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2002年08月31日(土) 刺身旅行(1日目)

おきまりの風景今日から1泊2日の小旅行。
今回は南三陸へ。

以前、私の妹が日帰りのツアーで今回私達が宿泊するホテルの中国雑技ショーをみたのだが、このショーが想像を絶すると言っていた。ギャルをうならせる技とは…。

私達夫婦もそれを確認するためそのホテルへ宿泊することに。
一応一番高いランクの宿泊料を払ったのだが、

一体私達夫婦を待ちうけるものとは…。ふふふ。楽しみである。



あまりにも期待を高ぶらせていたため、チェックインの時間より1時間も早くホテルに到着する。
到着するなり旦那は

「ちょっと…」

と言って遠くへ行ってしまった。
きっとアレだろう。アレ。
旦那はミルクのみ人形なので、頻繁にトイレに行くのである。いつでもどこでも。頻便という体質の持ち主なので太らないのだろうか。


頻便君を待っているあいだ、
私はホテルのロビーでくつろいでいた。
ロビーの大きな窓からは海が一望できる。
早速缶ビールをプシュっと開けて、一人大自然を堪能した。
10分ほどすると頻便君が戻ってきた。



お部屋の準備ができましたと、女性スタッフが呼びにきた。


女性スタッフはか細い体で私達のおもぉぉい荷物を持ってくれるのだが、その荷物にはビール、日本酒、焼酎が隠されている。ばれるのではないかとハラハラしながらエレベーターへ。

私達の部屋は8階だった。

部屋に入るなり、大きな窓からウソみたいにきれいな海が(もっと知的な表現はないのだろうか)私達を歓迎していた。

子供だったら「わーい!」「わーい!」とはしゃぎたいところだ。

女性スタッフが

「それではどうぞごゆっくり。」

と言って部屋を出た途端

私達は待ってましたとばかりに隠し持ってきたビールで乾杯するのであった。
しかしあんまり飲みすぎると夕飯に影響がでるのでほどほどにしておいた。(私達のほどほどとは2人で500mlを3本。)


後ろの幼児が見ています。
さてさて、
いよいよ夕食だ。ここのホテルは部屋食はできないので指定された食堂で。
刺身の盛り合わせはもちろん、あわびのステーキやふかひれの煮物などが出てきたのだが、旦那はふかひれの煮物とは気づかず「エノキの煮物」だと思っていたようだ。食べた後に私が

「ふかひれおいしかったね。」
と言うと

「え!?ふかひれ?ナニが!?」

と驚いていた。
旦那はエノキだと思っていたためゆっくり楽しむことなく
一口で食べてしまったとのこと。

その悔しさを紛らすためか、
旦那は刺身の盛り合わせを追加注文した。
とにかく海の幸を満喫。
特に、こんなに刺身におぼれたのは初めてである。
食っても食っても減らない刺身。
幸せであった。



気になる集い
食後はいよいよ中国雑技ショー。

しかしショーが行われるはずの会場に行くと→
このようなものが立っていた。
何かの間違いかと思い旦那が会場の扉を開けようとすると、会場の前に立っている女性スタッフに

「お客様!!」

と厳しく注意される。
そしてツカツカと私達の前にやってきてもう少し待ってくれと言った。

はーい…としょんぼりしながら私達は会場前に設置されているソファーでしばらく待つことにした。

みんな浴衣姿でショーを待っている
会場の前では少しずつ浴衣姿の人口が増えていった。
しばらく待っていると会場の扉が開き、「拡大役員」達がうようよと出てきた。
←このように、浴衣達は拡大役員が出て行くのをじっと待っていた。
会場前の浴衣人口と拡大役員人口が半々になる頃ガセネタが飛ぶ。

「そろそろ会場に入れるらしい…」

と、誰からともなくそんな雰囲気が漂いはじめ、私の父とキャラがかぶるおじさんたちが会場の扉前に並び出した。
私達は満腹だったため並ぶ気力がなく、ずっと座っていたのだが
結局開場したのはかなり後だった。^^;



雑技ショーは噂通りすごかった。

拍手をするのも忘れるぐらい
頼んだ飲み物やおつまみに手をつけるのも忘れるぐらい

とにかくすごかった。
同じ人間とは思えない技ばかり。

私が一番気に入ったのは
大きなツボを片手でグワングワンと投げたりキャッチしたりする技だった。

それと若い男の子達が着ていた黄色い全身タイツの衣装もよかった。
悪いと思いながらついつい目が一点に…。


2002年08月30日(金) ちょっと遊びに行ってきます!(また?)

明日から一泊の旅に出る。
すんごく近くだが。

あ、それでも片道車で三時間かかるかな?

ま、ちょうどよい、程よい距離だろう。



では、
また太って帰ってくるよ。

(宿で秋刀魚の刺身、出ないかなぁ。)


2002年08月29日(木) 久々に幼児とたわむれる

仕事の帰り

友達の家へプリンを持って遊びに行く。
夕飯の仕度で忙しい時間に遊びに行くオレ。
プリンで許されるのか?


その割りに急いで帰る様子もなく、私はいつまでもいつまでも友達の家にへばりついていた。

それには理由があった。

それは幼児とたわむれたかったから。



ちょうどお昼寝タイムにあたってしまい、目的の幼児はおむつを丸出しにして気絶していた。髪の毛の生え際が汗で濡れていた。セクシー♪



アイスコーヒーを飲みながら友達と世間話をしていた。
その友達もちょうどホームページを開設したばかりで、

タグがどうの、
ジャバスクリプトがどうの、

と、理知的な話しにも花が咲いた。
(そう、私達は理知的な主婦。え?何か?)



友達の手作りクッキーを食べながら幼児のお昼寝タイムが終了するのをひそかに待つ私。

しかし!

