。


汚ギャル、そして掃除できない女達…。


汚ギャルもすごかったが、掃除できない女達の冷蔵庫と流し台はとんでもなかった。
取材に行った舞の海も思わず「ゥオ、ウオエ〜!!」と吐気をもよおしていた。

流し台には、何年も前に使用した食器などが洗わずにそのまま。
炊飯器の中にはゴキブリがウヨウヨ。
冷蔵庫には謎の虫の死骸がびっしりと。おまけにたまご産んでるし。

あぁ〜、あんなの見なければよかったよ。

今朝、起きてすぐ昨日のそのテレビの光景が思い出され、

カーテンを開けながら「ゥオエ〜!」
新聞を取りながら「ゥオエ〜!」
弁当作りながら「ゥオエ〜!」
お茶を飲みながら「ゥオエ〜!」
フジテレビの笠井君を見ながら「ゥオエ〜!」
Yシャツのボタンをつけながら「ゥオエ〜!」

おまけに朝食からお昼にかけてひじき地獄だし。
(でもこれでやっと地獄は終わったよ)
(それにしても1食分のひじきの量、尋常じゃなかったよ)


2002年12月18日(水) 松坂牛に舌鼓(でもやっぱりひじきが…)

実家から松坂牛をおすそわけしてもらう。

親戚から届いたとのこと。
木箱に入っていたという超高級品。

それを実家の父は「うまい、うまい」と食べていたそうだ。
噛む前にとけてしまうと父は大喜びしていたそうだ。

今日遊びに行った私に母は

「お父さんに内緒で少しあげるからね。」

と、父が昼寝をしていることをいいことに私にそっと告げた。

私が帰る時、母は冷蔵庫から買い物ビニールに移し変えた松坂牛を私によこした。
すでに父は起きていたので

「はい、ふつ。漬物持ってって。」

と言った。バチバチとウインクしながら。

父はだまされた。

し、しかし…。

黒パグのクロ助はだまされなかった。
今まで私になんか興味をしめさなかったクロ助が、その「漬物」を手にした途端懇願するかのごとく私にすがり付いてくるのであった。


さてさて、
家に着いてから「漬物」を見てみた。

わ、わお!!
すごいよすごいよ!この霜降り具合!
こりゃぁ、お口でとけちゃうわけだ。

わさび醤油で食べた。
旦那と

「おいしい漬物だねぇ♪」

と、霜降り漬物を堪能。
(でもやっぱり今日も昨日からのひじき地獄が続く。松坂牛の味を台無しにする私が作り出した貧相なひじきの味。きっと明日もあさっても続く)


2002年12月17日(火) ひじき地獄

作り過ぎた…。

これまでも
ひじきの量が把握できず、何度も何度も同じミスを繰り返してきた。

さんまの梅干煮、
里芋の煮物、
みょうがご飯、

主婦になってから、色々な料理が作れるようになったこのわたくしが
どうしてもひじきだけは克服できずにいる。

おまけに毎回しょっぱ過ぎ。

美貌と才知に恵まれたこのわたくしが…。
(↑言うだけただってことでお許し願いたい)


2002年12月16日(月) 不健康選手権50代部門について

トイレットペーパーがあと2ロールしかない。
や、やばい。

買いに行こうかと思ったが面倒なのでやめた。

しかし暖房もつけず冷えた下半身ではお小水も盛んだ。
や、やばい。

おまけにうちの旦那は頻便さん。
それもスペシャルスーパーな。
頻便世界選手権があったなら、きっとトップ10に食い込むと思う。
(3回もやっておきながら、“今日は出が悪い”と言っているのだから。)

ちなみに私の親戚のおじちゃんは、不健康選手権があったならきっと上位だ。

そのおじちゃんは、志村けんにも負けないほどのおもしろおじさん。
志村けんをテレビで観ているとおじちゃんを思い出す。
おじちゃん曰く、

「全国不健康選手権50代部門でおじちゃん、ぶっちぎりの1位だぜ。」

とのこと。
ぶっちぎり…という表現が垢抜けている。

おじちゃんがどれぐらい不健康かというと、



・朝、歯ブラシを口に入れただけで「オエッ〜!!」となる。

・おしんこは一人で一鉢ぺろりと食べる。

・ガスター10が手放せない。

・床屋は何十年も同じところを利用している。(おじちゃんのヘアーの秘密を全部知っていて、どの部分をどうカットし、どのようにふくらみをつけるとアレを隠せるか、すべて知り尽くしている店主だからとのこと。おっと、これは不健康とは関係なかったよ。)


