奇跡を信じて〜あれから〜
R



 3ヶ月

この3ヶ月間、病院とオフィスを往復している
気付けば美容院にも3ヶ月行っていない事になる
自分の姿にもすっかり無頓着になっていた

Hはと言えば抜けた髪の毛が少しづつ生えてきています

友人とも会っていない
自分の家族、Hの家族、オフィスのスタッフ、クライアントさん
この3ヶ月間、私が会う人達は限られてきた
どちらかと言えば
それ以外の人と会える心の余裕はなかったのかもしれない
単刀直入に言えば・・・
会いたくない
友人から電話がかかってきても話は聞くが
こちらから何かを話す事もはない

反対に
この日記を通して会った事のない方からのメールは
今の私にとって心地のよいもの
ありがとうございます

2002年03月31日(日)



 

桜を見ても美しいと思える余裕はない

昨年、夏が終わる頃に移転したオフィスの入り口に
桜の樹がある
本当に桜の樹なのか疑いたくなるくらい蕾のままです

1週間くらい前の朝Hの母から
「車をRさん名義に変えましょう」と電話があった
年末からHの車を預かっている
Hが大切にしていた物だからそうしている
ごめんなさい
この間、少し右側をぶつけちゃいました(^^;

今日は土曜日だが弟は仕事
病院に泊まろうか悩んだが帰ってくる事にした

2002年03月30日(土)



 弱音

痛みを完全に抑えることは不可能で
目を覚ましては「痛い」と言う
ひどく痛がるときは看護婦さんが静脈点滴の速度を速める

痛みが治まった頃「もう、いいよ」とHがつぶやいた
意味がわからず
「何が?」と聞くと
「治らないのなら、もういいから」と言い目を瞑った
「大丈夫だからね」
「心配しなくてもいいからね」
私はこの2つの言葉をHに言いながらも
また自分自身にも暗示をかけた

2002年03月29日(金)



 アガリスク

今まで私はアガリスクに関して
膨大な広告量から流行物の様な気がして
購入する気にはなれなかったが
私の友人の話を聞き
弟は「この際だから」とオーダーしてくれた

それが昨日届き弟が煎じた
「病室の冷蔵庫の中にアガリスクを煎じた物が入ってます」と
携帯メールが届いた

色々な情報が飛び交う中
見極めていくのは困難な事だが
何かの助けになればと思い
届けられる水溶性のサプリメントを
少しづつではあるけれどHは飲んでいる

Nさんメールをありがとうございます
Nさんのサイト拝見させて頂きました
日記の中にある私へのメッセージも読ませて頂きました
優しいお言葉をありがとう
今は「奇跡を信じて」の中には書いていませんが
追々Hと私の事について書いていきたいと思います

2002年03月28日(木)



 要注意人物

奇跡を願う友人、親戚などから
様々な健康食品が届けられてきたが
心ない叔父からHの母に電話が入る事もある
「100万用意すればアメリカから取り寄せる」と
母は言われたらしい

Hの母からは
その叔父の事を『要注意人物』であると聞いている
抗がん剤の第2クールの途中
その叔父は病院にやってきて自分の仕事の事で
Hに相談していたのを私は見ているが
普通では考えられない

お見舞いではなく
自分の利益をうむ為の知恵をHに借りにきていたのだ

お金に執着しすぎていて信頼できない叔父に対し
Hの母は
「お金がないから」と100万の健康食品の話を断ると
叔父は私の名前を出したらしい
「Rちゃんは持ってるだろう」と

本当に奇跡が起こるというのであれば
Hの母も私も惜しみなく出すでしょう
ただし信頼できない叔父からは購入するつもりはない


こうして弱みに付け込んで商売のネタにしようとしている
叔父の姿は滑稽である

2002年03月27日(水)



 与える側と受け取る側の違い

O医師が言った
「これだけ全身の状態が悪いと
生きている方が不思議なくらいです」
との言葉は
受け取る側にしてみれば残酷だと感じているが
言葉を発した方からしてみれば
ポジティブな言葉のつもりだったのかもしれない

そう思いたい

ポジティブな意味を
私たちが勝手にネガティブに捉えたのだろうか

2002年03月26日(火)



 医者の姿

休暇を終え今日から出社予定だった弟だが
事情を話し早退して帰ってきた

夜、弟より携帯メールが届く
そこには「錠剤が飲めなかったので今から静脈点滴にします」と書かれていた

稀にある呼吸抑制を弟は心配している
その事をO医師に質問したところ
「これだけ全身の状態が悪いわけですから
生きている方が不思議なくらいです」
と言われたとか

医者にとっては患者の1人かもしれないが
弟にとっては大切な家族

生きている方が不思議?