がまんできなくなった私は、
幼児が眠る和室にゴー。

顔を近づけて寝顔を拝見。

か、かわいい…(* ̄。 ̄*)


そんな私の異常な鼻息に気づいたのか

幼児の長いまつげがぱちっと動いた!!
目の前にいるケバイ化粧をした家族以外のおばはんの存在を
しばらくボーっとしながら考えていたようである。

数分すると幼児は
むっくり起きあがり活発化した。

お昼寝用に自分の下に敷かれた布の動物プリントを指差し
これが何の動物で、あれは何の動物なのかひとつひとつ指で指しながら教えてくれた。

友達が

「プールの後はどこに寄るんだっけ?」

と、ちょっと高度な質問を投げかけると

「ちぇいきょー!!(生協)」

と、立派に答えてくれた。

きっとこの幼児は大人になったら生協の家庭班に入るだろう。

今朝焼いたばかりだという自家製パンとクッキーをお土産にいただく。

最後にソファーで遊ぶ幼児を無理矢理抱っこしておでことおでこをゴッチンコして別れの挨拶をする。
(以前遊びに行った時、この幼児が昼寝に入り気絶している最中に帰ってしまった。そしたら幼児は昼寝からさめると、気絶している最中に私が帰ったことをえらく怒っていたとの情報があったので今回はきっちり挨拶をしたのである。)

マンションの駐車場から車を発進させようとしたときであった。
暗闇からみたことのある美しい男性が…。

はっ!

彼は友達の旦那であった。

「あー、どーもー♪」

と、挨拶をかわす。

彼を私の美しさの虜にしてはいけない。
でも、こんなところで2人っきり…。
いけない。
友達を泣かせるわけにはいかない…。

そう思い

私はアクセルを踏み早々にその場を立ち去る。

(帰りの車中、空腹に耐えられずいただいたばかりのクッキーを5枚も食う。)

あ、それと…

(その後とんかつをしっかり食う。こんなの日常。)


2002年08月28日(水) 久々の日記じゃのぉ

先週まであんなにヒマこいてたのに、
先週末からなんだか急に忙しくなる。(ほとんど遊びのための忙しさだが)

金曜の夜、飲み過ぎて
土曜の朝は二日酔い。

土曜の夜はまたまた飲み過ぎて(朝の五時まで)
日曜日もかなりの二日酔い。

日曜の夜はまたまた懲りずに飲み過ぎて
月曜の朝は「オエー!!」と吐きそうになりながら仕事へ。

でもどの飲み風景も楽しかった。


日曜の夜は我が家に友達夫婦が遊びにきたのだが、(超新婚さん)
私の元上司の若かりし頃の写真を持ってきてくれた。
上司はドリフの「加トちゃん」に怖いほど似ている。
顔はもちろんのこと、背格好から、そしてなんと声までもがっ!!

初めて彼を見たとき、思わず近くの席の人に

「課長って加トちゃんにそっくりですよね!!」

と言うと

「気づいてしまったのですね…。」

と言われた。


日曜日友達が持ってきてくれた若かりし頃の上司の写真は、

「ドリフの大爆笑」を不機嫌そうに歌っている若かりし頃の加トちゃんと、どこがどう違うのか誰かに説明してほしいほどであった。


さてさて、
記憶はさかのぼり…

土曜日の夜は旦那の友達の家で飲んでいた。
友達といってもずっと年上のお友達なのだが、そこの旦那さんはどうやら私のサイトを見てくださっているようで、何かの話しが出たとき

「詳しくは<田園の散歩道>で!」

と飲みメンバーに宣伝してくれた。
多分それは<ふつちゃんの田園散歩>のことだろうと察した私は

「わー!見てくれてるんですかぁ!ありがとー!!」

とお礼を言った。ちょっとタイトルがナニだが、こんな時って本当にうれしいものである。旦那さん、ありがと(ハート)

たまにあることなのだが知りあいから

「見てるよ!ふつちゃんの散歩道!」

などと声援をいただく。


やはりタイトルがナニの時が多いのだが、でもうれしいものである。

私の旦那は私のことを「ふっちゃん」と呼ぶのだが、
面倒なときは「ふつ」と呼ぶのである。(←この呼び方もなかなかナニだが)

私も自分のことを「ふつ」と言うことが多い。

「これふつの?」
「ふつが運転する。」など。



           …で、


ちょうどサイトを作り出した頃というのが、仕事で私は田園風景の中を車で走ることが多く、そしてその田園風景がとても好きだったのでなんとなく浮かんだタイトルが

「ふつちゃんの田園散歩」

だったのである。
あ、私がつけたのではなく、旦那がつけてくれたのである。

IT講習会の受講者の方がYahooでこのタイトル名をキーワードに検索するときよくあるハプニングなのだが、「ふつちゃん」の部分を漢字変換してしまうことが結構あるのだ。

そうすると

「仏ちゃん」(ほとけちゃん)

になるんだという話しを旦那に聞かせたところ、旦那はそれがとても気に入ったらしく、私のことを

「ほとけちゃん」

と呼ぶようになった。
ありがたい呼び名である。


2002年08月22日(木) ピアノトリオと冷たい月

CDでジャズピアノを聴いている。

私のパソコンは和室の窓際にあるのだが、窓を明けたら冷たい空気が。
空を見上げると白い月が。

もう夏の夜ではないんだなと…。



こんな秋の夜、


なぜか私はノースリーブのパジャマを着て眠るのである。
すごい二の腕を丸出しにして。
いいのだ、
旦那しかこの姿は見ないのだから。
(脇毛の処理、最近怠り気味)



最近私はベランダが好きだ。
昼下がりベランダに出て本を読んだり
夜は風呂上がりに月をみたりしている。

夜真っ暗なベランダでボーっと立っていると

「ふつちゃん、ど、どうした?」

と、部屋の中から心配する旦那の声が。

「ん?なんでもない。すごく月がきれいだったから…。」

絵になるような光景だが
ノースリーブのパジャマからはすごい二の腕が。
(振りかえるとすごい二重あごが。)