2002年12月15日(日) ベガルタよ、ハラハラしたよ。

天皇杯をテレビで観戦。

さあ、ベガルタよ、J1の風格を見せ付けてくれ!
…と思っていたが、バタバタドタドダでやっとこさっとこの勝利だった。

ひょっとしたら、次回はJ2へ降格かも。
このままじゃやばいぞ。


ところで、ベガルタのサポーター席には色々は垂れ幕が下がっていたのだが
その中にはなな、なんと!!

「仙台ロック」

という垂れ幕が!?

仙台ロックとは仙台に古くからあるヌード劇場なのだが、なぜにここで仙台ロックなのか?


よぉぉく見たら

「仙台ロケット」

だったんだけどね。
びっくりしたなぁ。もー。

ドキドキさせられっぱなしのサッカー観戦。


2002年12月14日(土) 忘年会でマリナーズの佐々木投手を見る!?

夕方からPC学校の友達と忘年会♪

まずはお昼過ぎに旦那の父と母を連れヨドバシに行った。
父がビデオカメラを買うというのでどれがいいのか旦那があれこれアドバイスするためだ。

「お父さん、まず何を撮影するんですか?お母さんですか?」

と聞くと、ちょっと父は照れながら頷いた。
横にいた母もちょっと照れていた。か、かわいい…。

買い物が終わり4人でスタバでお茶をする。
4人ともまわりの若くてスタイリッシュな客たちにどぎまぎ。


忘年会の待ち合わせに程よい時刻になったので、私はそこでみんなと別れる。

一人街をブラブラしながら集合場所へ向かう。
食器屋さんなどに途中寄り道しながら、それと、途中便意をもよおしたのでデパートのトイレでちょいときばって。

光のページェントという、地元のイベントがあったためどこもかしこも街は混んでいた。

無事みんなと会うことができ、さあ、予約していたお店へGO!

今回「おいちゃんち」を管理するおいちゃんもメンバーだったのだが、彼女は名幹事。会費を徴収する時、その名幹事ぶりが。

事前に「会費は一人4000円よぉぉ」と知らされていたのだが、正確には3675円だったのだ。
それに対し発生するであろうおつりを、事前に用意していたおいちゃん。
それも一人分のおつりを人数分色紙でキュートにラッピングしていた。
すす、すごい!
彼女には学ぶことが多いなぁ。

予約していてお店に向かうため忘年会メンバーは、人ごみをかき分けて広瀬通を歩いていた。

すると向こうからかなり背の高い、ちょっと日に焼けた黒いサングラスの男が歩いてきた。
私はすぐに彼が誰なのか分かった!!

なな、なんとそれは!

マリナーズの佐々木投手ではないか!!
(それにしても仙台で黒いサングラスは目立ち過ぎだ)

お付きの人であろうか、佐々木投手の隣には小男が。
(佐々木投手の隣では誰もが小男だ)

私が佐々木投手に気づいたことに気づいたお付きの男は、「うっ!このおばはん気づきやがったな!」と言わんばかりの表情に。

あまりにも驚いた私は、私の左隣にいた「姫」というあだなの友達を左手でバシバシ叩いた。(お姫さまのようにプリチーだから姫)
あまりにも突然だったので、びっくりしていた私は自分の左手の行方を確認するヒマもなかった。ゆえに姫の股間をバシバシ叩いていたのである。