研究したがりの医師が言いそうな言葉なのかもしれない



2002年03月25日(月)



 授与式

今日は中薬学科の卒業式+中医師証書授与式の為
午前中Hの病室を訪れた

弟の話によると
MSコンチンの量を増やしたが痛みが変わらないと
T医師より説明があったそうだ
点滴に変える準備はしてあるとのこと

後ろ髪をひかれる思いで病室を出て駅に向った
新幹線で1時間の道のりがとても長く感じられた
中医師免許と学会正会員証を受け取るだけでなく
中医学会と中医師会の誓約書に
印鑑を押さなければならない為
代理人不可である

昨夜Hは3錠の内、最後の1錠が飲めなく
スプーンで潰して飲ませた
その事について弟より
「錠剤を潰すとレスキューの効果と同じになる」と
携帯へメールが届いた
レスキューと同じ効果になると言うことは
一定の濃度が体内で保たれないため
鎮痛を持続する事ができない
そして「夜に錠剤が飲めないと静脈点滴しか方法はない」とも
書かれていた

夜に病室を訪れると
とても可愛らしいお花と炭が届けられていた

今日で弟の休暇が終了した
弟の仕事はハードで
労動基準法に触れるくらい時間に拘束されている

昨日、弟のお嫁さんは祖国へお里帰りした
3週間後しか戻って来ない
弟は「何かあった時」の事を心配している

何かあった時

いつその時が来てもおかしくないくらい
状態は悪化しているとO医師より告げられる

2002年03月24日(日)



 明日がある

当たり前のように1日が過ぎていく

仕事と病院と往復をする生活も
いつの間にか2ヶ月以上過ぎている

明日が来る事を怯える毎日でもある

「桜の咲く季節までは・・・」と医師から聞いた時から
「桜なんて咲かなければ良いのに」と思った時もあった
そのせいだろうか
私のところの桜はまだツボミ
先日スタッフに「これって桜の樹ですよね?咲くんですか?」
などと言われました(^^;

2002年03月23日(土)



 現実

覚悟する時間を与えられているのと同時に
現実問題としてHの母と弟は相続について話し始めた

これが現実なのであろうか

批判はしない

けれど悲しい


2002年03月22日(金)



 環境

病人にとって環境の変化がこれほどまでにも影響を
及ぼすとは思ってもみなかった
相変わらずHは「早く行こう」と言う
「どこへ?」と聞くと
「新しい部屋へ行く」と答える
最初は「ここが新しい部屋だよ」と言っていた私も
今では「明日にしようね」と答え方を変える事にした
本人が納得できるくらい簡単な説明にしないと
益々混乱するばかりだから

味覚はしっかりしていて
あっさりとしたジュースであれば飲める
お茶、水、レモンジュースと楽のみも3種類用意してある

レモンジュースはレモリアを好み
「美味しいね」と嬉しそうに飲む
そして飲む度に「また買って来てね」と言う
病室の冷蔵庫はHの好きな物でいっぱいになっている
以前はレモンシャーベットを食べたが
弟がアップルシャーベットを食べさせたところ
呼吸困難を起こしたらしく
それ以降は怖がって食べなくなった

感覚機能は敏感になっている為
Hの好きな高嶋ちさこのCDを購入した
フォーレの「レクイエム」
バッハの「主よ人の望みの喜びよ」
フォーレ「夢のあとに」
シューベルト「アヴェマリア」
などを心地良く聞いている

2002年03月21日(木)