2002年08月21日(水) うちにもきたわ、催眠商法

そうそう、
突然思い出したのである。

そういえば実家で暮していた数年前、催眠商法らしきものがのどかな住宅地にやってきたのである。
突然ピンポ〜ンと玄関をならされ出てみるとおっさんが1人。

息を切らしながら

「ちょっと来てみてよぉぉ、はぁ、はぁ、はぁ」

と、なんだか慌てた様子であった。

外を見てみるとご近所の奥様やお子達がぞろぞろと同じ方向へ歩いている。
戸惑っていると

「渡したいものがあるからさぁ、ちょっと、ね、来て」

と、とってもフレンドリーなおっさん。

「みんなも誘ったからさ」

おっさんは各家を走りまわり人集めをしていたようだ。だから息切れしていたのだろう。その他数名のおっさんも駆け回っていたようだ。

知り合いの奥様方がぞろぞろとどこかに向かっているので、ま、大丈夫かなぁと思いちょうど家でヒマそうにしていた妹が行ってみることに。

なかなか帰ってこない妹。
私は心配になり外に出てみた。

すると、ご近所の人の駐車場で人だかりが…。

恐らく妹もそこにいるのだろうと思い行ってみた。

なんと妹はおっさんのすぐ隣に立っていたのだが、なんだかみんなで楽しそうだ。
私が近づくとおっさんは

「あ、お姉ちゃんもおいで!」

と言った。
まわりにいる主婦達は

「ほら、Sいちさんとこの娘さん」

と、ヒソヒソとみんなで話していた。

「いや、いいです。」

と断り

「ちょと、帰るよ。」

と妹をよんだ。

おっさんは負けなかった。

「あ、あなたのお姉ちゃんなの?お姉ちゃん、これプレゼントするからもうちょっと待ってて。」

おっさんはサランラップと、あとはなんだか忘れたが台所用品が色々入った袋を差し出した。
セコイ私は即、手を伸ばしありがたくちょうだいする。

で、約束通りしばらく待ってやった。

話しを聞いていると、なかなか本題に入らないのである。
おっさんはどこからやってきたのかとか、宮城県はいいところだとか、どうたらこうたらと世間話をし、奥様を笑わせたりなんだかみんなおっさんの話しに和んでいた。

待ちくたびれた私は

「すみません、もう帰ります。」

と言った。

おっさんちょっと困っていたが無事妹と私を帰してくれた。
(しっかり台所用品は2人分もらう)

妹が帰り道

「ホントはさ、帰りたかったんだぁ。でも帰れない雰囲気でさぁ。」

と言った。

「でもお土産もらってラッキーだったね♪」

と、2人でホクホクして帰った。

でも絶対変だよなぁと思った。最初から変だと思っていたのだがつい知っている近所の人達の群れに安心してしまった。
駐車場を提供した人は、わざわざ車を車庫から出していた。
この人の知り合いなのかなぁ?などとも思ってしまった。おそらくみんなそう思ったはずだ。

よかった、迎えに行って。
もう二度とあんな胡散臭い呼びかけにはのるまい!
ただより高い物はないぜ。
(あ、でもおっさんは最初から私らはターゲットじゃなかったんだろうな。私ら貧乏そうな姉ちゃんだったしな。)


2002年08月20日(火) 「岩」という男

久々の天気。

恐ろしいほどに溜まった洗濯物を片付ける。

それと
なんだか気分がいいのでマグカップ達を漂白してみた。
まな板もやってみた。

なんだかよく働いた1日だった。
でも夕飯は昨日の残りのカレー。これは手抜きだ。
サラダに使ったたまねぎのスライスは失敗。辛くて口の中が痛かった。
旦那は「からっ!」を連発しながら、それでも全部食べてくれた。

食後、天井に緑の小さな虫がへばりついているのを発見!!
バッタをちっちゃくしたような虫だった。
旦那が生け捕り。ビニールに優しく包んで外に逃がしてあげていた。

「さすが!ダテに辛いたまねぎを食ったわけじゃぁないね。」

と誉めてあげた。
喜んでいた。

夜友達から電話がきた。

彼女は今月入籍した幸せ者。
披露宴は今年の秋に挙げる予定で、今式場での打ち合わせに忙しそうだ。
彼女は私よりずっと年下だが、なかなかのフェロモンを出している。
ちょっと優香に似たかわいこちゃんである。(私の次に)

彼女とは以前同じ職場で働いていたのだが、こんな私を姉さんのように慕ってくれる。かわいいやつさ。

以前サッポロビール園で店員さんに間違われた事件があったのだが、彼女はここで登場した元上司がいるところに勤めている。
さっそくビール園での話しを彼女にしたところケタケタと笑ってくれた。

それから、当時オフィスで私の向かいの席に座っていたFという男性が(もうすぐ定年だろう)今でも私のことを懐かしく思っているということを聞く。Fはキュートなおじさまであった。私もよくFのことを思い出す。
でもFはちょっとおっちょこちょい。

蕎麦屋に出前の電話をするとき、0発信するのを忘れ必ずF川という若手男性社員の席の内線を鳴らしていた。それもほぼ毎日。
私の前の席でFが

「出前おねが…あ、あれ?」

と言うのと同時に、私の後ろの方で

「東北支店です」

と言うF川の声がする。

これは私にとって

「ああ、もうすぐお昼かぁ」

と思わせる風物詩であった。
最初はおかしくて笑うのをこらえるのが大変だったが、慣れてくると呼吸をするのと同じぐらい普通のことになった。

ほぼ毎日同じ時刻に自分の席の電話が鳴るF川は、とても気が長い人なのでFは救われていた。
FもF川もなかなか私の笑いのつぼを刺激する特異なキャラであった。
在籍中は私のいい飲み友達であったし。

それから彼女と電話で話していて思い出したことがあった。

これも上司ネタなのだが、
「岩」というニックネームの男性管理職がいた。
この「岩」というニックネームはもちろん私がつけたものだ。
彼は体格もよく、そしてとにかく声がでかい。
血の気の多い彼は、よく部下に怒鳴っていた。古き良き時代の典型的なサラリーマンといった感じである。

「コラー!!」「ナニやってんだおまえー!!」

と、毎日怒っていたのだが、

その声がまるで「落石」を思わせるのである。

ゴロゴロゴロゴロー!!

