奇跡を信じて〜あれから〜
R



 死んでいく時

出会った人の数と同じだけ
別れて行かなければならないのかな
そんな事を考えた
そう言った事を考えるのは眠る前が多い

先日、スタッフがクライアントの背中に
異物を感じると言い
Hがお世話になったドクターを紹介した
診察後の検査に2度程付き添った時に
Hの受け持ち看護婦だったSちゃんに会った
Hの主治医だったT先生は6月に転院されたとの事
祖母が他の病院に入院をしている事を話すと
「Rさんもすっかりベテランの付き添いさんですね」と
言われてしまった
そう
祖母の様にこの先、回復の見込みのある人の付き添いは
正直言って楽です

祖母が入院して3週間と少し
主治医U先生の助手S先生は
偶然にもHが入院していた病院から転院して来られた方だ
しかもHが救急で病院に訪れた時の当直の先生
患者の目の高さに合わせ話される良心的な先生である

相変わらず睡眠は短時間だが
意外と私の身体は頑丈にできているらしい
昨年Hは
「Rの方が先に死ぬから会社は継いであげるね」などと
冗談で言っていた
全くどっちが(^^;

自分の身体のケアも忘れない様に検査だけは通ってます


2002年06月28日(金)



 Hの犬

Hの犬が亡くなりました
ちっちゃな小型犬

術後の祖母は
「Hちゃんが遊びに来て椅子に座っていたよ」と言う
「早く帰りなさい」と祖母は言ったとか
術後の麻酔で幻覚でも見たのでしょうね

2002年06月22日(土)



 遺品の整理

遺品の整理の手伝いをしました

来月は納骨
その前にと思い
お墓に行って来ました
全ての骨を土にかえす事になりました
半分は水(Hの好きだった川)へ残りは土(お墓)にと言う
考えもありましたが
川に流された骨の行方を思うと何処へ辿り着くかわからないと
ご住職はおっしゃられた

Hはどうして欲しいのだろう


2002年06月14日(金)



 春の想い出

昨年の今頃は何をしていただろう
この1年間の事を遠い昔の事に感じる

時々、本当にHと言う人は実在していたのだろうかと
考える事さえある
これも一種の現実逃避かな?と思うと
恐かったりする(^^;

眠る前
一つの季節をテーマにHの事を想いだしてみる
春の季節
想い出の街は神戸、大阪、横浜、東京
春を一緒に過ごしてきた
大阪は何度も出掛けた場所
最後に一緒に訪れたのは昨年の夏
昨年の春は
近場によく遊びに出掛けた
山に登ったり川へ行ったり
Hが闘病生活に入り夢で見た「石の博物館」へ行った
桜の咲く季節にはお花見にも行った
ずいぶん前から私は春が苦手
その原因はいまだにわかっていない

昨年の今頃、私達はグランドを走っていた
Hは苦しくなかったのだろうか
1月に内視鏡の検査の時に左の肺はつぶれていて
内視鏡が入らなかったと医師から聞いている
それでも自覚症状はなく
最初にI教授から告げられた病名は
「サルコイドーシス」と全く生死に関わる病気ではなかった
胃カメラを飲んだ時には
「ここにもサルコイドーシスがある」と言われ
肺のレントゲンを撮った時にも
「やっぱりサルコイドーシスだ」と言われていたのである
肺の緊急CTの予約を入れたのは
I教授ではなく他の医師であった
「教授に叱られるのを覚悟で」と他の医師は言った
今から思えば
2年前の夏
Hと和食処で食事をしていた時に
突然Hは胸が苦しくなり呼吸困難に陥った
私は救急車を呼ぼうとしたが
「少し休んでいれば楽になるから」とHは言い
和食処の和室で休ませてもらった
その後、私はHを担ぎ自分の自宅まで運び寝かせた
「寝不足だから」とHは言ったが
何かが潜んでいたのかもしれない

今日8日はお寺に行ってきました
素通りしようとした ある場所から私は足が動かなくなった
掌に乗るくらいの物に手は伸びた
裏に刻まれている名を見た
私は自分の目を疑った
日付はH4.1.19

2002年06月08日(土)



 まさかの闘病日記

Hが逝って
まさか2ヶ月経たずに祖母の病気の事を
こちらに書く様になるとは思いもしなかった

闘病日記ではなく看護日記になりそうです

夕方、主治医の話を聞きに行った
狭心症から心筋梗塞へ移行する心配があるとの事
来週いっぱいは検査
再来週に手術を行う予定

相変わらず母も母の妹達も姿を見せなかった




2002年06月07日(金)



 お次は

昨日から祖母が入院しています
また仕事と病院の往復が始まりました

相変わらず朝6時起き、就寝午前2時の生活

しかし祖母も娘が4人いるのにも関わらず
何故か?
私が身元引受人になってます(^^;

いいの。いいの。
私はそういう星の下に生まれたのよ
おばあちゃん、安心してて良いよ
私がいるからね

明日は夕方に主治医の話を聞きに行きます

2002年06月06日(木)



 アヴェ・マリア

高嶋ちさこのCD「エンジェルズドリーム」を
BGMにし仕事をしている

シューベルトのアヴェ・マリアが流れると
私は目を閉じたくなる
とても懐かしい冬の季節を思い出す

辛い思い出としてではなく
過去を懐かしみ
とても長くて綺麗な指などを思い出す

目を閉じながらHの手や顔を擦っている内に
Hと繋がっていく
けれどそんな時間は長くは続かない
手を離さなければならない時がやってくる
そんな時は身体を半分持っていかれた気がしながら
私の心は戻ってこなければならない

この曲はHが息をひきとった時に流れていた曲
遠い昔に私が舞台で歌った曲でもある

2002年06月05日(水)



 甘ったれるな

以前に
『お仕事もしながら、がんばっていらっしゃることを
思うと、自分の甘ったれた毎日が恥ずかしいです。』と
メールを頂いた事がある

けれど今の私は過去を振り返ってばかり
地に足が着いていないかもしれない
甘ったれるな
自分で自分を励ましてみました



2002年06月04日(火)



 これもタイミング

この日記を書き始めた時
奇跡が起こる事があり得なかった場合には
書くのを止めるのではないかと自分では思っていた

Hの存在自体が多くの人に影響を及ぼした様で
今でも誰かしら連絡を下さったり
休日にはHの自宅に人が訪れるそうです
昨日はHの友人と夕食を共にした

私は相変わらず毎日Hの自宅を訪れ
仏壇に向かい手を合わせる
いつかは自然と足が遠のいて行くのも
予測はしている
来月は納骨
それが終わったら
私が手を合わせる場所は御仏壇ではなく
お墓になるのだと思う

2002年06月03日(月)



 夢の中で

明方Hの夢を見た
Hが亡くなって3度目
今までは会話ではなく一方的にHが何かを言っていたが
今日の夢は会話をした
夢の中でもHは癌だったが入院しているわけではなく
仕事をしていた
「そんなに頑張って仕事して大丈夫なの?」と聞くと
「頑張って仕事してたら朝になっちゃった」とHは答えた
夢の中で私はHの靴を眺めていた

場面は変わりHの友人達が
Hの自宅へやってきた
そこにはHの姿を見る事はできなかったが
声だけは聞こえていた
お寺のご住職はいなかったが
生前葬をしていた

目が覚め
一人、連絡を取らなかった友人がいる事に気付いた
今の所、連絡先は不明のまま
Hの友人達にも聞いてはみたが誰も知らないと言う

2002年06月02日(日)
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