 夢の中

Hの眠っている顔は穏やかで幸せそうだ

「幻覚」を時々自覚しているらしく
親しい友人がお見舞いに来てくれたのにも関わらず
「帰ってもらって欲しい」と弟から聞いた
そんな自分の姿を見られるのが苦痛のようだ

Hは「勝手に薬の量を増やさせないでほしい」と
弟に伝えたようだ

「夢の中で歩いていたよ」と
Hはそれが夢の中であるという事がわかる時と
「そこの椅子に座ってもいい?」と
自分が立って歩けない事がわからない時とある

精神科より薬が処方された

医師の説明によればMSコンチンやモルヒネシロップが
飲めなくなった場合は静脈注射に変更するとの事
その場合、稀に呼吸抑制が起こる可能性がある事
眠る時間が長くなる事などを説明された
弟は今はまだ納得できないらしく
稀な副作用を恐れている
私はHが苦痛から解放されるのであれば
静脈注射も止むを得ないと思っている
苦しむHを見ている時間が長くなれば
弟の考え方も変わるのではないかと考え
今は弟の意見を尊重したいと思う

2002年03月20日(水)



 輪廻転生

Hの幻覚は薬の副作用であると主治医から説明を受けたと
弟から聞く
弟は仕事を休みHに付き添い
今日は病院へ泊まるようだ

Hは「誰が死んだの?」と聞く
「誰も亡くなってないよ」と答えるが
弟から隣りの隣りの病室の方が亡くなられた事を聞いた

私は又いつかHと出会えると思っている
心からそれを信じる事ができた時
本当の意味での覚悟ができた気がする
肉体の姿は変わってしまっているかもしれないが
心は変わらないから
きっとHだとわかるはず
それはいつかはわからない

運命と言う言葉をよく人は使うが
最近この言葉を私は受け入れる事ができない

過去に親友が自殺した時には
覚悟できる時間は与えられなかった
今こうして覚悟できる時間を与えてくださった事すら
私は感謝する
毎日息ができる事にさえ感謝する

毎日あたりまえではない事がたくさんある
多くの事に感謝する

今関わっている方達に感謝してます

2002年03月19日(火)



 ロピオン

骨転移の場合モルヒネの効果は少なく
ロピオンを点滴する事になった

今日から弟は1週間仕事を休み付き添う

舌が奥に入り始めレベルが下がっている事を
看護婦のTさんより告げられる

相変わらずHは私の顔を見ると
「行こう!」とかすれた声で話し掛ける
さすがに
「松田聖子の角質取り知ってる?」と聞かれた時には驚いた
私が驚いていると
「知らないの?背中の角質がきれいに取れるらしいよ」と言う
ここで「わからない」とは言えず
「知ってるよ」と言うと納得する
言っている事を理解しようとする姿勢を見せると
納得するようだ

この3日間排尿も困難になり自分で尿瓶を持つことはできなくなった

薬を飲む時は「飲んで大丈夫?」と必ず聞く

眠っている顔は苦痛から解放され幸せそうに感じる

2002年03月18日(月)



 幻覚

昨夜、私は病室に泊まった
雑音は少なくなり居心地が良くなった

と思っていたのは私だけだった様で
Hは「早く行こっ!」と言いだした
「どこへ?」と聞くと
「新しい部屋へ行こっ!」と言う
「昨日新しい病室に変わったんだよ」と説明すると
「あの人は誰なの?」と指を指す

もしかして何か見えちゃってるの?と思えるほど真剣に
「誰かいるよ」と言いだした
「大丈夫。誰もいないから
私たち二人きりだからね」と説明すると
「ふ〜ん。わかった」と一度は納得したH

数分後
「早く行こうよ」と言いだした
同じ事を繰り返すよりは
「明日にしようね。弟が来てからにしましょう」と言うと
「わかった」と言い眠り始めた

Hの混乱は薬によるものなのか
脳転移のせいなのか
それとも環境の変化についていけないのか
原因はわからない

一時的なものなのか
それが継続されていくものなのかも
わからない

2002年03月17日(日)



 病室の移動

今までは東に足を向け眠っていたH
そこからは、お城が見えた

今日は部屋の移動
東に頭が来るようにした
東から昇る朝陽がHにエネルギーを与えてくれる気がする



2002年03月16日(土)