と、いった感じだ。思わず落石でもあったのかと外を確認したくなるぐらいだ。
大きな大きな岩が蔵王からこのオフィス街まで転がってきたのかと。

で、何を思い出したのかというとこの「岩」はよくタンが絡むらしく
突然

「ほっっ!」

と、大きな声を出してタンを自分の中で調整していたのである。
1日に何度も。

(慣れているので誰も笑わない。)


2002年08月19日(月) 床を拭き掃除して感じたこと

久々に床の拭き掃除をしてみた。

クイックルワイパーではたまに拭くのだが、今日はお寺の小坊主のように手に雑巾を持って拭いてみた。

拭き掃除をして感じたこと…



うちってせまぁ〜い。



腰痛覚悟で雑巾を手にしたのだが、あっという間にすべての床を拭き終わってしまったのである。
和室が一室あるにしても、それにしてもこんなに早く拭き終わるとは…。

でも、まあ2人で生活するにはちょうどよい間取りなのだろうが。


そんなことより、

明日からまたNHKのラジオでは「子供電話相談」がスタートする。
結構この番組が好きな私。
恥ずかしながら知らなかったことなどがたくさんある。

それからまたラジオネタだが、

今日地元の放送局のラジオをきいていたのだが世論の専門家の話しの中で

「もう日本は終わりかもしれない、いや、もう終わっているのかも」

という話しが。

この人は、休み中色々なところに足を運んだそうで行く先々でそう感じたとのことである。

何もかもがいいかげんな日本。
孫が祖父母を殺害しようとしたり、高校生が海に沈められたり、命が軽んじられている世の中。子供にその尊さを教えられないいかげんな大人達。
政治家もいいかげんなら食品もいいかげん、企業のモラルもいいかげん、花火までもがいいかげんなのか!
落ちるところまで落ちなければ日本は立ち上がれない…とその人は嘆いていたが。

オレもそう思うよ…

と、狭い我が家の床を拭きながら同感するのであった。



以前ワインの「田崎真也」氏が言っていた。

本当のサービスとは安売りしたりおまけをつけたりすることではない。
相手の立場になって考える姿勢こそが真のサービスだと。

この姿勢があれば

「少々お待ちください」

というセリフではなく

「ただいま参ります」

というセリフが自然と出てくるものだと。


確かに今は色んなものが安くなっている。
ハンバーガーがあんな値段で食えるとは。
牛丼もあんな値段で食えるとは。
(価格破壊のスタートはティッシュペーパーからだというのが私の持論)
安いんだからすこしぐらい目をつぶれ!という企業の声が聞こえてきそうだ。


我が家が狭いということとはまったく関係ないが、拭き掃除をしながらそんなことを考えてみた。

(でも狭いからほんの15分程度のシンキングタイム。)


2002年08月18日(日) 勤勉とビールと黒パグ

日中は旦那も私もお互い好きなことをして過ごした。

私は9月に担当する「ホームページ作成」の講習会のため勉強をした。
旦那は小六法を開いて何やら勉強していた。

なんと勤勉な夫婦なんだろう。
素晴らし過ぎる。

勤勉夫婦はおやつに昨日親戚からいただいた「おはぎ」を食べるのであった。
冷たい「麦茶」とともに。
おやつを「ポテチ」や「チョコ」にしないところが真面目さをかもし出している。
「おはぎ」を口にするなんて文豪っぽい。(謎)
飲み物が「麦茶」というのも昭和初期の古き良き日本である。
勤勉な日本人の象徴といったおやつタイムであった。

しかしこの真面目な勤勉ぶりには実はたくらみがあったのである。
それは夜のビールをおいしく飲むためという。
ダラダラ過ごすより、勤勉にいそしんで過ごしたほうが絶対ビールがうまいはずである。


そして夜は計画通り、昨日もいだばかりの夏野菜を天ぷらにして勤勉夫婦はビールを楽しんだのであった。うっしっし。

そしてビールを飲みながら
私の実家の黒パグのクロ助の話しをした。

「あいつは妙に黒毛に光沢がある。」

「黒ラブだったらそうは思わないけど、あの小さな体がツヤツヤしてると嗜虐心をそそるんだよね。」

「だから押し倒してもみくちゃにしたくなるんだよね。」(私はいつも赤ちゃん言葉になりつつグチャグチャにしてしまう。)

「そうそう、そうなんだよね。」

「体はちっこいくせにキ○タ○はでっかいよね。」(キムタクではない)

「そうそう、なんなんだろうね、クロ助って。」

勤勉者の会話とは思えない会話で今日という日が暮れていく。


2002年08月17日(土) 親戚めぐりの旅

朝早く福島へ出発する。


旦那の父と母、それと私ら夫婦の4人で福島へ親戚めぐりの旅。
朝の7時に出発し午前中だけで数件の親戚をまわった。
早起きってすごいなぁと思った。
早起きをするだけで、こんなに色んなことができるのだ。
普段の土曜ならまだ布団に入っている頃なのに、早起きした今日はすっきり頭が冴えわたっている。

日帰りの旅なので急いで親戚の家を回ったのだが
行く先々でご馳走をいただく。
それとお土産もたくさんいただく。

とれたての野菜や果物などを(中にはビールもあった♪)車のトランクいっぱいにつめて帰る。
無事夕方家に到着。

いつもは小食な父が、親戚の家でおはぎを5個食べたのにはビックリであった。
でも気持ちはわかる。
おいしかったもんね。


2002年08月16日(金) 田村正和と暮すということ

私の地域では午後の2時から「古畑任三郎」の再放送がある。
そしてその後4時から「パパはニュースキャスター」の再放送。

午後の時間、このように「田村漬け」になっている日々のせいか私は今田村正和に夢中なのである。

どちらかというと、私は「古畑任三郎」の田村正和が好きだ。
今日の犯人役は「山口智子」だったのだが、彼女にジェラシーを感じながら今日もドラマを楽しんだ。

夜、ドコモのCMが流れたときは思わずドキっとしてしまい、口に含んだ「銀たらのみりん漬け」をゲロのみしてしまいそうになる。(好物の銀たらを粗末にするところであった。)

どこかで聞いたことがあるのだが、

田村正和はとっても家庭的な人だそうだ。
仕事が終わるとまっすぐ家に帰り、ほとんど毎日奥様の手料理を食べるとのこと。
なんともステキなお話しだ。

でも私は考えた。

もし我が家に田村正和がいたらと…。


トイレで大をするときは音が出ると恥ずかしいので肛門筋をヒクヒクさせなければいけない。(ヒクヒクさせたところでやはり音は出るのだろう)
その後は、便器にひっかけてはいないか厳しくチェックしなければなるまい。

それに、毎晩田村正和と食事をするのかと思うオチオチ納豆も食べられない。
私はネバネバ糸だらけになってもいいが、口から糸を伸ばす田村なんか見たくない!
納豆ごはんを食べた後、煮物に箸を伸ばす田村の口からツー…っと糸が伸びるところなんて私は直視できない!
おまけに箸がぬるぬるしているため煮物のこんにゃくをつるんとテーブルに落とす田村なんて絶対イヤである!