「ちょっと、佐々木、佐々木!!」

と、ずっと姫の股間をバシバシする私に姫は

「佐々木?サッカーの人?」

と優雅なことを。

それにしても、佐々木投手、カッコよ過ぎる。
同じ東北人とは思えないよ、その垢抜け方。

さて、お店に到着。

「まだみなさんお揃いではないようですが、もう始められますか?」

と、お店の人に聞かれる。

「ええ、いる人だけで練習してます。」

と答え、私は生ビールを注文。

「まだお見えになっていない方はまもなくいらっしゃいますか?」

との問いには

「ええ、今日中には来ます。」

と答えておいた。

ビール1杯でもうすでに下ネタ炸裂の私だったのだがみんなは

「もー、ふつちゃんったらぁ〜ガハガハ」

とのどちんこを丸出しで笑っていた。
今回の飲み会はおいちゃん、まほー姉さん、たむう、姫、アッキーというメンバー。楽しかったなぁ。

まほー姉さんは迎え酒だったらしい。連日会社の人々と熱燗をくらう日々だそうで、さすが私の心の姉さんだ。

たむうは顔が薬師丸ひろ子に似ていて、私のために料理をせっせと取り分けてくれる優しいやつだ。ひそかに私は「たむうの声って“ネロ”に似ている!」と思っている。今度彼女には「パトラッシュ」と言ってもらいたい。

姫はいちごが大好きなメルヘンチックな少女風。
華奢な体格と、小鳥のような声からは想像できないがどんぶりめしを軽々と食べてしまうのだ。う、うらやましい…。

アッキーは髪がサラサラで、モーニング娘にいそうな雰囲気のアイドル顔の持ち主。おいちゃんは彼女のことを「矢田亜希子」に似ていると言っている。

そして、おいちゃん…。
どこのモデル事務所に所属してるの?と聞いてしまいたくなるおしゃれさん。
どこか村上リカコを彷彿とさせるリーダー的存在だ。是非彼女には今度「シエロ」と言ってもらいたい。

おいちゃんの忘年会の日の日記を読むと、私がとても若返って可愛らしくなったと書かれていた。(わーい♪ありがと♪)
そして旦那さんに秘密でもできた?ということが書かれていた。
旦那と一緒においちゃんの日記を読んでいたのだが、秘密でも…という部分で旦那は

「体重だね。おいちゃんに体重が秘密だとお返事することだね。
                       ( ̄ー+ ̄)にやにや」
 
と言った。
(ホントに体重秘密)


2002年12月13日(金) 葉加瀬太郎と家事

最近の私は「葉加瀬太郎」を聴きながら家事をがんばっている。

最初私は、彼のことがあまり好きではなかった。
どうも、あの丸々とした雰囲気が自分っぽくて抵抗があったから。

彼がNHKの「男の食彩」に登場したときなど、
イタリアンを食べるとき、オリーブオイルで唇を濡らしながらニヤつく彼を見て

オエ〜ッ!!

となったものだ。
ニヤつくあの口から今まさにガーリックが漂っているのかと思うと腹立たしくも感じた。

それ以来、彼の曲を耳にするたびに、

丸々ぽってり
油ギトギト
ガーリックとブルーチーズ

これらのことをイメージしてしまい、曲を聴いただけで胸焼けだ。

しかし、
つい最近のこと。

NHKのラジオを聴きながら洗濯物をたたんでいた。
ラジオからは葉加瀬太郎の「冷静と情熱のあいだ」が流れてきた。

その途端…

ん?
なんだか血が騒いできた。
洗濯の次は、さて何をしようかなっ。
みるみる力が湧いてきた。

さすがMEAT EATERの曲。

そんなわけで、今じゃすっかり彼のファンになりつつある。
(あの人、学生時代すんごくもてたらしいよ)


2002年12月12日(木) 100ショップでのクソガキ(ああ、憎たらしい)

ダイソーの店内をブラブラしていた時のこと。



二人の男の子が店内を走りまわっていた。

年齢はどちらも3歳ぐらいだろうか?

ま、

このようなことはよくある風景。



走りまわっているうち、一人の男の子が私にぶつかってきた。

ま、

これもよくある風景。

しかし、ここからが愕然とさせる風景。

なんと、その3歳そこらのガキが私に向かって舌打ちするのだ。

「ちぇっ!」

        …と。

それも子供のかわいらしいしぐさなどではなく、
明らかにまわりの大人のコピーだろうと思われる「ちぇっ!」だ。
(かなり年季の入った発音っぷりだったよ)

私は子供好きなので大体のことは許せるのだが、この「ちぇっ!」にはピキーンときた。
おまえがぶつかってきたんだろ!