 信じる事の方が

奇跡を信じる事の方が残酷なのかもしれないと
時には感じる事があります

2002年03月15日(金)



 相変わらず眠ったまま

今日は比較的長い時間病院にいる事ができた
しかしHは眠ったまま
私がいる間Hが目を覚ます事はなかった

Iさんメールをありがとうございました
ご自身の辛い大切なお話を私に伝えて下さってありがとう
私が毎日病室を訪れる事は
私がそうしたくてしている事なので心配しないで下さいね
気遣って下さってありがとう


2002年03月14日(木)



 エアーマット

人の魂は水にたとえることができる
それは天から降り、天にもどってゆく
そしてまた、地上に戻る
こうして、永遠に行き来しているのだ
            
                ゲーテ

毎日仕事が忙しく1日に1時間〜2時間しか病室を
訪れる事ができない
今日の午前中はエアーマットに変える為
看護婦さんの手伝いをした
エアーマットはウォーターベッドのエアー版みたいな物
エアーマットへ変える事で背中や腰の痛みが
少しは和らぐかもしれないとリハビリの先生から指示を受けた
体を触ると痛がるHをベッドに移動させる事は困難である
しかもエアーマットに移動させたが
凹凸部分が腫瘍を刺激するらしく
Hは足を震わせ痛がった
モルヒネシロップを飲むが痛みは治まらなく
違うマットを敷く事にした
再び移動した後は痛みが治まった様でHは眠りについた

今日からMSコンチンが60mgに増量された


2002年03月13日(水)



 春なのに

日中は16℃まで気温が上がり暖かかった
春がそこまでやってきているのに嬉しくない
Hが外の空気を吸ってから1ヶ月がたってしまった

先週の金曜日から硬直した体を解すリハビリが始まった
「結構ハードだよ」とHは言う
相当痛いらしい

Hには行きたい所がある
そこは山の中だ
外泊を兼ねてそこへ行きたい為にリハビリを開始した
恐らく誰かが反対したとしても
私と弟はHの願いを叶えようとするでしょう

好きな山の空気を吸う事が最大のリラクゼーションとなり
エッセンスとなるはず・・・




2002年03月12日(火)



 眠ったまま

今日は午前中病室を覗いたが
Hは幸せそうな顔をして眠っていた
うっすらと目を開け私の方を見て頷き又眠りに入った
Hの幸せそうな顔を見ていたいと思いながらも
午後から仕事の予約が入っていた為
軽く昼食を済ませ病室に戻った
まだ眠っているHに手を振り病室を出た

車に乗り留守番電話を聞くと
「先生ごめんなさい。
急な仕事が入っちゃっていけなくなりました」
とクライアントさんからのメッセージが残っていた
病院に戻ろうと思ったが
駐車場に入る車の渋滞さを見てあきらめ
次のクライアントさんを待つ事にしオフィスへ向う

先日お見舞いに来て下さったHの後輩と名刺交換をした
その方から電話が入り
「以前伺った時より悪化されているのですか?」との問いに
戸惑いながら
「抗がん剤の第2クールの副作用が残ってますから」と
私は答えた
残された時間がわずかだとは言えない
人に話す事で悲しい日が早く来てしまいそうで・・・

苦しむだけの奇跡は望んではいない

Kさん
昨日、日記を拝見致しました
Kさんのお母様のご冥福をお祈りしながら
私は今キャンドルを灯しています

2002年03月11日(月)



 リラクゼーション

「ヒーリングミュージック」と言われるCDなどは苦手
特に「頭痛のための」などと書かれていた場合
頭痛が治ることを期待してしまう
あえてそうした特別な言葉で書かれた物は使用しない
聞く人が心地良いものを提供していきたいと考えている
最近のHは小沢さんのニューイヤーコンサートを聞いている

今日はアロマオイルでHの強張っている体を
解していった
マッサージよりは強くなく
気の流れにそったナチュラルな方法を選んだ

残された時間の中で私が出来る事は限られているが
私が学び仕事としてきた事も少しは役に立つようだ

残り僅かとなった時間
少しでもHがリラックスできる様
私が出来る事は全てさせて頂こうと思う

2002年03月10日(日)