田村と暮すということはかなりの覚悟が必要だ。
やはり私は田村とは暮せない。
残念だがもしそんな話しがきたら私は断るつもりだ。
(大丈夫。絶対そんな話しはない。そんなことよりいつのまにか「田村」よばわり。)


2002年08月15日(木) すごい二の腕でサマードレスを着る

突然思い出したのであった。

去年旦那に買ってもらったサマードレスを(サティーで1000円)今年はまだ着ていなかったことを。


サマードレスを着て憎たらしい二の腕と憎たらしい笑みをご披露
悔しい。
もうすっかり秋の気配の今日この頃。
あれを着て今年の猛暑を過ごしたかった…。

今でもまだ間に合う!
そう思い肌寒い中サマードレスを引っ張り出し着てみたのである。



それを着て夜は私の実家に夫婦で遊びに行ったのだが、妹が突然何も言わず
ギュムっっと私の二の腕をつかんだのである。

「つかまずにはいられなかった…」

と妹はコメントしてくれた。
それも 川 ̄∠ ̄川  ←こんな顔をしながら…。

寒くなり何年も前にヤマザワというスーパーで買ったカーディガンを羽織ると妹が

「ヤマザワとサティーだから今日のお姉ちゃんは<ヤティーさん>だね」

と言った。
それも ( ̄ー+ ̄) ←こんな顔をしながら…。


父と旦那がお酒を飲みながらナイターを観ていたら

突然母が言った。


「ひーむ君ってあと何年で定年なの?」


唐突な母の質問に指を折りながら計算する旦那であった。
日ごろ数字を扱う仕事をしている旦那であるが、いくら「数字使いさん」とは言ってもこの唐突な母からの質問にちょっと暗算速度が遅れる。(でも私の暗算より数倍はやかった。悔しい。)

それにしてもなぜ母はそれを知りたかったのだろうか。


ナイターが終わり(巨人9回裏で1点追加して勝った。)
チャンネルを「渡る世間…」に変える。

京唄子の口がどうのと茶の間で話していると突然父が

「昔からそうだったべや(東北弁)」

と言った。


みんなで

「何が?」

と聞くと何も答えない父。

「何が昔からそうだったの?」

と再度聞くと怒鳴りながら

「昔からそうだったって言ってるんだ!」

との答え。

「だから何が昔からそうだったのっ!」

と皆の声も大きくなる。

「だから昔っからそうだったって…」

と、父もますます声が大きくなる。
そして父は最後に

「さっぱりわかんねぇ」

と、こちらが言いたいセリフでこの話題をしめたのである。
結局何が昔からそうだったのか誰もわからないままその会話は終わった。

京唄子の話題に戻り、元旦那の名前ってなんだっけ?という話題にうつる。
有名なのに思い出せない。あとちょっとで出てきそうなのだが…。
みんなで「なんだっけ?」「なんだっけ?」と言っていると父が

「確か、なんとかトオルっていうんだ。あれぇ〜…何トオルだっけかなぁ」

と言った。

せっかくここまで出がかっていた答えがその発言で白紙に戻る。
みんなで「何トオルだっけかなぁ?」という苦しみを味わう。
しばらくトオル地獄から抜けられないでいた。

答えは「鳳啓助」なのだが…。
(ぜんぜんトオルじゃないし。)


2002年08月14日(水) スティーブン・キングが好きだ

今BSではスティーブン・キング特集をやっている。

三夜連続で「悪魔の嵐」を放送しているのだが、これは以前見たことがある。またみたいと思ったので今回はこれをすべてビデオに録画することにした。

私はずっと前からスティーブン・キングが好きで小説からビデオまで色々手をつけてみた。

今回BSでは「IT」(アイティーではない。イットである。)と「シャイニング」など、他にも色々連日放送するそうで、ほとんどみたものばかりだが一応全部録画しておこうと思う。

しかしスティーブン・キングのホラー系の映画というのは「がっかり」するものが多い。
なぜかというと、映画にするとなぜかお粗末な仕上がりになってしまうのだ。原作の内容が映像にするとうまく表現できないものが多いようだ。

でも今放送している「悪魔の嵐」はおもしろかった。
これはテレビドラマ用に書かれた話しらしいが、なんとも言えない後味の悪さが良かった。

突然だが今日の夜は「ビビン冷麺」を作って食べた。
うまかった。我ながらトッピングの選択も正しかったと思う。
大成功な「ビビン冷麺」であった。

明日の夕飯は何にしようかなぁ。
(もう悩んでるし。早過ぎ。)


2002年08月13日(火) お盆かぁ

今日は実家の仏壇に線香をあげに行った。
仏壇にお供えするキクの花とビール1ケースを持って。

今日からお盆。
ええ?もーお盆?

これが過ぎると秋に突入かい。
1年早過ぎる。

もうじき石油ストーブの匂いのする季節がくる。
私は初冬の石油ストーブの初匂いに弱いのである。
(初匂いとは初めての匂い。そのまんまである)
何日も嗅いでいると慣れてくるのだが、初めての石油ストーブの匂いはまったくダメなのだ。

どうダメなのかというと

切なくなるのである。
とっても寂しい気分になり泣きたくなるのである。

これは私だけではなく
私の妹もまったく同じ体質で(体質?)妹も初冬の石油ストーブの匂いでブルーになったりしている。
私がまだ実家で暮していた頃妹と2人で、この匂いによってどちらがどれだけ強く切なさを感じているか競ったこともあるほどだ。(口頭で説明する。誰にも見せられない競技である。恥ずかし過ぎ。)

お盆の話題から
イッキに季節はずれの話題であった。


2002年08月12日(月) ひもじい思いをしてみる

今朝はちょっぴり具合が悪かった。


朝ご飯も作らずずっと布団の中にいた。


10時ごろ起きる。
今日は家庭ゴミの日。
ゴミを捨てにいかねば!!