そもそも子供達はなぜに走りまわっていたかというと、売り物のボールを足で蹴飛ばして店内中をサッカースタジアムにしていたからだった。

ははーんと思い、私はしばらくガキどもを見ていた。

ガキどもは次から次へ売り物のボールを取りだし思う存分サッカーを楽しんでいた。
店の人も忙しそうで、気づいていないのかそれとも気づいても何も言えないのか、だぁれもガキどもを注意してやらない。

親は何をしているのか!!

親が近くにいるならば、きっと注意をするだろう。
しかしいつまでたっても「コラ!ダメでしょっ!」と注意する親は現れず。

このガキどものためにも、大人がここで注意をしてやらねばこのガキのためにはならない。

私は知らない子供でも良くないことをしているとすぐその場で注意する方だ。
決して子供が憎たらしくてそうするのではなく、このままそれが正しいと思ったまま大人になって欲しくないからだ。

以前、とある駐車場で野球をしていた少年達がいた。
年齢は恐らく小学校の高学年かと思われた。

キャッチボールならまだしも、バットを持っての本格的な野球スタイルだった。
駐車場には複数の車が駐車されており、私はその様子をある会場の2階から見ていたのだが、それはもうハラハラドキドキだった。

カキーン!とバットの音がするがグローブを持った少年はキャッチできずに、あちらこちらにボールが飛んでいく。
このままでは絶対にいずれかの車にボコッっとあたるはずだ。

車に当たるかもしれないということに気づかずにいるのだろう。
確かに昔のように自由に遊ぶスペースがなくなり子供達も可哀想なのだが。

だからといって、車が駐車されているところで平然と野球をするような人間にはなって欲しくなかった。(オレ様の車もあったしね)
誰かが気づかせてあげなければいけないのだよ。こういう時は。

今年、お墓参りに行ったときのことなのだが、
お寺の駐車場でサッカーをしている男達がいた。
年齢は恐らく10代後半から20代前半。

キックしたボールは容赦なく駐車中の車にバシンバシン当たっていた。
それでもそいつらは止めることなく、はははぁ〜と楽しげに爽やかな汗を流していた。見た目は普通の青年。ヤンキーさんだとかそんな特徴はなく、ホントに普通の青年だった。もう日本は終わりじゃ…とそのときつくづく思った。
ヤンキーさん達の方が縦社会を熟知しているせいか、よっぽど礼儀正しかったりするものなぁ、近頃は。

いけないことはいけないと、叱ってくれる大人がいない。
「サッカーINお寺」の青年達もある意味被害者なのかもしれん。

まわりの状況が判断できない。
他人の痛みがわからない。

今の日本は確実にこのような人種が繁殖している。
(おお、語るよ、語る)



そんなお墓参りの駐車場の出来事を思いだし、私は2階から野球少年を見ていた。

そして私はガラガラと窓を開け

「そこで野球やるとまわりの車にぶつかるでしょ!だめだよォ〜!」

と声をかけてみた。
少年達は、どこから聞こえる声なのかびっくりした様子でキョロキョロしていた。
2階から上半身を出す肉感的なおばはんの姿を確認すると少年達は、ハッ!とした表情でペコリと頭を下げた。
あらら、なんて素直なお子達。

私自身、子供の頃知らないおばさんにスーパーで注意されたことがあるのだが、大人になった今でもその出来事をよく覚えている。
そしてその見ず知らずのおばさんに感謝している。


で、100円ショップのガキどもだが…

私はガキどもに近づき、売り物を汚したらだめだろ?と語りかけようと思った。

が、

しかし…。

突如ガキどもの手をとる男が出現。
おお、恐らく彼が父親だろう。
ガツンとやってくれ、ガツンと。

が、

しかし…。

その男はだまぁ〜っってその辺に散乱したボールを売り場に戻し無表情で再びガキどもの手をとり、近くに立つ女に話しかけていた。

その女とは、
先ほどからずっとそこにいて、ボケーッと買い物をしていた女だった。

おいおい!テメーが母親だったのかい!?

父親も母親も、ずっと、ずっとこのサッカープレーを見ていて黙っていたのか!?