 エイジアックティー正しい作り方

病室に入るとHの第一声は
「昨日Sノちゃん(看護婦さんの名前)に浣腸された」
であった
「良かったね。沢山出たの?」としつこく聞く(^^;
「うん。SMの気分」とH
アノネ・・・ ーー;

毎日お見舞いに来てくれる方が絶えない
寂しがりやのHの心を癒してくれる友人達

先日頂いたエイジアックティーの日本語説明書が
届けられ病院から帰り早速作ってみる
1リットルの水(浄水器←NASA開発の物)に
エイジアックを20g入れ煎じる
コトコトと煮詰めるとアクがいっぱいになった
少し冷ましガラスポットに入れ冷蔵庫に入れてある
16時間冷蔵庫に入れた後には飲めるようだ
説明書には12時間毎に60mlと書いてある
Hはこのエイジアックティーを飲みたがってる
何度吐いても飲みたがる
今までの飲み方は
Hの母が数gのエイジアックを適当に溶いて飲ませていた
煎じた後のアクのような物も一緒に飲んでいたわけね?
今度こそ吐かずに飲めると良いねH


2002年03月09日(土)



 便秘

エイジアックティーを一口飲んだだけでHは吐く
エイジアックティーに限らず番茶でも吐く
起き上がる事が出来ない為
私がいる時は身体を横向きに支えている状態だ

もしかして便秘?
下から出てこない人は上から出てくる事もある
「いつからしてないの?」と聞くと
「2月20日から」とHは答えた
食べる事ができる物は
サラダ、フルーツ、ゼリー、アイスクリーム
それでも排出物はあるはず
「浣腸してもらおうか?」と聞いたが
ベッドの上でそれを行う事自体が嫌らしい
そして「浣腸しなくても出るよ。したくないだけ」と言った
「オムツしてあげるから」と言ったが
「ベッドの上でする事が嫌なの」
^^。
問題はベッドの上
「オムツしてあげるから立ってしようよ」と言うと
「起き上がれないでしょ!」
ーー。
坐骨に腫瘍がある為、恐らく便座に座る事は困難である
そんなわけで
せめて立ってできる様にリハビリを開始する事になった
起き上がる事ができなかったり肩が痛いのは
抗がん剤の副作用で長い間、無気力だったせいもあり
起き上がらなかったからである
「起き上がることができる様になったら
オムツしてあげるからしようね」と言うとニコニコ顔になった
「大丈夫。拭けなかったら私が拭いてあげるからね」と言うと
「嫌」と答えが返ってきた
Hは自分で便をして拭く為にリハビリを開始する

Hと接しながら私は毎日当たり前の様に
息を吸ったり物を食べる事
好きな仕事ができる事などに
沢山の感謝をする

2002年03月08日(金)



 モルヒネの副作用

モルヒネの副作用として
Hは夢と現実が繋がっているようだ
「会社のアンケートって何か書いたっけ?」などと言い出す
時には弟と喧嘩になるらしい

Pさん
きのこ情報のメールをありがとうございます
Mさん
お気遣いのメールありがとうございます
とても言葉を選ばれ書いて下さったのだと思います
優しい気持ちをありがとうございます

Hの状態はと言えば
エイジアックティーが合わない様で
一口飲んだだけで吐いてしまう
「これさえ飲めれば」と言いながら吐き続ける
「また合う物を探せばいいから」と言っても
慰めにはならない様子で
H自身が奇跡を待ってる
私の中にある「苦しまないでほしい」と言う気持ちは
返ってHに対して失礼なのかもしれない

2002年03月07日(木)



 残された日々

私が思っていたよりずっとHの状態はよくないようだ

夕方Hを含め弟と私の3人で
効果判定の結果と今後の治療について
O医師より話があるとの事だったが
先に弟と私に話しておきたい事があると言われた
「脳の転移の事は御本人にはお伝えしない事にしましょう」と
O医師は話された
そして今後の治療としては
「緩和医療を御本人と御家族が望まれるのであれば
他の受け入れ先を紹介する事も可能です」と言われた
Hが望むのであれば別だが
私は国内のホスピスにHを転院させようとは思えない
今の環境を変えてしまう事はHのストレスになるかもしれない
そして現在入院中の病院から見放されたと
悲観的になる可能性もある
機会があればHに話そうとは思う
今は話す時ではないと判断した