それからソファーの上でボーっとしてみた。
水がうまかった。


お昼を過ぎるとだんだんハラが減ってきた。
だけどすぐに食べられるものがなかった。
パンなどがあればそれを食べたであろうが、今日はそのような類の物がなかったのでわざわざ火を使って何かを作らなければならないのである。

袋入りのインスタントラーメンがあった。
すんごく面倒だったので、空腹の限界地点に達するまで作らずにいた。
お茶を飲んだりネットをして空腹に耐える。
気分もすぐれないのに空腹も耐えねばならないとは…。
私の頭の中には「ひもじい」という4文字が。

ああ、
笑っていいともが終わる時間である。(みてないけど)
お昼時間が過ぎて行く。




そろそろラーメンを作ろうではないか!



もうひもじい思いも十分味わったし、さて今度はラーメンを味わってみるか。

具を刻むのが面倒だったのでソーセージを2本入れるのみのさみしいラーメンである。でもそんな雑なラーメンがたまらなく美味しく感じる今日であった。
(鍋のまま食ってみた。ワイルドふつ。)


2002年08月11日(日) 女子だけで飲む

夜、仕事仲間の女子たちと飲む。

早めに家を出発した私は、しばらく街をブラブラしていたが歩くのに疲れてしまい途中カフェで「大河の一滴」を読みながらお茶を飲む。
読んでいるうちに神妙な気分になる。

そうか、

私のまわりでガヤガヤ楽しそうにお茶している人々は地獄を生きているのかぁ。
みんな大河の一滴なのかぁ…。
私も大河の流れに身をゆだねる一滴なのかぁ。
いつか蒸発して雲になって再び雨となりまた一滴になるのかぁ。


うぅぅ〜ん。
人生っていったい…。




おっと!
大変!もうこんな時間である!!



慌てて本を閉じ店を出る。



なんとなく家にいる旦那に電話してみたくなる。
待ち合わせの場所へ向かう途中電話する。
かわいそうに、旦那。
今晩はダイエーの弁当を食べるそうだ。ごめんよ。



待ち合わせ場所にはすでに2人がいた。
おお!久しぶりぃぃ♪

ぺちゃぺちゃ話しをしている間にメンバーが揃ったのでお店へゴー。

ビールで乾杯。
最初は静かな雰囲気だったが、だんだん話しに花が咲きだしガハガハ笑いながらみんなで酒を飲んだ。
楽しかったなぁ。

地下鉄のホームでmikoさんとめちゃまさんと別れを惜しむ。

じゃぁねっ!

と言いながら軽くタッチしたつもりが
さすが剣道部出身の私である。

めちゃまさんの眼鏡をバシッと叩き落す私であった。
ごめんよ、めちゃまさん…。

「大丈夫、大丈夫」と言いつつも、めちゃまさんの顔には明らかに
( ̄□||||!!←このようにちびまるこちゃんでよく使用される縦線が入っていた。我慢強いめちゃまさんであった。


家に帰ると旦那が寝る準備をしていた。

「お帰りぃぃ」

と言いながら冷蔵庫から冷たい麦茶を持ってきてくれた。
優しい旦那である。(かわいくないところもあるが、やっぱり優しい方に分類されるだろう)

布団に入る旦那に向かい私は麦茶をあおりながら

「人間は大河の一滴に過ぎないんだよ」

とトクトクと説くのであった。(酔っ払いってホントに厄介な生き物である)


2002年08月10日(土) カビキラーにむせる

風呂掃除をする。



根こそぎカビを退治するため今日はカビキラーを使った。

本当ならばこれを使用するときは、眼鏡をかけマスクをつけるなど完全武装しなければいけないのに…


野生児の私は…


あらかじめカビキラーを撒き散らしておいた浴室に素っ裸で入場。
こんな無防備な状態で入場。

穴という穴から(?)カビキラーを吸い込んでしまった私はちょっぴりむせてしまった。ごほごほ。


しかしさすが野生児。

あっという間にピカピカに仕上げたとさ。
めでたし、めでたし。

(その後ガオォォォ!とシャワーを浴びたとさ。めでたし、めでたし)


2002年08月09日(金) たらばガニをすっぽりと…

夜たらばガニをすっぽりと食べる。

分かるだろうか、この



すっぽり



という感触を…。

調理用のはさみでパキパキと足の殻を切った後、



すっぽり



とあらわになるかにのあし。


それを



すっぽり



と口に入れる瞬間…。
そしてそれを口にした直後、


即!!


きっちり冷えた「一の蔵無鑑査」をすっと流すのである。


これサイコー!
マジサイコー!!


このたらばガニはいただきものだ。
我が家はよくカニをいただく機会があるのだが、

実は冷凍庫にはもう一匹カニが住んでおります。
いつ食ってやろうかなぁ。むふふ。( ̄¬ ̄*)


2002年08月08日(木) 首にタオルを巻く

よく実家の母がやっていた技。
それは

首にタオルを巻く…

そんなステキな技。



家事の途中、額から耳の後ろからダラダラと汗が流れてくるので、どうしようもなく私も「首にタオル」デビューしてみた。


いいじゃん、いいじゃん。
急に額からつーっと汗が流れてきても、首のタオルでスッと拭き取ればいいのである。

実家の父はこの季節、24時間のうち、22時間は上半身裸で暮している。
さすがにその技はいくら私でも使えない。



旦那の実家では、猫がいるので思いっきり窓が開けられない。(100%家猫なので。その証拠に肉球が世間知らずなぷよぷよ。すあまのようだ。)
確か母上も暑い日は首にタオルを巻いていたような気がする。

この「首にタオル」という技は、
「私、夏と正々堂々と付き合ってます」
と言わんばかりな技のように思える。
そして
「私、きちんと汗と戦ってます」
とも言っているようで、不思議な充実感を味わえる。

よし!