子供は親を選べない。
急にあの憎らしげな舌打ちガキンチョがかわいそうに思えた。

ま、せいぜい世界に羽ばたくサッカープレイヤーでも育ててくれ。

悲しいかな、
私はそのガキどもに悪いと思ったが、
おばさんも大人のいざこざに巻き込まれるのはごめんだよと思いその場を静かに立ち去ったのだ。


2002年12月11日(水) I LOVE 生協 (背中を痛めつつ賛歌)

ベランダでシーツを干していたら背中を痛めた。
以前もベランダでシーツを干していたら同じく背中を痛めたことがある。
かなりの運動不足ということだ。

いてぇよー。


午後生協に買い物へ。
車をバックで駐車するとき、背中がひぃぃ〜!!というほど痛かった。

それにしても、
生協のひきわり納豆ってなんであんなにうまいのか?

それと、
生協ってまぐろの刺身がめちゃくちゃうまい。

それと、
生協の「濃厚とうふ」って最高だ。

レジの人もとっても優しい。
どの列のレジの人もみんなとっても優しい。
つり銭を受け取りながらそんな優しいレジの人に

「すみません、今背中もんでいただけます?」

といったらきっと、私を傷つけないようやんわりと断ってくれるだろう。


2002年12月09日(月) 着ぶくれ

なんて寒さだ!
都会では雪道で転んでケガ人が続出しているらしい。

おいおい、
そんなんじゃ、東北では暮らせないぜ。

恐らく明日はこちらも雪だろうなぁ。

今日はあまりの寒さに久々に着ぶくれショー(リンク先は今年2月の着ぶくれショーの模様)を行う。

着ぶくれのまま旦那の帰宅を迎える。

特に驚く様子もない旦那。
今年の春先以来の着ぶくれショーなのに。
だから久々の着ぶくれショーのはず。

なぜだろう…。
(私への興味が薄れてしまったのか…。)
(いや、それともあまり普段と変わらないふくれ具合だとでもいうのか…。)


2002年12月04日(水) みなさん、お元気で!

道なき道の会場も今日でお別れ。
この会場に通勤して、おかげさまで運転テクニックもあがったよ。

ここでの講習会は今日で最後なのだが、今日は天気が悪かったせいかパソコン教室はとってもヒマだった。
朝一人おばあちゃんがやってきて、その後はシーンとしていた。
入居者のみなさんは今日は各部屋で休んでいるとのこと。

寂しいなァと思っていたら、この施設の副館長さんがやってきた。

パソコンについて色々と相談を受けた。
なかなかパソコンの知識にたけた方で、しばらく2人でパソコン談義に花を咲かせた。

事務所で電話が鳴ったため副館長さんが席を立った。

しばらくすると今度は館長さんがやってきた。

お年よりのパソコンへの反応や、実際現場に立って私がどう思ったかということを館長さんに聞かれた。
今のパソコンの形状では殆どのお年よりには操作が厳しく、一人で操作するのはとても難しい、ただ、この機械を使えばいろいろなことが楽しめるという風にとらえていただければいいと考えています…そんなようなことを話した。

館長さんは毎日お年よりと向き合っている方だけあって、お年寄りとパソコンについて日ごろ考えていることを適確に私に話してくださった。

外出することが困難な方のために、例えば床屋の出張サービスをインターネットで展開しても、インターネットを使いこなせる程の気力のあるお年よりは、逆に這ってでも外に出て行くということだった。
昔からのなじみの床屋に行くだろうということだ。

お年よりは生活を変えるということに対し、私達が考える以上にとても抵抗を感じるのだそうだ。
だからその実態を知らない人達によってIT、ITと踊らされてはいけない…そんなことをお話してくださった。

IT関連の仕事をしながらも私はとても共感してしまった。

それと、館長さんは「老いる」ということをとてもわかりやすく丁寧に教えてくださった。
在宅介護が大変だということは、私にもなんとなく分かっていたのだがどんな風に大変なのか、どうして大変になるのか、どんな経緯で大変になっていくのか、どうすれば介護する人にとっても介護される人にとってもいい方向に行くのか、色んなお話が聞けた。
毎日現場を見ている方だけあり、そのお話は理想論ではなかった。
とってもリアルで身につまされるお話だった。
プライバシーの問題はもちろんあり、入居者の方を例に取った話しはなかったが、でもとっても身につまされた。