O医師の話は続いた
弟と私は覚悟はしていたが
Hに残された時間は私達が想像している期間より
ずっと短いものである事を伝えられた
隣りに座っていた弟がすすり泣く

私は泣かない
ハートの中に沢山の涙がたまっている
感情はブロックされているのだろうか

昨日の予定では
Hのベッドをカンファレンスルームに移動させ
説明を受ける予定だったが
それは病室にて行われる事になった
Hは積極的に質問をしていく
「先生が治療を続けていけば
中には5年生きている人もいるって
おっしゃられましたよね?それを励みに頑張ってるんです」と
Hは話す
Hは奇跡を信じて頑張っている

Hの気持ちを優先させよう
私が死を覚悟していようとそんな事は関係ない
そう、考えを基本にもどそう
Hが何を望んでいるのか
それに対して私は何ができるのか
私達の感情は二の次である

2002年03月06日(水)



 脳転移

効果判定の為の検査は全て終わった

明日の夜に全ての結果報告と
今後の治療方針などの話があると
主治医のT先生はHに告げたそうだ

夜、主治医が病室にやってきて
「ご本人にはベッドのまま移動して頂こうと思ってますが」と
言いながら
「ベッドが入れる大きさの部屋はですね〜」と
私を外に手招きながら
「最初にお話した部屋で」と話を続けた
その後、廊下に出てからの話は
昨夜の脳ルーチンの検査結果だった
覚悟はしていたけれど苦しく最悪の結果報告で
脳に転移しているとの事
そして本人にどこまで話しても良いかと聞かれ
弟に連絡をした後に返事をする事にする
Hには「今日は帰るわね」と言い病室を出た
弟に連絡を入れ相談した後
T先生がカンファレンスルームで説明をして下さった
脳の転移は骨転移である
今後
言語障害などの症状が出てくる可能性があると言うこと
などが話された
治療に関しては脳外科が判断が
先ずは画像診断のみで本人の診察はしない事にした
診察をするには
脳の骨転移のことも本人に話す事になるからだ

明日は
H、弟と私の3人で結果報告と今後の方針の説明を受ける


2002年03月05日(火)



 肺癌4期からの生還エイジアックティー

効果判定の検査として今日は脳のMRI
Hにそれとなく
抗がん剤の第3クールについて聞いてみた
「もう抗がん剤は辞めた方が良さそうだね」と
Hの反応を伺う
「検査の結果を聞いてみないとわからないけど」と
答えが返ってきた
検査の結果がどうであれ抗がん剤を続ける意志は
Hにはないと見受けられた

先日Hの叔母よりFAXが何枚も送られてきた
・ガン治療最前線 食べて効く!
究極のキノコ「メシマコブ」の案内でした
Hの友人からはエイジアックティーを頂いた
エイジアックティーとはカナダ産の漢方薬である
こちら
こちらには肺癌4期からの生還と体験者レポートがあります

他にもスギナ茶、プロポリスなどを頂いたりして
多くの人々が奇跡を信じてる
私が願う事はただ一つ
Hが苦しみから解放される事のみである

2002年03月04日(月)



 

インフルエンザになってしまった私は病室に入れない

Hの母から昨夜電話があり
「寝てた?」と質問され
「39度、熱があるから」と答える
この方は質問はされるが私の答えはどうでも良いのだ
「あっホント・・・
細いもやしって何て名前?
明日こっちに来れるなら買って来て」って
ですからインフルエンザで行けないんです(^^;
細いもやしってアルファルファの事なのかな?
今日Hからメールが入る
「昨日39度熱が出た」と
「私も39度熱が出たよ」と送り返すと
「そうじゃなくって、インフルエンザうつったのかな」と
送り返されてきた
主治医に聞いて下さい




2002年03月01日(金)
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