今年の夏は、家の中では絶対タオルを巻いて生活して行こう!

(ネタがないのでどうでもいい日記であった)


2002年08月07日(水) 世の中おかしいよ

最近考えることがある。
まともに応対してくれるプロが少なくなったなぁと。プロに会いたい

たらい回しにされるならまだいい。

店のスタッフ同士で責任の擦り合いをしているうちにフェードアウトされたり、(知らないうちに誰もが知らんぷりを決めこんで対応してくれない。客のこちらはひとりぼっちにされ放置される)

あきらかにそっちのミスなのにそれを指摘すると
「はい。それじゃ、やらなければいいんですね。はいはい。もうやりませんから!」
と、謝られるどころか開き直られたり

「これください」
とお願いすると、ものすごぉぉくイヤな顔されたり、

あるお店の窓口では、面倒だから取り次いでくれなかったり(ウソのような本当の話しである。うまいこと言ってたけど明らかに面倒だからだ、あれは。だって前はちゃんと取り次いでくれるシステムがあったのだから。それを言ってやったら「お客さんのほうが内容を把握してるんだから、直接電話で言ってやってよ」といわれた)

ある会社に電話をすれば社内の人間に対して
「○○はもうお帰りになりました」
と、ぬけぬけと言うやつがいたり…。(誰も注意してやらないのだろうか。言い間違いではなく、明らかに当たり前のように毎日口にしているようだった)

どこへ行っても
最近まともに対応してもらったことの方が少ない。
それも残念なことに
私の親ぐらいの年齢の人にそんな応対をされることが多いのである。

昔は「お役所の人間は…」と言われていたが、今は区役所の窓口に立つ若者の方がずっと立派な対応をしてくれる。
民間!もうちょっとがんばれ!やる気がないぞぉぉ!
(不景気だからさ、やる気がなくなるのも分かるけどさ)

そんな風に感じるのは私だけだろうか?


2002年08月06日(火) 以前の上司に忘れられる私(挿絵つき)

1時に美容院に予約を入れていた。
久々にパーマをかけようかと思い立って。


夜は仕事がえりの旦那と待ち合わせて「サッポロビール園」へ行くことにしていた。
旦那には美容院へ行くということは言っていなかったのできっと驚くだろう。ひひひ。


髪の色も少しいつもより明るめにした。
肩につくかつかないかぐらいの長さの髪にゆるくパーマをかけた。

「はい、できたよぉ。どうかな?」

と、美容師のお兄さんに言われ鏡の自分をじっとみる。

おお、なかなかかわいいじゃん。
若くなったわぁ。

ん?

でも、でも、
この顔、どこかで見たことが…。
そう、
自分の顔なんだけど、でもどこかで見たような…。

「はい、バッチリ気に入りました!」

と、にっこり笑って返事をしたとき


その顔が誰なのかわかったのである。


こ、こ、
国分だ!


メントレで

「すんげぇ!うまい!」

と目を見開いた国分に似ているのである。




夕方、駅の改札口で旦那と会う。

「今日は昼、カップラーメンとおにぎり食べたんだぁ」
とか、
「早くビール飲みたいなぁ」
などと旦那はぺらぺらしゃべっているのだが、いっこうに私の変化には気づかず…。
いつもは気づいてくれるほうなのだが、
そろそろそんなことをいちいち口にしなくなる時期に入ってきたのだろうか。

「え?美容院いったの?ごめん、全然気づかなかったぁ」

それはないでしょぉ。

「だっていっつもふつちゃん、あたまぐちゃぐちゃだから、どれが正しい髪型なのかわかんないんだもん」

とのことである。
なるほど、納得。
だったらしょうがないさね。


ビール園では、待ちに待ったうまいビールを飲む。
一杯目はほんの数分で飲み干す。

今日は仙台七夕。
わざわざN市のビール園に来るというのはある意味ツーな人々であろう。

仙台市内のビヤホールはきっと混んでいるだろう。
そんな日はJRにゆられてここまで足を運ぶことをおすすめする。


ビールも4杯目にくると、さすがにハラも苦しくなりチョベリボパンだ。
(チョベリボパンとは、膀胱がパンパンという意味だそうだ。今のギャル語らしい)

ビール園で用意している紙でできた前掛けをつけたままトイレへ。
(普通とるだろ)

トイレから出ると、中年男性とすれ違った。

その中年男性は、
なんと!以前の勤め先の上司であった。

直属の上司ではないのだが、少しぐらいは話したこともある。
(でも名前は忘れてしまったが)

むこうが一瞬立ち止まって私を見た。
そしてぱちぱちと瞬きをすると、ぺこりと頭を下げてきた。

おお!
覚えていてくれたのか!!

私もぺこりと頭を下げる。



しかし次の瞬間であった。
人差し指を1本立てて




「ビールひとつね」




どうやら私を店のスタッフと間違っていたようだ。
しかし、私も私だ。

思わず返事に困る私





「はい」





と返事をしてしまった。
人間とは不思議なもので、返事に困ると「はい」と言ってしまいがちだ。


席に戻り、
今のことを旦那に話した。

「前掛けのサッポロビールのマークがスタッフだと思わせたんじゃないの?」

そうだろうか?
そんな、無理矢理だ。
こんな食いしん坊丸出しの前掛をしたスタッフなんて見たことない。(それも紙製だし)


それにしてもここは天国だ。
ビールで酔うととってもイイ気分になる。
どのテーブルでもみんなジョッキ片手にガハガハ笑っている。

さっきの元上司も私にオーダーしたことも忘れペロンペロンになりつつジョッキを片手に楽しそうだ。

「これがさぁ、ビール園だから幸せ感漂ってるんだよね」

と、旦那が突然言い出した。


旦那 「これがテキーラ園だったらさ、具合悪くしたり喧嘩したりする人が絶えないよ、きっと」

私  「ここのビール園は<ジンギスカン食べ放題>だけど、テキーラ園だったら何が<放題>になるの?」

旦那 「塩なめ放題」


すばらしい観点からのお話であった。


2002年08月05日(月) 1年前を思い出してみる(特に理由はないけれど)