そして老いていくと、必ずその人の生きざまがあらわれるのだということ。
どんな人生を送ってきたのか、老いた時の人格にあらわれる…そんなお話も聞いた。

んー…、そうかぁ。
確かに今の仕事を引き受けて色々と施設を見てきたが、この短い期間でも確かにそうかもしれないと思う場面があった。

数日前、私は仕事で大きなヘマをしてしまった。
それはとんでもないヘマだ。
今まできちんとやってきたつもりだっただけに、自分でもとってもとっても悔しかった。
何してるんだよぉぉ〜!!っと自分にハラがたったし結構めずらしく落ち込んでいた。

しかし!
館長さんのお話を聞いて私は考えなおした。
済んでしまったことはもうしかたがない。
クヨクヨしたって始まらない。
今の、この若い時間のうちに、もっともっと自分を磨かなければ。
いつまでもふさぎ込んでいる時間がもったいないぞ。もう十分反省したしね。

失敗は失敗。
もう同じことを繰り返さないよう今後気をつければいいのさ。
そして失敗したことに対し素直にごめんなさいが言えるそんな人にならねば。落ち込むことよりも、そっちの方に意識を向けなければ。

私が老いたとき、ステキな人生だったと思いたいしまわりの人にも思って欲しい。
ふつおばあちゃん、とってもいい顔してるねぇって言われたいもんなぁ。
愛をいっぱい受けているおばあちゃんの顔って確かにある。

おお!
いいぞいいぞ!だんだん元気になってきた!
やっぱり私って楽天家なのか?(サイトはジオシティーズに置いてるけどね。)

こんな感じで今日は講習会は不人気の一日だったが、館長さんのお話で生きかえったよ。すごいなぁ、館長さん。(間違って最初の文章で“浣腸さん”と入力しそうになったがね)

午後、昨日仙台市民の歌を聴かせてくださったおじいさんとしばらくポールモーリアの話しをしていたがそろそろパソコンを撤去する時間になった。
撤去のおじさんもやってきた。(今日は一人で撤去しなくてよかった。らっきい)

撤去作業の最中、ずっと通ってくださったおばあさん二人がやってきた。
そのうちの一人は詩吟の方だ。

一人のおばあさんは、今回の講習会でとってもパソコンが好きになったと言ってくださった。
そして孫と自分のパソコンを購入しメールの交換をしたいとのこと。
パソコンを購入するときは相談にのってほしいということで、私はその旨を撤去おじさんに相談したところ撤去おじさんは名刺を出した。
そうしたらおばあさんが、「あなたの名刺もください。」と言った。
私はお見送りに来てくださった二人のおばあさんに名刺を渡した。
詩吟のおばあさんはじぃぃっと名刺を見て

「あなた、ふつさんっておっしゃるのね。今度お手紙出すわ。」

と言っていた。

会場を出るとき、食堂のすみから大きな声がした。

「ふつさぁぁ〜ん!!お元気でぇぇ〜!!」

さっき名刺を渡したおばあさんの声だった。
振りかえるとおばあさんは大きく手を振っていた。
その横で詩吟のおばあさんはペコッと会釈をしていた。

ああ、なんだかとってもうれしいよぉぉぉ。
失敗したあの仕事のことなんか頭からなくなっちゃうよ。

(あ、でもやっぱり帰り道、思い出して再び自己嫌悪に陥ってたけどね。道なき道をどんよりとね。)

あ、そうそう!
ここの男性職員の方と雑談していたとき、思いがけずNさんの名前が出た。

彼は以前ある場所でNさんの講習会を受講したとのこと。

「駄じゃれとかすべってませんでしたか?」

と尋ねると

「いいや、それがまたよかったよ。とっても楽しい講習会だったぜ。分かりやすかったし。」

とのことだった。

すごいぞ、Nさん!