今日は七夕の前夜祭があった。

私は行かなかった。
去年も行かなかった。

去年の今ごろって、一体ナニをしていたんだろう。
今の季節、お祭りとか行ったんだっけ?
よく覚えていない。

今旦那に確認してみたところ

「行ってないねぇ」

とのこと。

そうか、
意外なことに、この季節って地味に暮していたのかぁ。

去年のスケジュールを見ると、去年の今日はいとこの結婚式におよばれされていた。早いなぁ。あれから1年か。

それから去年のスケジュールによれば、去年の今ごろは小学校の教室をかりてIT講習会をやっていた。
クーラーもなく、おまけに学校の中庭では夏休み期間を利用して工事が行われていたため窓もあけられず(ドリルの音がすごかったなぁ)、私の声は工事の音でかき消されるなどの過酷な環境での講習会だった。

せっかくのメイクもすっかり剥げ落ち、いい女台無しであった。

あ、でも学校の先生とはちょっとフレンドリーになれたんで今となってはいい思い出である。
あ、それと、受講者のお父さんから餃子のサービス券をいただいたのであった。
そのお父さんは教室にいた人全員にそのサービス券を配っていた。
そのお父さんはラーメン屋さんに土地を貸しているようで、そんな関係でサービス券がたくさんお財布に入っていたようだ。

今日は特に年度末でもないし
なんでもない8月5日なのだが

なんとなく1年前を振りかえってみた。


2002年08月04日(日) 動物霊園に行く

今日は以前一緒に暮していた「アリス」という犬の命日であった。
実家の母と私ら夫婦の3人で動物霊園へ行く。
去年は父と母、それに妹と私ら夫婦の計5人で行ったのだが、今年は事情があり3人での行動であった。

お線香をあげると、だんだん天気が悪くなりぽつりぽつりと雨が降ってきた。

車に戻り、お昼ご飯を食べようと話し合う。


ちょっと車を走らせると、定義山という観光地があるのでそこまで行ってみた。
そこで名物の焼きおにぎりとそばのセットを食べる。そばの上には名物の油あげがのっている。

昼食を終えるとお土産を買う。

天気はちょっと曇りだし、時折雨も降るし、去年は父と妹も参加していたので今年はなんとなく寂しい雰囲気もあったが、それはいつもの母のおしゃべりで緩和された。

お土産売り場のいたるところで「仙台太郎」という人形が売られていたのだが、今日始めて知ったことがある。

太郎の着物の又部分からアレがもれて露出していることに…。
結構リアルな色であった。
恥ずかしさのあまり、その場でうつむく私であった。(←もちろんうそである)

太郎の人形を、ひっくり返したりおっくり返したりして、他になにか秘密がないか入念にチェックする私であった。(←これは本当である)

実家に戻ると父が待っていた。

今日もまた旦那に無理難題を突きつける父であった。(今日は電気関係の難題を突きつけていた)
でも結構2人仲がよいので私は放っておいた。

無理難題が解決されたようで、2人、爽やかにリビングへやってきた。
みんなで先日親戚から送られてきたスパークリングワインを飲み母の料理を食べる。


毎年行われるアリスの墓参り。

少しずつアリスが死んだ悲しみは癒されているが、それでもいつまでも家族の心にはあの日の記憶が深く刻まれている。
やはり、今でもあの日のことを思い出すと簡単に涙が出てしまう私である。

あの時、もっと自由におもちゃで遊ばせてあげればよかった…
あの時、もっと頭をなでてあげればよかった…
あの時、もっと早く異変に気づいてあげていればもしかして…

今でも色々なことが悔やまれる。
考えたらキリがないんだけれど。

母は毎日自分の枕元にお菓子と水を絶やさない。
それとアリスが欲しがっていたおもちゃをいつも枕元に置いている。
それはアリスのため。

アリスが死んで、もう何年も経つが
アリスは今でもちゃんと家族の一員である。

「あ、アリスにお水まだやってない!!」

と、母をてこずらせているのだから。


2002年08月03日(土) 1日中眠る

こんなに眠ったのは久々である。

昼まで眠り、ご飯を食べ
食べた後再び眠ってしまった。

旦那は布団に戻り
私はソファーの上で

夕方の5時まで眠った。


夕方近所のスーパーに買い物に行く。

今日は旦那がハヤシライスを作ってくれるとのこと。
スーパーで牛肉やbバターを買う。

今台所からいい香りが…。

もうすぐできるらしい。ハラ減った。

おっ!
今ベランダから花火が見える!!!
すんごくきれいだなぁ。


2002年08月02日(金) T尻町最後の仕事だった

今日でT尻町の仕事は終わり。

日中仕事関係者のおじさんと(私を送り迎えしてくれたあの優しいお方)電話で話しをしたのだが、おじさんはまたT尻町の仕事を受けてくれと言った。
「ふつさんはまかせて安心だからさぁ」
と、おじさんの巧みな話術に喜ばされてしまった私である。へへへぇ。

でもT尻町、遠過ぎる。
しかし他の道を通れば1時間もかからないと聞いたが、今度はその道を研究してみようかな。


2002年08月01日(木) 平凡な1日であった

今晩のおかずは鶏のささみを使った梅しゃぶ。

ネットで検索してみつけたダイエットレシピなのだ。
材料も家にあるものでほとんど間に合いそうだし、なにせ作り方が超簡単!!

鶏のささみを買いに夕方近所のスーパーへ。
このスーパー、最近じゃぁ夜中の12時まで営業しているのだ。

経営不振で騒がれている大手スーパーなのだが、結構この12時までの営業というのがウケているらしい。
私の実家の母と妹は、よく11時頃ここに買い物にきているらしい。
必要があって買い物にきているのではなく、楽しいからきているようだ。
不良な親子である。

家では冷房を入れずに耐えていたので、店内に入るなり生きかえるような清涼感に包まれうっとりする私であった。

あ、そうそう。
ゴマキと保田が卒業するとのこと。

保田かわいそう。
どの番組を観てもゴマキの話題ばかりである。
芸能界は残酷な世界じゃのぉ。

もし私に子供ができたら、
私は絶対に子供を芸能界なんかに入れないわ。
普通が一番。


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