2002年12月03日(火) 詩吟

今日も昨日に引き続き、道なき道の会場でお仕事だった。
今朝も道なき道をぐわんぐわんと運転してきた。
厳しい登り斜面にプラスして激しい急カーブ。そして舗装されていないという素晴らしい道なき道。

昨日「ホワイトクリスマス」を歌ってくださった男性が今日もパソコンの前まできてくださった。
とっても心が優しい方で、そしてとっても気を遣われる方のようだ。
私がパソコンについて説明をすると

「ほぉー、すごいですねぇ。」
      とか、
「ん〜、なるほどねぇ。素晴らしいですねぇ。」

など、一言一言にとっても感激してくださるのだ。
人柄は顔に出るとよく言ったもので、その男性はおだやかでとっても上品なお顔立ちだ。
そして今日もその男性はパソコンの話しが一通り終わると

「あのぉ、今日は仙台市民の歌を歌いますので聴いてくれますか?」

と尋ねてきた。

「ええ!是非お願いしますよ!」

と答えると、男性は一つ咳払いをして仙台市民の歌を歌ってくださった。
歌い終わる頃、今度は昨日の詩吟の女性がやってきた。
今日も詩吟を歌ってくださった。

「詩吟はねぇ、お腹からグッと声を出すのよ。いいこと?」

と、アドバイスをいただいた。

詩吟に関するいいサイトはないかと先ほど検索してみた。
きっと明日もいらっしゃるだろうから。


2002年12月02日(月) 不思議な講習会

それにしても最近私はいい主婦ぶりだ。

ここのところ結構忙しくあっちこっちと飛びまわっているのだが、それに甘えることなくちゃんとメシを炊いている。お弁当なんかも作ったくらいにして。

あ、でもアイロンはダメだ。
アイロンまで手が回らず、旦那が休日に「かけだめ」してくれた。
それと、1日晩御飯を作ってもらった。

んー…結構まだまだ甘ちゃん主婦かも。へへ。


今日は例の「道なき道会場」でのお仕事。

ぐわん、ぐわんと車を揺らしながら会場に到着。
かなり早めに着いた。
早く着きすぎて、会場の職員の方にびっくりされた。やり過ぎた。

今日は介護保健施設でのお仕事だった。
パソコンのセットをしているとすぐに入居者の方々がやってきた。

歌がとっても好きだという男性がいて、音楽のサイトやカラオケのサイトを紹介するととても喜んでいた。

それから詩吟が趣味だと言う女性は、詩吟の詩をワードパット上で入力したりした。

しばらくそのような作業をしていたのだが、だんだん世間話の方が盛りあがってきて、女性が自慢ののどで詩吟を披露してくださった。
そして詩吟の心得を私に教えてくださった。

次に歌が大好きだという男性が

「あのぉ、演奏なしで歌いたいんですが、聴いてくださいますか?」

と言った。

「ええ!どうぞどうぞ!是非!」

と私は答えた。
男性は「ホワイトクリスマス」を英語バージョンで歌ってくださった。

なんだか不思議な講習会だなぁと思いつつ、結構楽しい私であった。


2002年12月01日(日) ヘトヘトだよ

今日は街でお仕事だった。
色々あってヘトヘトだ。

そしてかなり自己嫌悪…。

ああ、死んでしまいたい…。

なんてこった。
オレってサイテー。

このことについては、時がたったら記すことにしよう。はぁ〜。


仕事は夕方終わり、その足で明日の仕事先の下見に行った。

なんたって明日はすんごぉぉい山奥で仕事なのだ。
もうすっかり真っ暗な時間帯で、おまけにそこへの道は外灯がもうしわけ程度についているくらいで真っ暗闇。
きっと黒パグのクロ助が歩いていても気づかないだろう。

会場までは舗装されていない道なき道を、それも激しく急な坂道を登らなければならないのだ。雪が降ったら四駆の車じゃなければ登れないだろう。

ガッタン、ガッタンと車を激しく上下左右に揺らしながら私は道なき道を登った。
一歩間違ったら車ごと転落だ。
ウソではない。本当にそんなすごい道だった。

無事会場を見つけ、次に今週末からの仕事先の下見に行った。

そこは温泉宿が近くにある会場だ。
これまた信じられない程の細ぉぉぉい橋を渡り、次は急下降するそれもものすごく細い道を通ってやっと会場にたどり着いた。

すす、すごい…
オレの仕事場って。


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